男性保護省の方から来た執事
昼食を摂った後、藍子に多恵子から連絡が入った。
ビル周辺の警備が厳重になった為、多恵子達だけではこのビルに近付く事も出来ない。
宮坂警備保障と警察とは協力関係にあるので、藍子は小杉の部下を伴って迎えに行った。
伊吹と燈子は引き続き、アバターの元となるイラストについて話し合っている。
「うん、とっても良いと思う。カッコイイね」
「それじゃ参考にならないんだけど」
伊吹は前世にて、幅広くサブカル文化に触れて来た方だが、何かの専門家という訳ではなかった。
良いと思うが、何がどう良いかを表現するほど、イラストに対して詳しくないのだ。
「イラストに関してはとこちゃんに任せるけど、今から来る河本さん達と話してもらって、動かしやすいイラストでとりあえずのアバターを作ってもらって初配信に臨めればいいと思う。
最初から完璧な状態じゃなくて良いんじゃないかな。
河本さん達はこれからこのビルで仕事してもらうんだし、随時より良いアバターに変更して行けばいいかな」
「なるほど、どんどん良いアバターになって行く訳ね。
そっか、これが買収した強みになるのね」
他の企業へ発注する場合、一つ一つの変更に支払いが生じるので、短期間で何度も細かい要望を投げる事は出来ない。
しかし社内、もしくはグループ内の企業であればそれが可能になる。
燈子が決めあぐねていたイラストについて、伊吹は今から最高のイラストを決める必要はなく、随時良いものに更新していけると示し、ようやく燈子の唸り声が止む事となった。
「じゃあ、このイラストを元に清書してくるね」
燈子が別室でイラストを仕上る為に事務所を出て行ったのと入れ替わりに、宮坂警備保障の警備員が入って来た。
「執事と名乗るお客様がお見えなのですが」
京香が伊吹へと目配せをし、伊吹が問題ないと頷く。
「聞いています。通してもらえますか?」
「男性保護省より参りました、久我智枝と申します。
私は出向している身ではありますが、男性保護省には不信感がお有りと存じます。
ご信頼頂けるよう努めて参りますので、何卒よろしくお願い致します」
黒いスーツに長いスカート。シニョンに纏められた髪型。伊吹はファッションに詳しくない為、ホテルのコンシェルジュという印象を受ける。身長は伊吹よりも低く、百六十センチに届かない程度か。
「初めまして、三ノ宮伊吹です。
よろしくお願いします」
立ち上がって頭を下げる伊吹に対し、智枝は早速執事として主に対する教育を開始する。
「ご主人様、主が従者へ頭を下げてはなりません。
我々は家具と等しくお使い下さい」
(面倒な人が来たなぁ)
先ほども藍子と燈子と侍女達を一緒に食事を摂れるよう話し合ったところだ。
伊吹としてはそういう堅苦しい事は出来るだけ避けたい。
お世話になるとはいえ、お世話をされて当たり前とは思いたくないと考えているからだ。
「智枝さん、僕はもっと親しみやすいお付き合いを望んでいます。
三ノ宮家は和やかな雰囲気の職場であると思って下さい」
「ご主人様のご希望は賜りました。善処致します。
私の事は、智枝とお呼び下さい」
智枝は伊吹が思ったほど頑固ではないようで、伊吹の望みには可能な限り応えるつもりのようだ。
執事が付いたはいいが、現状で特に何かしてもらうべき事はない。
「今このビルにいる状況については京香さんに教えてもらって下さい。
実家の屋敷に帰るとなると、智枝……、さんも付いて来てくれるの?」
生まれた時からの関係性があるので、美子と京香に対して今さら呼び捨てにするのは気恥ずかしくて出来ない。
だからと言って智枝のみ呼び捨てにするのは、と思い、結局敬称を付けて呼んでしまう。
「私はご主人様がおられる場所が職場でございます。どちらへでも着いて参ります。
私もご主人様のご希望に沿いたいと思っておりますゆえ、ご主人様も私の言葉に耳を傾けて頂ければと思うのですが、如何でしょうか?」
伊吹の希望に沿うようにするから、伊吹も智枝が言う事を聞いてくれ。
そういう風に伊吹は捉えた。
「分かりました。
すぐには慣れないと思うけど、智枝さんの助言を聞くようにします」
「智枝、とお呼び下さい」
(引っ掛かってたのはそこかよ)
「……智枝、よろしく」
はい、と満面の笑みを浮かべて頭を下げる智枝を見て、伊吹は変な人だなぁと思うのだった。
智枝は伊吹の指示通り、美子と京香へ伊吹についてのあらゆる事を質問し、メモ帳へ書き留めている。
智枝の年齢は二十五歳と二人よりもだいぶ年下である。
執事だから自分の方が立場が上、というような様子ではない事に、伊吹は安心する。
伊吹の後ろに控えている美哉と橘香からすれば、智枝は年上となるが、同じ職場を共にする仲間として、仲良くやってくれればと伊吹は思っている。
伊吹が智枝と侍女達のやり取りを眺めていると、藍子と燈子が事務所に戻って来た。
伊吹が智枝を自分の執事であると紹介した後、引っ越して来た多恵子達について話し合う。
「四人分の関係者証を作って、先ほどビルに到着されました。
複合機などの大きな荷物に関しては業者に頼んでいるそうなので、その事についても警備の人達に伝えてあります。
明日にはアバター作成が始められるはずだと仰っていました」
実際の引っ越しは今日で完了となるが、午前中に藍子が弁護士と税理士に依頼して来た株や登記関係についてはもう少し時間が掛かる。
「あ、忘れてた。秘密保持契約書を作らないと」
弁護士や税理士が手続きを完了させるまでは、多恵子達はまだ外部の人間という扱いとなる。
依頼主であるVividColorsの情報、特に世界初の男性Vtunerがデビューするという情報を絶対に漏らさないよう、秘密保持契約書で縛っておかなければならない。
「あ、本当ですね!
せっかく弁護士さんに会ったんだから、今日作ってもらえば良かった……」
藍子が気付かなかった事を悔やんでいると、智枝が伊吹に声を掛けて来た。
「すみません。今のお話をお聞きしていたのですが、秘密保持契約書が必要なんですか?」
「そうなんだ。今日このビルに引っ越してきた四人なんだけど、僕が演じる男性Vtunerのアバターを作ってもらうんだ。
男性Vtunerって世界発だと思うから、実際にデビューするまで口外しないよう書面にしておきたいんだ。
えっと、智枝はVtunerって分かる?」
「はい、ある程度は分かります。
秘密保持契約書であれば、私でも作成が可能かと思います。
藍子様、パソコンをお借りしてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、こちらをお使い下さい」
藍子から事務所に置いてあるデスクトップパソコンを借りて、智枝が素早く書類を作成する。
ネット上にテンプレートとして公開されている書類をチェック、流用可能と判断したものをダウンロードし、不要な文章を削除、必要な項目を伊吹や藍子達に随時確認しながら追記していく。
四人分の原本と控え、計八枚分を印刷し、智枝が藍子へ手渡した。
「ご確認下さい」
藍子が秘密保持契約書の内容を素早く確認する。
契約内容としては、何を秘密とするのか。
その秘密を開示してはならない場合と、裁判者等の公的機関からの要請があった場合については開示を避けられない場合。
業務上の秘密の共有と、目的以外での共有の禁止。
秘密が漏洩した際に行う措置。
それに伴う損害賠償請求。
そして契約期間と、申し出がない限り自動更新がされる事。
などの内容が織り込まれている。
「ありがとうございます。
あっと言う間にこんなに本格的な内容で作れてしまうんですね。
さっそく先方にこの書類を見せて、署名してもらいます。
助かりました!」
「いえ、これが私の仕事ですので」
藍子に対して軽く頭を下げつつ、智枝がちらりと自分の方へ視線を向けたのが伊吹には分かった。
「助かるよ、智枝」
「いえ、何なりと私にお申し付け下さい」
またも満面の笑みで頭を下げる智枝を見て、伊吹は褒められて喜ぶ犬を思い出した。




