運命の行方 9
楽しそうにジルドと話すニカを見た。
本人から結婚したと聞かされたはずなのに、彼女はそれほどがっかりしていないようだ。
それとも虚勢を張っている?
「可愛いニカ。話は済んだ?」
私は座っている彼女の後ろに立つと、肩に腕を回して椅子ごと抱き締めた。ニカが自分のものだと確かめたくて。彼女は振り向き、笑顔を見せる。
「ええ。おかげさまで、有意義な時間が過ごせましたわ」
「それは良かった。ニカ、せっかくだから君にも見せてあげようか。看守長、さっきの場所を借りるよ」
「はい、もちろんです」
「クレマン、書類へのサインは君が。私はニカとの用事があるからね。さあ、おいで?」
ニカを立たせた私は、彼女の手を引いて奥の特別室に連れて行く。
今は誰も収容しておらず水も出ていないが、天窓からは光が射しこみ、中にはソファやクッション、ふかふかのベッドが置いてある。
「水が出ていないから、まるで普通のお部屋みたいだわ」
「そうだね。ここが牢獄内で一番いい場所だ。ニカは公爵令嬢だから、入るとしたらここだったかな」
「やっぱり覚えていたのね。ねえ、中に入ってもいい?」
「どうぞ。何なら水も出そうか?」
「そんなことができるの? 魔法石のある部屋は別の場所でしょう?」
「私にとっては造作もないことだ。ほら」
両手をかざし、ニカのために水を出す。
上から零れ落ちた水が部屋を囲む。水の勢いが強く中は見えないが、おそらく満足しているのだろう。しばらくして、ニカがうっとりした声を出す。
「綺麗だわ。牢獄じゃないみたい。ここならずっといられるかも」
ニカが前世で読んだという本への憧れは、並大抵のものではないらしい。
ねえ、ニカ。ジルドに会ってどうだった?
まだ彼に、想いを残してる?
「ラファエル、もういいわ。気が済んだから、ここから出して」
しばらく経って、ニカが言う。
本当の私は心が狭い。
ニカ、このまま君を誰の手も届かない場所に閉じ込められたなら……。
「ラファエル、ラファエルったら! お願い、水を止めて」
不意に湧いた暗い感情を打ち消したくて、首を振る。私は自分で思っている以上に、彼女に執着しているようだ。こんなことでは、愛するニカに嫌われてしまうな。
「ねえ、ニカ。牢獄なんて、あまりいいものではないだろう?」
「ええ。入らなくて良かったわ。わかったから早く出して」
「さて、どうしようか? 誰にも会わせないように、このまま君を閉じ込めたいけど」
「もう! 冗談なんて言ってないで早く!」
「冗談……か。そうだね、これだと君と触れ合えない。だから、水の勢いを弱めてみるよ。どう?」
本気だったと言ったら、君は嫌がる?
私は水の流れがゆっくりになるよう、魔力を弱めた。向こう側にいるニカの顔がぼんやり見える。例えて言うなら、雨が叩きつける窓を挟んで向かい合う感じだ。
「ラファエル……」
「ニカが昔語ったのは、このことだろう?」
「ええ」
ニカが、こちらに向かって手を伸ばす。
そんなことをすると、冷たい水で濡れてしまう。
――でも、いいか。せっかくだから君の気が済むまで、付き合ってあげるよ。
私は彼女を見てクスリと笑うと、同じように手を伸ばす。
『水壁越しに重なる手と手。触れそうで触れられない距離に、切なく苦しむ二人』
そんな話をニカから聞いたのは、もう十年も前のこと。
今となってはいい思い出だ。
水壁越しに君が見つめる。
黒く艶やかな髪と赤い瞳、魅力的な赤い唇。
私に触れる指は、細くしなやかで。
ぼんやりとしか見えなくても、君は美しい。
もし出会ったのが別の場所でも、私は君に強く惹かれていた。そう、たとえばこんな牢獄の中だとしても――。
あり得ない想像に苦笑し、手を引っ込めた。
するとニカが、失った私の手を求めるように腕を伸ばす。
「ねえ、これ以上伸ばせないわ。見えない壁があるみたい。どういうことかしら?」
「そりゃあ一応、牢獄だからね? 魔法障壁があるから、すぐに出られるわけがない」
「そうなの。それじゃあ、看守が魔法石で水の勢いを弱めても……」
「君の夢を打ち砕くようで悪いけど、脱獄は不可能だ」
「知らなかったわ」
沈んだ様子のニカだが、次の瞬間嬉しそうな声を出す。
「ありがとう、ラファエル。私の夢を再現してくれて」
「どういたしまして。それで? ニカ、君はもういいの?」
「いいって何が?」
「ジルドのことは、諦められた?」
水壁越しで良かった。
今の私はきっと、君を失うことが怖くて情けない表情をしているから。
そんな私の気持ちを感じ取ったのか、ニカの声音が必死になる。
「ラファエルお願い。ここから出して」
「可愛くお願いされたら仕方がないな。ほら、おいで」
何でもないことのように言い、水の壁を消す。
私はニカの腕を引っ張って、胸に閉じ込めた。
けれど、顔を上げたニカに表情を読まれてしまう。
「ねえ、ラファエル。もしかして貴方、ジルドに嫉妬しているの?」
頬に血が上る。
私は彼女に、正直に告げることにした。
「そうだと言ったら? ジルドは既婚者だが、ニカの憧れでもある。君が想い続けた年月に、私は勝てない」
子供のように拗ねていると、思われてしまうだろうか?
私はジルドをニカの父親である公爵に託し、ニカ本人から遠ざけた。彼が結婚したと聞き、ようやく安堵し希望に沿う看守の職を与えたのだ。
ニカの想いを確かめるため、あえて今日ここに連れて来た。彼女に現実を見せ、私だけを愛してもらいたくて。
ニカが私の頭に手を添え、自分の方に引き寄せた。
彼女はそのままつま先で立つと、赤い唇で私の耳にそっと囁く。
「ねえ、ラファエル。ここに来てわかったけれど、私はジルドというよりこの場面に憧れていたみたい。牢獄もジルドのことももういいの。私が好きなのは貴方よ。これからも、貴方の一番近くにいたい」
「ニカ!」
届いた想いが嬉しくて、彼女を強く抱き締めた。
私の鼓動にニカの鼓動が重なる。
私達は始めから、こうなる運命だった。
そう言ったら、君は笑うかな?
「ニカ、愛してるよ」
「私も、愛しているわ」
水宮の牢獄は、犯罪者を閉じ込めるためのもの。
だが、牢獄なんて要らない。
私は初めて会ったあの日から、ニカに心を囚われているのだから――。




