第五章 襲撃(3)
「……イシュラさ~ん?交代しますよ~?」
背後でどこか間の抜けた声がした。
眠たげに目をこすりながら、ルドクが起きてくる。
「あれ?……なんでシェスさまが起きてるんですか?」
ルドクはそこにシェスティリエがいることに気づき、疑問を覚えた。
少なくとも、彼が眠るまでは、馬車の奥のほうでイリとアルフィナに挟まれて眠っていたはずだった。
シェスティリエはそれには答えずに深々と溜息をつく。
「まのわるいにんげんというのはいるものだな」
「そうですねぇ」
気の合う主従は顔を見合わせ、シェスティリエは溜息をつき、イシュラは苦笑する。
「……えっと……」
ルドクは頬を引き攣らせる。どうやら、自分は何かやらかしてしまったらしい。
「いや、別に何もしてねーから。まあ、起きてきたことが間違いなんだけどな」
「イシュラさん?」
「……イシュラ、くるぞ」
バラバラと目の前に走り出たのは、黒装束の男たちだった。
「えっ、え?」
面布で顔を覆っている人間の集団が怪しくないわけがない。
そして、それが何者であるかは知らなかったが、手にある刃をみれば襲撃者であることは寝起きのルドクにとっても一目瞭然だった。
「ルドク、わたしのうしろにいるがよい」
私の後ろは安全圏だ、とシェスティリエは静かに言った。
「はい。シェスさま」
「ねていればよかったのに」
「……すいません」
ルドクは、言われるままにシェスティリエの後ろに隠れた。
傍目から見れば、どう見ても十歳にもならない幼い女児の背に隠れるという言語道断の弱虫の所業だ。
ルドクは確かに弱虫だが、実際のところシェスティリエは圧倒的な強者に分類するのが正しいので、その背に隠れることにルドクはまったく違和感を覚えなかった。
それよりももっと気になることがあったのだ。
(…………なんで、誰も起きてこないんだろう)
事ここにいたっても、イリとアルフィナは眠っている。
二人だけではない。
この異様な状態にあって、周囲は誰一人として騒ぎたてない────それどころか気づいてすらいないようだった。
「……ねむりぐさをつかったようだな」
まるでその心の中を読んだかのように、シェスティリエがルドクの疑問に答えてくれる。
「え、え……あの、僕、声に出してました?」
「おまえはわかりやすい。かおをみれば、だいたいわかる」
ルドクは溜息をついた。
それなりに鍛えられたと思ってたのだが、内心が顔に出ているようではまだまだだ。自分が一人前になるには、更に多くのものが必要らしい。
「……ねむりぐさってなんですか?」
「ねむりをさそうせいぶんのあるくさだ。おおかた、どこかのたきびにでも、つっこんだんだろう」
あれは、その成分を嗅いだだけでも効き目があるからな、とシェスティリエは言う。
「じゃあ、僕はなぜ……」
「あまりそのせいぶんをすわなかったか、あるいは、わたしのようにききにくいか……」
「……効きにくい?」
「たいしつもあるし、まりょくのつよいにんげんは、そういうものにえいきょうされにくい」
「便利ですね」
「そうでもないぞ。……ちりょうのためのくすりもききにくいからな」
「え?」
口元にうっすら浮かんだ笑みにルドクはそれ以上の言葉を失った。
それはとんでもないことのように思えたし、何と言っていいかわからなかった。
だが、シェスティリエはルドクの様子をそれほど気に留めることなく、口の中で幾つかの単語を唱える。
その白く小さな手の上に見慣れない光がともった。
(赤い光は何度も見たけれど……)
赤は風呂をつくるときによく使っていた火の玉を作り出す術だ。
だとするならば、今その手に灯る青白い光は何を作り出そうとしているのだろう? と単純に疑問を覚える。
シェスティリエは、その光灯す手をすぅっと空へと伸ばした。
すると、夜空に金色の光が走った。
「……光?」
「いかづちだ」
ぐうっとか、ぎゃっとかというくぐもった悲鳴がそこここであがる。
刃を手に距離を縮めてきていた襲撃者が、前触れもなく突然地面に崩れた。
シェスティリエは、それを何の感情も含まぬ眼差しで見下ろしている。
「……12、3にんというところか……イシュラ」
応えはない。
既にその姿は、残る襲撃者たちの集団の中に在った。
イシュラさえ討てば、シェスティリエやルドクはどうとでもなると思ったのだろう。
仲間が突然地に倒れ伏した動揺を押し殺し、襲撃者たちは唯一人剣を持つイシュラを押し包むように取り囲んでいる。
「シェスさま、イシュラさんが……」
「だいじょうぶだ。あんずるほどのてきではない」
「はい」
その確かな言葉に、ルドクはうなづいた。
革鎧すらつけぬその身にまとうのは、青白い光。
イシュラは周囲を見回し、そしてふっと笑った。
襲撃者たちが、息を呑む。
それは強者の余裕のようであり、彼らを嘲るもののように思えた。
「名乗れとまでは言わねえが、顔も晒せない臆病者どもが相手ってのもつまんねえもんだな」
「なっ」
「その上、あの世間知らずのお嬢ちゃん一人にこの人数とは」
「貴様っ、われらを愚弄するか」
「愚弄も何も、事実だろ」
イシュラの表情が、冷ややかな色を帯びる。
それはほんのわずかな変貌のように見えた。
「たかが亭主の隠し子一人、無視してりゃあいいんだよ。なのに、余計な手を出すからこういうことになる」
その声が、いつもより低く響いたのを彼らは知らなかった。
一瞬の後、イシュラの姿は襲撃者達の間に在った。
囲まれていたはずのイシュラは、男達の間を縫うように走り、剣を抜き放つ。
それが目には見えぬ力を生んだ。
剣を抜く────ただそれだけの動作で、三人が吹き飛んでゆく。
「……出鱈目だろ、これ」
イシュラは思わずつぶやいた。
だが、それがシェスティリエの言っていた『絶対守護』とやらの影響によるものなのだと、イシュラは疑っていなかった。
彼に魔法や魔術を使う技術はまったくない。
だとすれば、これは先ほどシェスティリエが彼に与えたものに他ならない。
(なあ姫さん、守護じゃなくて攻撃の間違いじゃねえの?)
まあ多少の違いあれど、主が彼の為にしてくれたことにケチをつける気はまったくない。
それでイシュラが困ることなど何一つないのだ。
ゆえに、イシュラの結論はあっさりとしていた。
「ま、こまけえことは、どうでもいいや」
抜き放った剣を右手で持ち直す。
「行くぜ」
死神と呼ばれた男が、不敵に嘲った。




