侍女・執事という職業
二階のVCスタジオから六階の事務所へ戻り、伊吹達がソファーへと座る。
「VCスタジオの皆は分かってくれたんだけどなぁー」
ほぼ棒読みで呟いた伊吹の言葉に、侍女も執事も反応しない。
VCスタジオから事務所へ戻るエレベーターの中で、伊吹が侍女と執事の休暇について切り出したのだ。
「ねぇ、あーちゃん。休むって大事だと思わない?
経営者って労働者の労働環境を監督する立場だよね?
ちゃんと休ませないと労基に怒られるよね?」
「え? えぇ、そうだ、ねぇ」
藍子は伊吹の問い掛けにとりあえず頷いて見せたが、藍子ば労働者の労働環境を顧みた事などない。買収して子会社の社長になるまで、労働者を使った事などなかったからだ。
契約していたVtuner達とは雇用関係になかった。
なおかつ、藍子はVCスタジオの皆が過剰に働いているのを目にしながら、仕事に熱中出来て楽しいそうだなと放置していた。
「美子さんも京香さんも美哉も橘香も智枝も、誰も休みを取ろうとしないんだ。おかしくない?
侍女だからって二十四時間僕と一緒にいるんだよ? 信じられる?」
伊吹は藍子だけでなく燈子へも話を振るが、二人とも伊吹が何を言いたいのか理解し難いような表情を浮かべている。
侍女も執事も、国から派遣されている特別国家公務員だ。男性を公私共に支えるのが役目である。
男性は国の存亡に直結するとても大切な存在であり、男性が何不自由ないような環境を用意するのは国の務めだ。
侍女も執事も国から給与を得ており、男性と直接雇用契約を結ぶ事はない。
信頼関係が必要である為、ほとんどの場合は男性の母親が信頼出来る資格保持者を指名して、国へと申請する。
伊吹が咲弥のお腹にいる時点で、心乃春が自らを執事として申請し、美哉と橘香の育児休暇中だった美子と京香を侍女として指名し、申請した。
「えっと、お兄さんは何が不満なの?」
「だって、二十四時間三百六十五日、ずっと働いているんだよ?
気がおかしくなると思わない?」
侍女も執事も、一日の労働時間や残業手当や有給休暇などはない。
そもそも男性の世話をする事が労働と捉えられていないのだ。
ただし、生理休暇や産前産後休暇や育児休暇はしっかりと確保されている。
人口が激減してしまったこの世界において、子供を産み、育てる事は何よりも大事な仕事とされているからだ。
「あの、伊吹さんは男性の侍女や執事がなりたい職業の一位と二位だって知ってる、よね?」
藍子は伊吹へ聞きながら、途中で不安になって疑問形になってしまった。
伊吹はそういった常識から少し距離を取っている時がある。
ましてや男性なのだから、女性のなりたい職業なんぞに興味がない、という可能性もなくはない。
「いや、知っているけどさ。いくらなりたい職業だからって、休みも休憩時間もないってどうなの?
僕が小さい頃から、お休みすればって、旅行でも行って来たらって美子さんや京香さんに言っても、滅茶苦茶悲しそうな顔をされるだけだったんだよね」
「いやいや、それってお前なんていらないから出て行けって言ってんのと変わらないよ?」
例え伊吹が本心から侍女達の事を想っての言葉だったとしても、当時の美子と京香は素直にありがとうとは言えなかった。
侍女や執事がなりたい職業で上位になる理由。
それは男性の身近にいられる数少ない職業であるからだ。
生まれてから死ぬまで、自分の血縁上の父親の顔すら見る事が出来ないこの世界の女性にとって、男性の為に働ける事が一番の福利厚生なのだ。
もちろん寝る時間や食事をする時間、トイレや入浴などに使う時間もあれば、交代で休憩する事も可能である。
纏まった休暇が取れなかったり、旅行へ行けないのはこの職業を選んだ以上仕方ない事であり、もしもその生活が辛いと感じるのであれば、侍女を辞職してゆっくりすればいいのだ。
ただし、再び侍女として働けるかどうかは別だが。
「私達は侍女という生き物。気にする方がおかしい」
「私達は伊吹様が吐いた息を吸う事で生きている。問題ない」
幼馴染でもある美哉と橘香にそういう風に言われると、共に育った身として伊吹はとても悲しく感じる。
どうしても埋まる事のない感覚の違い。
常識の違いでもどかしいような、苦しいような、間違っていると指摘したくなるような感覚に陥る。
「ご主人様、私はご主人様にお願いがあります。休暇や給料よりも欲しいものがあるのです」
智枝から伊吹へ何か要求する事などあまりない。
伊吹は何でも叶えてやるぞと思い、智枝の願いを聞く。
智枝はソファーへと腰掛け、自らの太ももをぽんぽんと叩く。
「こちらにお座り下さい。私はご主人様を甘やかしとうございます」
その声を聞いて、美哉と橘香が智枝の隣に座り、三人が伊吹に対してはよ来いさぁ来いと言うかのような目で見つめている。
「……はぁ。
分かったよ、お姉ちゃん」
結局伊吹は侍女も執事も説得する事が出来ず、彼女達が言うところの福利厚生として自分の身体を差し出すのだった。
(何と羨ましい……)
(あたし達、この中に入り込めるのかな)




