天使が望む者 5
ラファエル視点に戻ります(^_-)
玉座の間に入る直前、私は彼女に声をかけた。
「ヴェロニカ、いいかな? 今回のことは父も喜ぶと思う」
「ええ。行きましょう」
あの旅で私はニカに翼を見せて、正式な伴侶と定めた。国王である父は、公務よりもそちらの方が気になるようで、報告を終えた私に尋ねる。
「して、見せたのか?」
「はい」
肯定する私に、父は満足そうに頷いた。両親ともニカのことを気に入っているからだ。
緊張していたのか、退室した途端に息を吐きだすニカ。昨夜のことについて何か聞いてくるかと思えば、彼女はただこう言った。
「用事を思い出したの。もう帰るわね」
「疲れが取れていないのかな? ニカ、無理しないで」
「ありがとう、ラファエル。楽しかったわ。さようなら」
さようなら、と口にされた瞬間、胸が痛む。
ニカが私から離れて行くはずがないし、刻印がある限りは繋ぎ止められるはず。
私は首を横に振り不安を払うと、ニカと別れて執務室へ向かった。溜まっていた仕事を片付けなければならない。
扉を開けると、ソフィアとクレマン、新しい護衛のダリルの姿が見えた。
――すぐ書類に手をつけようと思っていたのに、どういうことだろう?
部屋に入るなり私の正面にソフィアが回り、興奮気味に話しかけてきた。
「この前のお願い、聞いてくれる?」
「戻ったばかりだし、まだだ」
「どうして? どうしてまだなの?」
「言いたいことはわかるが、あと少し待ってほしい」
「もう、エルったらいつもそればっかり! なぜ私達のことをお父様に告げてはいけないの?」
「物事には順序がある。それでなくとも相手は、私の護衛だから」
「そんな!」
必死に頼むソフィアに、私は目を細める。
ニカのこともまだなのに、ソフィア達のことにまで手が回るわけがない。忙しいので一旦彼女を帰そうと、私は口を開く。
「約束しよう。舞踏会の後に必ず話す。だから私を信じて、待っていてほしい」
告げたところで気配を感じる。
今、何か、扉が閉まる音がしなかったか?
それからしばらくは目が回るほどに忙しく、ニカを天宮に呼ぶことも、公爵家を訪ねることもできなかった。もう少しで秋となり、この国の社交界シーズンが始まる。
時の経つのは早いもので、今年はソフィアが十六歳となりデビューする。
――ニカが婚約破棄を願っていたのは……十八歳となる今年じゃなかったか?
気づいた瞬間青ざめた。
破棄する気持ちは欠片もないが、舞踏会には準備が必要だ。
私は残っていた今日の分の書類を片付けると、彼女の家に急いで向かう。
庭にいるニカを見つけて、近づいた。
馬車を前にし、何やらごそごそしているようだ。
改造したのか、馬車は扉が大きくなっていて、中に棚がある。彼女はその棚に本を並べているところだった。
いったい何をするつもりだろう?
「これはまた、楽しそうなことをしているね」
「ラファエル! どうしてここに?」
「どうして? 婚約者の顔を見に寄るのもダメなの?」
「もうすぐ終わりでしょう? 演技なんてしなくていいから」
「そうだね。演技の必要なんてない」
演技なんてしなくても、私はとっくに君に夢中だ。ニカにとっては演技でも、私はいつも本気だった。
でもそうだね、終わりにしようか。この関係もそろそろ限界だ。
「あの……忙しいんだけど」
「冷たいな。で、これはどういう仕組み?」
本を手に取り馬車を見る。
ニカは赤い瞳を輝かせて、私に教えてくれた。
「あのね、これは移動図書館というもので、図書館が近くにない地域でも本を貸し出すことができるの。今はまだ一台しかないけれど、いずれ国中に広まればいいな、と思って」
私は棚に本を戻し、ニカに笑いかける。
「なるほどね、いろんな所を回って本を貸し出すのか。ニカは面白いことを思いつくね?」
「私の考えじゃなくって、以前見かけたことがあるから」
「これも前世の知識?」
「そう」
答えたニカが美しい顔を曇らせた。
彼女が悲しそうだと、私まで悲しくなってしまう。
「ニカ、思い悩むより笑った方が可愛いよ。近いうちにドレスを届けさせるけど、今度は受け取ってくれるね?」
「ドレスって?」
「もうすぐ秋のシーズンだ。当然、私のパートナーとして出席してもらう」
最初の舞踏会が始まるまで、あと二ヶ月だ。私にはある計画があった。それにはドレスが欠かせないから、どうか断らないでほしい。
「ありがとう。喜んでいただくわ」
「良かった。後日、採寸する者を寄こすから。本当は私が、隅々まで調べたいんだけどね?」
「なっ……」
良かった、いつも通りのニカだ。
冗談に慌てる顔が可愛らしい。
怒って叩くふりをするニカに、私は笑いながら降参したと両手を上げる。早速戻って、腕のいい仕立て屋を厳選しよう。もちろん男性は許さず、女性の仕立て屋限定だ。
その日の夕方。
南部の教会から届いたという手紙に、私は目を通す。
『……王子殿下と美しい婚約者様のおかげで、貧しい者への善意溢れる人々の寄付が定着してきました。領主夫人や地域のご婦人方が主体となって、バザーや物々交換なども始められているようです。教会が話し合いの場としても活用され、問題の解決や仕事の斡旋も円滑になりました。また、民と貴族の交流の場ができ、笑顔も多く見られるように。図々しいお願いかとは存じますが、またいつか、お二人でこちらへいらして下さい。いつでも歓迎致しますし、お顔を拝するだけで光栄に存じます』
便箋を畳み封筒に戻しながら、私は呟く。
「順調で何よりだ。全てニカ一人の手柄だが……」
誰からも愛される彼女を、やはり手放すことはできない。
そのためにも舞踏会は重要だった。




