十三話 空の中心で
胸の奥から湧き上がるこの黒い衝動は果たして俺のものなのか、それともあの女のものなのか。
そんな余計なことを考えている俺自身はきっと、この身体には余計なものなのだろう。
名も知らない剣の形をしたアーティファクトを振るう度、神の守護者たる彼ら光の巨人は確かな意思と意志を内包した輝く魔力から、物言わぬただの魔力へと変じていく。
それに触れる度、この満たされた器は歓喜に背筋を震わせ目尻を潤ませる。
なんて純粋で。
「おいしい」
思わず口からこぼれ出たその言葉に違和感を覚えることもなく、殺到する『守り手』を切り裂き穿ち吸収していく。
本意ではないけれど身体は最適な動きで槍を剣を自在に扱い魔力の余波を撒き散らす。
この万能感は危険だ。
しかし笑みは抑えられない。
抑える気もない。
最後に残った一体は最初に頭部を縦に割られたそいつだった。
あらかた片付いたのを見て、竜の少女がふわりと舞い降りてきた。
跡形すら残らない蹂躙とも呼べる戦いを見ても尚、リチェルは『魔王』と呼ばれた白い少女を恐れてはいないようだった。
「『魔王』め」
漏れ出る魔力が震え、魔素に殺意が乗っている。
しかし光の巨人は動かず、目も口もない頭部から魔力を滲ませるだけ。
「勘違いしてるみたいですけど」
もう何かを行使する力も残っていないのだろう、うなだれるようなその姿に刃を突き立てる気にはならない。
「神さまを殺すつもりはないですよ」
十一体の『守り手』を無傷で屠った、完成された『魔王』の言葉など信用できる筈もない。
魔素を直接震わせる言葉の数は少ない。
「『魔王』め」
存在そのものが相容れないのだ。
どんなに言葉を積み重ねても決して近づくことなどない平行線上に、この世界と今の俺は立っている。
「……行こう」
リチェルの手を取り、同じ言葉を繰り返すだけの機械になったそいつを置いて再び木の根が縒り集まる祭壇へ足を向けた。
再びの気配に足を止め、小さく溜め息をついた。
光の巨人。数はさきほどの倍。
「多いな」
しめ縄のようなそれを中心に広がる空間、そのあらゆる場所から滲みまろび出てくるそれらはやはり魔力の塊。
手に手に長く大きな剣を構え、その姿は引き絞られた弓のよう。
空間それ自体が張り詰めたような空気の中、リチェルは普段通りきゅるきゅる喉を鳴らしている。
足元の太ましい木の根、俯瞰した世界の中で見た途方も無い魔力の量。
あれが全て神さまを守る為に使われるのだとしたら、俺は後どれだけの間、戦い続けなければならないのだろう。
面倒だな、と思った。
俺はそんなつもりはないけれど、ここは敵地のど真ん中なのだ。
神さまにとって魔王が天敵ならば。
魔王にとって神さまはやはり天敵なのだろう。
しかしそれを分かっていたからこそあの女はこの身体を作り出した。
その執念はきっと『守り手』をも超えている。
「リチェル、上に運んでくれる?」
その全てを撃退し、再び祭壇に足を踏み入れた。
何か文字が彫ってあるけれどやはり読むことはできず、触れても意味は分からない。
きゅるきゅると嬉しそうに鳴きながら俺の後ろに回りこんだリチェルに腰を掴まれ、すぐに浮遊感に包まれた。
『魔王』だなんて呼ばれても、空を飛ぶことはできそうにない。
魔素の霧は厚く、抜けるとそこは暗い空の真っ只中だった。
かなりの高度にいるらしい。眼下には雲が広がっている、なるほど途中から普通の雲の中を突き抜けてきたのか。
見渡しても想像していたような樹は見当たらない。
あれに沿って真っ直ぐ上昇してきた筈なんだけど。
……いや、これは。
「リチェル。……目の前に見えてる?」
「? うん」
『竜眼』には見えているのか。
俺の目には見えていないけれど……巨大なあまりにも巨大すぎる何かが、すぐ目の前にある。
目を切り替えても何も映らない、ただ確かにそこにあるということだけが分かる、理解し難い現象。
「まだ上に続いてるの?」
「うん。ずーっと上まで続いてるよ」
月まで届いてるなんてことはないよな。
リチェルにはそのままゆっくりと上昇してもらうことにした。
見えない何かの向こうにはやはり雲が広がり、さらにその先には真っ直ぐな水平線が見えている。
真っ直ぐで、曲がっていない。
陽は沈んでしまったのか、頭上は大きな丸い二つの月だけが占有している。
確かルッツ・アルフェインは、月に瞳が浮かんだと言っていたっけ。
まさかあれに魔術が刻まれているなんてことはないと思うんだけど。
緩やかな上昇は続いている。
息苦しくはないのだろうか。
リチェルはきゅるきゅると鳴きながら羽をぱたぱたさせている。
俺は吊られる荷物か景品か、ただされるがままぶら下がり離れていく雲の頭を見続けている。
漂う魔素は薄く、空気は冷たい。
どれくらいの高さにいるのか、鳥も他の生き物も何も見当たらない。
竜の少女と魔王と呼ばれた人の形をしたものだけの寂しい飛行は、しかし見えない存在感と圧迫感で窮屈に感じる。
きゅるきゅると鳴く可愛らしい音色だけが心の支えになりつつあった。
何かを突き破る感覚が何度か続いた。
すでに遥か下にある筈の島を見つけたときと同様に、それは結界だったのだろう。
隠蔽か防壁か、それとも別の何かか。
恐らくは俺ではなくリチェルの仕業なんだけど、よく分からないし別にいいか。
しばらくして、見えないけれど確かな存在感が、向かう先……頭上いっぱいに広がっているのを感じた。
獣の耳に尻尾に、四肢に身体の全てに。見えない何かを確かに感じる。
「おっきい木」
上を見上げながらだろう呟いたリチェルの声で、それが枝葉らしいということが分かった。
まじか。この感覚……大きいとかそういうレベルじゃないと思うんだけど。
世界を覆うまでは流石にいかないまでも、あの島の全体は優に超えていそう。
全方向からの嫌な圧迫感が続き、耐えることしばらく。
身体に伝わる温度が下がった、ような気がした。
風もなく、音もない。
「お花があるよ。まま」
見上げる、リチェルの薄く光を湛えた瞳には何かが映っている。
ふわふわと滞空する、恐らくは枝葉の群れを抜けたこの真っ暗な空で……花?
誘われるように何かに近づいていくリチェル、と腰を掴まれぶら下がっている俺。
なんだろう、何かがあるのは分かるのに見えないもどかしい感じ。
とりあえずリチェルに任せていると、突然その手が離された。
「え」
いや待ってこの高さお前洒落になってな──。
ぽふっ。
「……んぇ?」
落下に伴う加速度が身体を捕まえる前に、俺の身体(お尻)が何かに当たり……着地(?)した。
その何か……柔らかな、しかし硬さも感じるそれに触れた瞬間、ぱち、と何かが切り替わった。
こうなることもあの女は想定していたのだろうか。
「……わぁお」
まばたきをする度に見えていなかった何かの輪郭が浮き上がり形を色を重ねていく。
隣に降り立った竜の少女はきゅる? と不思議そうな顔で俺の顔を覗き込んだ。
取り繕う余裕なんてなかった。
その広がる圧倒的な光景に俺はきっと恐らく、子供みたいに呆けて目を輝かせていたのだろう。
それは恐らく一本の樹だった。
視界に広がる枝葉は空を覆い尽くしている。
月の光を受けた葉は魔素の色。
脈動しているそれは半透明で、ああやはり中を魔力が廻っている。
ガラス細工だと言われれば素直に信じられそうな、これが『神の樹』の全容か。
確かに……人智を超えている。
しかし。
「……誰もいない」
神さまとやらの姿は見えない。
この木の天辺だろう場所、中心にある花が怪しいんだけど。
リチェルが見ていたのもあれだろう。
リチェルの手を引き、慎重に歩を進める。
葉っぱの上は柔らかさと硬さが同居した不思議な感触で、今にも抜け落ちそうな不安感がある。
一歩また一歩と足を前に出す、その度に魔素がふわりと舞い上がり辺り一面を染め上げる。
もうどれくらい下にあるのは分からない、あの根っことは違い、触れた足元から魔力は吸収されていない。
むしろ、身体が満たされていく感覚がある。
見たことのない形状の花だった。
広がる光景から考えれば小さすぎる、しかし人間に比べれば遥かに巨大な薄青色の花は花弁を広げ、やはり脈動していた。
無機質にも見える精緻な花弁はしかし生きている。
途方もない量の魔力……『神鏡の湖』が満たされていたときと比べても霞んでしまう、あまりにも純粋で研ぎ澄まされた魔力が内包されている。
「……誰かいますか?」
妙にはっきりと響いた可愛らしい俺の声は、その花弁を小さく震わせた。
しかし、それだけだった。
音に反応したものは他には見当たらない。
また俺には見えていないのだろうか。
リチェルの様子を横目で窺うも、きょとんと見つめ返されてしまった。
……ここまで来て、何もいない?
この圧倒的な存在感を放つ『神の樹』の天辺まできて、何も?
「まま、どうしたの?」
リチェルの声色はあまりにもいつも通りで、それが今は心強い。
手を離し、半透明な魔素の色をした花に近づく。
絶望を感じるほどの魔力の量の塊。
手を伸ばす。
それに、触れた。




