二十三話 おふろたいむ
いつの間に履いたのだろう、くるぶしまで覆うもっこもこのスリッパみたいな履物が、ぺったんぺったんと音を立てている。
広い廊下にはやはりカーペットが敷かれていて、裸足の俺にも優しい。
右手に等間隔で並ぶドアは全て同じ形で、もうどこから出てきたのか分からなくなった。
内部構造の把握が既に頓挫しつつある……。
左手に見えるやはり規則正しく並ぶ大きな窓からは、暗さで輪郭の滲んだ木々が見えるだけで、目印になるようなものは何も見えない。
ぺったん、ぺったん。
ぺた、ぺた。
俺の左手を握るニャンベル・エクスフレアの右手は、俺のそれと変わらない小ささだ。
それが逆に不安感を駆り立てる。
ドアの数が片手の指を超えてからもう少し歩くと、大きな階段が見えてきた。
そこにも侍女が控えていて、こちらに気づいた途端、恭しく頭を下げた。
ニャンベルはやはり反応せず、すぐ脇を素通りしていく。
階段に足を伸ばす前に横目でちらりと見たその姿は、出迎えてくれたあの女性と同じだった。
あの二人もどこかにいるのだろうか。
けっこうな大きさの邸宅の一階、その浴場は広々としていて、銭湯にでも来たようだ。
ようやく手を離したニャンベルは、俺に背を向けて僅かに腕を広げ……動かなくなった。
逃げていいのかな、これ。
「ん」
ちらりとこちらを窺う目はほんの少しだけど不機嫌そうに見える。
少し遅れて思い至った。
こいつ、服を脱がせろって言ってるのか。
「……分かりましたよ」
確かに一人で脱ぎ着するには面倒そうなお召し物でいらっしゃる。
三姉妹は皆、紫色を基調としたそれぞれに違いがある豪奢な服を着ていた。
このニャンベルは他の二人と比べて露出度が極端に少なく、フリルレースの多さも相まって、黙って動かなければまるでアンティークの人形のようだ。
ふわふわした赤金色の髪は今はゆるく一つにまとめられている。おそろいです。
そういえばルデラフィアはどこに行ったんだろうな。
初めて触る構造の服に苦戦すること数分、なんだこれまじで面倒臭ぇぞ……。
「手際、悪い」
「す、すいません……」
ようやくすっぽんぽんになったニャンベル・エクスフレアは、俺の言葉を無視して自分の髪をくるくると纏めている。
ルデラフィアがお姉ちゃんと呼んでいたこいつは一体おいくつなんでしょうね。
魔術師……魔女とはそういうものなのだろうか。
同郷のあの女も、多分けっこうな年齢だった筈だけど見た目は恐ろしく若かった。
諦めて俺もワンピースドレスを脱いでいく。こちらはもう手馴れたものだ。
……あ。
俺がそれに気がついたことに、目の前にいたニャンベルも気がついた。
「それ、私の、ぱんつ」
「……っ!」
毛糸のぱんつを拝借していたことをすっかり忘れていた……。
もうやだ帰りたい。
「ま、いいけど」
いいんですか。寛容ですね。ありがとうございます。
いそいそと脱ぎ去ると、それを待っていたかのように手を掴まれた。
「座って」
はい。座ります。
近くにあった腰掛けにすっぽんぽんのまま座る。
ニャンベルは俺の後ろに回り、何をするかと思えば、俺の髪をいじり始めた。
作り物の女の子の身体で、一糸纏わぬ姿のまま、これまた裸で同じくらいの背丈の女の子に長い髪を纏められている。
どういう状況だこれ。
「できた」
その声で我に返った。
敵地だと認識していた筈なのに、この体たらく。
お持ち帰りされる前もそうだったけど、少し慣れてきたこの長い髪を触られるのは落ち着くというか、そんなに嫌いじゃないのかもしれない。
大きな姿見に映る二人……俺とニャンベルは、ほぼほぼ変わらない体格とやはりおそろいにされた髪のせいか、姉妹のようにすら見える。
白い肌も、貧相な胸も、細い手足も、陶器のようで……人形めいている。
いや、まさかな。
奥へと続く仕切り、その向こうには巨大な一枚岩をくり抜いたのか、のっぺりとした浴槽がもうもうと湯気を吐いていた。
手を引かれ、真っ直ぐ湯船に向かう。
かけ湯の習慣はないのだろうか。
なんて考えていると、湯煙がさぁっと晴れた。
「あらぁ、仲良しさんねぇ」
「戻ってたの、ヴィオ姉」
三狂の魔女、その長女は縁に両腕を伸ばし、豊満なそれを堂々と浮かせてくつろいでいた。
やはり、でかい。
「そこそこ楽しめたわよぉ。『魔女殺し』も見れたしねぇ」
「そう」
顔を少し上気させたヴィオ姉と呼ぶ女の言葉を、ニャンベルは興味なさ気に聞き流した。
俺の手を引き長女とは逆側の縁から湯船の中へ腰を下ろす。
仕方なく、隣で湯に浸かった。少しぬるめだ。
「で、その子はエリクシルの代わり、かしら?」
「うん。……でも、ちょっと、変更かも」
「ふぅん?」
姉に対する返答すら面倒そうにするニャンベルの手は、まだ俺の手を握っている。
それにしても、お風呂に入るのはどれくらいぶりだろう。
こいつらも今すぐ俺をどうこう、というつもりはなさそうだし、堪能させてもらうとしよう。
とはいえ、やはり対面にいる女への忌避感は拭えない。
「ふふ……嫌われちゃったみたいねぇ」
嫌悪感が顔に出ていたのか、女は軽い口調で不満を漏らした。
「もしかしたら、勘違いされてるのかしらねぇ」
「……何を、ですか」
「あの村のこと」
脳裏に浮かんだのは……ボロボロに炭化した村人、その成れの果て。
あろうことか俺を神さまと呼んだ、勝手に救われた人々。
「おチビちゃん、あなたは知ってるんでしょう? あの村の人間が何をしていたのか」
「……えぇ、まぁ」
森の中に沸いた魔力の湖、それを体内に取り入れていた……アルコール中毒者のように。
酩酊し、幻覚に溺れ、幻聴にまみれ、身体は変容していた。
彼らは、神を見ていた。
ぽふ、と俺の肩にニャンベルの頭が寄りかかった。
微かな吐息が聞こえる。
こいつ、この空気の中で寝やがった……。
「ふふ。人間嫌いのその子が懐くなんてね……本当に、面白いわあなた」
薄い湯気の中、女が立ち上がった。
長い脚に巻きつくように刻まれた紋様は、身体を昇り腕にまで絡みつく、それは蛇のようだった。
「偶然、人がほとんど寄り付かない僻地の村の近くに」
湯船から上がる女は、その肢体を見せ付けるように身体を伸ばした。
思わず見惚れてしまう。
「偶然、エリクシルが自然に発生し、偶然、それを村人が発見した。
彼らは何の疑問も持たず、純然たる魔力の塊を飲み続けた……意識も身体も歪になりながら」
この女は何が言いたいのだろう。
ニャンベルの頭が滑り落ちそうになり、慌てて支える。
ちょっと真面目な空気なので起きてほしい。
「果たして本当に……偶然、なのかしらねぇ」
「……どういうことです」
「さぁて、ね」
女は誤魔化すように薄く笑った。
去っていくその後姿は、湯煙に混じりぼやけて見える。
掴みどころがない。
「ヴィオーネ・エクスフレアよ。その子、よろしくね……おチビちゃん」
ヴィオ姉……ヴィオーネは、最後に名を名乗って出て行った。
それが何を意図してのことだったのかは分からないけど、少なくとも敵として認識されているわけではないらしい。
それにしても。
あの村を取り巻く出来事が偶然ではない……つまり意図的なものだとしてそれは。
どこから。いつから。
「……あの、ニャンベルさん」
「ぶくぶく」
考えている間に沈んでいたニャンベルを抱え上げる。
大丈夫かこの人。
「けぷ……話、終わった?」
えぇ、と返事をして、連れ立って湯船から上がる。
考えても分かりそうにないし、とりあえず……。
あー、はいはい。
「洗えばいいんですね、分かりましたよ」
またしても何かを待つように動かなくなったニャンベル。
こいつ世話係にする為に俺を拉致したんじゃないだろうな、なんて疑念を抱きながら石鹸を手に取った。
こうなったら徹底的に洗ってやるぜ……覚悟しろよ。




