31:訪れを待つ日々
以前の音沙汰のなさを思えば、ルシアがディオンの傍で過ごす時間は増えた。それでも彼は最果てを放置することができないらしく、毎日訪れるというわけにはいかないようだった。
ずっと傍にいたいという我がままを抑え込んで、ルシアはディオンの訪れを待つ日々を送っている。
魔王の丘からは決して出られない。理解はしているが、待つだけの日々を繰り返しているうちに、だんだん釈然としなくなっていた。
もうディオンを信じて疑っていない。アルヴィとクルドにも心を許している。何も思い出せない非力さを認めても、全く何の助けにもなれないことがもどかしい。
「ねぇ、クルド。私にも何かできることはないのかしら?」
クルドはルシアの居室で床に敷布を広げ、器用に籠を編んでいる。ルシアは長椅子からクルドの隣へと移動して敷布に腰をおろした。
「ルシア様からそれを聞くのは、もう何度目でしょうか」
「だって、最果ては大変そうですし。クルドも暇を見つけては籠を編んだりしているでしょう?」
「ルシア様に内職をさせるなんて出来ません!」
「私はきっと器用です。何かしている方が時が経つのも早くなりますし……」
「ディオン様を待つ時間を長く感じておいでですか?」
「そ、そういうわけではなくて。とにかく、教えてくれたら何だって出来ます!」
たしかにクルドのいう事も図星だった。以前は何気なく日々を過ごしていたが、最近はディオンが傍にいない日は、とても一日を長く感じる。
「そう仰られても。……それに私はそれほど上手ではありません。これを見ていただければわかりますよね?」
クルドが編みかけの籠を掲げて見せてくれる。細く大きな葉を細く編み、ねじり上げたものをさらに幾本も編みあわせて器の形になりつつあるが、編み目は不揃いに見えた。
「私にはお教えできるほどの腕がまだないのです」
再び籠を手元に戻しクルドがため息をつく。ルシアは傍らに束のようにして置かれている細い葉を手に取って、見様見真似で手先を動かしてみる。クルドも強く止めることがないので、くるくると葉を捩って細い三つ編みを作った。
「器用ですね、ルシア様」
「そうでしょう?」
クルドに笑顔を向けながらも、ルシアは手先が覚えている感覚に意識が向く。こんな風に何かを編むことがあったのだろうか。
「えー!? クルドってば、ルシア様に内職をさせているの?」
葉を捩ったり編んだりしていると、背後で闊達な声がした。ルシアが振り返る前にアルヴィが隣に駆け寄ってきて二人の間に座る。
「うわ! クルドの籠ひどいよ! 編み目がぐちゃぐちゃ!」
顔をしかめるアルヴィがクルドから籠を取り上げて続きを編み始める。彼の器用さは一目瞭然だった。あまりの手さばきにルシアが言葉を失っていると、背後に近づいた気配がふっと視界に影を作る。
まさかと思ったルシアの気持ちを置き去りに、アルヴィがすぐに声をかけた。
「ディオン様見てください。クルドのこの籠。ひどい編み目!」
「慣れていないのだから仕方がない。それにしてもルシアまで内職か」
ルシアに寄り添うように膝をついて、ディオンが姿を見せた。
「そんな予想はしていたがーー」
ディオンがルシアの手元を見て可笑しそうに笑う。
「なんでもやってみるところが、おまえらしい」
「デ、ディオン様……」
アルヴィの登場で予感はしていたが、突然の再会である。ルシアはささっと居住まいを正したが後の祭りだった。クルドも意外だったのか目を丸くしている。
「ディオン様。今日おいでになるとは聞いておりませんでしたが」
驚くクルドの声を聞きながら、ルシアは自分でも滑稽なほど心が弾むのがわかる。胸が躍るようなときめきを隠さず、満面の笑みで彼を迎えた。
「ディオン様もアルヴィも、私はいつでも歓迎いたします」
彼は頷いてからクルドを見る。
「驚かせたなら悪かったが、いまさらルシアに心構えをさせる必要もないだろう。そう思ってムギンを飛ばすのをやめた」
「そうだったのですか。言われてみればそうですね。ルシア様は毎日ディオン様のことを待ちくたびれておりますし」
「そ、そんなことはありません!」
慌てて声をあげるが、頬には熱がこもってしまう。あからさまに笑ってはいけないと思ったのか、アルヴィが口元に手をあてて肩を震わせていたが、すぐに明るい声が姉のクルドに同調する。
「ルシア様はもっと我がままを言えば良いと思います。ずっと魔王の丘から出られないのですから、退屈ですよね」
「でも、最果てに迷惑をかけるわけには」
「大丈夫です! 残った者で知恵を出し合って、少しずつ色んなことが安定してきています」
「そうなのですか」
失われた人界が少しずつ再興しているのは知らされているが、アルヴィの明るい笑顔に一番説得力があるような気がした。
だからと言って、ディオンの来訪を催促したり、魔王の丘に引き留めたりはできない。彼に進む道があるのなら、それを邪魔するような行いは許されない。
魔王の正体を知った今でも、ルシアにはディオンに対して畏敬の念がある。どれほど打ち解け、傍によっても消えない。刻み込まれた掟のように胸に染み込んでいるのだ。
天界を成す背くことのできない序列。ディオンは過去について何も語らない。ルシアの記憶からも失われているが、彼の立場の尊さが当時の敬愛と共に、心の深いところに刻まれている。
不思議には思うが煩わしく思うことも、厭う気持ちもない。ディオンに焦がれる気持ちに、自然に寄り添っている心の働きだった。
「私もいつか最果てを見てみたいです」
アルヴィの笑顔に答えると、傍らのディオンが何でもない事のように告げる。
「心配しなくても少しずつその日は近づいている。私もずっとおまえをここに幽閉する気はない。今は力が満ちるのを待っているようなものだ。ルシアには最果ての希望になる役割がある」
「私が希望に?」
「そうだ」
ディオンが立ち上がったので、ルシアも立ち上がる。
「どちらへ?」
「せっかくだから、すこし外を歩こうか」
ディオンが自然に手を差し出す。黒い爪を伸ばす魔性の手を見ても、ルシアにはもう何の戸惑いも生まれてこない。邪悪が彼の心を乱さなければ、この爪が自分を傷つけることはない。ルシアはそっと白い手を重ねた。彼の掌の熱に触れると、それだけできゅっと胸が切なく痛む。
クルドとアルヴィに庭へ出ることを伝えて、ルシアはディオンに導かれるままに居室を出た。




