公式切り抜き動画
初配信を終えた翌朝。
伊吹は夜だけでなく、いつも通り朝のお勤めまでさせられた後、身支度を整えて事務所に移動して朝食を摂る。
「おいしいですね」
当初は従者が主と食事を共にするなど、と小言を言っていた智枝も、一週間近く経った今では違和感なく三ノ宮家の一員として食卓に混ざっている。
「昨日の配信は刺激が強かったですね。
あの囁き、規制されぬようにセリフは考えるべきだと思うのです」
「まぁ智枝の言う事ももっともなんだよなぁ。
もっともなんだけど、規制が必要な内容は喋ってないんだ。
問題ないと思うけど、うーん……」
伊吹がバイノーラルマイクを通じて囁いた、前世世界で言うところのASMR動画が話題に上がる。
昨夜の配信では、行き過ぎた官能表現にならぬよう気を付けていたが、この世界においてはどういう判断がなされるか分からない。
そもそも、今までそのような表現をネットで広く発信する男がいなかったのだ。
「ご主人様、考えておられる事はご自分のみに留めず、全て私達にお伝え下さいませ。
お一人で思い悩まれるのはお身体に良くありません」
智枝だけでなく、美哉も橘香も、そして美子と京香も伊吹の事を見つめている。
「うん、それについてはあーちゃんととこちゃんが揃ってから、みんなに聞いてもらう事にするよ」
そして藍子と燈子が事務所へとやって来たので、伊吹が話を切り出す。
「昨日の配信の見逃し動画だけど、すでに一千万再生も回ってる。
で、すでにこの動画から一部分を切り抜いて他のチャンネルで公開されてると思うんだけど、探してみてもらえるかな」
見逃し配信とは、生配信された映像を録画保存し、視聴者が後からでも視聴出来るようにしたYourTunesの機能の事だ。
伊吹の前世ではアーカイブ動画と呼ばれていた。
伊吹は皆に各自のスマートフォンでYourTunes内を検索し、昨夜の英知の生配信を切り抜いた動画が投稿されていないか確認してもらう。
「『男性』とか『安藤英知』とか『VividColors』とかで検索したら出て来るんじゃないかな」
「……確かに動画の一部を切り抜いたのを無断転載されてる」
藍子が伊吹の言う切り抜き動画を発見し、表情を険しくさせる。
「男性の動画を勝手に使うだけで普通に犯罪だし、なおかつお兄さんの動画ってのがね。
動画のコメント欄確認したけど滅茶苦茶荒らされてるよ」
著作権だけでなく、男性を保護する為の複数の法律に触れる可能性がある。
いくつかは親告罪ではないので、伊吹とVividColors側が訴えなくても罪に問われる事になる。
「まぁ正直それはどうでもいいんだけど、その切り抜き動画をこっちで用意して『安藤さん家の四兄弟チャンネル』で公開すんの。
無断転載されるって事は、需要があるって事なんだよね。
だから公式でやろう」
伊吹は違法に投稿されている切り抜き動画を問題視するのではなく、そこに需要があるのならば自分達で作って投稿すれば良いだろうと提案した。
「なるほど、VividColorsの収益になり、なおかつ違法動画の駆逐にも繋がる訳ですね。
さすがご主人様です」
智枝が伊吹の提案を全面的に支持する。
「これから生配信も増えるし、四人分の編集をするのは大変になるのは目に見えてる。
ので、切り抜き動画を作る専門の人を雇いたいんだよね。
公式切り抜き動画に関しては、すでに生配信してるし、切り抜いてない見逃し動画も公開してるから、内部の人間である必要もないと思うんだけど。
あーちゃん、どうかな?」
「うん、とっても良いと思う。
知り合いで頼めそうな会社を当たってみるよ。
それに、河本さん達にもツテがあるかも知れないし」
続いて、話題は昨夜の配信中に飛び交った投げ銭の総額となった。
「一回の配信で投げ銭の合計額が八千万円。
最高同時接続数が百五十万人。
生配信中にチャンネル登録者三百万人突破。
恐らくチャンネル開設後の最短記録になるんじゃないかなぁ」
藍子からの報告を聞き、伊吹はやっぱりと思う気持ちと、やべぇという気持ちが半々になっていた。
これを継続して続けて行けるのか、途中で失速してしまわないか。
いっぱい人が来た、いっぱいお金を貰った、と、単純に喜ぶ事は出来なかった。
「役員登記と株式譲渡の手続きも完了したし、VCスタジオの完全子会社化も終わったと思ったら次は切り抜き動画部門だね。
伊吹さんの発想力はすごいなぁ」
藍子がキラキラとした目で伊吹を見つめる。
VCスタジオとは河本多恵子達が立ち上げた元ゲーム制作会社の新しい社名だ。
元々は薔薇乙女同盟株式会社という社名だったのだが、VividColorsの子会社化へとするにあたり社名を変更してしまった。
伊吹はまだ直接顔を合わせていないが、今後はこのビルの二階のフロアにあるVCスタジオへ行って打ち合わせをする事もあるだろう。
「昨日ブロックした元一期生の扱いをどうしようかねぇ。
あーちゃんには電話に出ないようにお願いしてるし、このビルには警察と宮坂警備保障がいるから近寄れないし、配信を通じて話をする事も出来ないから、仮に向こうに謝罪するつもりがあったとしても、こちらが聞く体勢を取ってないからなぁ」
生配信中の勢いで、元一期生達から来たコメントを全て拒否設定した伊吹であるが、冷静に考えると向こうが謝罪しようにも、こちらにそれを聞いてやる術がない事に気付いた。
が、それも杞憂だった。
「お兄さんも甘いね、
昨日のお兄さんの配信と同じ時間に配信してて、ブロックされた後に滅茶苦茶お兄さんとあーちゃんの悪口言ってたんだよ?」
「あー、マジかぁ」
事務所のテレビを付け、昨夜の伊地藤玲夢の見逃し動画を確認すると、配信をしながら伊吹の配信にコメントし、ブロックされた瞬間に怒り狂っている様子がそのまま残されている。
その見逃し動画には凄まじい数の玲夢への批判的コメントが寄せられている。
「うわぁ、炎上してる……」
まさか生配信中に怒り狂った姿を視聴者に見せるとは思わなかった伊吹としては、ただただ呆れるばかりだ。
「伊吹さんは、玲夢ちゃんがどのような行動に出れば許す?」
藍子としては、自分が声を掛け、一時は事務所社長と所属Vtunerという間柄だった事もあり、何とか関係改善を図れないかと考えている。
「どうだろうなぁ、現状で向こうが取れる方法はもう自分の生配信を通じて謝罪するくらいしかないんだよね。
もっと言うと、新しく作ったアカウントじゃなく、元々VividColorsで用意したアカウントを使って謝罪するくらいじゃないとダメなんだ。
そこに気付くかどうかがまず第一段階なんじゃないかな」
まぁ許す必要ないけどね、という伊吹に、藍子は苦笑を浮かべるしか出来なかった。




