六話 停滞する歪んだ死
つまりここには、『死肉漁り』はいないのだろう。
確かどこにでも現れる掃除屋さんと呼ばれていた、『死んだ魔力』に集まる魔獣。
掃除をするものがいない場所は必然、汚れ、澱み、溜まり、そして本来ならば腐って朽ちる。
酷い臭いに自然と眉根が寄る。
濃い霧の中を進んだ先、少しだけ晴れてきたことに安心したのもつかの間。
視界に入った全ては荒廃していた。
何故か見覚えがあるように感じたのはきっと気のせいだろう。
こんな所に来たことなんてないのだから。
「ままぁ……」
隣のリチェルは不安そうに辺りを見回し、俺の手を強く握った。
力加減気をつけてね折れるからね。
しかしこれは、どういうことだろう。
死体と何かの死骸がそこかしこに横たわり、流れ出る血は生々しくそして鮮やかに臭いを撒き散らしている。
ソラならこの光景を美味しそうと思うのだろうか。
『竜』であるリチェルはどうやら違うみたいだけど。
倒れ伏している死体は『木々を食むもの』。
四肢には恐らく割られたのだろう小さな結晶がこびり付くように残っている。
倒れ伏している死骸は魔獣ではない。
一見人間のようにも見えるそれはしかしどこか歪で、恐らく……魔族と呼ばれるもの。
「……リチェル、海の近くで待っててもいいよ」
俺の言葉にリチェルはふるふると首を横に振り、背中に飛んで抱きついてきた。
見たくはない、けれど離れたくもない。
合理的な行動だった。
俺の背中で微動だにしなくなったリチェルを連れ、慎重に歩を進めていく。
辺り一帯に広がる生々しく凄惨な爪跡は全く風化していないように見える。
『災厄』が起きたのは数年以上前だと聞いている……しかしこの状況、つい先ほどまで戦闘が……いや殺戮が行われていたような。
左目には生きているものは映っていない。
気配も感じない、なのに肌に纏わりつくようなこの悪寒は何だ?
油断はしていなかった。
けれど反応できなかった。
俺とリチェル以外に動くものなどいない筈の場所で、突然聞こえたそれに咄嗟に右腕を上げ、強烈な熱さに襲われた。
「……っつぅ」
すれ違い俺の後ろに回り込んだそいつを視認すべく、左手で『吸血鬼』を抜き反転。
そして、息が止まった。
「まま、手……っ」
「……大丈夫」
リチェルの声に答えつつ、そいつを見てすぐに思い浮かんだのは、ヴィオーネ・エクスフレアの魔術だった。
人間……シルエットは確かに人間のように見えた、けれど決定的に違った。
そいつは、人間二人の胴体を横一文字に切り裂いて、上半身同士をくっつけたような、気色の悪い姿をしていた。
頭が二つ。手が四本。
ギシュ。ギシュ。
股座の頭から聞いたことのない不快な声が漏れている。
噛み合わせの悪そうなはみ出した牙に、肉食獣のような鋭く長い爪。
俺の右腕が青白い炎に包まれている、縦にざっくりと切り裂かれたこれはあの爪でやられたらしい。
「リチェル、離れてて」
「う、うん……」
獣の耳に意識を集中する。
この左目では目の前のこいつを、生き物と認識できていない。
微かに周囲から音が聞こえる……けれどその正体までは掴めない。
こいつの狙いは俺、でいいんだよな。
リチェルは気味の悪い生き物を見て怯えている……いざ戦闘になれば俺より遥かに強いだろうけど、強要はしたくない。
俺が『吸血鬼』を構えた瞬間、そいつは飛び出してきた。
ただ愚直に、真っ直ぐに。
ソラより速くはない、しかし生き物の気配がないそいつの動きがこの目に酷く歪に見えて、対応が遅れた。
「ふぅ……っ!」
振り上げた『吸血鬼』、その刀身がそいつの振り下ろされた右腕(?)と重なった。
ある筈の手応えが全くなかったことで体勢が崩れ、左腕が裂かれた。
ああ、魔力も全く吸収できていない。
「『死んだ魔力』で動いてる……?」
そいつの爪に付着した俺の血の色をした魔力が青く燃え上がる。
それを舐めた股座から生えた顔が、身体を震わせて雄叫びを上げた。
ギィおおおォオォオオオッッ!!!
どうやら俺の魔力はお気に召したらしい、再びこちらに飛び掛る構え。
『吸血鬼』をしまい、『閲覧者』を取り出した、跳躍してくるそいつに向け空いた手をかざす。
バギン、という破断する音、視界をくるくると舞う折れた爪がいちにぃさんよん。
良かった、リチェルにプレパラートみたいに割られてた『拒絶空間』は、しっかり機能してくれた。
弾き返されたそいつは面食らった様子で距離を取り、上下の頭が同時に首を傾げた。
死んでいる、なのに動いている、動きそれ自体は生き物のそれ。
酷く……気持ちが悪い。
「……どうすれば『死んだ』ことになるんだ、こいつ」
呟き、再び飛び掛ってきたその動きに合わせ『拒絶空間』を前面に展開した。
残っていた爪が綺麗に折れ、くるくると飛んでいく。
痛くは……ないんだろうな。
今度は距離を取ることなく、半透明の壁に考えなしに腕を振るい打ちつけている。
その度に肉が裂け骨が折れどろりとした黒い液体が撒き散らされていく。
その異常な光景に目を奪われ、周囲への注意が疎かになっていた。
「ままっ!」
リチェルの叫び声に反応し振り返る、振り上げた左腕が青白い炎の軌跡を残し、千切れて飛んだ。
「……っ!?」
その衝撃で『拒絶空間』が解け、何度も叩きつけられてどす黒い肉塊となった腕が視界の端に見えた。
右肩から鈍い嫌な音が鳴り、身体が浮いた。
視界が真横に吹っ飛び、横転。
地面に何度か打ち付けられながら、途中で体勢を立て直せたのはただの偶然だ。
「ふぅ、ぅ……」
痛みはない。
けれど吐き気を催す喪失感と耳鳴りのようなものが頭の中に響いている。
現れたもう一体のそいつは頭が一つしかないけれど、脚が三本生えていた。一本は尻尾のように垂れ下がっている。
その代わりか腕が一本しかない、異常に太く指も多い、俺の腕をやったのはあの腕の一撃か。
「ぅえぇ……ままぁ……っ」
「……リチェル、大丈夫だから泣かないで」
その二体の異形は、千切れた俺の腕を奪い争い同士討ちを始めている。
知能はありそうだけどそこまで高くもなさそうだ。
激しく争っている間にも地面に横たわる白く小さな腕は燃え上がり、さらさらと消えていく。
そしてちょっとだけ引くぐらいの早さで俺の左腕も青白い炎を上げながら再生していっている。
ベルトに差してある短剣に手で触れ、しかし止まった。
さっきの『拒絶空間』へのがむしゃらな殴打、痛みを全く感じていないようだった……物理的な攻撃も意味がなさそうだ。
かといって『核』のようなものも見当たらない。
ひし、と無事な右腕に抱きついてきたリチェルの髪を撫でて、左腕がすでに綺麗に再生し終わってることに気がついた。
「ほら、リチェル。大丈夫でしょ」
左手でぐぱぐぱしつつ微笑む。
涙を滲ませながら俺の顔を見上げるリチェルはようやく安心したようで、小さく頬を緩ませた。
そして地面に落ちた俺の左腕が消失し、争っていた二体の異形がこちらを向いた。
ぴく、と反応したリチェルの銀色の髪が揺れるのを見て、ようやく思い至った。
「ああ、それなら」
『竜の心臓』に手を当てる。
赤く熱く脈動するそれから、リチェルに返してもらったものを取り出した。
キン、と澄んだ音は地面に石突きが触れた音。
第一のアーティファクト『神槍』……その中に『月を背負う六つ羽根』の魔力は残っておらず、ただただ真っ黒で不吉な魔力が満ちている。
二メートルを超えてそうなこの長い槍、さて……まともに扱えるんですかね。




