11 怪力女傑、炎の魔神相手に奮戦する!★
※今回は凄惨な戦闘描写を含みます。苦手な方はご注意くださいませ。
「何だッ……今、何か飛んでいった!?」
「アレはもしや『空飛ぶ絨毯』……!? しかもさっきの女が乗っているぞッ!」
兵士たちが驚き、見上げる中――わたしは「空飛ぶ絨毯」に乗り、燃え盛る塔の頂上、さらに上空から、塔に鎮座する赤い巨人の姿を見た。
炎が渦巻く。その中心にいる魔神。背丈はわたしの2倍以上はあるだろうか。
わたしは魔神の赤い眼を睨み据えた。一瞬視線が合ったが……わたしを侮っているのか、すぐに興味なさげに目を逸らす。偶然だと思ったのだろうか。取るに足らない人間ごときが、自分の姿を視認できるなどと夢にも思っていないようだ。
見くびられた事は不本意だが、これはチャンスでもある。わたしはアンジェリカから貰った、水の護符を取り出した。
すぐさまわたしの周囲に、薄い水の幕が発生する。ほんの気休め程度ではあるが、直に炎に突っ込むよりは火傷の危険を減らせるだろう。
わたしは「空飛ぶ絨毯」から飛び降り――魔神目がけて拳を振り上げた。
アンジェリカが言うには、魔神には心臓がある。ルビーの如く赤く輝くそれは、奴の魔力の源であると同時に、急所でもあるのだ。その心臓を掴み取るか、あるいは破壊すれば――魔神の荒ぶる炎を鎮める事ができる。
「おおおおッッ!!」
鉄拳の一撃を、魔神に見舞った。奴は直前まで油断していたが――土壇場になってわたしを「脅威」と認識したのだろう。咄嗟に心臓を庇い、わたしの拳を両腕で防ごうとした。
上空から飛びかかり、全体重を乗せた勢いで、腕のガードを突破する。だがわずかなタイミングのズレで、魔神の顔面を殴り抜くだけの結果に終わった。
赤い巨人の巨体が盛大に吹っ飛び、炎を撒き散らしつつ塔の壁に激突する。
わたしの拳も少々焼かれたが、大した傷ではない。手ごたえはあった。アンジェリカの言う通りだった。
「おぼろげでも魔神が見えたのなら、その姿がアンタにとっての『真実』よ。
決して疑ってはダメ。そこに魔神がいると信じて戦えば……きっとアンタの攻撃は届くハズ」
まるで水面を殴っているような感覚ではあったが、確かにヤツはいた。己の直感を信じなければ、恐らく魔神には触れる事すら叶うまい。
奴は床に仰向けになっており、胸元ががら空きだ。先制攻撃の通じた今がチャンス。わたしは追撃すべく、倒れた魔神に向かって走り出した。
「覚悟しろッ!」
わたしはさらに拳を振り上げ、奴の心臓を撃ち抜こうとした――その時だった。
突如横から、風にあおられた炎が飛び込んできた。視界が遮られ、魔神の姿がかすむ。
(ちッ。小細工を――)
わたしは構わず炎を突っ切る。が……次の瞬間、魔神の腕が伸び、わたしの右腕を掴まれてしまった。
もともとの対格差もあるが、魔神の操る炎が吹き上がり、凄まじい熱量がわたしの全身を苛む。単純な力だけで無理矢理押し切るのは困難だった。
攻撃を止められ、腕を振りほどこうともがくわたしの脇腹を――魔神の放った、丸太のような膝蹴りが捉えた。
「がはッ」
全身を衝撃が駆け巡り、呼吸が止まる。そのままの勢いでわたしの身体は吹き飛ばされた。
激痛を堪え、咄嗟に受け身を取ったものの――凄まじいダメージはいかんともしがたい。床を転がり、態勢を整え立ち上がるのが精一杯だった。
火傷は「水の膜」で防げても、魔神の持つ肉体的な一撃までは防げない。単純な力勝負……と言いたいところだが、状況はきわめてわたしに不利だ。
こうしている間にも塔は燃え続け、炎が拡がる。人間が活動するための酸素は奪われていき、わたしもそう長くは動き回れないだろう。
(せめて攻撃する瞬間だけでも……炎の「目くらまし」の邪魔が入らなければ……)
ただの人間が魔神たる己を殴り倒せるなどと、思ってもいなかったのだろう。
だが冷静に立ち回れば――燃え盛る魔神に冷静、という言葉を用いるのもおかしいが――格闘戦しか能のないわたしの攻撃を防ぐなど、造作もないという事が判った。
魔神の顔は再び歪んだ笑みに変わった。人が蟻を見下す時のような、無力な存在を蔑む際特有の……醜い笑顔。
わたしの心の中には逆に、怒りにも似た感情がこみ上げてきたが……流されてはならない。経験上、逆上して戦いが有利になった事など一度たりとも無いからだ。
(落ち着いて……呼吸を整えろ、マルフィサ。まだ十分な空気が周りにあるうちに)
戦いの構えを取った。それを見て赤い巨人は、ちょうどいい玩具を見るような目つきで、無遠慮に距離を詰めてきた。
背丈が倍ほどもある巨漢が、無造作に拳を繰り出してくる。いかに重い打撃だろうが、タイミングを見極めれば防ぐ事はできる――だが奴にはもう、こちらの狙いはバレてしまった。
心臓を叩かなければ、わたしの攻撃はまともに通用しない――それを見抜かれてしまっている。口惜しいが、わたしは防戦一方にならざるを得なかった。
アンジェリカの護符のお陰で火傷は防げる。しかし戦いが長引くにつれ、熱気で汗ばみ、純粋な打撃がわたしの肉体を傷つけ、疲労を蓄積させていく。この魔神……思っていた以上に手強い。
人間は圧倒的な優位に立てば、大なり小なり油断が生まれる。だがヤツは、わたしをいかに窮地に追いやろうが――決して慢心する事はなく、つけ入る隙を見せなかった。わたしの反撃は全て未然に防がれ、魔神の心臓には届かない。
焦りが呼吸を乱し、気づかぬ内に動きを鈍らせていた。魔神の拳が床の石畳を叩き壊し、崩落する!
わたしは跳び退ろうとしたが、間に合わず……一階下へと転落し、全身をしたたかに打った。
「く……そおッ……」
よろよろと立ち上がるも、苦痛と疲労は肉体の限界に達しつつある。
我ながら無様な醜態だが、敵の力を見誤っていたわたしの落ち度だ。このままでは――
「あ~らマルちゃん、探したわよ。手助けが必要かしらァ?」
「!」
あちこち燃えている中、階段から聞き覚えのある声がした。
いつの間にここまで来たのか。鋼鉄製の長槍を携え、均整の取れた長身の騎士――マムルーク隊長のアグラマンだ。
「アグラ……マン。どうして、ここに……?」
「外のパトロールも大した報告なかったから、部下に任せてきたわ……そしたらよりによって、円城で大火事になってるじゃない?
急いで戻ってきてみたら――マルちゃんが塔に入ったきり、戻ってこないって言うもんだからさ。その様子じゃ、只事じゃないみたいだし」
おどけた口調だが、相変わらず察しのいい男だ。もっとも、消火作業なのに殴られた跡があるという時点で、奇妙ではあるのだが。
上の階から、炎を纏った魔神がゆっくりと降りてくるのが見えた。わたしにとどめを刺すべく、追ってきたようだ。
「ああ。確かに……只事じゃない。相手はおとぎ話に出てくるような魔神だ。あそこにいるのが見えるか?」
「……う~ん。残念だけれど、アタシには炎の渦にしか見えないわねェ」
アグラマンほどの達人でも、見る事ができないとは。しかしそれでも――孤立無援の時よりはずっと心強い。
「アグラマン。言っても信じにくいとは思うが……あの炎の先に、塔の火災を起こした元凶がいるんだ。奴を倒すのに――協力してくれ。頼む」
「ん――分かったわ。任せてちょうだい」
流石は歴戦の中東騎士。わたしの狙いを察してくれたらしく――彼は長槍を構えた。
無造作に近寄ってくる魔神に対し、わたしは痛みを堪え、再び向き直り……駆け出す。
魔神は不気味な笑みを浮かべた。無駄な事を。何度やっても同じだ――そう言いたげに、周囲に炎の渦を集め、視界を狂わそうとしてくる。
だが次の瞬間、凄まじい突風が舞い上がった。わたしと同時に駆け出していたアグラマンが、目にも留まらぬ速さで長槍を繰り出したのだ。槍と腕だけでなく全身のバネを最大限に活かした、神槍にも似た鋭い突きである。
もちろん彼に魔神の姿は見えていないし、彼の槍では傷ひとつつける事はできない。にも関わらず、わたしの駆け出す方向、視線から、為すべき事を分かってくれた。魔神の繰り出した炎の大半は、アグラマンの槍の一振りであらぬ方向へ吹き散らされていた。
(よしっ、見える……! 今なら魔神の身体を――心臓の位置を、ハッキリと捉えられる!)
赤い巨人の動きを読み、わたしは欠片の恐れも抱かず突き進んだ。魔神の表情が変わる。再び炎を集めようとしたが、間に合わないと悟ったのだろう。迎撃すべく拳を振り上げた。
巨大ハンマーのような太い腕が、わたしの左肩に重くのしかかる。このまま叩き潰そうという腹らしい。しかし……一呼吸、遅い!
「まだまだァ!!」
わたしの踏み込みの方が速かった。わたしは魔神の拳の衝撃に耐え、背中に火傷を負いながらもさらに前進する。目の前には――無防備の胸板があり、その奥に赤く輝く心臓が見える。わたしは狙いすまして拳を放った!
――ガアアアアッ!?
炎の魔神が初めて、苦悶の咆哮を上げる。仰向けに倒れながらも、懐に潜り込んだわたしを両腕で捕らえ、抱きすくめるような形になった。腕力も凄まじいが、両腕から吹き上げてくる炎が包み込み、凄まじい熱気が全身を襲う。
「ぐうううッ……!」
「ちょっと、マルちゃん……! 無茶よ! 離れなさい!」
さしものアグラマンも悲鳴に似た警告を発した。傍目には、わたしが火だるまになっているようにしか見えないのだろう。
とはいえやっとの思いで、ここまで敵を追い詰めたのだ。今を逃せば、こいつを倒す機会は二度と無い。後は根競べだ!
わたしは魔神の左胸に、さらに拳を叩き込んだ。二撃、三撃! 殴るたびに炎が飛び散り、拘束する力がわずかに緩む。
敵も必死に抵抗してくる。殴り、引っかき、掴みかかり……あらゆる手段で馬乗りになったわたしを引き剥がそうとしてきた。だが、まだだ。まだ倒れる訳にはいかない!
やがて――とうとう心臓部分にあたるルビーが、わたしの目の前に露わになった。
(こいつを……掴み取ればッ!)
わたしはあらん限りの力を込めて、ルビーを――魔神の心臓を右手で掴んだ。
触れた途端、今までにないほど強い炎が吹き上がり――わずかに一瞬、奇妙な光景が見えた。
――白い装束をまとい、白い仮面を身に着けた、背の高い男。仮面が外れる。
――奥から青黒い肌と、焼けただれた醜い顔が見えた。悪意に満ちた視線がわたしを見据え、わたしを拒絶しようとする。
(お前がこの魔神の主か。悪いがこいつは……わたしが貰うッ!)
「だあッ!!」
わたしはルビーを握りしめたまま、右腕を力強く天に向かって振り上げた。
次の瞬間、炎をまとった赤い巨人の姿は、靄がかかったように形を失っていく。
気がつくと、わたしの周囲に渦巻いていた炎は全て――消え失せていた。
「……はあッ、はあ……はッ……」
塔はまだ燃えているが、炎の大半はくすぶり、鎮まりつつある。手強い相手だったが……どうやら、わたしは炎の魔神に打ち勝ったようだ。
宝石を握ったまま、わたしは立ち上がる事ができず、息を荒げ……緊張の糸が切れたのか、そのまま倒れ込んで意識を失った。
豆知識:神槍とは、インド神話の破壊神シヴァが所有するとされる三叉槍のことです。




