『あんどうかたる』と『あんどうた』
『あんどうた』担当の秘書が気を利かせ、前もってビルの一階で待機させていた研究者を大会議室へ呼び込む。
この研究者は人間の声を人工的に作り出す技術を専門に研究している人物だ。
文字を入力するだけで、さも人間が読み上げているかのような音声を作成する事の出来る技術は、この世界でも割と広く使われている技術だ。
「録音した話し声をぶつ切りにして繋ぎ合わせ、別の文章を新たに話させる技術とお伺いしましたが」
四十代半ばで、あまり身嗜みに気を遣わない性格の女性。岡野菊が伊吹へ質問を投げる。
「いえ。秘書達に説明したのはその内容ですが、僕が本当に欲しい技術は少し違うんです」
伊吹は、宮坂家から集められた二十人の秘書が本当に信頼出来るかどうか分からない段階で、自分の手の内を見せるのを避けたのだ。
あえて正確ではない情報を与えて、どこかに漏れてたとしても問題ないように、情報をぼかしたのだ。
菊とはすでに、秘密保持契約書を交わしている。
「僕の声を録音して、それを元にして音声のデータベースを作成し、音声データベースが収録されたソフトウェアを操作する事で、僕が喋っているかのように音声を出力する。
そんな技術を確立したいと思っています。
そして話をさせるのとは別に、歌わせるソフトウェアも開発したい。
岡野さんがお持ちの知識や技術で、作る事は可能でしょうか?」
伊吹が前世世界で見たドキュメンタリー番組で、VOCALOIDの作成秘話を紹介している場面を見ていた。
歌声ライブラリの収録方法が、決められた文章を読み上げていき、あとで細切れにして繋ぎ合わせる用のパーツにする、と記憶している。
伊吹はこの手法で合っているかの確信はないが、専門家に取っ掛かりを与えればVOCALOIDに似た製品が作れるのではないかと期待している。
他力本願と言えなくもない。
人間の話し声を音階で捉えて、ドの音の『あ』、レの音の『あ』などを用意する。また、それだけだと不自然な話し声しか合成出来ないので、音と音の繋がり部分も収録する。
例えば、『しゃけ』であれば『し』と『ぃ』と『ゃ』と『ぁ』と『き』と『ぃ』と『え』にぶつ切りにする事で、スムーズな話し声を作る為のパーツになる。
『しゃけ』から取り出したパーツを組み直す事で『キャシー』という人の名前を表す人工音声を作る事が出来るのである。
伊吹は以上の事を岡野へ説明してみせた。
「今お伺いした方法で音声のデータベースを作るとなると、元となる音声を収録するのにかなりの時間が必要になると思いますが」
岡野は伊吹の説明をすぐに理解し、実際に開発する際の難点を的確に挙げた。
「はい、そうなると思います。
ですが、一度収録してしまえば世界中の人が僕の声を使って歌唱曲を作る事が可能になります。
それは僕一人では出来ない事です」
岡野は眉間に皺を寄せ、考え込んでいる。
「私の専門は合成音声です。合成音声に歌を歌わせるという発想はありませんでした。
ですので、私は貴方の仰る『あんどうかたる』を担当させて頂きたい。
そして、『あんどうた』の方は私の娘に声を掛けてみましょう。
どちらにせよ、貴方が声を収録する事になります。
よろしいのですね?」
岡野の娘も人の声についての研究開発をしているようだ。
「もちろんです。
『あんどうかたる』も『あんどうた』も、四人分の声色を使い分けられるようにするのが最終目標です」
こうして『あんどうかたる』と『あんどうた』の製作第一歩が踏み出された。
「あの、YoungNatterで安藤家の抱き枕についての話題で持ちきりなんだけど……」
「あぁ、そうだね。それも進めないとね」
伊吹が大会議室から事務所へ戻って休憩していると、藍子が伊吹に抱き枕について切り出した。
伊吹がねぇちゃんねるの住民に対して明かした安藤家のグッズの構想の一つであり、伊吹は社内でこの構想を口にした事はなかった。
その為、「安藤家の抱き枕」という謎の言葉がYoungNatterのトレンドに入っており、藍子が混乱する事となってしまった。
「これも売れると思うんだ。
事前に言っておけば良かったね」
「その抱き枕って、何なの?」
燈子が怪訝な表情で伊吹へ質問する。
抱き枕自体は昔から存在するのでどんなものか想像出来るが、それと安藤家とがどう結びつくのか想像出来ていないのだ。
「安藤四兄弟の等身大イラストを枕カバーに印刷して販売する。
それも複数の種類を用意して」
「……うわぁ。よくそんな事が思い付くわね」
燈子はすぐに抱き枕カバーの価値(攻撃力)を理解した。
「思い付いたのは僕じゃないけどね。
彼は勇気ある人物だよ」
安藤四兄弟のイラストは燈子が用意したものだ。
従って抱き枕カバーの原画も燈子に用意してもらおうと思っていたのだが、燈子は伊吹へ断りと入れる。
「ラフ画とかイメージ画なら用意するけど、グッズ販売となるならちゃんとした商業イラストレーターを雇いましょう。
私もぼちぼち学校が始まるし、何よりプロじゃないもの。
責任感をしっかり持った人と契約して、バンバン描いてもらいましょう」
燈子がそう言うなら、と伊吹は了承する。
今後の為にVividColors専属イラストレーターなども雇う必要があるかも知れない。
「抱き枕の枕本体とカバーは宮坂財閥系列の企業に製造を委託しましょう。
お館様の身長や胴周りなどを測定して、ちょうど良いサイズ感に仕上げましょう」
紫乃が寝具メーカーとのやり取りを引き受ける。
「で、枕カバーに印刷するイラストってどんなイメージなの?」
「仰向けに寝転んで、手を頭の後ろで組んで『おいで』って言ってそうな表情とか、左手で頭を支えて横向けに寝転んでるところとか、裸で股間に手を当てて隠してるところとか……」
「そんなの発売して大丈夫なの!?」
「え、何か引っ掛かりそうな法律でもある?」
燈子の反応が大きく、とても驚いて見えたので、伊吹が少し不安になる。
「いや、そうじゃなくて伊吹さん的にだよ?」
藍子の補足で、ようやく伊吹にも燈子が何を案じているのか理解する。
「だってVtunerのイラストであって、僕の写真が実写で印刷される訳じゃないし」
それはそうだけど、と納得しきれていない様子の燈子。
「何? 自分の旦那がイラストとはいえ他の女に抱かれるのが嫌だって?」
「もうっ!」
伊吹の腕を取って抱き着く燈子。
藍子もつられて反対側から抱き着く。
「……そうだ、悪魔的な商売のやり方があるんだけど、聞く?」
伊吹が口角を上げ、非常にずる賢そうな表情で二人へ尋ねる。
「一応聞きたておきたい」
「抱き枕ってだけで十分悪魔みたいな商売だけど?」
藍子は社長として商売手法としての興味から頷き、燈子は嫌な予感をさせながら伊吹を見つめる。
「イラストの種類を一人につき十種類用意して、それを四兄弟分、合計四十種類用意する。
それを中身が見えない袋に入れて、一袋二千円で販売する。
中身が見えないので自分が欲しいキャラの欲しいポーズが出るまで買い続けなければならない。
もしくは、全種類揃えるまで引き続けなければならない。
どう? かなり儲かりそうだけど、かなりの女性が破産しそうでしょ?」
「「悪魔だ……」」




