第六十八話 怪盗の記憶《ファントムメモリー》
「うおっ!? やっと本気かよ、アンタ!」
光一の動きが一段と鋭くなったのを見て、萩野は嬉しそうに声を張り上げる。これまでは、光一の一撃をそれを上回る身体能力で防いでいたが、その攻めが苛烈さを増すと防御に集中せざるを得ない場面が増えていた。
(間違いねぇ! Fクラスの存在をここまで引き上げる能力! これこそが俺が求めていたものだ!!)
萩野は怪盗の記憶を使い解析を起動する。劣化したそれは能力名と簡単な概要しか分からないが、それでも怪盗の記憶の起動条件を満たすには充分だ。
「は?」
しかし、幾何学模様が浮かんだ萩野の目に飛び込んできた情報は予想とは全く違うものであった。
『限界突破 僅かな間指定した部位のアルマを強化するが強化倍率が高いほど苦痛と痛みを伴う』
その能力は強力なものでもない、むしろクズ能力呼ばわりされるものであった。
「強化 八十パーセント」
「ぐうっ!」
光一が小さく呟くと同時に右拳をガードした萩野の顔が歪みアルマにひびが入る。さっきまでの拳も重かったが、倍近く威力が上がっている。
一騎当千ほかの肉体を強化する能力を使っていなければ、そもそもついていくこともできずにやられていただろう。
(嘘だろ!? こんな能力で戦ってるってのかよ)
怪盗の記憶の条件は満たした。しかし、このような能力だと思っていなかった萩野はその使用を躊躇し、その隙に光一の蹴りが甘くなった防御をすり抜け直撃した。
「どうした? 使わないのか、俺の能力を」
「そんなに言うなら……使ってやるよ! テメェみたいなFクラスに使えて俺に使えねぇ訳はないだろうが!!」
光一の言葉に青筋を浮かべた萩野は怪盗の記憶から限界突破を起動。
「怪盗の記憶 二重起動!!」
萩野が発動したのは野生の咆哮と限界突破、二つを同時に発動することで身体能力は爆発的に引きあがり、野生の咆哮のオリジナルである木崎すら超えていた。
(凄え、クズ能力だと思ったがこの倍率があれば!)
赤が混じりった毛皮に包まれた獣の動きは確かに速い。だが、その力の万能感に溺れただけの動きでは光一は倒せない。同じく赤に染まる右腕のアルマで萩野の攻撃を防ぎながら、空いた左腕での拳をねじ込んでいく。
それでも、爆発的に強化された萩野には決定打になっていないようで、光一の攻撃によって攻めの手が緩む気配ない。だが、
「ぐっ……があっ!?」
「そろそろ時間制限だろ」
ほぼ同時に二人の赤熱が解けた。それまでは圧倒的な強化幅による興奮で気づいていなかったが、体が重くなるとともに萩野の全身に激痛と疲労が襲い掛かかり胸を押さえてうずくまる。
その一方で、光一の方は右腕のアルマがブシュッと音を立てて放熱こそしているものの、その顔は至って平静なままであり、自分と同じ痛みと疲労を味わっているなど萩野には信じられないくらいであった。
「テメェ……何かやってるのか?」
「ま、素のままなんてとは言わねぇが、基本的にはただのやせ我慢だ」
「へっ、イカれ野郎が」
仮想空間であり、構築されていないはずの内臓からの痛みを吐き捨てるように、萩野は唾を吐き捨てる素振りをすると再度同調率を戻す。痛みと疲労で乱れる精神を気合で制御し、怪盗の記憶の発動条件を満たす。
「怪盗の記憶 三重起動!!」
発動したのは野生の咆哮と限界突破、そして、
(やっぱりだ! こういうタイプの能力にも倍率は乗りやがる!)
萩野の右腕から放たれた熱線は光一に避けられたものの、後方の木々を容易になぎ倒す。熱線、鳳上の持つ切り札であると同時に限界突破で強化されたそれはオリジナルの威力を上回っていた。
(速いな)
萩野の速度も先ほどより引きあがっており、光一に的を絞らせないように動き回りながら熱線のエネルギーを溜める。
「……過剰集中」
だが、光一の意識が小さな呟きとともに深く集中の海に沈み、その目は萩野の動きを完全に追っていた。これまでの常人の力をフルに発揮して、意図的にゾーンを発動させる集中を魔力の補助によりさらに強度を高める切り札の一つ。
萩野の狙いが速さで翻弄した後に、熱線を直撃させることなのは分かっていた。だからこそ、エネルギーを溜めたそれを避けてしまえばあとはこっちのものだ。
「!?」
「お前なら反応すると思ったぜ」
萩野が右腕から発射した熱線を最低限の動きで避けると、萩野めがけて拳を振るおうと足を踏み出した瞬間、目の前に出現した半透明の壁に歩みが止められてしまう。堅牢な壁、Dクラス主席である東堂の能力であり、光一といえどその破壊には足が止まる。
萩野が同時発動可能な能力の数は三つではなく、四つ。
限界突破で最大まで強化した熱線を打つには、最大限まで同調率を高めるために、一瞬のタメが必要である。そのため最大火力だと偽装させた熱線を避けさせ、光一が近づいてきた瞬間に堅牢な壁で僅かな時間を稼ぐ。
「じゃあな」
萩野がそう言うと、狼のように変形した口が限界を超えて開くと同時にその中から、これまでとは比較にならない太さの熱線が発射された。
(このタイミング……避けるのは間に合わない。だったら)
過剰集中で引き延ばされた思考は、走馬灯でも見るように迫る熱線を見ていた。
「……百五十パーセント」
萩野が最後に知覚したのは、熱線の発射音に紛れたその言葉と、それを突っ切る果てしない一撃であった。




