婚約成立
朝。いつも通り、伊吹が美哉と橘香によって搾り取られてシャワーを浴びた後、事務所にて朝食を摂った。
朝食後、疲れた表情の藍子が事務所に顔を出した。
別室にて、徹夜で採用の書類審査をしていたと、伸びをしながら話す藍子。
「生配信で翔太君が呼び掛けた事で、世界中から技術者や事務職や弁護士から言語学者、配管工や傭兵に映画女優まで幅広い応募が来てて対応に追われてるの。正直目を通すだけで精一杯よ。
どの人材がうちにとってより重要な人か判断が難しくって」
イサオアールとのごたごたは落ち着いたが、藍子がまだまだ忙しいようだ。
「そっか、募集するだけして藍子に投げっぱなしにしてしまってたね。ごめんね。
人材の選別についてはVCスタジオとうたかたラボの手の空いてる技術者に手伝ってもらおうか。
あと、秘書さん達の中から専門知識がある人にも手伝ってもらえないかな。
それと、明らかに関係ない職業の人からの応募もあったよね?
当たり障りのないお祈りメールを考えてもらわないと……」
「お祈りメール……?」
(こちらの世界では不採用の時、お祈りしないのか)
伊吹は藍子の隣に腰を下ろし、抱き寄せるべく藍子の肩へと手を伸ばす。
「やだぁ、ちょっと離れて……」
藍子は伊吹が伸ばした手をかわして、身体を反らして距離を取った。
「えっ、何で?」
「だって、私昨日シャワーも浴びれてないし……」
それを聞いた伊吹が、意地悪な表情でじりじりと藍子との距離を詰めていく。
「ダメだって、ね? 止めよ?」
距離が詰められるたびに藍子は奥へとずれて行くが、ついにはソファーの端へと追いやられてしまった。
立ち上がろうとした藍子だが、伊吹はガバっと藍子に抱き着いて、胸に顔を埋めて深く息を吸い込む。
「臭くないよ?」
「そういう問題じゃないよ……」
「大丈夫、藍子は良い匂いだよ。安心するし、ドキドキする。
好きだなぁ、藍子の匂い」
「そんな事言われても……」
なおも嫌がる藍子の膝に頭を乗せ、藍子のお腹側に顔を向けた状態で膝枕をさせる伊吹。
さすがに藍子も抵抗し、膝を揺すってどかせようとするが、伊吹が藍子の腰に手を回して絶対に離れないぞとしがみつく。
「汚いから、恥ずかしいから!」
「じゃあ徹夜なんてしなければ良かったのに」
「それは伊吹さんが何の受け入れ準備もしてないのに生配信で呼び掛けたせいで、あっ……」
藍子は思わず言い返してしまった事を後悔して口に手を当てるが、伊吹は起き上がって笑いながら頭を下げる。
「そうだよ、僕のせい。
僕が悪かった時はちゃんと言ってね」
そう言って、藍子にキスをする。
藍子はもうどうしたら良いのか分からず無抵抗で受け入れている。
「朝からお熱いこったね」
「おば様!?」
いつからそこにいたのか、と驚く藍子。
向かい側に座る福乃は呆れた表情を浮かべている。
「藍子は安心してドキドキする匂いなんだってね。
その匂いを香水にして売り出してやろうか」
「僕の婚約者をからかわないで頂きたい!」
「おば様! 伊吹さんも!
もう恥ずかしくてお嫁に行けない……」
二人からの悪ふざけを受けて、藍子は両手で顔を隠して泣き真似をする。
「おっと、その嫁入りの話をしに来たんだ。もうすぐ燈子も来るだろうから、今後の話について説明するよ」
福乃が説明したい事があるという事で、関係者を事務所へ集めた。
この場にいるのはVividColors経営者として、伊吹と藍子と燈子。
伊吹の侍女である美子と京香と美哉と橘香。
伊吹の執事である智枝。
VividColorsを支える秘書として紫乃、翠、琥珀。
それら十一名に対して、福乃から今後についての説明が始められた。
「さすがにこの人数が集まると多いな。
本当に新しい事務所について検討しないとならないかもね」
「それについても説明するよ」
まず、福乃が一番最初に告げた事は、正式に三ノ宮家の伊吹と宮坂家と藍子と燈子、この三名の婚約が正式に成立した事。
今までは婚約の内定、という少し曖昧な状態だった。
さらに、式の日取りは十二月二十四日。今が九月なので三ヶ月後になる。
その日は大安吉日なので選ばれただけで、特に意味はない。
日本国内で伊吹の前世世界ほどキリスト教が浸透していないので、結婚式と言えば神前式を指す。
「神社で結婚式を挙げるという事ですか。
また警備の人達にご苦労を掛けてしまいそうですね」
伊吹は三ノ宮家ゆかりの神社というと実家まで戻らないとならないし、宮坂家ゆかりの神社については詳しくない。
どちらにしてもこのビルに神社を持って来る事は出来ないので、自分がこのビルから移動する事になると考えた。
「場所は皇宮内だよ。
で、うちの当主との顔合わせについても当日の式直前という事になる」
さらっと言う福乃に対して伊吹が待ったを掛ける。
「ちょっと待って下さい。
皇宮内と言うと、皇王陛下がおわす、あの?」
「そうだよ。
皇宮なら一般人はまず入れないし、伊吹様が素顔を晒しても何の問題もないさ。
これ以上相応しい場所はないと思うけどね」
そういうものか、と納得する伊吹。
よほど宮坂家の力が強いのだろうと思うに留めた。
「それで、結納っていう古い風習じゃあないんだけどね。
宮坂家から三ノ宮家にこの辺りの土地一帯を譲るよ。
いずれは関連企業でギチギチになるだろうし、そうなったらまた相談に乗るから言っておくれ」
「この辺りの土地全部……?」
仮に半径百メートルの円として簡単に説明すると、約三万一千四百平米。約九千五百坪弱。
仮に一坪あたり三百万円の土地だったとして、二百八十五億円以上の価値となる。
さらに付属している建物の価値を換算すると、いくらになるか伊吹には全く想像が出来なかった。
「……お貸しした分にしてはかなりの利息が付きましたね」
「それだけ当家が伊吹様に期待してるって事さ。
YourTunesからもうすぐ振り込まれるひと月分の収益だけで、三十億円を越えるんだ。
それ以外にもVCスタジオやうたかたラボなど、どんどん世界最先端の技術をもたらしてくれるんだから、先行投資としても安いもんさ」
それに加え、宮坂家とは別に国からもいくらかお金が出ているという福乃の説明に対し、男性保護省関連の補助金を使ったのだろうと伊吹は受け止めた。
「何にしても、藍子、燈子、おめでとう。
大変だろうけどしっかりと伊吹様をお支えするんだよ」
「はい、おば様」
「これからもご指導をよろしくお願いします」
福乃は長らく宮坂家当主である二人の父親のそばで彼を支えたという実績がある。
福乃は二人が目指すべき女性なのだ。
「もちろんだよ。
そして伊吹様、私の娘達と琥珀も可愛がっておくれよ?」
(婚約者の前で何て事言うんだよ……。
まぁ、何故か皆と子作りするのは既定路線なんだけど)
こうして三ノ宮家と宮坂家との正式な婚約が成立した。




