第八話 過剰集中(オーバーコンストレイション)
光一がトイレから出ようと出口のドアに手をかけると、その向こうに数人の足音と気配を感じた。組織だった足音は、一般人とはかけ離れた冷徹さを感じさせる。外居るのは十中八九襲撃者と化したSPらだろう。そう確信した光一は、思い切りドアを蹴って開ける。
「グッ……!?」
襲撃者の一人は今まさにトイレのドアを開けようとしていたようで、顔を勢い良く開いた扉で打ち付けてたたらを踏んで下がる。
(集中)
頭の中で発声したキーワードを合図に、光一の思考は加速した。
ゾーンと呼ばれる現象がある。これは、様々な条件を満たした一部のプロ選手などが入るとされているもので、集中力が極度に高まり、ボールがゆっくりになって見える、リングが大きく見えるなどの体験をすることである。たとえプロ選手でも、幾つかの偶然が重なってようやく達する境地、しかし彼の持つ自身操作はその“普通”を超越する。
ゾーンに入り、ゆっくりとなった視界で確認すると、敵の人数は三人、武器はそれぞれに拳銃が一丁づつ。隊列は一人を先頭に、後の二人が横並び。
光一は、まずは一番手前でひるんだ男の鳩尾に強化された拳をめり込ませ沈める。未だに状況が飲み込み切れていないまでも、拳銃の狙いを付けようとしている残りの二人は、片方に強化された上段蹴りを放ち、その威力で吹き飛ばされた男がもう一人に当たり邪魔をする。ほんの短い時間だが、それだけあれば十分だ。最後の一人の顎に強化された拳を当てれば、全員の鎮圧は完了する。
「ふう……」
全員の気絶を確認し、小さく息を吐く。既に覚悟を決めた身だ、思い切り人を殴った感触に光一が動揺することはない。それ以上に、今気に掛けるべきことは、
「……ボス、鼠を発見しました」
いつの間にか後方数メートルの位置に立っていた、腰に日本刀を構えこちらを向いている男のことだろう。
「おい、そこのお前。一応聞いておくが、拘束される気はないか? そうすればこの場で叩き切るのだけは勘弁してやるが」
「それで首を縦に振るとでも? 寝言は寝て言えよ、まだ昼だぜ」
光一が放った煽りの一言で、こめかみに血管を浮かべて静かに怒りの表情を浮かべる。
「そうか、ならば容赦はしない。ここに来てからこいつを抜いていなかったんでな、丁度いい」
男は腰の刀を抜刀し光一に向ける。まるで、芸術品かのような美しい刃紋が人を魅了するが、それを凌駕するほどのピリピリとした殺意が伝わってくる。
「はぁ!!」
先に仕掛けたのは男だった。構えた位置からほぼノーモーションでの突き、集中を発動していなければ避けれれなかっただろう。だが、今ならば紙一重で避けて懐に入るくらいの動きができる。
光一は深い一歩で一気に距離を詰めて、男の鳩尾辺りを狙う。男の両手は刀で塞がっており、ステップで避けるにも間に合わないタイミング。完全に決まったと思ったのだが、
「ほう、ただのガキかと思ったら……貴様、何かやっているな」
「ッ!?」
その拳は柄で受け止められ、いつの間にか光一の左首筋に刀が触れる寸前だった。それを認識すると同時に、反射的魔力で力で両足を強化してその場から飛び退く。あと一瞬、判断が遅れていれば光一の首が切断させられてもおかしくはなかった。
(こいつ……今までの奴とは違うな)
達人、そんな言葉が光一の脳裏に浮かんだ。実際に見たことがあるのは宗一郎しかいないが、感覚で分かる、先ほども後方に立たれていた時に気配を感じ取れず、今の攻防でも眉一つ動いていない。純粋に武術を習得している以上に、実戦慣れしているのだろう。
「そらそら!! 」
男の太刀が光一の拳の範囲外から迫る。集中を使って、致命傷はなんとか避けていくが、服の所々は切り裂かれ、見るも無残な姿になっていた。
(所詮ガキか、刀にビビッて手もでないか)
男の刀が大きく光一の服を切り裂き、黒い学生服が残骸となって落ちる。男は既に光一の動きに対応してきている、あと数回の攻防の内にこの少年の首を跳ねることなど容易いと、そう考えていた。だが、
「!?」
「確かに、アンタは強い。だが、宗一郎(あの人)ほどじゃあない」
首を跳ねるはずだった刀は光一の左手に止められた。刃を握った手の平から血が滴るが、彼の顔が苦痛に歪む様子はない。
それに驚く暇もなく、光一の前蹴りが男の胸に刺さり後方に吹き飛ばされた。それでも刀を手放さなかったのは、男の刀術への心得の強さを表しているのだろうが、
「……過剰集中」
そう小さく呟いた光一の体感時間は大きく歪む。魔力という、普通では認知すら出来ない力を持って強化された脳は、ゾーンを超えた集中力を発揮する。今までのの攻防から相手の動きを観察、予想し一瞬先すら見通すかのような予測を可能にする。
「なん……なんだ、貴様はぁ!!」
この時点で、既に男の勝ちは無くなった。いくら彼が刀を振っても、光一はの動きは、先ほどまでのようにやっとのことで致命傷を避けるようなものではない。完全に男の太刀筋を見切り、紙一重で避けていく。
「元普通」
男の放った大振りの振り下ろしをくぐり抜けて、光一の拳が男の顔面を捉えた。凄まじい音とともに、男は飛ばされ壁に打ち付けられると、刀と意識を手放した。




