宮坂紫乃
「お館様は、よくカラオケボックスに行っておられたのですか?」
紫乃は担当するアミューズメント施設の中で、特にカラオケボックスに対して興味を示している。
それほど土地を必要とせず、ビルの中で空いているフロアに後付けで入れる事が出来るので、すぐに全国展開が可能だろうと考えているのだ。
「そうだね。学生時代は週に三回とか行ってたかな」
「そんなにですか。よくそれだけ歌える曲がありましたね」
「行くたびに歌う曲が何曲もあるけどね?
あと、人が歌ってる曲を聞いて自分も歌ってみたり」
伊吹は飲み会で盛り上がる為のカラオケではなく、スポーツ的なカラオケを楽しんでいた。
二人だけでフリータイムで六時間利用して喉が枯れるまで歌ったり、歌うのに飽きたらドリンクバーでジュースを混ぜ、いかにマズいジュースを友達に気付かれずに飲ませるかなど、バカな事をやっていた事を思い出す。
「ドリンクバーって言って、ボタンを押すとジュースが出て来る機械が置いてあったんだ。
カラオケの部屋の利用料とは別に、ジュース飲み放題の料金を追加で払えばドリンクバーを使えるようになるんだ。
コーラはこの世界にもあるよね? あとはウーロン茶とか、コーヒーと紅茶と果物系のジュースとか。
コーヒーと紅茶はアイスなら他のジュースと同じ機械で出せて、ホットは別の機械にまとめられてたかな。
変わったところだと、ソフトクリームが出て来る機械も置いてあったね」
「お客様が自らドリンクバーで飲み物を入れる事で、部屋へと配膳する従業員の手間が省けますね」
紫乃がメモ帳へ書き記していく。
「ちなみにカラオケの一部屋利用料はいくらくらいだったのですか?」
「うーん、安いところだと本当に安いよ。学生だと二時間で百円とか」
「……あり得ません」
この世界はバブルもバブル崩壊後のデフレも経験していない。
そんな低価格でどうやって利益を得るのかなどのノウハウもなく、またそんな低価格でサービス提供する意味もない。
本当に価値があると消費者が判断すれば、それなりに高価であっても人は利用するものだ。
「昼の利用対象者は若い層だから、昼は安くしておいて、夜は高くして社会人に利用してもらうってのが良いかな。
どっちにしても回転率で稼ぐような業態じゃないから、最低限の時間料金を貰った上でドリンクバーも低価格で提供して、利益の出やすい唐揚げとかフライドポテトとかを頼んでもらうって感じかな」
「カラオケで流れる楽曲の権利者への支払いはどうなるのでしょうか?」
「音楽関係の権利を一括管理してる団体ってないの?」
伊吹はそこまで言って、ビートルズの楽曲を公開する前に世界中の音楽関係の権利団体と契約を結ぶ必要がある事に気付く。
YourTunesで公開する場合、国境を越えて音楽が流れる。
勝手に使用される事も考えられるので、早急に権利が保護出来るように準備が必要だ。
「ございます。
宮坂紡音の楽曲は全てその権利団体と契約しております」
さらに詳しい楽曲に対する権利について説明する紫乃。
カラオケのみに絞るだけでも著作権関連の権利で、公衆送信権と複製権と演奏権という権利が関係する事など、伊吹でも把握していなかった諸々をすでに調べていた。
「そこらへんの権利関係は詳しい人に任せるよ。
僕はあくまでこういう事業形態があったよって教えるのが役目。
実際にどうやって収益性を確保するかは紫乃達にお願いするよ。
頼りにしてるからね」
「はい、お任せ下さい」
カラオケだけに絞ってもこれだけの権利があるのだ。
一から楽曲を作る場合、例のDVDから楽曲として成立させる為には、歌い手と演奏者と編曲者が必要になる。
それぞれに権利が発生するので、しっかりとした管理体制を築かないとならない。
「歌い手というのはどういった意味でしょうか?」
紫乃が、伊吹が調べておくように言った権利関係の中の、歌い手について質問する。
「そりゃあのDVDの歌が完成した時に歌ってもらうプロのボーカリストの事だよ」
「えっと、お館様が歌われるのではないのですか?」
「え、僕が歌うの?」
「違うのですか?」
紫乃だけでなく、あの場で例のDVDを見ていた者全員が、伊吹が歌うものだと思って準備を進めている。
「マジか、ちゃんと言ってなかったな……」
自分に特別な音楽の才能がないと自覚している伊吹は、自分が歌って楽曲をリリースするつもりではなかった。
しかし、よくよく考えるとこの世界に男性ボーカルのバンドなど存在しないであろう。
ビートルズが世界中で売れた大きな理由の一つに、英語の歌だからという単純な理由がある。
伊吹はこの問題を、YourTunesを通して日本語に聞き馴染みをもってもらおうと考えていたが、ボーカルが男性であるという単純で唯一無二な理由があれば、世界中で聞かれる可能性がより高くなる。
「覚悟を決めるか……。
紫乃、ボイストレーニングの先生を探しておいてくれない?
もちろん素顔を晒してトレーニングする訳だから、紫乃が信頼出来る人でね」
宮坂家が、ではなく紫乃が信頼出来る人、と言った伊吹の言葉に対して、紫乃は自分はすでに信頼を得ているんだと実感する事が出来た。
「はい、必ずや優秀な人材を用意致します」
そう言って、紫乃は伊吹に対して手を広げた。
伊吹は笑顔でそれに答え、紫乃を抱き締める。
「よろしく頼むよ、紫乃がいないと僕は何も出来ないからね」
「ふふっ、仕方がないですね。頼れる秘書にお任せ下さいませ」




