第六章 聖都アル・メイダ・オルカダール(1)
アルネラバの誇る自走船が、まるで翼でもあるかのように凪いだ海面の上を滑るように渡っていく。
青い海面に描かれる白い軌跡は、一瞬だけ光を帯びて水に消えた。
この光は魔力によるもので、『アルネラバの船は光の道を行く』と吟遊詩人が歌うのはその光景からきている。
「自走船ってのはすごいんですね。ほとんどゆれません……こうやって潮風を浴びてるんじゃなきゃ、海の上だなんて信じられませんよ」
一行が乗ったのは比較的小型の『真紅の竜姫』号という名の船だった。
船は小型なほど揺れるはずなのだが、ルドクの言葉どおりほとんど揺れなど感じなかった。
彼ら以外にも十数人の乗客がいて、中には優雅にもティパーティを開いているグループなどもある。
「じそうせんは、ほんのすこしだがまりょくでういている。そのせいでみずのていこうがすくないからゆれにくいのだ」
「浮いているんですか?」
アルフィナとイリが驚きに目を軽く見開く。
「そうだ。みなとにはいったら、うごいているほかのふねをみてみるといい。よくわかる」
「はい」
(はい)
二人は良く似た表情でうなづく。
まったく異なる環境に在りながらも、どこか箱入りなところがこの二人はよく似ていた。
船に乗るのは初めて、かつ、それが自走船であることも手伝って興味深々らしい。
今も、きょろきょろとよく似た仕草で周囲を見回していて、シェスティリエにはとても微笑ましい。
「ふたりでなら、みてまわってきてよいぞ」
苦笑気味に告げる。
イリとアルフィナは互いに顔を見合わせ、そしてうなづきあった。
「じゃあ、二人でみてきます」
(探検してきます)
アルフィナは元々好奇心が強い性質で物怖じをしない一面がある。
それにつられてか、自分の希望というものをあまり外に出すことのないイリまで一緒になっていろいろと積極的だ。
また、アルフィナはイリを気遣うことによって、いろいろと考えて行動するようになっているようだった。
二人で一緒に過ごすことは、どちらにとっても良い影響を与えているようで、シェスティリエは見ていて嬉しく思う。
「じゃあ、僕も保護者として、行って来ますね」
ルドクがちょっと照れたように笑って告げる。
「ん」
「おう」
二人の保護者と口にはするものの、ルドクとて自走船には興味深々なのだろう。
追ってゆく足取りがとても軽やかで、シェスティリエは更に笑みを重ねた。
イシュラはそれを見ているだけで満足した満ち足りた気持ちになった。
「あー、姫さん、まだ眠いんじゃねーの?」
「ん。まだ、すこしねむいな」
「寝るか?」
「……いや、おきていよう。なにかあるとこまる」
シェスティリエは、眠たげな表情で小さくあくびをかみころした。
「何かって、まだ?」
「いや、あれだけてっていてきにやったんだ。それはないだろう」
「まあ、そうだろうな」
「だいじょうぶだ。じょうきゃくのなかに、へんなにんげんはまじっていない」
周囲の人々は、彼らと同じく巡礼の人間がほとんどだ。船を下りればそこがほぼ目的地のようなものであるせいか、皆の表情は一様に明るい。
「姫さんの魔法は、そんなことまでわかるんで?」
「そういうのではない。ちかくにさついをはなつにんげんがいたら、おまえだってわかるだろう?それとおなじだ」
「あー、そういうことなら、俺にもわかりますね」
「つよいいしや、かんじょうというのは、わかりやすいものだ」
そもそも私達はそういうモノに敏感なのだ、とシェスティリエは言う。
「そういうもんなんですか」
(『私達』ね……)
シェスティリエが自分と同一ないし、それに等しいと思っている相手にイシュラは興味があったが、あえて問うことはなかった。
自身が嫉妬のようなものを抱いていることに気づいていたせいもあったし、自身の過去……前世を語ることについて、シェスティリエはとても慎重だったからだ。
「めったなことはないだろうが、イリとアルフィナがしんぱいだからな」
「ルドクがついてってますよ」
「わかってはいるのだがな」
彼らの姿の消えた先に視線を向ける。
「甘いっすね」
「あれらはまだこどもだし、まだまだせけんしらずだから」
「……………」
「なんだ?」
「いえ」
(見た目、一番ガキんちょな姫さんの口から聞くとすっげー笑えるんだけどな)
だが、多少は学習能力がつきつつあるイシュラは、口に出さないように、そして決して笑わないように、小さな咳払いをしてごまかした。
船内をぐるりと一周しても、それほど大きくないこの『真紅の竜姫号』を見て回るのには10分もあれば用が足りる。
イシュラが用意したチケットは二等船室のものだったので、二等船室とそれに付随する食堂や洗面室などの施設を見て周り、機関室や操舵室を遠目で眺め、甲板に出ることにした。
「……この下は何があるんですか?」
途中立ち止まったアルフィナが、細く急な階段を見下ろす。
「ああ……貨物室と三等船室があります」
「船底に?」
「ええ。三等船室の乗客は、船が目的地につくまでの間、部屋から外に出ることができないんですよ」
「息苦しくないですか?」
「すごく狭いですし、息苦しいですよ。……冗談ですが、このまま棺桶になるんじゃないかって言ったりする人もいましたね」
ルドクにはそれほど多くはないが、旅の経験がある。
主人や差配の人と商用の旅をしたこともあれば、幼い頃に父親の商用の旅に同行したこともあった。
自走船に乗ることこそはじめてだったが、船自体には何度か乗ったことがあるのだ。
「ルドクさんは、船に乗ったことがあるんですね」
「ええ。……だから、僕らにまで二等のチケットを買ってくれるとは思いませんでした」
「どういうことですか?」
「従者にまで二等のチケットを買う主は、あんまりいませんよ。わかりませんか?」
ルドクは、甲板をぐるりと見回す。
巡礼船であるからそれほど華美ではないものの、甲板にいる人々は皆服装が整っている。あからさまではないが、明らかに富裕層に属する人々ばかりだ。
(お金持ちばっかだね)
「ええ」
自身が貴族の娘であるアルフィナはまったくわからないかもしれないが、イリやルドクにはわかる。
彼らはさっと値踏みするようにイリとルドクを見て、アルフィナを見ると得心したように視線をはずす。おそらくは、イリやルドクをアルフィナの従者だと思い、それではじめて彼らがここにいることを納得しているのだ。
「アルフィナさんは、ついこの間まで伯爵家のお姫様でしたからわからないと思いますが、船の二等船室というのは、かなり船賃が高いんですよ。巡礼船ならば尚更です」
「なぜですか?」
「三等の運賃というのは、どんな船も安いです。それは、法律上、貨物と同じ扱いだからなんです。だから、限られたスペースにぎっちり積み込まれる。……それに比べて、二等は、部屋の広さに対する定員が決まっています。かなりゆったりと空間がとられているんです」
「天井は少し低かったですけど、普通の家の部屋にいるみたいでした」
「ええ。だから、船賃は三等とは比べ物になりません。……例えば、この船の二等の一人分の船代は、僕が都の穀物問屋で働いていたときの1カ月分の賃金とほとんど変わらないんです」
「はい」
うなづいたものの、アルフィナにはピンとこなかった。
ルドクの賃金がどのくらいのものかというのがわからない上に、そもそも、貨幣の価値というものがアルフィナにはよくわからない。
「イシュラさんは、シェス様の体調を案じて二等船室のチケットを手配しました。僕は、てっきり二等に乗るのはイシュラさんとシェス様だけだと思ってました」
見回す周囲に、従者や召使らしい人々の姿は無い。
だが、イシュラは当たり前のように彼らのチケットに金を払った。
そして、シェスティリエはそのことに疑問すら持っている様子がなかった。
アルフィナと違い、シェスティリエはそういったことを知らないわけではないだろう。だからそれはいろいろなことを充分飲み込んだ上での待遇だったわけだ。
すいません、といったルドクに、イシュラはいつもの人を食ったような笑みを浮かべて言ったのだ。
『遠慮なんてすんな。おまえも姫さんの従者だろ』と。
それがどんなに嬉しい言葉だったかなんて、イシュラはきっと知らない。ルドクだって言うつもりもない。




