11 怪力女傑、皆の助けを借り災厄を焼き払う
わたしの放った拳は、ズルールの巨体を吹き飛ばし――地面へ叩きつけた。
「……ズルール殿が……負けた……!?」
「信じられん……なんという怪力……恐るべき女傑だッ……!」
ズルール側の中東騎士たちが戦慄する中、対するハールやアンジェリカ達は歓声を上げていた。
「……決まった! 勝ったんだよな、マルフィサは……!」
「もちろんよ! しかも屍病蠅の病魔を物ともせず……!
魔神の炎の力を身体の中に抑え込んで勝った! ホントとんでもないわねフィーザって……!」
確かにこの決闘自体は決着がついた。だが、根本的な問題はまだ解決していない。
ズルールの中に巣食っていた屍病蠅は、死んではいないのだ。
倒れた奴の巨体から、これまでとは比べ物にならないほどの瘴気と悪臭が沸き上がり……「それ」は、爆発的に膨れ上がった。
「!? な、なんだこの臭いはッ……! ズルール殿の身体からッ……!?」
「ひ、ひいッ! 蠅だ! 数えきれないぐらいの……気持ち悪ィっ!?」
ズルールの配下だった従者や中東騎士たちですら、突然の怪異に状況を把握しきれず、右往左往している。
これはつまり、支配者(宿主というべきか?)たるズルールの制御が利かなくなり、おぞましき屍病蠅の姿が一般人にも見えるようになってしまったという事だ。混乱するなというのが無理な話だろう。
これはまずい。病魔を運ぶという蠅が無秩序にバラ撒かれてしまえば……最悪、ダマスクスの街全体に混乱が広がりかねない。
(くそッ、止めなくては。わたしの持つ魔神の炎なら、屍病蠅が兵舎に留まっているうちに全て焼き払う事も可能なハズ……!)
だがそれは危険を伴う。先ほどの戦いで、炎を体内に留めたまま力を行使した肉体への負担や疲労は、予想以上に大きなものだった。これ以上力を振るい続ければ……戦士として再起を図れる保証すらない。
それでも……やらなければならない。わたし以外に、この災厄を未然に食い止める力を持つ者は、今この場にはいないのだから。
「……フィーザ。アンタの事だから、どーせまたムチャな事を考えてるんでしょ」
「! アンジェ……!」
不意にアンジェリカの声が、わたしの耳元から聞こえた。いつの間にか、この魔法少女はわたしのすぐ傍まで来ていたらしい。
「確かに屍病蠅を放ってはおけない。でも小さな蠅を残らず焼き払うなんて、大雑把なフィーザひとりで闇雲にやってたら、到底無理な話ね。
そーゆー細やかでスマートな方法は、この天才魔法少女のアンジェリカ様に任せなさーいッ!」
アンジェリカの魔術。全身を使った華麗なる舞踏。彼女の持つ袋の中から、心地よい芳香が漂いはじめ……外に出ようとした蠅たちは香りを嫌い、即座に方向を変える。
効果的なようだが、いかんせん数が多すぎる。アンジェリカの放った香りが広がりきる前に、その「網」をくぐり抜け、上空へ逃れようとする蠅が何匹が見えた。
と、そこへ――突如すさまじい風切り音が響き、「網」をかいくぐった屍病蠅がまとめて捕えられていた。
捕食者は、鋭い目と嘴、鈎爪を持つ美しき猛禽。ハールの鷹、シャジャであった。
「よしッ……何とかギリギリ間に合った。ありがとう、シャジャ……!」
意外な事に鷹を招き入れたのは、ハールではなくその親友のジャハルだった。
「ジャハルさん! 助かったけど……よくその方法を思いついたわね」アンジェリカも驚きを隠せないようだ。
「以前読んだ御伽の書物を思い出してね。屍病蠅の災いを退けるには、犬か鳥を飼う事だと。
だからひょっとして連中は、鷹が苦手なんじゃないかと思ったんだ。イチかバチかの必死な賭けだったが……上手くいってよかった!」
アンジェリカの香で逃げ場を封じ、その網をくぐり抜けたごく少数の蠅もシャジャが狩ってくれた。
あとはわたしが覚悟を決め、一箇所に集まった屍病蠅を全て焼くだけだ。
「マルフィサ!」意を決したわたしに対し、必死で叫んだのはハール皇子だった。
「思いっきりやってくれ! 『炎の力』……遠慮せず解き放ってくれて構わない! 後の事は僕が何とかするッ!」
確かに魔神の炎をそのまま解き放てば、わたしの肉体への負荷の問題は解決する。しかしそれをすれば、わたしは忌むべき炎の使い手となるのではなかったか?
(だが……他ならぬハールが『何とかする』と言ってくれたんだ。自ら仕えると誓った主人の言葉を、わたしが信じなくてどうする)
何より――彼の言葉の「魂の炎」は力強く、微塵の揺らぎもなくわたしの心に突き刺さった。躊躇う理由はどこにもない。
わたしは拳を構え、大きく振りかぶると――ひと思いに、鉄拳を振るった。
今のわたしにできる、最大限引き出した魔神の力を乗せ――放った拳撃は、大きな炎のうねりとなり。黒い塊となった屍病蠅の群れに降り注ぐ!
ゴオッ――――!!
空中に浮かぶ黒球は、たちまち紅蓮の炎に包まれ、燃え上がった。醜い蠅どもは灰塵と化し、悪臭も煙と共に舞い上がり、文字通り雲散霧消していく。
耳障りな羽音が止み、風が吹くと――辺りに漂っていた瘴気は、嘘のように消え失せていた。
「なッ……助かったのか……? オレたち……」
「しかし……今の炎はいったい……あの二人の女が繰り出したように見えたが……」
「炎の力……恐ろしい……まさかあいつら……忌まわしき邪竜の娘では……?」
安堵した中東騎士たちが、恐怖の混じった視線をこちらに向けてくる。スクル教徒であれば、肉体を焼かれ来世で救いを得られないのは耐え難い恐怖。覚悟はしていたが、やるせない反応だ。
「うろたえるなお前たちッ!」
怯える彼らを一括したのは――なんとハール皇子だった。しかも変装のためのフードを脱ぎ捨て、素顔を晒してしまっている。
「なッ……あのお顔は……まさかッ……ハール殿下……!?」
「ハイズラーン元皇妃の殺害未遂疑惑で、帝都マディーンを追われ行方不明のハズ。ダマスクスにおられたのか……!」
中東騎士たちは驚愕しつつ、ハール皇子を遠巻きに囲んだ。
彼らにも現聖帝ムーサーからの伝令は届いているのだろう。行方知れずの犯罪人であるハールを捕らえれば、大手柄だ。
「聖帝の勅命です、殿下。どうか神妙にご同行願いたい」
「その言葉――真に正しき神に仕える者の行いとして相応しいか。そなたらは本当に理解しているか?」
「ッ…………!?」
ハール皇子が一言発するや、騎士たちは途端に身を震わせ――捕えようと近づく足を止めた。
未だ年若いとはいえ、彼の言葉、立ち居振る舞い。七人に包囲されているというのに、全く動じていない。そこには威風堂々たる皇族にして、権威あるスクル教徒としての威厳があった。
もっとも普段の彼を知っているわたしからすれば、よくもまあここまで猫を被れるものだと、感心する他ないのだが。
「確かに今、彼女たちは炎を使った。だが冷静に考えてみるがいい。
ズルールの体内から湧き出た黒い蠅ども。あれはどう見ても悪魔に憑かれた邪悪なる者の証!
そしてそのような者をこのダマスクスに派遣した我が兄ムーサーは、果たして真の聖帝として認められるものか?」
ハールの指摘に、冷や汗を浮かべて硬直する騎士たち。
確かにあのおぞましい屍病蠅の群れを見た後では、彼の言葉は説得力に溢れるものだ。
「余とて、罪を犯したのであれば神の裁きを甘んじて受ける覚悟はある。
だが! 兄上は余のありもしない罪をでっち上げ、罪人として遠ざけようとしたのだ! 将来、兄の後に聖帝の座を継ぐという、父上の遺言を反故とするために!」
「なんと……! それは真実でございますか、殿下……!?」
「無論だ。余の家名アルバスと、我が名ハールーンの名誉。そして偉大なるスクルの神に誓って、余は今、真実を述べている!
そして余を護衛する彼女たちは、邪悪を祓うための浄化の炎の使い手である。その力は決して、正しき道を歩むスクル教徒に向く事はない!」
単に炎を出した後なら、忌むべき力と非難もされるだろうが。
屍病蠅を焼き払った今ならば、わたし達は「神の使い」という訳だ。
もっともわたしもアンジェリカも、スクル教徒でないのが難点だが……それは言うだけ野暮だろう。
「余はひとりのスクル教徒として。兄上の蛮行を改めたい一心で帝都を逃亡した。
帝都は兄上の支配下にあり、余にはまだ力が足りない……だが! バルマク家のジャハルをはじめ、余の言葉を信じ、力添えをしてくれる忠臣たちは続々と集まっている。
もしそなた達も、余に神の正義ありと感じたのなら――どうか、非力な余の助けとなってはくれないだろうか?」
ハール皇子は真に迫る訴えで、騎士たちの瞳を覗き込み懇願した。
彼らはすでに圧倒され、中にはハール皇子の境遇に同情しもらい泣きをしている者までいる。何よりアルバス帝国の実力者、バルマク家の名を出した事も大きいだろう。情だけでなく実も伴った説得だ。
「はッ……かしこまりました殿下! 若干非才の身ではございますが……我々でよければ、殿下のために喜んで身命を捧げましょう……!」
かくして中東騎士たちは一斉にひざまずき、ハール皇子への忠誠を誓ったのだった。




