三十六話 向かう先は
明くる朝。
「……こいつ、返す」
不機嫌なのを隠そうともせずルデラフィアが雑に持ち上げていたのは、竜の少女だった。
翼の根元をむんずと掴み、俺を見つけるや否やぽいっと放り投げてきた。
「きゃー」
すんごい雑に扱われているのに、リチェルは楽しそうな声を上げている。
むしろあれくらいの雑な方が『竜』という生き物には丁度いいのかもしれない。
……何があったんだろう。
抱き止め、こっそり耳打ち。
「……リチェル、何したの?」
「おいしかった!」
あぁ……。
ルデラフィアを見やる俺の目に浮かんでいるのは恐らく、同情。
なるほど、いくらルデラフィアでも抗えなかったらしい。
「躾けておけよ、シエラ」
吐き捨て、正面ロビーの大階段を上がっていく三姉妹の末っ子。
後でちゃんと謝っておいたほうが良さそうだ。
きゅるきゅる喉を鳴らし、頬を擦りつけながら見上げてくるリチェルと目が合う。
「……まま、怒ってる?」
「んー……怒ってはない、けど」
どうやって説明しよう……。
『湧き出る温かい泉』の魔術を使ったときのことを思い出すとなんだろう、絶望感が湧き上がってくる。
この子に悪意はない。だからこそ、難しい。
どうしてソレをしてはいけないのか、人間特有の倫理観をどう納得させればいいのか。
頭ごなしに駄目だからと押さえつけるのは容易い、けれど。
「リチェル」
さらさらした銀の髪を撫でながら名前を呼び、大きな碧色の瞳を見つめる。
半開きの唇に唇を押し付けると、リチェルは目をとろんと細めてきゅるる、と鳴いた。
ゆっくりと魔力を流し込む。
ぴく、とゆっくり揺れていた翼の動きが止まり、喉がこくんこくんと小さく上下する。
うっとりとした表情でされるがまま嚥下するリチェルに、ああやばい、母性的なあれが芽生えてくる。
「……っふぅ」
「ふぁ……ままぁ……?」
ぽぉっと頬を染めた竜の少女の頬を撫でた。
ソラもそうだったけど、魔力をあげると酔ったみたいになるのはなんでだろう。
「お腹空いたらまず、ままに言うこと。……分かった?」
「……ぁい」
急におとなしくなったリチェルは、俺の顔を見つめて瞳を潤ませている。
なんか変なスイッチ入ってそうだな。大丈夫かな。
「ままはこれから、お友達と本を読むけど、リチェルはどうする?」
「……ままと一緒にいる」
「ん」
ぎゅう、と抱きつくリチェルの尻尾は丸まり、小さな翼も折り畳まれている。
きゅるきゅると鳴くリチェルの髪を撫でながら、そういえばここロビーだったんですよね。
侍女の目があちこちから注がれている……。
「行こっか、リチェル」
こくん、と黙って頷くリチェルのほっぺが温かい。
その小さな手を引き、階段へと足をかけた。
初めてこの世界の人間が観測した魔術は、唄によるものだった。
字句に込められた意味、韻、無意識下における僅かな魔力の発露が偶然に噛み合った結果だった。
魔素に呼びかける、或いは働きかける行為そのものが魔術と呼ばれるようになり、しかしその技術は当初、忌避されていたという。
「これは、なんて、読むの」
「えぇと、『増幅』です」
ニャンベルの部屋、大きなベッドの上、並んで座る二つの器。
『閲覧者』を開き、言われるがまま求められるがまま、ニャンベルの知識欲を満たす手伝いをしている。
「ふぅん……。じゃあ、こっち。これは?」
「軸をずらして接続を遅らせる、だそうです」
「……なんで?」
えぇー……。
ヒイラギが書いたそれは読めるけれど理解はできない。
分かる人だけ分かればいいという書き方をされている専門書みたいな。
優しくない。
「えぇと……魔力の流入量を制限することで、常に一定の速度を得られると」
「はぁ、そゆこと」
注釈が書いてあって助かった。
魔術書を読み進めるうちに、おぼろげだけど魔術というものがどんな風に成り立っているのかが分かってくる。
万物の素となるそれを変化させる手順。いや、公式と言ったほうが分かりやすいか。
「……まま、んぅー」
ベッドに寝転がってうとうととしているリチェルが時折、口を可愛らしく尖らせて魔力をせがんでくる。
抱き寄せ、甘く挟み込むように口付けて魔力を流し込むと、きゅるると鳴いてからふにゃっとベッドの上で丸くなった。
……その度に頬に突き刺さるような視線を送るのはやめてくださいニャンベルさん。
そもそもニャンベルさん触れ合っている肩から魔力吸収してますよねすごい技術ですねどうやってるのそれ。
「これは?」
ニャンベルの好奇心は止まらない。
そして次にニャンベルの小さな手が指し示したのは。
「……。『猫語の理解』です。やめた方がいいですよ」
「? なんで?」
……口で説明するのは難しいな。
百聞は一見に如かず、か。
指でなぞり、再構成されていく魔術書を感情の無い冷めた目で眺める。
「もう一度言いますけど、やめた方がいいですよ」
「開いて」
はい。開きます。
感情による表情の変化がほとんどないニャンベルだけど、しかし中々どうして最近は分かるようになってきた。
今はそうですね、ちょっとわくわくしてらっしゃいますね。
ぱらり。
「……」
反応がない、何も言わない。
引いてるのかな、と思いきや食いつくように見てらっしゃる……。
妙に上手いコミカルな解剖図、部位ごとに刻み込む術式の数々。
常人には到底理解し得ない内容。
「これ、なんて、読むの」
え、読むの? まじで?
注がれる視線は至って真剣なもので、これが魔術を探究する者の姿か。
その態度は姿勢は勿論立派なものなのだけど、いや、まじか……。
「……以下に示す変換式を、」
諦めよう。
今日一日付き合うと決めたのだ。
とことんまでやってやろうではないか。
魔力を知覚し、操作し、変換機構を通して魔素に働きかけ、現象を起こすことが出来る者のことを総じて魔術師と呼ぶ。
そして魔力許容量、操作速度、操作精度、変換効率等を総称して、魔術の適正や魔術の素養と呼んでいる。
ニャンベル曰く、シエラという真っ白な髪の少女の魔術の素養を計れる者はいない。
『魔術そのもの』という表現はああ確かに、的を射ている。
それは目的の為に作られた手段。
ほとんど飲まず食わずで『閲覧者』に齧りついていたニャンベルは、陽が沈む前にベッドに突っ伏してしまった。
「……いつか、迎えに来ます」
眠りこけるニャンベル・エクスフレアの表情はあどけない。
ふわふわな髪を撫でてから、リチェルを抱きかかえ、部屋を出た。
明日の朝、ヴィオーネが手配してくれた荷馬車がやってくる。
魔術都市の北、ベスターハーゼンという複数の都市国家の集合体がある辺りはかなり寒い地域らしい。
邸宅の屋根の上、リチェルを下ろして目を瞑る。
俺とリチェルは大丈夫だろう、ソラは……寒いところは苦手そうだ。
『竜の心臓』に意識を集中する。
魔力の変質を使いこなせれば、ソラに暖かい服を用意してあげられるだろう。
陽は沈んだばかりだ。
朝まで色々と試してみるとしよう。
第四章終わりです。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次章からの更新は不定期になりますごめんなさい。
詳細は活動報告に載せておきます。




