【悲報】未来はそんなにすごくなかった
伊吹は前世の自分が死んでから、さほど年月は経っていないだろうと判断した。
前世の没年月日は三十歳になる前日なので、西暦で二〇二三年一月三十一日。
前の身体が生命活動を停止してから魂が抜け、どれくらいのインターバルを経て次の身体へ入り込むのかは分からない。
(俺の場合、魂に刻まれた記憶が漂白される事なく次の身体へ送られた感じか?
それでも何年も経っている訳ではないだろう。
でも多少のタイムラグはあると考えるべきかなぁ)
「伊吹ったらまた難しいお顔をして、何を考えているの?
うんち出そう?」
優しく微笑む母親。
「よく飲んでよく出す。赤ん坊なら女でも男でもそう変わらないわねぇ。
目元の辺りが小さい頃の咲弥にそっくりだわ」
そして母親が年齢を重ねたらこうなるだろうな、という顔付きの祖母。
自分が置かれた状況を考える以外は、おっぱいを飲むくらいしかやる事がない。
伊吹は母親や祖母、メイドさん達が構ってくれる時は全力で赤ちゃんを演じた。
物知り顔で話す赤ん坊など、気持ち悪がられて母乳を貰えないかも知れないと考えたからだ。
母親から子育ての楽しみを奪うのも忍びない。
それに、単純に赤ん坊になり切らないと恥ずかしい。
童貞のまま死んでしまった伊吹でも、前世で女性のおっぱいは見た事がある。
そう、二人の姉は家の中ではだらしない系女子だったのだ。
風呂上がり、上は裸に下はパンツのみの格好でウロウロしているなんてしょっちゅうで、ありがたみも何もあったものではなかった。
そんな姉達のおっぱいを見る事はあっても、吸うのは前世のリアル赤ん坊の時以来である。そしてその時の記憶はない。
リアル赤ん坊は母親のおっぱいを吸う時、決して恥ずかしいなんて思わない。
二歳か三歳くらいの女の子二人が、おっぱいを飲む伊吹の姿を興味深そうに覗き込んでいる。
だから伊吹は全力で赤ん坊を演じるのだ。
(話し言葉が理解出来るんだから文字も読めるはず。そのうち新聞かテレビかで、今が何年か分かるはずだ。
歩けるようになったら前世の自分の墓参りをしてみよう。
両親や姉達に、僕が誰だか分かりますか? と驚かせてやるのも良いかも知れない)
伊吹はそう思っていたのだが……。
伊吹の首が座り始めた頃。
未だに会っていない人物の事が気にかかる。自分の父親の事だ。
今時未婚の母など珍しくはないが、大きなお屋敷に住み込みのメイドさんが二人もいて、父親が同居してないなんて事があるのだろうか。
(もしかして、母親は大物政治家とか大富豪とか、金や権力を持った人物の妾さん?
いや、メイドさんの娘二人も父親に会っている様子がない。これだけ大きな屋敷なのに、男手がないというのは不便なのではないだろうか)
「ふふっ、また難しい顔をして。さぁ、お勉強の時間ですよ」
伊吹の祖母が伊吹をベビーベッドから抱き上げて、女の子二人にも声を掛ける。
「美哉、橘香、あなた達もおいでなさい」
「「はいっ!!」」
日中、美哉と橘香は伊吹がいる部屋で遊んでいる事が多い。そして、伊吹が部屋にいる時は必ずメイドさんが室内で待機している。
伊吹はメイドさん二人のうち、美子の娘が美哉で、京香の娘が橘香である事を今までの付き合いの中で知り得ていた。
祖母と、祖母に抱かれた伊吹。そして美哉と橘香は広いリビングへと移動し、ソファーに座る。
伊吹の祖母がリモコンで大きなテレビを操作しながら子供達に語り掛ける。
「今日は新嘗祭と言って、秋の収穫を感謝する日なの。
大昔からずっと続いてる大切な伝統文化なのよ」
伊吹は新嘗祭と言われても、どこかで聞いた事があるなぁとしか思わなかった。
何かしらのお祭りであるのだろうと、テレビ画面を眺める。
『二六八四年十一月二十三日、本日は新嘗祭が執り行われます。
新嘗祭は天照大御神が斎庭の稲穂を天孫である瓊瓊杵尊に授けられたことが……』
(いいい今何つった!? 二六八四年!? 俺が死んでから六百年以上も経ってるって事!?
その割には何も変わってなくね!? 車は空飛んでないし育児用のロボットもいなさそうだし……。
まさか第三次世界大戦で一度文明が崩壊しかけて復興を遂げた、とか!?)
「あら、お母様。伊吹に何を教えているんですか?」
「この子は三ノ宮伊吹ですもの。教えておいて邪魔になる事はないわよ。
ほら、真剣な表情で見つめているでしょう」
「そうでしょうか……?」
伊吹は前世で読んでいた漫画の続きは読めるだろうか、あのアニメの二期は見れるだろうかと、しょうもない事を考えていた。




