母の遺言
誰かから送られて来た段ボール、その中には大量のDVDと送り主からと思われる手紙だけ。
その手紙も、ビートルズの楽曲タイトルをもじって繋ぎ合わせた文章であり、送って来た経緯や、伊吹の母親との関係など、知りたい事は何も書かれてない。
「美子さん?」
流れた涙を拭わないまま、伊吹は生前の母親の事をよく知る人物、美子へ声を掛ける。
美子は伊吹へ頭を下げて謝る。
「申し訳ございません。
咲弥様の遺言で、時が来るまで伊吹様には何もお伝えしないようにとご指示を受けております。
ですでの私も京香も、このDVDの送り主について申し上げる事が出来ません」
「……そっか、美子さんも京香さんも、そしておばあ様もこの人物が誰であるか、知っているという事だ。
多分、僕の父親だよね? そして、恐らく今もどこかで生きている。
僕をYourTunesで見つけて、これを送って来たってところかな」
伊吹の推測に対し、美子は頭を下げたまま何も答えない。
肯定も否定もしないので、自分の父親なのか、父親が生きているのかどうか、伊吹には確信が持てないでいる。
DVDの動画が撮影されたのは、少なくとも十三年以上前。
いや、伊吹が知る限り咲弥が伊吹を残して家を空けた事がないので、十八年以上前、自分が生まれる前になる。
DVDを誰かに託していた場合、ギターを演奏している男が生きているかどうかさえ不確かになってしまう。
そしてほぼ確かな事は、このギターの男が自ら段ボールを抱えてこのビルに来る訳がないという事。
この世界の男性が無防備な状態で外を出歩く訳がないのだから。
「お兄さん、それは変じゃない?
だって、Vtunerとして活躍している男性をYourTunesで見つけたとして、何でそれがお兄さんだって分かるの?」
「あっ……」
燈子の指摘を受けて、伊吹が脳みそを全力で回転させる。
(美子さんは今も俺の父親と繋がりを持っている?
定期的に俺の動向を伝えている?
初回の精液提供の際、京香さんが関係各所を回ったと言っていたな。その時に俺の父親へも報告へ行く事も可能ではあるけど……)
伊吹が思案しているのを見て、美子は自分が疑われているのを察し、弁解する。
「伊吹様、私達は伊吹様へお仕えする侍女です。他家へ何かを報告するような事は決してございません。
伊吹様へ咲弥様とこのお方のご関係をお伝え出来ないのは非常に心苦しいのですが、どうかそれだけは信じて頂ければ……」
そう言って、改めて美子は深く頭を下げる。
「信じます」
(そんな事絶対する訳ないよな)
美子と京香が伊吹に対して不利になるような行動を取った事は一度もない。
「……ありがとうございます!」
美子は顔を上げ、心底ホッとしたような表情を浮かべる。
伊吹は一瞬でも疑った自分を恥じる。
抱きかかえていたままだった燈子を開放して、美子へと歩み寄って抱き締めた。
「いつもありがとうございます、これからもよろしく」
「……もちろんでございますっ」
伊吹の腕の中、美子は感激のあまり嗚咽を漏らしそうになるが、何とか堪えている。
「あとで京香さんにも日々の感謝を伝えないとね」
美子がよろけないようゆっくりと身体を離し、伊吹はパソコンの前で待機している智枝へと向き直る。
「さて、智枝」
「……はい、ご主人様」
呼ばれた智枝は背筋を伸ばし、伊吹へと向き直る。
「お母様の遺言に触れる可能性がある事を考慮して、智枝に聞く。
現段階で僕に伝えられる事はある?」
智枝が伊吹へ自己紹介した際、男性保護省へ出向している身だと説明した。
今この場で智枝の本来の所属を聞き出すと、咲弥が隠しておきたい事実が明らかになってしまう可能性がある。
例えば、智枝が伊吹の父親の関係者である、などだ。
その場合、三ノ宮家の中での智枝の立場が揺らいでしまう。スパイと言えなくもない。
だからあえて伊吹は、智枝から根掘り葉掘り聞き出すのではなく、自ら開示出来る情報はあるか、と聞く事にした。
「ご主人様の精液提供が初めてなされた際、遺伝子検査が行われました。
これは同じ父親を持つ男性と女性との間での人工授精が行われないように、全ての精液に対して必ず検査される項目となります」
そこで一度言葉を止めて、伊吹の様子を窺う智枝。
伊吹は理解している事を示す為に頷いてみせる。
「その際に、三ノ宮家から男性保護省に対して新しい執事の派遣依頼も出されました。
今までは心乃春様、ご主人様のおばあ様が執事として登録されておりましたが、お亡くなりになりましたので新しい執事が必要になった訳です。
ここで問題になったのが、誰がご主人様の執事をお務めするか。男性保護省は三ノ宮家襲撃事件により信用を著しく低下させております。
そこで、男性保護省は私に対して出向要請を出しました。
遺伝子検査の結果で、ご主人様が私と血縁関係があると分かった為です。
ちなみに、私はご主人様の従姉に当たります。
そして、母方に叔父がおりますので、ご主人様の間に男児をもうける事も期待されております」
そして、智枝はわざとらしく恥ずかしそうに両手で顔を覆う。話はここで終わり、伊吹はそういう意味で受け取った。
智枝は明言していないが、伊吹の父親と智枝の母親が兄弟姉妹の関係という事だろうと考える。
そしてすでに亡くなっているのであれば、隠す必要もない。恐らく伊吹の父親は生きている。
さらに、咲弥の遺言を鑑みると、いずれ会う機会があるという事も分かっている。
伊吹は今はそれだけで良しとする事にした。
「そうか、分かった。教えてくれてありがとう。
それと、美哉も橘香も二日連続はきついだろうから、今夜は智枝一人に相手をしてもらおうと思う。
男児が期待されてるみたいだから、よろしく頼むよ」
「分かりました。この身が砕けようともお務めを全う致します」
「えっ!?
あたしとあーちゃんは?」
「とこちゃん、しーっ!」




