妹の名はシャルロット
妹シャルロットの部屋は、屋敷の東側、一番日当たりの良い場所にある。 俺の薄暗い北向きの部屋とは大違いだ。廊下を歩きながら、俺は改めてこの家の理不尽な格差社会を痛感していた。
(なんで俺が、あんな暴君娘のご機嫌取りに行かなきゃならないんだ……)
ブツブツと文句を言いつつも、足は止まらない。止まれば死(一年後)が待っているからだ。
シャルロットの部屋の前に立つ。扉は他の部屋よりも一回り大きく、華美な彫刻が施されている。まるでお姫様の部屋だ。いや、本人はそのつもりなのだろう。
俺は深呼吸を一つして、意を決してノックをした。コンコン、と控えめな音が響く。
「……誰よ?」 中から聞こえてきたのは、予想通り不機嫌そうな声だった。朝から何かに苛立っているらしい。
「俺だ、イリスだ。少し話があるんだが、入ってもいいか?」 「お兄様? 珍しいわね。何の用?」
声のトーンが少しだけ上がった。警戒されている。普段、自分から関わろうとしない兄が急に来たのだから無理もない。
「いや、その……病み上がりの挨拶というか、顔を見ておこうと思ってな」 「ふうん。まあいいわ、入りなさいよ」
許可が出た。俺はそっと扉を開けた。
部屋の中は、目に痛いほどのピンク色で埋め尽くされていた。フリル、レース、リボン。可愛らしいものをこれでもかと詰め込んだ空間だが、その中心にいる主人の表情は、部屋の雰囲気とは真逆だった。
「それで? わざわざ私の部屋まで来て、何の用なの?」
シャルロット・パーシヴァル。燃えるような赤い髪を縦ロールにし、つり気味の大きな瞳で俺を睨みつけている。腕組みをして仁王立ちするその姿は、まさに悪役令嬢の風格たっぷりだ。 その足元には、破り捨てられた紙くずや、投げつけられたであろうクッションが散乱していた。
(うわぁ……早速荒れてるな)
俺が引きつった笑みを浮かべていると、視界が歪み、シャルロットの頭上に文字が浮かび上がった。
『断罪フラグ進行中:聖女リリィへの嫌がらせ計画を立案中。現在の計画「次回の王宮茶会で、聖女のドレスに『うっかり』赤ワインをかける」。実行まであと5日(危険度A)』
(具体的すぎるだろ! しかもあと五日って、来週の茶会じゃねーか!)
俺は心の中で悲鳴を上げた。そんな古典的な嫌がらせ、実行したら一発アウトだ。周囲の貴族たち、特に聖女を支持する連中から総スカンを食らう未来しか見えない。
「……お兄様? 人の顔をジロジロ見て、何なの? 気持ち悪いわね」 シャルロットが怪訝な顔をする。俺はハッと我に返った。
「あ、いや、すまん。久しぶりに顔を見たら、その、少し大人びたなと思って」
「はあ? 何よそれ、お世辞? お兄様からそんな言葉が出るなんて、やっぱり頭の打ち所が悪かったんじゃないの?」
鼻で笑われた。まったく可愛げのない妹だ。 だが、ここで引くわけにはいかない。
「いや、本心だよ。それに、そのドレス……新しいものだろう? とてもよく似合っている」
俺は苦し紛れに、彼女が今着ているドレスを褒めた。深紅の生地に金の刺繍が施された、いかにも高そうなドレスだ。
すると、シャルロットの表情がピクリと動いた。
「……これ? ふん、当たり前でしょ。お父様に頼んで、王都で一番の仕立て屋に作らせた特注品なんだから。そこらの安物とは格が違うわ」
まんざらでもない様子だ。どうやらファッションの話題は有効らしい。
『ヒント:シャルロットは自身の容姿とセンスに絶対の自信を持っています。そこを刺激しつつ、話題を「茶会」へと誘導してください』
脳内のブレイカーがアドバイスをくれる。なるほど、そうやって外堀から埋めていくわけか。
「へえ、さすがだな。それほどのドレスなら、来週の王宮茶会でも一番目立つんじゃないか?」 俺がそう水を向けると、シャルロットの顔色が再び曇った。
「……一番、ね。そうであってほしいものだわ」
彼女はギリッと奥歯を噛みしめ、散乱した床の紙くずをヒールの先で踏みつけた。
「あの忌々しい『聖女』さえいなければ、私が一番に決まっているのに……!」
来た。核心だ。 シャルロットの頭上の文字が、赤く明滅し始めた。
『警告:対象の感情が高ぶっています。不用意な発言は逆効果になる可能性があります。慎重に言葉を選んでください』
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。ここが正念場だ。
「聖女……ああ、最近話題のリリィ嬢のことか。確かに彼女は、その、清楚で慎ましやかなところが人気だと聞くが」
俺がそう言った瞬間、部屋の空気が凍り付いた。
「……は? お兄様、今なんと言ったの?」
シャルロットがゆっくりと顔を上げた。その目は完全に据わっていた。
「清楚? 慎ましい? あの女が? ハッ、笑わせないでよ! あんなの、男に媚びを売るための演技に決まってるじゃない! 平民上がりの分際で、殿方たちの視線を独り占めして……許せない、絶対に許せないわ!」
ドカン! とシャルロットが近くの小さなテーブルを蹴り飛ばした。上に乗っていた花瓶が床に落ちて砕け散る。
《ピロリン♪》 『新たな破滅フラグを検知しました:【兄への八つ当たりによる孤立化フラグ】。このまま口論になると、シャルロットはあなたを完全に敵視し、今後の説得が不可能になります(危険度B)』
(なんでだよ! 地雷踏んだ!?)
俺は内心パニックになりながら、次のブレイカーのアドバイスを待った。
『推奨アクション:直ちに発言を撤回し、彼女の怒りに同調してください。論理的な説得は不可能です。感情に寄り添うフリをしてください』
(フリでいいのかよ! いや、今はそれしかない!)
「わ、悪かった! 俺の認識不足だったようだ!」 俺は両手を上げて降参のポーズを取った。
「そうか、あれは演技だったのか……。さすがシャルロット、人を見る目があるな。俺のような凡人には、すっかり猫を被っているように見えていたよ」
俺の必死の追従に、シャルロットの怒りのオーラが少しだけ弱まった。 「ふん、そうよ。お兄様は鈍いんだから。あの女の本性を見抜けないなんて、貴族として恥ずかしいわよ」
「ああ、まったくだ。面目ない」
俺は心にもない謝罪を口にした。プライド? そんなものは犬にでも食わせておけ。今は生存が最優先だ。
「で、でも、そんな腹黒い女のために、君が手を汚す必要はないんじゃないか? せっかくの美しいドレスが、ワインのシミで汚れたりしたら台無しだろう?」
俺は恐る恐る、本来の目的に話を戻そうと試みた。
「……は? 何の話?」 シャルロットがきょとんとした顔をする。
「え? いや、だから、茶会で何か……しようとしてたんじゃないのか?」 「私がいつ、そんなこと言ったのよ」
(ええ!? だってさっきフラグに書いてあったじゃん!)
俺が混乱していると、ブレイカーが冷静な声で補足した。
『補足:現在の計画は、シャルロットの脳内でのみ構想されている段階です。まだ口には出していません』
(そういうことかよ! 俺がフライングしたってことか!)
まずい。これは非常にまずい。俺が彼女の心の声を読んだみたいになってしまった。
シャルロットの目が、再び怪訝な光を帯び始めた。 「お兄様……なんで私が茶会で『何か』しようとしてるなんて思ったの? もしかして、私のこと、何か疑ってる?」
《ピロリン♪》 『警告:【兄への不信感フラグ】が発生しました。回避失敗の場合、断罪フラグの進行速度が倍になります』
俺の額から、冷たい汗が滝のように流れ落ちた。




