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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第五章 続いていく世界
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十七話 魔女が住む森

 見られている。あちらこちらから。

 ただやっぱり嫌な気配ではなくて、見守られているように感じる。

 初めて体感する魔素の濃さに身体がようやく慣れてきた頃、視界が開けた。


 そこは湖だった。

 貴重な素材が周囲に群生していたという、『神鏡の湖』と呼ばれていた湖があるとは聞いていた。

 それはもう、とうに枯れてしまっているとも。


 だけど私とアイファ姉ちゃんの目に飛び込んできたのは、湖面にキラキラと陽光が跳ね返る大きな大きな湖だった。

 逆さまに映った雄大な山脈が揺れるその中に、一人の少女が立っている。


 真っ白な髪をした、身に纏う衣装も白。

 少女は湖面に立っていて、晒された手足はまるで人形のよう。

 僅かに俯いていたその白い少女は、私たちの目が少女に焦点を合わせた瞬間に、顔を上げた。


 思わず息を呑んだ。

 知らず掴んでいたアイファ姉ちゃんの手からも緊張が伝わってくる。

 どうしてだろう。あの少女は、お姉さまは、私たちにとって恩人で、慕いこそすれ……どうして、恐怖など。


 湖面を歩いてくる白い少女の足元に波紋は広がらず、そう見えているだけで実は硬い何かなのではないか、なんて思ってしまう。

 音もなく歩み寄るその姿に、背筋が震えた。


「よくきてくれたね」


 声を聞いた瞬間、脚から力が抜けた。

 アイファ姉ちゃんも同じだったようで、お互いに格好悪く支えあう姿になってしまった。


「元気そうでなにより」


「……っ、はい」


 その優しい声色はあのときのまま。

 そしてその姿も、あのときのまま。

 時が凍りついたかのように、真っ白なままだった。


 ぺたぺたと湖のほとりに上がってきたお姉さまは、私たちの目の前まできて、薄く笑った。


「大きくなったね」


 すい、と伸ばされた手が私の頬に触れた。

 温度を感じないその動きに見惚れて、間近で見た濡れた赤い瞳と長い睫毛に見惚れて。

 私の身体はかちこちに固まってしまう。

 会えたならまた勢いそのままに飛び込んで甘えてしまおう、そんなことを考えていたのに。


「お、お姉さま」


「ん」


 今はもう私のほうが背が高い。

 小首を傾げて私の目を覗き込むお姉さまのその声や挙動が、あの時よりもずっと柔らかく優しく見えて、ああ駄目だ急にどうしたんだろう胸がドキドキしてきた。


「その、すちぃが……いぁ、スティアラ師匠から聞いて来ました」


「……私たちに、頼みたいことがあるって」


 ようやく自分の足で自身を支えられるようになった私とアイファ姉ちゃんは、気を取り直して本題を切り出した。

 そう、私たちは彼女に呼ばれたのだ。

 『竜を統べる白き魔女』シエラ、その人に。


「うん」


 す、と真横に持ち上げられた腕の先、お姉さまが指差したのは森の奥。

 目で追いかけ、なんだろうと視線を戻したときにはもう、白い少女の姿はどこにもなかった。


「……っ、『転移の魔術』……?」


「……多分。全く分からなかった、けど」


 ごくり、と。

 魔術が発動するときに大小あれど必ず起こりうる余波が、なかった。

 意識せず飲み込んだのは緊張かそれとも不安か。

 さっきまで喋っていたのは幻だったと言われても簡単に信じてしまいそうだ。


 私たちは頷きあい、指し示された方へ向かって湖のほとりを歩いた。

 湖面は凪いでいて鏡のよう。

 ずっと握ったままの手が汗ばんでいたことに、私もアイファ姉ちゃんも気が付かないまま。




 その切り開かれた空間は頭上が枝葉に覆われていて薄暗い。

 今の時間なら暑ささえ感じるほどの陽射しはほとんど届いてなくてひんやりとしていた。


 大きな切り株に座っている白い少女の隣には、一糸纏わぬ姿の獣の耳と尻尾を生やした少女が肩を寄り添わせて座っている。

 青みがかった濃い灰色の髪は長く、腰の辺りにまで届いている。

 相変わらずお姉さま以外には興味がなさそうで、一度ちらりとこちらを向いただけで目を瞑ってしまった。

 だけどそのそっけない態度には冷たさは感じなかった。


 白い少女の足元には、やはり何も着ていない大きな翼を丸めて眠っている『月を背負う六つ羽根』の化身。

 これはいびきなのか寝息なのか、聞き慣れない不思議な音色がこの辺り一帯を震わせている。


 そして。

 白い少女の膝の上には、真っ黒な髪の幼い女の子がすやすやと眠っていた。

 幼子を抱きかかえるお姉さまの姿は慈愛に満ち溢れていて、取り巻く空気それ自体が柔らかく感じる。

 ……え?

 お姉さまの、こども?


「いや、違うよ」


 よほど間抜けな顔をしていたのだろう、私の内心を読み取ったのかお姉さまは可笑しそうに笑った。

 こんな風に笑う人だったっけ。

 何故かとても胸を打つその微笑みに私は目を奪われて、固まってしまった。


「ああ、ごめんね」


 黒髪を優しく撫でるお姉さまの手が僅かに浮き、指がくいと曲げられた。

 多分、それが魔術の起点だったのだと思う。

 立ち尽くしていた私とアイファ姉ちゃんのすぐ目の前に青い炎が弾けるように立ち上った。


「わっ」「……っ!?」


 その奔流はすぐに消え、現れたのは二匹のもふもふした獣……大きなきつね?

 ぺたりと伏せるように座っている彼らはくあぁ、とあくびを一度したものの、そこから動こうとしない。


「どうぞ」


 どうぞ?

 お姉さまの言葉を頭の中で反芻した。

 アイファ姉ちゃんと顔を合わせてたっぷり三秒考えて、しかし答えは出なかった。


「遠慮しなくていいよ。座り心地は保証する」


「……え。あ、はい」


 座れ、ということだった。

 ごめんねという言葉はつまり、立たせたままでごめんねということらしかった。

 ……多分だけど、今の感じだと普通に椅子とか出せますよねお姉さま?


「し、しつれいしまぁす……」


 恐る恐る。

 見たことのない立ち上がるとけっこうな大きさなのだろうおとなしい獣に手で触れる。

 あ、すっごい良い手触り……。


「はおぉ……」


 この感触はどこかで……ああ、お姉さまの獣の尻尾を初めて触らせてもらったときもこんな風に鳥肌が立ったっけ。

 滑らかでしっとりとしていて、それでいてふわっふわな……。

 見ればアイファ姉ちゃんも座らずに、うっとりとした表情で大きなきつねのような子を撫でている。

 どうしよう。これ欲しい。


「コリン。アイファ」


「はひっ」


 名前を呼ばれて我に返った。

 その反動で勢いよく座ってしまったけれど、椅子代わりに呼ばれた獣はビクともせず柔らかく受け止めてくれた。

 ああこれ立ち上がれなくなっちゃうやつだ。


 お尻を包み込む温かさとふわふわな毛並みに意識を奪われそうになりながら、柔らかな笑みを浮かべたまま待っていたお姉さまの方を向き直る。

 身体はその見た目はあのときと全く変わらない、私よりも幼く見えるのに……気圧されてしまう。

 そんな中で、アイファ姉ちゃんが意を決したように口を開いた。


「それで、その……。頼みごと、とは」


「うん」


 ぴく、とお姉さまの隣でまどろんでいたソラちゃんの耳が反応し、薄っすらとまぶたが開いた。

 喉の奥からくぐもった声が聞こえ、お姉さまの手が震える獣の耳を優しく撫でた。


「この子を預かってほしい」


 さらさらとした黒い髪に手櫛を通され、むにゃむにゃと身じろぎをしている幼い女の子。

 その子を、預かってほしいと。

 え、どういうこと?

 いえ勿論、他ならぬお姉さまの頼みなら一も二もなく引き受けますけれども。


「……どういうことですか、シエラ様」


 アイファ姉ちゃんの声色が少しだけ訝しげなものになっている。

 無理もない。私も何がなんだか分からないし、何よりどうして私たちなのか。


「この世界を見せてあげてほしい」


 口を開いたお姉さまに反応して、隣に寄り添うソラちゃんが手を伸ばしてその女の子の頬をぷにぷにと突いた。

 むずかる女の子を見つめるソラちゃんの表情は初めて見るもので、それだけで二人にとって特別な存在なんだということが伝わってくる。


「この子に教えてあげてほしい」


 その言葉は答えになっていなかった。

 それ以上を聞くより先にお姉さまの指がくい、と動いて、黒髪の女の子がふわりと浮いた。

 ゆっくりと回転しながらふわふわとこちらに向かって宙を漂うその姿はとても気持ち良さそう。

 アイファ姉ちゃんが立ち上がり、すっぽりとその腕の中に女の子を抱きかかえた。


「名前は、ヒイラギ」


 聞き慣れない響きの名前だった。

 随分と軽そうなその黒い髪の女の子を見つめるアイファ姉ちゃんの横顔には、ああ母性的な何かが芽生えてそう。

 私にも抱かせてほしい。


「ひーちゃん?」


「……んぉ?」


 私の呟きに反応したヒイラギちゃんは、目をくしくしと擦りながら見知らぬ人物に抱きかかえられていることに気づいて目をしばたたかせた。

 四……いや、五歳くらいだろうか。整った顔立ちはどこかお姉さまに似ていて、お人形さんみたいに可愛らしい。

 どこの生まれなのだろうか、ここまで純粋な黒い髪を私は見たことがない。

 触り心地の良さそうなそれに手を伸ばそうとすると、アイファ姉ちゃんが再び口を開いた。


「こんな小さな子……危険です」


 その通りだった。

 お姉さまは恐らく、私とアイファ姉ちゃんが魔術師としての修行を兼ねた旅に出ることを知っている。

 その旅にこの女の子を連れていけということなのだ。


「大丈夫。その子は」


 その笑みは今まで一番、綺麗だった。


「とても頑丈で」


 ヒイラギちゃんの目は血のように赤く、そして薄く光を湛えている。

 お姉さまのそれと同じく。


「目がいいから」


 その言葉はやっぱり答えになっていなかった。

 けれど聞き返そうという気持ちは私にもアイファ姉ちゃんにもどうしてか湧いてこなかった。


「……二人の方が私は、心配かな」


 お姉さまはこの小さな子より、私とアイファ姉ちゃんの方が心配だという。

 心配してくれるのは嬉しいのだけどなんだろう、素直に受け止められない自分がいる。

 そんな気持ちが顔に出ていたのだろうか。


「人間は、脆いから」


 背筋を冷たい手で撫でられたような気がした。

 ……そんな言い方。

 それではまるで。

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