神の怒り
まさしく想像通り、とっくに神の目に触れていた。神は写真を引き裂くとすぐにアンデレを呼びつけ命じた。
神には分かっていた、写真の中、スウの心に生まれているレイへの深い気持ち。
「そんなもの死神に許されるはずがない! ましてスウには人との契りなど決して許さない!」
呼びつけられたアンデレもまた、全て気づいていた。
「あの時、イーを透して見た時に対処すべきでした。すぐにマルタを遣わせましたが、状況は変わらないでしょう・・とにかく今すぐ私にできることを考えましょう。」
庭での花見が大きな事態を皆にもたらす。
優しい出来事、しかしこの後にはいったいどんなことが待ち受けているのか、誰にも想像すらできない。
「イー、レイを頼めるか?」
スウは静かに言った。
「どうするつもりです?」
「神のもとに行き裁断を仰ぐ。みんなには迷惑をかけないよう最大限努力するが、万が一の時はイー、許してほしい。だがレイはなんとしても守る!」
スウの決意が変わらないことはイーには分かっている、だから黙って頷いた。
花見の宴は呆気なく終わった。それでも満開の桜は皆を包んでくれている。淡い桜色が今は救いに感じられた。
スウは抱き上げていたレイを、そのままイーの腕に託す。イーの腕の上でレイはスウを見つめ言った。
「神様のもとへ行くなら私も連れて行って!」
「駄目だ、おまえを連れて行くことなどできない。必ず戻る、俺を信じろ。」
スウはレイの髪に舞い落ちた桜の花びらをそっと摘み取ると、そのまま手の中に優しく握りしめて言った。
「この花びらをもう一度必ずおまえの髪に戻すから、イー達と待っていてほしい。」
「本当に必ず戻ってくるよね! 約束だからね! 弟子を騙したらお師匠様失格だからね!」
「ああ。」
スウは笑った。
もう一度抱きしめその唇に触れたい、想いは熱く心を締めつける。しかし今は一刻も早く神のもとへ行かなければならない。
(たとえそのまま二度と戻れなかったとしても・・俺はおまえを必ず守る!)
スウの想いを皆は見ていた、誰にも止めることはできない。
レイを見つめ優しく微笑むスウの後ろに眩いばかりの光が射し、その光は真っ直ぐ天に昇る。天につながる光の道、スウは一気に翔けていく。
「スウ!」
レイは思わず叫んでしまった、なぜだろう? レイにも分からなかった。そして小さな声で、
「痛い・・・」
「大丈夫ですか? レイ、どこが痛みます? 腰ですか?」
「違うのイー、ここが・・ここが痛いの・・苦しくて痛くて・・・」
レイは自分の胸に両手を重ねギュッと掴むと、ポロポロと涙を溢しイーの胸に顔を隠した。
爪先が白くなるほど力いっぱい握られた両手、声も出さずただ溢れ続ける涙、レイの心の震えと痛みを皆は感じていた。共鳴するように皆の心も痛かった。
するとイーが、
「ウー、すみませんが・・」
「分かっていますよ、行くのですね。」
ウーがそう言うと、今度はイーからウーの腕にレイは託され、
「えっ? まさか・・」
「私が必ずスウを連れて帰りますから、安心して待っていて下さい。」
イーに言われレイは、
「なら私も連れて行って・・」
「駄目です。お師匠様とリーダーの言うことはきく! 信じて下さい。」
そう言ってイーが光の道に消えると入れ替わるように皆の前にマルタの姿が、
「こんなに早くまた会うことになるとはね、んっ? ちょっと待て! イーとスウは? まさか天に・・馬鹿者! 今、神は怒りの頂点だぞ! いくらイーが一緒でも最悪なことになる!」
「最悪ってどういう意味ですか? マルタさん!」
マルタはレイの前で言ったことにしまったと思いすぐに、
「いや、心配はいらない、私もすぐに戻るから。」
「隠さないで!」
「何も隠してはいないよ、で、レイはなんでウーに抱かれているんだ?」
さりげなく話しを変えた。
「あっ、ちょっと腰が・・」
恥ずかしそうにレイが答えると、
「若いのにぎっくり腰ですか? 治してあげよう。」
「ああ、マルタ、治しちゃダメ!」
皆の声とチーの制止を聞くよりも早く、マルタはレイの腰に手をかざし光に包むと一瞬で治してしまった。その後で、
「治してはダメとは?」
ウーは笑って、
「大丈夫です。アール、お願いできますか。」
「待ってましたウー、任せて!」
レイはウーの腕から降ろしてもらうつもりが、リレーのように今度はアールの腕の中に移された。
「いったい何をしてるんです? それにシモン、君はなぜここに?」
マルタは訳が分からない。ウーがそんなマルタに、
「マルタさん戻られるんですよね、私も一緒に行きます。ラザロには心を飛ばしてありますから、神の子達を抑えてくれているはずです。余計な騒ぎにはしたくありません。」
マルタとシモンはウーの判断と行動に感心していた。そしてシモンが、
「行こうウー、俺もラザロを助ける。」
「ありがとうシモン。」
マルタはふたりの会話に驚き、
「ちょっとの間に何があったんです? まぁいい、戻りながら聞こう、急いで!」
3人が光の道に消えると、
「私も行く!」
腕から飛び降りようとしたレイをアールはいとも簡単に掴まえている。
「僕は少々暴れる女性を抱くの得意だから、諦めて。」
ウインクして言った
しかし女の執念、いや、レイの一念の方が上だった、レイは抱き上げられたままアールをじっと見つめ瞳を潤ませて、
「分かったからアール降ろして、ちゃんとアールと一緒に待つ。」
と、ウルウルとしながら言った。
アールは油断してレイを降ろした。その途端レイはすぐ横にあったテーブルの上に飛び乗ると、消えかけている光の道に向かって手を伸ばし、おもいきりジャンプした!
「レイ!」
飛べるはずがない!
「バカ! 落ちたら大怪我だぞ!」
レイの目の前には青黒い瞳と尖った耳のリュウの顔が・・リュウは片腕でレイを抱えるように抱き、光の道を翔けていた。隣りには緋色の瞳に角が出た、サン、アール、チーの姿があった。
「イーから大目玉のうえにスウからも怒鳴られるね。間違いない!」
サンはわざとらしいため息をつくが、その顔は笑っていた。
「初めから私達も行きたかったのよ。でもレイ、覚悟していてね。父なる神は普段はお優しい方だけど、お怒りになられる時は恐ろしいのよ。天では暴走なしよ。」
チーは言った。
「ありがとうチー、連れて行ってくれて。私、何があってもこれ以上みんなに迷惑かけない!」
チーはひとり考えていた。
(いざとなったら私がスウとレイを守る! もちろんみんなも! 神様には覚悟して頂く!)
チーの緋色の瞳がさらに深く光ったように見えた。
スウは天に着くと神のおられるであろう場所へ向かおうとしていた。
それは、裁断の間。
通常はまずアルビトロ達が評議し、その後アルビトロの中でも上のクラスの者達が審判する。その意見がアルビトロの頂点と言われる者より父なる神に伝えられ、神は裁断を下す。
評議の間。
審判の間。
裁断の間。
当事者がその場に立ち会うこともあれば、不在のまま、裁断だけが伝えられることもある。
神がおられるのは、最後の裁断の間。
「待ちなさい、スウ。」
スウの前にアルビトロの頂点にいるアンデレの姿が、
「アンデレ! なぜ審判の間にいないんだ。」
「その前に、優しくなった顔をよく見せて下さい。」
落ち着き微笑みながら言うアンデレが不思議だった。
不思議と言えば、もっと騒ぎになっているかと思い覚悟していたのに、嘘のように静かだとスウは思っていた。そんなスウにアンデレの方が、
「本当に久しぶりですね。」
「あぁ・・、この間はミイのことありがとう。それから、また迷惑をかける。」
スウは頭を下げながら言った。
「驚きました! 君からそんな言葉が聞けるとは・・レイという人に益々会いたくなります。」
「今日会わせるわけには・・・」
困ったように言うスウに、アンデレはクスリと笑い、
「君同様、かなり無茶をする人みたいですね。君達7人と同じと言うべきかな?」
遠く先を見るような目でアンデレが言うと、
「まさかその中に私も入っていますか? アンデレさん。」
スウがその声に振り返ると、ゆっくりこちらに歩いて来るイーの姿が、
「イー、なんで来たんだ! レイを頼んだろ!」
「大丈夫です、ウーに頼んできました。」
またアンデレは笑い、
「なんだ、さっきから・・」
「どうかされましたか?」
そう言うふたりの後ろをアンデレは指差した。振り返るスウとイーの前にはウーが、
「なんでウーまで!」
「ウー! レイはどうしました?」
「ちゃんとアールに・・」
とうとうアンデレは口を押さえ笑いながら、また3人の後ろを指差した。振り返った3人は驚き、スウは、
「おまえら! なぜレイを連れて来た!」
青黒い瞳が青さを増しスウは怒り、一瞬皆はたじろいだが、レイはスウの姿を見ると、もうとっくに駆け出しスウの目の前に立っていた。
「みんなは悪くないの、私が勝手に飛んだの、だから・・私が悪いの。」
飛ぶってどういうことだと怒りの表情を緩めスウが思うと、
「テーブル踏み台にして消えかけてる光の道にジャ〜ンプ!」
サンがそう言ってその瞬間のレイと同じ格好をした、スウは驚いた。
「バカ野郎! 落ちたら・・」
「だって、戻れないかもしれないって、スウ思ったでしょ!」
泣き出しそうな顔でレイが言うと、スウは驚き、
(なんで気づいたんだ、心が見えたのか? まさか・・)
するとレイが、
「私、みんなみたいに心は見えない、でもスウのことはなんとなく分かったの、何を思っているのか、私の心に感じるの、だから・・みんなは悪くないの・・・」
レイは言葉が続かず涙を落とした。
「分かったから、もう泣くな。」
スウはレイを抱きしめた、強く強く。人をこんなに愛おしいと想う気持ちが自分の中に残っていたんだと思いながら・・・。
「いいか、俺の傍を離れるな、何が起こるかは分からないぞ。」
「離れない!」
その言葉を待っていたかのように、スウの体に雷が落ち、レイは弾き飛ばされた。マルタがすぐに跳びレイを抱きとめると、
「スウ!」
レイは倒れ込んだスウに向かって叫んだ。
(相当のショックがあったはずなのに、スウを心配するのか? 人はこんなに強かったのか?)
抱きとめたマルタは驚いていた。
スウはゆっくりと起き上がり姿が見えぬ神に、
「神よ、お願いします。彼女には罰を与えないで下さい! 全ては俺ひとりに・・」
「殊勝なことを言うようになったなスウ。だがおまえは学ばぬ奴だ、人と関わればどうなるのかまだ分からないのか!」
その声が終わるよりも先に風が渦を巻き、その場にいた皆を巻き込むとそのまま宙へと巻き上げた。
マルタはしっかりとレイを包んでいた。そして、
「神はどうされるおつもりだ、命までは決しておとりにはならない。分かってはいても、これほどのお怒りようは初めてだ。」
そう、神はなぜかスウには厳しかった、遥か昔からそうだった。なぜなのか? 皆は思っていた。
巻き上げられた皆は広い部屋、いや、宮殿の大広間のような場所の中央に落とされた。正面には何段も高い玉座があり、そこに足を組み腰掛けているのは紛れもなく神。父なる神だ。
銀色の長い髪は光があたると時折金色にも見え、精悍で端正な顔立ちが美しさと共に冷徹さを感じさせる。しかし、その顔その姿を、直接間近に見れる者はごくごく限られていた。なのに今、全員が神の目の前にいるのだ。
「ここは裁断の間です。」
アンデレが皆に伝えると、マルタはレイをそっとスウの隣りにやった。
「なんでそんなことを、神がお怒りに・・」
シモンが言いかけるとマルタは、
「このふたりをご覧になられたら、神も引き裂くことはできないとお思いになられる!」
すぐにマルタは考えが浅かったと思うことになる。
高い玉座から神は、
「さて、罰は自分ひとりで受けると言っていたが、女をそのままにはできないぞ。記憶を消し去ることは必須だ! そしてスウ、おまえは二度とふたたび地上に降りることは叶わぬ!」
その神の言葉にレイは、
「待って下さい神様、地上に降りられないということは、他のみんなと離れるということですか?」
臆することもなく聞いた。
「そうだな。おまえは記憶を消せば地上に放り出してやる。おまえ達ふたりは互いのことなど忘れ、それぞれ見合った者を探せば良い。」
その言葉にはチーが黙っていなかった。
「そんな酷い! スウとレイが愛し合っていることは神様もお分かりのはず。なのに見合った者を探せなんてあんまりです。」
「黙れチー! 死神と人が結ばれることなどあり得ん! 違う種族との契りなど許さぬ! スウには罰として今までの一切の記憶を消し去り、この先ずっと私の側に仕えさす!」
神の怒りの声にレイは叫んでいた。
「ダメ! そんなこと。私の記憶を全部消してもいい。だから、スウの記憶は残してあげて! もちろん私のことは忘れさせてもいいです。でも今まで生きてきたたくさんの想い出を消さないで! スウの大切な想い出と大切な仲間との時間は、そのままにしてあげて下さい。神様、私が死ぬまで貴方に仕えます。だから・・だからスウはみんなと一緒にいさせてあげて・・・」
「レイ!」
皆の声と重なるように神は、
「ハハハ・・変わった女だ。では7人、いや、周りの皆からおまえの記憶のみ消し、おまえは自分自身の全ての記憶を消し私に仕えると?」
「はい。」
きっぱりとレイは返事をした。スウは驚き慌て、
「バカなこと言うな! おまえにだって大切な想い出いっぱいあるだろう。」
「スウ達に比べたらほんのちょっと。それにスウ達はこれからまだまだ生きて周りの人達をいっぱいしあわせにできる。想い出もいっぱい。ねっ、だから・・」
「ふざけんな! おまえが消えた想い出なんか俺はいらない!」
「ありがとうスウ、その言葉だけで私はしあわせ。」
そう言ってレイは微笑んだ、そして皆の顔を見てまたニッコリと微笑む。
(この状況でなぜ笑える?)
皆は思っていた。
神はじっと皆に微笑むレイの顔を見ていた、決して特別な、人、ではない、どこにでもいる普通の女性。
(なのにこの強さはどこからくる? 眩しいほどの心の輝きは、いったいどこから生まれる?)
神は少し意地悪な言葉を投げたくなった。
「レイとやら、私に仕えるとはどういうことか理解しているのだろうな?」
ほくそ笑むように聞く神の言葉の意味が、レイは分からない。
「おまえは私に身も心も捧げるということだぞ、意味は分かるな。」
レイが理解するよりも早く、スウの瞳の色が激しく変化し、
「神でも許さない! レイをおまえには渡さない!」
スウは叫び、レイを自分の後ろにやるとたちまち体が青い光に包まれ、その光が燃えるように立ち昇った。その姿を見た神はさらに意地悪く言い放つ。
「本気か? 私に勝てるとでも? この愚か者! 女ひとり守れぬ己に苦悩し、もがき苦しむがよい! 人を愛した罪の罰、なんならおまえの目の前でこの女、組み伏せ抱いてもよいのだぞ!」
青く燃え、立ち昇る光がいきなり四方八方へ矢のように飛び散った。
「ダメぇ! スウ!」
後ろからレイは包み込むようにスウを抱きしめ叫んだ。
「神様は意地悪を仰ってるだけだよきっと。だって私は神様よりスウを愛している。ずっとずっと愛している!」
レイの言葉にスウの体の青い光が穏やかに変わっていく、背中に感じるレイの温もり、スウは振り返るとそのまま腕に抱きその温もりを胸に感じた。
ふたりを包むのは優しい青き光。
レイはスウの鼓動を感じていた。
(私、忘れない・・・)
胸から顔を離すとレイはスウを見つめ、あの日タルトの香りを確認したように鼻を近づけると、今度はそっと口づけた。
「桜餅の香りだ。」
「バカ、おまえは警察犬か・・いや、優秀な執事だよ。俺の大切なレイ。」
スウは微笑むレイをもう一度抱き寄せると、深く熱い口づけを交わす。
「おまえら! やめんか! 神を舐めておるな!」
低く恐ろしい声で神は言ったが、その声にも怯まずレイはまっすぐに神を見つめ、
「神様、誰かを愛することは罪ですか? 神様は今まで誰も愛されなかったのですか?」
聞かれた神の方が怯んだように見えた。
「な、何ぃ・・!」
そして神の答えは・・チーが答えた。
「愛されたわよ、ひとりの女性を。そして苦しまれた。おそらく誰よりも苦しみ抜かれた。」
「ええぇ! なんでチーが知ってるの?」
その場にいた全員が驚きの声をあげていた。
「黙れ! チー!」
神の慌てる声にさらに全員が驚いていた。
「神様、貴方はご自分と同じ苦しみをさせたくないのでしょ、かわいいスウに。」
「えええぇ!」
皆は訳が分からないが、チーの言葉にとにかく驚いていた。
まさか裁断の間で神自身の過去が明かされるとは、誰も想像すらしていなかった。話しを切り出したチーを止めることができる者などいない。
かわいいスウ、というフレーズに皆は引っ掛かっていた。
「まさかと思いますが、今私が考えていることが正しければ、大変な真実ですが?」
イーが言うとチーは、
「正しいわよ、その通り。スウは正真正銘、神様の子供よ。」
「嘘ぉ〜!」
全員の声に本人であるスウも、
「いい加減なこと言うな! 俺は母からそんな話し聞いたことがない!」
「あたり前でしょ、鬼神様の娘であられたお母様が、そんなことペラペラと話される訳がないでしょ。あの方は聡明で思慮深くそのうえ美しく、それでいてなさることはどこか可愛らしくて・・。」
思い出すように話すチーに、
「なぜそんなに詳しく、チーは知っているのです?」
アンデレが聞くと、チーは深い息を吐き、
「私はもともと鬼神様に仕えていて、末娘であられたスウのお母様と共に死神に転じたのよ。」
初めて聞くチーの過去だった。




