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第四章 旅の空の下(3)

 ぱちぱちと木のはぜる音がする。

 イリは拾ってきた木の枝を小さな鉈で整え、束にして丈夫な麻糸でくくり、馬車の片隅に積んでおく。

 古いものから使うので毎日拾わなくてもいいが、野営する場所によっては拾えない場所もあるから予備は必要だ。

 多く拾いすぎてもまったく困らない。

 余剰分は、農家などで野菜などと交換してもらえたりもするし、シェスティリエの好きな果物と交換できれば、イリはもっと嬉しかった。

 聖堂にいるときと違って干しておく事ができないので、最初から枯れた枝を選ばなければいけないが、落ちている枝はだいたいが枯れているから、それほど問題はなかった。

 鉈を道具箱に片付け、地面に落ちている払った小枝を、燃えている火の中に投じると、ぼおっと火の勢いが強くなる。


(あたたかな、火……)


 焚き火の炎は、とても優しい炎だとイリは思う。以前、聖堂の納屋が焼けたときにはものすごく恐ろしく感じられたのに、こうして眺める炎には安らぎを感じる。

 石を積んでつくった簡単なかまどには、いい匂いをさせながらグツグツと煮立っている鍋がかかっていて、匂いを嗅ぐだけでワクワクした。


「きょうは、やまどりのスープだ」


 のぞきこむイリに、シェスティリエが教えてくれる。

 嬉しくなって笑った。


「これでときどき、かきまぜておいてくれ。そこがこげつかないように」


 大きな木ベらを渡されて、こくこくとうなづく。自分がシェスティリエの役に立てることが、イリにはうれしくてならない。


(…………ひかり)


 イリにとって、シェスティリエは光だ。

 夜になるといっそうくっきりと見える銀色の光。シェスティリエは、昼間の太陽の下でも常に光に包まれて見える。

 この数日は尚更強く、今はもうまぶしく感じられるほど。


(生きている、月……)


 シェスティリエは、まるで月そのものだ。まっすぐと流れる銀の髪、夕闇を映した紫の瞳……そして、その冴え凍る美貌。それはまるで、吟遊詩人が歌う天空の歌姫そのもののようだとイリは思う。


(目の色が、ちがうけど……)


「シェスさま、何かできることありますか?」


 アルフィナが水を汲んだバケツをもってやってくる。イリにとって、この自分より少しだけ背の高い少女は、謎の存在だ。

 シェスティリエを取られそうな気がして嫌なのだが、これまでの聖堂にいた他の子供のように叩いたり、つねったりというようなことはしないから嫌いだというわけではない。

 だからといって、「どうでもいい」と思って無視するには、あまりにもいつも近くに居すぎる。


 結果として、イリはアルフィナにどう接していいのかがまったくわからない。

 ルドクやイシュラのような大人ならばまだいい。用がなければ別に声をかけてくることもないし、放っておいてくれる。でも、アルフィナはイリに話しかけてくるし、問われても、声を発する事ができないイリは困ってしまう。


「じゃあ、イシュラとルドクにこえをかけてきてくれ」

「はい」


 今日の野営地は、小さな小川が流れている森の入り口だ。

 目印になるような大きな楠の木の下に馬をつないで馬車の車体を寄せている。これだけ大きな木だと外に寝ても雨にぬれる事はほとんどない。


「お、うまそうなにおい」

「さっきおまえがとったやまどりだ。いいだしがでてる」

「へえ」

「シェスさま、残念ながら、釣果はゼロです」

「きたいはしていない。このじき、よるにかわづりはむずかしいからな」


 もう少し日が経てば、場所によっては鮭が遡上する川もあるだろうけどな、とシェスティリエはつぶやく。


「鮭!いいですねぇ、やっぱ、粕汁でしょう」

「粕汁って何ですか?ルドクさん」

「アルフィナさんは粕汁を知らないんですか?もったいない!水酒と言われる、米で作られた酒を造ったあとに出る粕をつかった汁物です」


 身体があったまるんですよ~と、ルドクは言葉を続ける。


「北のほうの名物なんです。僕の故郷の町から更に北に水酒を特産にしている村があったので、時々食べる事がありましてね……寒くなると食べたくなるんですよね」

「へえ……地方によっていろいろと食べ方は違うんですね。私の家ではムニエルとか……香草焼きばっかりでした。あ、でも、叔父様は燻製にしたものをお酒のおつまみにしていたようです」

「ローラッドでは焼く事が多いな。燻製もある、ある。……姫さん、食った事ある?」

「わたしはくんせいはあまりこのまない。シンプルにしおやきがいちばんだ」

(ぼくもやいたのが、すき)

「ほう。……イリもやいたのがすきか」


 イリはこくりとうなづく。

 シャスティリエは、不思議なくらいイリの言いたい事をわかってくれる。まるで、イリの心の声が聞こえているんじゃないかと思う。


(とくに骨)


 時々、臨時でまかないに来る近所のおばちゃんが、切り身にした後のサケの骨をこんがり焼いて、おやつがわりにくれた。しょうゆを塗って、ゴマをふってくれたものは本当においしかった。だから、イリは身よりも骨の方が好きかもしれない。


「ほねをたべるとほねがじょうぶになるぞ。……まあ、サケはまたこんどだ。きょうはやまどりだぞ。ちょっとひみつへいきをつかったからかわまでとろとろだ」

「秘密兵器って、鍋の底の魔力板ですか?」


 白濁したスープの底のほうににぶく光る板が沈んでいる。


「そうだ。まりょくいたには、じゅつをふうじることができるのだから、アイデアしだいでこういうこともできるのだ」


 術を封じるなんて、昔は質のよい宝石などでないと難しかったのにな、と苦笑する。


「なあ。姫さん。……鳥のスープ煮込むために、魔力を使うってどうなんだ?」

「いいじゃないか、へいわりようで。けがれたこころのへんたいをぶっとばすよりも、よっぽどたのしいし、ゆうこうりようだぞ」

「………そうだな」


 お互い何を連想したかには触れない。それが、日々を平穏無事に過ごすコツだ。

 焼きたてのバムをもらって、イリは自分の皿にのせる。熱いバムをふーふーと冷ましさましながら食べるのは、聖堂を出てからイリが初めて知った楽しみだった。

 今日のバムには干したブドウが入っていて、ちぎって口に入れるとふんわりと甘い。噛むと、そのあまずっぱさが口の中いっぱいに広がって、イリは幸せな気分になった。


(また明日ね、は世界で一番うれしいことば……)


 シェスティリエがそう言って帰ったあの日、イリは、シェスティリエの侍者になったのだとラナ司祭から告げられた。

 難しいことはよくわからなかったが、司祭は、これからは、シェスティリエの言う事だけを聞いて、シェスティリエの為に毎日働くのだと教えてくれた。


 ―――――― あの瞬間の喜びを、イリは一生忘れないだろう。


(それは、とてもとても幸せなこと)


 ティシリア皇国に行くのだと言われ、半月以上も旅をしなければいけないと言われたけれど、全然平気だった。

 シェスティリエがいるのなら、どこに言ってもイリには天国だ。


(だって、神さまのいるはずの聖堂よりも、ここのほうが、ずっとずっと温かい)


 隣にはシェスティリエがいて、イシュラやルドクやアルフィナがいる。

 イリは、基本的にはシェスティリエさえいればいいのだが、食事の時は、皆が一緒なのがいい。

 皆で暖かな火を囲み、いろいろとおしゃべりをしながら、こんな風に温かいスープを飲む……それは、まるで夢みたいだと思う。

 イリは声がでないが、シェスティリエがいればイリもみんなのおしゃべりの輪にいれてもらえる。そのことがとても楽しい。


「イリ、熱いですから気をつけてくださいね」


 こくっとイリはうなづく。

 アルフィナは、いつもイリに一番最初によそってくれる。


「本当に皮までとろっとろですね」

「姫さん、料理の天才!」

「ざいりょうがよいのだ。あとは、てまをおしまぬことだな」


 白濁したスープは薄い塩味だ。口に運ぶ瞬間、生姜の香りが鼻をくすぐるのが食欲をそそる。


「すっごく、おいしいです。私、こんなおいしいスープ、初めて!」


 イリもそう思ったので、こくこくとうなづいた。


「ですよね。不思議ですね。家のほうが豪華な材料使ってたはずなんですけど」


 こっちのがずっとずっとおいしい、とアルフィナはつぶやく。


「『おいしい』とかんじるのが、みかくだけでかんじるものではないからだろう」


 一緒に食べる人間、その場所の雰囲気なども大事な要素だからな、とシェスティリエはいう。


「ほい、姫さん」


 たっぷり食べてくれよ、と、いつのまにかアルフィナからおたまをとりあげたイシュラが、シェスティリエの木椀にたっぷりとスープをよそう。

 具は山鳥の肉だけではない。ジャガイモやニンジンたまねぎもたっぷり入っていてボリューム満点だ。


「そんなにたべられるか!わたしのいは、おまえほどおおきくない!」

「食わないと大きくなれねえぞ、姫さん」


 人の悪そうなにやにや笑いにシェスティリエは顔をしかめる。王都を出てからひげを剃らないから、ちょっと見たところ、イシュラは山賊に間違えられそうなほど人相が悪くなっている。


「わかってる。だが、たべられるりょうにはげんかいがあるんだ!」

「ダイエットにはまだ早いだろ?」

「ダイエットなどするか!」

「イリやアルフィナを見ろよ。ちゃんと食ってるじゃねえか」

「わたしのからだのおおきさをかんがえろ、ばかもの!」


 だんだんと足を踏み鳴らす様子は、とても可愛い。


(ふつうのちっちゃい子みたいだ)


 でも、全然違う事をイリははちゃんと知っている。

 シェスティリエ普通の子じゃないし、ただの小さな子供でもない。


(イシュラは、シェスさまにかまってほしいだけ)


 ニヤニヤ笑っているイシュラは、絶対にわかってやっている。確信犯なのだ。

 イシュラは、イリの視線に気づいて、黙ってろ、というように口の端を持ち上げる。イリも余計なことを言うつもりはない。シェスティリエにかまって欲しいのはイリも一緒で、そこには大人も子供もないと思うからだ。


「ええい、はんぶんはおまえがたべればいいんだ」


 私の分もおまえが大きくなればいい!などと無茶を言いながら、イシュラのお椀に肉の塊をよける。

 そんな様子を、ルドクは笑いながら見ていて、アルフィナはちょっと目を丸くしている。アルフィナには主従でありながらここまで気安いのが珍しいのだろう。


「はいはい、食べますけどね。……姫さん、ここんとこ、まともに肉食ってないでしょう」

「ひつようりょうはたべている。べつにすききらいじゃないぞ」

「まあ、オレとしては姫さんがいつまでもちっこいまんまのが、抱き上げやすくていいんですけどね」

「わたしだって、15になったら、アルフィナくらいにはなるよていだ」

「肉食べないと育たないですよ。……予定は未定っていうでしょう」


 そう言うイシュラの視線が向かったのは、アルフィナの胸元だ。といっても、特別に巨乳というわけではない。アルフィナは肉感的な体形というわけではないし、まだ15歳で、育つのはこれからだ。


「あ、あの、わたし、別に胸が大きいってわけじゃあ……」

「あ、それはわかってる。単に姫さんが平均以下になりそうだなーってだけで」


 はははは、とイシュラが笑い、ルドクは苦笑気味に気にしない、気にしないというように顔の前で手を振る。


「お二人とも、身体的なことをあげつらうなんて失礼です。まだまだ、先の話ですのに!」


 深窓の令嬢として育ってきたアルフィナは、話題が話題であるために、頬をほんのりあかく染めて抗議する。

 シェスティリエはうつむいて押し黙ったままだ。


「いや、それにしてもだ。姫さんは、肉も魚もあんまり食べないから、そこまで栄養行き届かないと思うんだよね」

「シェスさまの場合、頭使ってるから、そっちで栄養を全部消費しそうですよね」

「違いない」


 そのとおりだというようにイシュラは大きくうなづく。


「……おまえたち」


 ややトーンの低い声が夜の静寂を震わせる。

 握りしめた拳ふるふると震えた。


「……いいか、おぼえておけ。じゅうねんご、わたしのきょういがへいきんをこえていたら、どげざしてしゃざいさせるからな」


 冷ややかな声音だったが、言っている内容が内容なのでまったくいつもの凄みがなかった。


「はい、はい、それを楽しみにしてますから、もう一つ肉食ってくださいね、姫さん」


 結局、肉の塊はシェスティリエの器に戻り、不機嫌そうなその口に入る事になった。


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