王子として 5
十四歳になってすぐ、僕はニカを劇場に招待することにした。恋愛物が大好きなら、歌劇は当然好きだろう?
王族専用ボックス席は舞台袖の二階、舞台を近くで見ることのできる一番いい場所にある。ふかふかの椅子、大理石の小さなテーブルがあるその空間は、僕とニカの後ろに護衛が控えても、まだ余裕があった。
今回招待したのはニカだけだし公務じゃないから、純粋に楽しんでくれると嬉しいな。
ニカは劇場に来るのは初めてらしく、珍しそうに辺りをキョロキョロ見回している。大抵は十六歳で成人した後に来るものなので、当たり前といえば当たり前か。
ニカなら、退屈して劇の途中で欠伸をすることはなさそうだ。眠っても構わないが、たぶんそんな心配はないだろう。
「すごく綺麗ね。別世界みたい」
「劇を見るのは初めて?」
「ええ。以前は学校で……いえ、これほど立派なのは初めてよ」
「そう、それなら楽しむといいよ」
「エル、ありがとう」
こんなに喜んでくれるなら、もっと早く連れてくれば良かったな。始まる前からわくわくしているようだけど、身を乗り出すと危ないよ?
演目は『天使と娘の物語』。
三幕構成で、我が国では何度も繰り返し上演されている人気作だ。
――人間の娘を魔物の手から救い出した天使は、娘と激しい恋に落ちる。やがて地上に残ることを選択した天使は、素性を隠し人里離れた場所を探して彷徨う。探し当てたこの地で幸せに暮らすはずが、ふとしたことで娘は命を落とし、天に召された。
地上に降りることを選んだ天使は、天には帰れない。彼はこの地で娘を想い、悲嘆にくれる。涙が川となり、ため息が風となり、悲しみの叫びが大地を揺るがし山が出来た。
そんなある日、天に召されたはずの娘が夢に現れる。
『貴方の子供達が安心して暮らせる国を作って。平和な世に、私は必ず還るから』
そう言って、彼の息子だという赤子を残して去って行く。翌朝、目覚めた彼の傍らには、天使の特徴を持つ男の赤ん坊がいた。
娘を想う天使は、赤子を大事に育てつつ始まりの王となることを決意する――。
建国の物語を元にしていると言われているが、当時を誰も知らないため何とも言えない。
王家の歴史書を紐解いても、初代の王は背中に翼があり、全属性の魔法を扱えるということしか書かれていなかった。
人々が天使を敬うあまり大幅に脚色したのかもしれない。でも、それに対して我々王家が口を挟んだことはなかった。娯楽として楽しめるので、僕自身は良いことだと思っている。
今日は観劇が目的なので、大げさにするつもりはなかった。ところが、劇場主が王族専用席にいる僕とニカを見て、舞台上で挨拶をする。
楽団は足を踏み鳴らすし、会場からは拍手の音。さらには本日の主役である天使役の男性と歌姫まで出てきた。
「お迎え出来て光栄です」
「楽しんでくださいませ」
仕方がないので立ち上がり、ニカと一緒に手を振った。
まったく、公務でもないのに注目されるとは。
幸いニカは気にしておらず、劇を楽しみにしているようだ。
紹介されたくないのなら、席にあるカーテンを引いておくだけで良い。そのことを思い出し、しまったと感じたのは、幕が上がった直後のことだった。
何度か目にした演目なので、はっきり言って舞台よりニカを見ている方がいい。彼女は退屈するどころか祈るように手を組み、真剣に舞台を眺めている。
第一幕の天使と悪魔の戦う場面。
ニカが興奮して椅子から立ち上がる。
「頑張って! 負けちゃダメ」
娘役の歌姫の声に酔いしれて、天使との愛が実った時には、感動のあまり涙を流していた。
本当にニカの表情は、見ていて飽きない。
天使役の男性の歌声にうっとりするのだけは、いただけないけれど……。
ニカは第一幕が終わるなり、僕に感想を述べた。
「ああ、エル。連れて来てくれてありがとう。こんなに近くで素晴らしい歌声を聞くことができるなんて!」
「喜んでくれて嬉しいよ」
「やっぱり愛は最高よね。大人の男性って素敵だわ」
「……え?」
「特に天使役のあの人! 背が高くて声にも張りが合って、耳元で聞いたらきっと悶絶してしまうわね」
「悶絶?」
「あ、いえ、こっちの話。二幕目も楽しみだわ!」
二幕、三幕と歌劇を心から満喫するニカと、どんどん機嫌が悪くなる僕。
僕は彼女から、あんな風に憧れの目を向けられたことはない。恋愛物が好きなニカが、ここまで年上好きとは思わなかった。
終幕後、ニカはいつになく饒舌だった。
「愛する人を亡くした時の悲壮に満ちた歌声には、胸を締め付けられたわ! 夢で逢う場面の、娘を想う愛の歌といったら……」
「楽しんでくれて良かった」
「ええ、そりゃあもう! 大人の魅力と迫力に感動しまくりよ」
思わずムッとしてしまう。
「そう。ニカはそんなに大人の男性がいいんだ」
「そりゃあね? 優しさや賢さ、包容力が全く違うもの。渋くて落ち着きのある人って素敵だわ」
「僕ももうすぐ大人になるけど?」
「あら、エルはエルじゃない」
「男としては見ていないってこと?」
「急に何? そういうのは、ソフィアに言ってあげてよね」
気分は複雑だ。
年齢の割に大人びていると評される、僕の魅力がニカにはさっぱり通じない。魔法も制御できるし背も伸びた。だけどニカの中での僕は、幼い頃に出会ったエルのまま。
王子として男として、これではいけない。
ニカを伴い楽屋を訪ねることもできるけど、どうしよう?
劇場主を始め、役者達はもちろん歓迎してくれるだろう。でもこれ以上、天使役の男性にうっとりするニカを見たくない。
まっすぐ帰る僕は心が狭いかな?
「本当に素晴らしかったわ。こんな視察が毎回続くといいのに」
馬車の中で呟くニカに、僕は思わず苦笑する。
――今回は違うんだけどな。
君と二人で出掛けたかった。
君に楽しんでもらおうと、いろいろ考えたのだ。
でもまあ、そう思ってくれた方が良いのだろう。王子の婚約者の仕事と捉えていた方が、彼女が劇場に入り浸らなくて済みそうだ。
それより、ニカにどうやって男として意識させよう?
天宮に着くまでずっと、僕はこの問題に頭を悩ませていた。




