十四話 地に伏し砂を噛む
我ながら酷い作戦だと思う。
それしか思いつかなかったし、それでなんとかなると思った……のだけど。
想定外だったのは、俺の挑発を受けて過敏に反応したのが最も話が通じそうな、俺をおチビちゃん呼ばわりした長身の女だったことだ。
全身から魔力が立ち昇っている。
「私の可愛い妹を木っ端呼ばわりは……許せないわねぇ」
女の長い指が、それぞれ独立した意思を持ったようにぐねぐねとうごめいた。
「あ、それ、帰る用……」
と、制止の声を上げる向こうのおチビちゃんの声と、
「うーわ、あたしのだって言ったのに……」
と、不満そうな声を上げながら倒れている二人を引き摺って後退する狂犬みたいな女……ルデラフィアの声はほぼ同時で、しかしそれに注意を払っている暇は全く無かった。
視界内の魔素のほぼ全てに一瞬で魔力が伝播し、あちらこちらに散らばっていた焦げた塊……人間だったものに絡みつき、侵食していく。
それは、存在それ自体への冒涜。
「少し、残して、おいてよ」
「ふふ……分かってるわよぉ」
伝播する魔力に乗せられた意思、その意味は分からない。
触れれば分かるのだろうか……いやしかし、これを、理解したくはない。
「グ、ギ?……ぇア゛、あバ」「オ゛、……んォ゛」「…………ウ゛ぃ」
それは大きさとしては、今の俺よりもっと小さい。
てんでバラバラに繋ぎ合わされたそれは、知能が芽生えたばかりの子どもが力任せに作った……粘土細工のよう。
「んふ……この村の子は、素直でいいわねぇ」
頭が二つあるもの、一つもないもの。
腕が背中から生えているもの、股座から生えているもの。
脚から脚が生えているもの、指だけのもの。
悲鳴を噛み殺す。
……逃げるべきだったのだ。
助けたいなんて、おこがましいにも程があった。
この世界のことを何も知らない、何もできない俺が。
「あの綺麗な白い髪は残して……残りは、食べていいわよ」
その声と共に、十数体もいる歪な生き物が俺に向かって殺到した。
その動きは緩慢で、全力で走れば逃げ切れるかもしれない。
だけど、脚は動かない。
これは単純な、恐怖だ。
「……ひっ」
腕から手が二つ生えた、手遊びのカニを思わせるそれに後ずさる足を掴まれた。
反射的に蹴り飛ばす。
胴体部分が半分もなく脚もないそいつは、だけど思ったより重く、表面がボロリと崩れた。
掴まれ、蹴り飛ばし、掴まれ、引き剥がす。
「ひっ……はっ……!」
ああクソ。
喉から嗚咽のように出る声は、恐怖で引きつった少女のそれ。
「あぁ、いいわぁ……。いっそ、お持ち帰りしたいくらい」
その声は恍惚としていて、死に物狂いで抵抗する俺の耳にも鮮明に届いた。
この身体は、あの女が作った神をも殺せる最高傑作は、本来はきっとこの程度で疲れなどしないのだろう。
だのに四肢が重く感じるのは、きっと俺自身が磨耗しているからだ。
「うへぇ……。なぁニャンベル、戻ろうぜ」
「今、やってる」
うっとりとした顔でこちらを見つめる女の後ろで、ニャンベルと呼ばれた小柄な少女が本を開き、何事か呟いている。
それどころじゃないのに、見える。
四散し、残されていたものが独りでに動き、彼女たちの周りに集まっていく。
「くっ……そぉああ゛っ!」
何かを振り切るように叫び、握っていた短剣、その鞘を投げ捨てた。
表面上には見えない、けれど俺にはかろうじて見えているその歪な繋ぎ目を切り付ける。
別々のものを無理やり繋ぎ合せているそこは、恐らく魔力の結び目。
表面のクッキー生地のような感触と、その先の粘り気のある抵抗。
それらをなるべく考えないようにして、見えるものに切っ先を合わせていく。
「あらぁ……。やっぱり、面白いわね……あなた」
トーンの落ちたその声に反応する余裕が無い。
女の後ろ、地面には黒い塊が点々と蠢いては集まり、円が……違う、あれは……魔法陣が描かれていく。
「ねぇ、ちょっと、足りないんだけど」
「ヴィオ姉、時間切れだ。嗅ぎ付けられてる」
一際大きい、首から腕の生えた塊に切っ先を突き立てて蹴り飛ばす。
それに小さいのが巻き込まれて視線が通った。
まだ間に合う。
足を踏み出し、無防備に立っているように見える女の、薄く笑う口元。
大きく開かれた胸元、光沢のあるドレープ、透けて見える腹、その中の、どす黒い魔力。
短剣を両手に構える。
刺す。殺す。目の前の女を、生きている人間を……人を、刺す?
「……っ!」
その一瞬のためらいは結局のところ、結果には何の影響も及ぼさなかった。
ヴィオ姉と呼ばれた長身の女の背から回り込むように伸びてきた何本もの歪な手に捕らえられ、俺は身動きの一つも取れない。
四肢を掴まれ、短剣が軽い音を立てて一度だけ跳ね、地面に横たわった。
僅か持ち上げられた俺の顔に女の手が伸びてきて、髪を柔らかく撫でる。
「綺麗……。本当に、面白い子」
「やめ、ろ……っ」
うっとりとしている女の顔、その奥で横たわるトトの腕から包帯が剥がされた。
薄く、青い結晶。『木々を食むもの』、その一族の証。
何をする気だろう。
「お、天然モノかこれ。珍しいじゃん」
「おー、いい、ね」
バキン、と。
その致命的な音は、まるで道端の石を拾うくらいの気軽さでもたらされた。
意識を失っていた人間が目を覚ます程の衝撃とは一体、どれ程のものなのだろう。
「あ゛、ぎ……っ?!」
短く浅い呼吸と浮かぶ脂汗が、その痛みを如実に物語っている。
それらを振り返りもせず、女は口を開く。
「ねぇあなた、名前を教えて頂戴?」
「誰が、お前なんかに……っ」
腕に力を込める。
いや、違う……そう、魔力を込めるのだ。
何かきっかけのようなものを掴んだ気がして……目の前の女の目が、僅かに開いたような気がした。
そして、スゥ、と細くなる。
「あら、そう……」
女が呟きながら後ろを横目で見やると、結晶の欠片を隣の少女に手渡した女……ルデラフィアが頷き、トトの腕を踏みつけ、その結晶に再び手を掛けた。
「ひっ……や、め……っ」
その涙の滲む声は、再び響いたバキンという軽く、しかし絶望的な音で途絶えた。
もう一つイッとくか? という当たり前の日常のようなその声色に……息ができなくなる。
「そうねぇ……」
俺の顔を覗き込んだ女は、俺の頬をすくい上げるように撫でた。
どうする? と、その目が語っている。
「……シエラ、ルァク……トゥア、ノ……」
「……旧い竜の言葉ね。いい名前だわ」
「ヴィオ姉」
頬を撫で回す女の手が、ルデラフィアの声でようやく止まった。
そして次の瞬間、拘束していた腕に勢いよく叩きつけられ、地面に縫い付けられた。
「ふふ……。またね、白いおチビちゃん」
女は手をひらひらと振り、完成した魔法陣の中に足を踏み入れた。
見たくもないのに見えてしまう。
それは、人だったもので構成された、空間を転移する為の魔術。
ああ、足りないとぼやいていた魔力は、結晶で補ったのか。
「ま……、て」
強烈な光とともに、陣の中に居た五人の姿は跡形も無く消失した。
搾り取られた残りカスは、吹き抜けた風に砂埃とともにさらわれていった。
伸ばした白い小さな手は、何も掴めず地に落ちた。




