二十六話 おんせん
陽が暮れる前に辿り着けなかった。
見覚えのある小高い丘を過ぎたところで道を外れて海側、点々と鋭い岩が立ち並ぶ平地で夜営をすることに。
焚き火で乾燥した何かを炙っては眉根を寄せながら咀嚼する対面のニアリィ。
俺のすぐ隣では『吸血鬼』の結晶化した刀身をしゃくしゃくと美味しそうに食べるリチェル。
ソラは何をするでもなく、揺れる焚き火の炎をぼぉっと眺めていた。
「『湧き出る温かい泉』の魔術……」
大きな二つの月の光と焚き火の灯りで文字は見やすい。
俺は『閲覧者』を広げ、持て余した時間で一つずつ刻まれた魔術を確認していた。
これは……温泉かな?
独りごちた俺の言葉に、対面のニアリィが反応した。
「……使えるの? シエラ」
「えぇと、多分」
ばり、と美味しくはなさそうなそれを噛み千切ったニアリィは、がんばってもぐもぐごっくんした後、ゆっくり口を開いた。
「よろしくお願いします」
何故か畏まった口調で。
よく分からないけど危ない魔術ではないだろう、『吸血鬼』の結晶を根元から折り、立ち上がる。
ちょっと離れたところで魔力を注ぎ込み、狙いを定め、発動。
一応切り替えておいた目に映ったのは閃く魔術の起こり、円状に励起した魔素、次いで地面から立ち上った光の柱。
ちょっと待って大丈夫なのこれ。
魔力もごっそり抜け落ちたぞ。
「あは。さすがだね」
眩い光が止むと地面には直径三メートルくらいの丸い穴がぽっかり空き、どれだけの高温だったのか……土だった筈なんだけど妙につるりとしている。
浅いお椀型の中心からはごぼごぼと湯気を立たせた液体が湧き、ゆっくりと満たしていった。
「これを使える魔術師は片手で数えられるくらいしかいないよ」
そりゃすごい。
恐る恐る、満たされていく微妙にきらきら光を湛えているそれに触れると、ちょっと熱めだけど適温ですね。
当たり前のように日本語で書かれていたこの魔術は、やはり黒き魔女と呼ばれたあの女が作ったのだろう。
……同郷としてその気持ちは、痛いほどに分かる。
「場の生成だけで三属性の変換式が使われてるし、出力も相当ないと無理だしね」
「う、うん」
何言ってるのか分からないけど、服を脱ぎながら話されても目のやり場に困る。
見ればのそのそと、ソラとリチェル(既に素っ裸)も歩み寄ってきていた。
ソラの仕業だろう、髪もしっかり纏めている……。
ニアリィが髪を結ってくれて、いざ。
「あぁ~……」
遠く、波の打ちつける音が聞こえる。
作り物の身体にも温かさが染み渡り、思わず声が出てしまう。
やはりお風呂はいいものですね。
縁に頭を乗せれば、夜を照らす大きなまぁるい二つの月が、並んで世界を見下ろしている。
雲一つない、絶景かな。
お酒でもあれば言うことないんだけど。
「ごっきゅごっきゅ」
おとなしく肩まで浸かっているかと思えば、ソラとリチェルは湧き出るお湯をがぶ飲みしていた。
……なんで?
訝しげな俺の視線を受けてソラ曰く。
「まろやかでおいしいですよ」
そうですか。
色々混ざってるような気がするけど大丈夫ですかね。
「……ふむ」
なんとなしに見やる、見比べるとソラとニアリィは良い勝負をしている。
次いでリチェルは、あぁ可愛らしい。
最後に見下ろす、障害物になりそうにもない手の平サイズと言えなくもないそれ。
かなしみにつつまれた。
「ねぇ、シエラ」
すい、と縁沿いにやってきたニアリィが隣に腰掛け、肩が触れた。
頬がほんのりと染まっている。
「これ、どういう効果なの?」
「……えぇと?」
これ使わせたのあなたですよ。
立ち上がり、裸体からお湯を滴らせたニアリィの身体の色んなところから、透けた青白い炎が舐めるように立ち上っている。
薄く筋肉の乗った引き締まった身体は、見惚れるほどに美しい。
……いや、どういうこと?
自身の身体を指先から撫でていくその姿は、まだ少女と呼ぶべき年齢なのに艶めいている。
傷が治っている風ではない、俺は慌てて縁に腰掛けてお腹の下、『竜の心臓』から『閲覧者』を取り出した。
あいつらごくごく飲んでたけど大丈夫か……ぱらぱらと濡れた指でページを捲っていく。
魔術を構成する紋様、書式、意味は分かっても読み解けないそれらを流しつつ……これか。
「えっと……洗浄と治癒と解毒と浄化と美肌……の魔術が組み込まれてます」
「なにそれ」
何それって言われても。
だってそう書いてあるんですもの。
「既存の単構成魔術を複合してるってこと? 五つもどうやって? っていうか美肌?」
「いやまっておちついて」
すごい剣幕で詰め寄るニアリィに押し倒され、冷たい地面に背中が触れた。
ふえぇ……。
「何やってるんですか」
ソラの声が聞こえたと同時、ニアリィの身体が浮き上がり、直後に小さな水柱が上がった。
おお、容赦ねぇな……。
ソラに引き起こされ、ついでとばかりにその身体をしげしげと眺める。
表面を薄く青白い炎が覆ってはいるものの、異常はなさそうで一安心。
柔らかそう。
「げほっ……なにすんの、ソラ」
「シエラちゃんを押し倒していいのは私だけです」
振り返るソラの濡れた尻尾が膝をくすぐり、思わず手を伸ばしそうになった。
……というか、誰にも押し倒されたくはないんだけど。
「シエラは満更でもなさそうだったけど?」
ぎ、とこちらを振り返ったソラの青い瞳が冷たく俺を見下ろしている。
濡れ衣です。
喉の奥で何かが詰まったような、言葉が出せず首を横に振る。
納得したのかどうかは分からないけど、ソラはこちらから視線を切って、告げた。
「シエラちゃんとはもう何度も一緒に寝ましたし、私はシエラちゃんの隅々まで知ってます」
何言ってんのこいつもうやだぁ……。
「ずるい」
ずるいて。
ちゃぷちゃぷとお湯を揺らす獣の尻尾を見つめつつ、二人の舌戦から意識を無理やり逸らす。
ああ、月が綺麗だなぁ。
まんまるだぁ。
「ままー」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ二人をよそに、リチェルがぱちゃぱちゃと器用に小さな六枚の羽を動かし、こちらに泳いできた。
「あありちぇる、つきがきれいだよ」
引き寄せ声をかけると、素直に真上を向いたリチェルの、まん丸な碧色の瞳がきらきらと輝いた。
「きれー」
縁に腰掛ける俺の脚の間に挟まったリチェルは、俺を見上げてにっこり笑った。
「でもままの方がきれいだよ!」
「あはは、ありがと」
濡れた銀の髪を撫でると、目を細め気持ち良さそうにきゅるきゅると鳴きだした。
その小さな手が俺の太ももを掴み、妖しげな光を湛えた瞳が薄っすら開き、顔が近づいてくる。
俺のお腹の下の……下に。
「……りちぇる?」
「いい匂いするー」
ぐ、と脚を開かされ、リチェルの口元にちろり、と妙に赤い舌が覗いた。
ていうか力凄いなおい。
「ちょっとリチェル、恥ずかしいからやめんひゃあっ」
変な、声が、出た。
その声にソラとニアリィがぴたっと固まり、首だけがこちらを向いた。
見上げる竜の少女リチェルの純粋な瞳が、どうしたの? と俺を見上げている。
どうもこうもねぇよ。
なんで舐めた。
「……リチェル、そこは、舐めないで?」
「どうして? ままのいい匂いするのに」
眉根を寄せ口をわななかせるニアリィ、うんうんと頷くソラ。
いやどっちでもいいから早く助けて?
この子の膂力やばいんだけど。
「どうして……? いや、えぇと、恥ずかしいから……」
理解できなかったのだろう小首を傾げたリチェルは、先の尖った長い舌で再びぺろり、と舐め上げた。
熱くぬるりとしたそれは、ソラのそれより少しだけざらついている。
「んひぅっ」
ぞくり、と何かが背筋を這い上がった。
これはやばい。逃げよう。
「やめ、なさい、リチェル……っ!」
抗議の声を上げつつ四肢に全力で魔力を廻らせる。
獣の耳と尻尾が生え、それと同時に立ち上が……れない!
ぎち、と太ももを掴んだその小さな手のどこにそんな力が?
「……離して?」
「やだっ」
べろん、と押しつけるように強く舐め上げられ、腰が跳ねた。
出しちゃいけない変な声が出た。
あ、これまじでやばいぞ。
がしっと角を掴み、引き剥がそうと試みる。
ちょっと乱暴だけどごめん!
「く、うおぉ……っ、ひゃぅんっ」
駄目だった。
ビクともしねぇよこいつ。まじか。
変な声が出る度に恥ずかしくて死にそうになる。
「たふ、助けて、そら」
恥も外聞も捨てて助けを求めた。
うっとりとした表情でこちらを見つめていたソラが、ハッと気づき、ようやく動き出した。
ニアリィは頬を染めてもじもじしている。
「シエラちゃんから離れなさい。そこは私の場所……っ」
その細い肩を掴みながらのソラの言葉は、しかし不自然に止まった。
ソラの手に腕にかなりの力が入っているのが分かる。
水面に波紋が広がり、しかしリチェルは動かない。
べろり。べろり。
「おいしいー」
「あぅっ、はや、早く……んひぁっ、た、助けてそらぁ……っ!」
息が苦しく、漏れる声は抑えられそうにない。
なんでこんなことになってるんだっけ。
勝手に腰が跳ね、ぞわぞわとした柔らかく甘い何かがお腹の下に溜まっていく。
あ、やばい。まじでやばい。
右腕を持ち上げ、人差し指の付け根をおもいきり噛んだ。
しかし、何も、起きない。体内を廻る魔力がバラバラだ。
「嘘、なんで……っあ、待って、りちぇ、待ってほんとに、あっ、あ、まっ」
ソラの切れ長で大きな青い瞳が潤み、その口をほんの僅かに笑みの形に歪めた。
その後ろ、ニアリィの金色の瞳が大きく見開かれ、唇は噛み締められ、しかし片笑みを浮かべている。
ちくしょうお前ら覚えとけよまじで。
昇る。
一つのことに夢中になりそれ以外何も見えなくなった幼い子供は、ときに残酷なほど同じ行為を繰り返す。
昇る。
制止の声は届かない。
昇る。
ただ執拗に、ゆっくりと、何度も、何度も。
落ちる。
自身が満足するまで、無邪気に、ただひたすらに、何度も。
弾ける。
抗えないそれに、両手で口を押さえた。
「まっ、あ、っぅ゛、ん゛っん゛ぅ……っっ!!」
脚ががくがくと痙攣し、腰が魚みたいに跳ね、リチェルの鼻に押し付けられた。
その不意の感触でさらに背筋を甘い電気が走り、腰が無造作に跳ねる。
それを嫌がった竜の少女がもがき、予想していなかった角度で、ぐり、と捏ねられた。
「ん゛ぅっ?! ぅぐっ、ん゛ぅ……っ!!」
涙が出てきた。
手で押さえたところでなんら意味のない、獣染みた少女の嬌声が、他人のもののように聞こえる。
「まま、動いちゃだめっ」
「ひゃぁっ?!」
べろり、と。
容赦の無さにあの夜のソラを思い出す。
落ちきっていないのに、また昇らされる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
「まって、りちぇる、まってぇ……っ」
ぐ、と片手でお腹の下を押さえられ、腰を跳ねさせることすらも止められた。
うっとりと笑みを浮かべながら、ただ純粋に食欲を満たそうとする、竜の少女。
誰にもそれを、止めることができない。
不意に力が抜け、後ろに倒れそうになり、背中がぬるりとした熱い何かに支えられた。
本来の姿に戻ったソラの、べろりと出された大きな舌だった。
獣臭い。
「は、あぅ……たひゅ、たすけ、て……そら、……ぁ」
獣の尻尾の付け根から首の後ろまで、確かな質量をもった熱くぬめるそれに、背中を舐め上げられた。
べろぉり、と。
「あ……っ?」
一瞬遅れて、全身が総毛立つような感覚。
ぐぐ、とお腹を強く押されて、視界が真っ白に弾けた。
最後に見えたのは寄り添う大きな二つの月。
喉の奥から酷く甘ったるい女の子の声が絞り出され、直後、意識が途切れた。




