大事件 6
指定の場所とは崩れた大きな建物の横で、ここは元娼館だったらしい。
ぐるりと囲む鉄柵の側に、打ち合わせ通り黒塗りの馬車が停めてあるのが見えた。このまま真横を通れば、中から出て来た人物がソフィアを攫ってくれるはず。
私は緊張でドキドキしながら、近くに行こうと足を進めた。
「待って、やっぱりおかしいわ。お店もないし、引き返しましょう」
素直なソフィアは、私が道を間違えたのだと本気で信じているようだ。元の場所に戻ろうと、私の服の袖を持ち、懸命に引っ張っている。
「いいえ。どうしてそう思うの? 貴女より私の方がこの街に詳しいのよ」
悪役っぽくニヤリと笑う。
正直、私もここには初めて来た。
昼間でもカラスがたくさん飛び交い、陰鬱な感じがする。夜だと一層怖そうだし、普段なら絶対来ない場所。でもこれから連れて行かれる隠れ家は、居心地が良いと聞いている。
だからソフィア、安心して監禁されなさい。
「嫌よ、帰りたい。ヴェロニカのバカ!」
「ほら、行くわよ。あともう少しなんだから」
歩き出さない私達を見て気を効かせたのか、馬車から黒ずくめの男達が出て来た。その数はフィルが手紙に書いてきた通り三人だ。
男達は私とソフィアを取り囲み、こちらに向かって手を伸ばす。
「嫌っ」
怯えて私にしがみつくソフィア。
だけど私は悪役っぽく、無情に言い放つ。
「助かったわ。じゃあ、この子をお願いね? もちろん丁重に扱うのよ」
ショックを受けたようなソフィアの顔に、またもや胸が痛くなる。
ところが、何かがおかしい。
男達はソフィアに続き、私にも迫る。
「え? 私は違うから。止めて、違うの!」
数刻後――。
私達は冷たい石の床に転がされていた。
ソフィアと私が目隠しをされて馬車で連れて来られた所は、快適と言うには程遠く、じめじめしてかび臭い。石の壁はひび割れているし、天井もくすんで所々水が滴っている。申し訳程度に敷かれた絨毯は、擦り切れてボロボロだった。
私達はそんな場所に、二人だけで置き去りにされていた。恐怖のあまり大泣きしていたソフィアは、今は泣き疲れて眠っている。
――快適な郊外の隠れ家、どこに行った?
目隠しは外されたけど、両手と両足の自由は奪われたまま。麻のような縄で背中側に回した手首、それと足首を固く結ばれている。
チクチクするし、動かせそうで動かせない。
手を引き抜こうと試みるものの、ちっとも緩くならないし、擦れた手首が痛かった。
これはいったいどういうこと?
フィルとの打ち合わせでは、ソフィアだけが攫われる。
快適な隠れ家に監禁……というより軟禁されて、VIP待遇で王子の助けを待つはずだったのに。
隠れ場所の地図も貰ったし、間違えないように大きく花丸までつけておいた。だけどここはどう見ても田舎の一軒家と言うより、忘れ去られた廃墟のようだ。
男達の声が聞こえて来たので、私は咄嗟に寝たふりをする。
「馬車を無駄に走らせろってどういうことなんだ? 今回に限ってボスは何でそんなことを」
「しっ、声が大きいぞ。聞こえたらどうする」
「心配ねぇ。二人共、泣き疲れて寝ているんだろうさ。まあ、黒髪の方はあんまり泣かずに固まっていただけだが」
「こいつらも売るのか? もったいないねーな。身代金を要求した方がよっぽど儲かるのに」
「ボスの方針だから、仕方がない。貴族にたんまり恨みがあるんだろう」
聞こえてきた話によると、ボスはとんでもない人物らしい。家族に知らせてお金を手にするより、売り飛ばした方がいいと考えているなんて……。
――待って。じゃあ、彼らは本物の人攫い!? もしかして、フィルは巷で騒がれている犯人に誘拐を依頼してしまったの? だから私まで、ソフィアと一緒に攫われたのかしら。
前言撤回。
フィルを有能だと言ったこと、無しで。
最後の最後で本物に頼むというミスを犯すなんて、悪役令嬢の協力者の風上にも置けないわ!
逃げ出さなければ、いずれどこかに売り飛ばされてしまう。何よりソフィアが可哀想。義妹がいなくなったことに気づけば、ラファエルだってすごく悲しむ。
――おかしいわ。また、胸が痛い。
胸の辺りを見下ろした途端、あることに気づく。
――そうか、魔法石!
お守りだって言ってたし、何かあれば叩き壊すように教えられていた。今まさに、その時では?
「うう……」
喜んだのも束の間、自分の姿を見て絶望する。
手と足を縛られているため、叩き壊すどころか取り出すことさえできない。それに、変な動きをすればたちまち見つかり、取り上げられてしまうだろう。
「何だ、嬢ちゃん。目が覚めたのか?」
「よく見ればべっぴんさんだよな。そのまま売るのが惜しいくらいだ」
「こらこら。そんなことを言ってボスにバレたらどうする?」
三人組の二人は体格が良く、一人は普通の体型だ。
だけどもちろん、私が敵う相手では無い。
頭巾を取った凶悪顔の彼らが逆らわないくらいの人なので、ボスは相当すごいらしい。
――フィルってば、どういうつてを使ったの?
とりあえず、縄を早く外してほしい。
「ねえ、手が痛いの。お願い、これ外して下さる?」
ラノベのヴェロニカが人を動かす時のように、一生懸命色っぽく言ってみた。
考えてみれば、彼女は次々と男性を虜にしていた。けれど私はまだまだだ。協力者のフィルの詰めが甘かったのって、もしかして、私の色気が足りないせい!?
「それはできねえ相談だな」
「ボスが戻って来るまで辛抱してくれ」
「足だけなら、まあ」
だめか。やっぱり色気不足?
それならこの際何でもいいや。
「お願いするわ。あなたって優しいのね」
足だけ、と言った男に笑みを浮かべる。
ここで妖艶に迫ったら、手まで外してくれるかしら?
色気ってどうすれば出るの?
ラファエルに聞いておけば良かったな。
ほら、また。
気づけば彼のことを考えている。
でも、ラファエルが愛しているのは、ソフィア。
彼女が可愛く頼んだら、悪党達もあっさり外してくれるかな?
男が足首の縄をナイフで切った。
刃物を持っているなら、下手な動きはしない方がいい。
――身体ごと床にぶつけて、魔法石を叩き割るのはどうかしら?
ラファエルを喜ばせたくないので、魔法石はあれから肌に直接ではなく、ドレスと下着の間につけるようにしている。ちょっとくらいケガするかもしれないけれど、スライディングすればもしかして……。




