八岐大蛇
『私は彼を、倒すべき最大の敵であると認める!』
「何言ってんだコイツ」
お気持ち動画を投稿した翌日。
伊吹が事務所で会議をしていた際、息抜きで覗いたYourTunesのトップにハム子の生配信が表示されていた。
生配信に付けられた題名『安藤家は現世に現れた八岐大蛇』という謎の文言が気になり、見てみると異様な光景が映し出されていた。
生配信時の四兄弟のアバターが印刷されたポスターが貼られており、複数設置されているモニターには、安藤家のチャンネルに投稿した動画が再生されている。
ハム子はそれを背にしてカメラを見つめており、いかに安藤家四兄弟が脅威であるかを説いている。
ポスターも動画も、当然無許可のものである。
「こいつ、どういうつもりだ?」
「さぁ……。生配信の最後に冷たく突き放したから、こじらせちゃったんじゃない?」
燈子も呆れた表情で画面を見つめている。
ハム子と共同生配信をしたものの、配信中に崩れ落ちたハム子のその後について、伊吹は気にもしていなかった。
それよりも大事な事(美哉と橘香との初体験)があったからだ。
「昨日投稿した動画見てないのかな?
弁護士を通じて抗議しようか」
藍子が尋ねるが、伊吹は首をひねり、どうしたものかと思案する。
「うーん……、一応相談はしておこうか。現状放っておいてもいいけど。
構えば構うほど余計にこじらせるような気がしなくもない」
「コメント欄はほぼ批判で埋め尽くされてるわ」
安藤家との共同生配信後、ハム子の登録者数は激減しており、視聴者の心が離れていっているのがよく分かる。
「それで、どうかな?
玲実ちゃんの今後について」
藍子が言う玲実ちゃんとは、伊地藤玲夢の本名だ。
生配信で公開全裸土下座してアカウント停止を食らい、引退した元VividColors所属Vtunerである。
一人に出来ないからと、藍子がこのビルの四階の部屋に住まわせて、時間を見つけては甲斐甲斐しく世話をしている。
玲実から、申し訳ないのでそろそろ出て行くという申し出があり、その事について話していたのだった。
「……玲実に連絡して、ハム子の生配信見せたら何て言うかな?」
決して意地悪ではなく、単純に同じような立場に陥った人物を見てどう思うのか気になっただけだ。
「この生配信を見てるかは分からないけど、最近のハム子の様子は知ってるみたいだよ」
玲実は自分自身が知らぬ間に、ハム子、もしくはハム子が所属しているイサオアールによってVividColorsに対して造反するよう仕向けられた被害者と言える。
伊吹はさぞ恨めしく思っているだろうと思ったが、藍子の口から出た玲実の言葉は、恨み言ではなかった。
「さっき部屋に行った時、ハム子は何とか自分なりに乗り越えようとしている気がするって言ってた」
「乗り越える?」
「うん、自ら触れに行った神様の祟りを何とか振り払おうとしてるんだって」
「祟り神扱いかよ」
伊吹としては、ハム子に対して何の行動も取っていない。
向こうから勝手に突っ掛かって来たので、合同生配信には応じたがハム子自体は相手にせずに、アバターがすごいという事をただ見せつけただけだ。
「玲実は僕の事は何か言ってる?」
「良い人と出会えて良かったねって言ってくれたよ」
外部の人間に掻き乱されてしまったが、元々は藍子と玲実は仲が良かった。
イサオアールの息が掛かった仁多賀絵夢と美那須来以夢にある事ない事吹き込まれて、現代の本能寺の変が起きてしまった。
ちなみに現代の本能寺の変とは、伊地藤玲夢のVividColorsの造反劇に対してネット民が名付けたものである。
「……玲実が本能寺の変を起こさなければ、僕はあーちゃんととこちゃんに出会ってないんだよなぁ」
「伊吹さん……」
藍子は、伊吹が玲実の事を何とかしようと考えてくれている事を察した。
「あーちゃんにとっては辛い出来事だったのは間違いないけど、僕達の出会いのきっかけではあるし、僕達が出会ってなかったら昨日のDVDが送られてくる事もなかったかも知れないんだよなぁ」
伊吹は玲実に対するわだかまりを持っていない。
生配信で全裸土下座を披露するという方法は正しくなかったが、玲実はしっかりと藍子に向けて謝罪していたし、それを藍子も受け入れている。
藍子が謝罪を受け入れた以上、伊吹がとやかく言う問題ではない。
(さて、玲実をどうやって立ち直らせるか、か。
裏方や雑用をさせて仕事を与えるのと、立ち直らせるのとは違う問題だしなぁ)
藍子が落ちぶれてしまった玲実に対して、何か出来る事はないかと手を差し伸べようとしている。
しかし、当の玲実がその手を取ろうとしない。手を取る資格なんてないと言っているのだ。
以前から藍子は、伊吹に玲実が立ち直る機会を与えるにはどうすればいいかと相談していたのだ。
『宮坂社長、私と勝負しろ!
新たなVtunerを私と貴女でそれぞれデビューさせ、
一ヶ月後により多い登録者を獲得した方の勝ちだ。
ただし安藤家との絡みは禁止とする。あれは劇薬だからな!』
つけっぱなしにしていたテレビから、ハム子が藍子に名指しで勝負を吹っ掛けている。
「八岐大蛇に祟り神に劇薬か。そのうち死に神だサタンだと言いだしそうだな」
「自分に都合の良いルールで戦おうなんて卑怯な人ね。
勝負する事ないよ、放っておきましょう」
燈子はため息を吐いたが、ハム子の持ち掛けている勝負について、伊吹にとっては何の不利益もない。
利益もないが、新たなVtunerなら心当たりがある。
『私が勝ったら安藤家の中の人と会わせろ!
そちらが勝ったら私はYourTunesを引退する!』
そして、安藤家と絡んではならないという縛りは、伊吹にとって都合の悪いルールではない。
「結局お兄さんと会うのが目的なんじゃない!
何なのこの女、図々しいにもほどがあるわ!!
ハム子が引退したからってこっちに何の得があるのよ。
お兄さん、訴えましょう!!」
燈子だけでなく、この場にいる女性全員がハム子に対して怒りを露わにしている。
が、当の伊吹は顎に手を当てて何かを考えている様子だ。
「またVCスタジオに頑張ってもらわないとだなぁ」
藍子は伊吹の呟きを受けて、毒気を抜かれてしまった。
本人がやる気になっているのであれば、自分達はそのあと押しをするべきであると藍子は思い直した。
「まぁた何か思い付いたな、八岐大蛇」
燈子が伊吹のほっぺたをつっつく。藍子は期待した目で伊吹を見つめる。
そんな二人に向き直り、伊吹が尋ねる。
「何で八岐大蛇?」
「だって、八岐大蛇は八つの頭と八つの尻尾を持ってて、八人の娘を食べちゃうんだよ?」
美哉と橘香と智枝はすでに食べられた後。
そして食べられる順番を待っているのが、藍子と燈子と紫乃と翠と琥珀だ。
「すごい偶然だなぁー」
「……娘が八人なのは今だけだと思うけど」
藍子の呟きに、伊吹も燈子も苦笑いを浮かべるのだった。




