子会社
伊吹は多恵子達の会社から藍子と燈子が戻って来るまで、引き続き事務所内でYourTunesで情報収集をする事にした。
「元一期生以外のVtunerはあんまり見掛けないな。
美哉と橘香は好きな配信者とかいる?」
「いないし興味ない」
「YourTunesなんて見てる時間があったらいっちゃんに電話するもの」
「ふふっ、そっか」
そこへ、別のフロアにいた福乃が訪ねて来た。
ノックの音がした時点で、美哉も橘香も立ち上がり、伊吹の後ろへと移動している。
「失礼するよ。これを渡しておこうと思ってね」
福乃が伊吹の対面のソファーへと掛けて、懐から何かを取り出して伊吹へと差し出す。
「それは、カードキーですか?」
伊吹がカードキーに手を伸ばす前に、橘香によって受け取られた。基本的に伊吹自らが鍵を施錠・開錠する機会などないからだ。
「このビルに入る為のカードキーだよ。
玄関には駅の自動改札みたいな出入り口を設置して、防犯カメラも取り付けた。
各フロアのエレベーター前には警備員が立ってるから不審者が入る事は出来ないよ」
「いつの間に……」
ビルの入り口やフロアの廊下などで防犯カメラの取り付け等が完了したからこそ、小杉が多恵子達がこのビルへと入っても問題ないと判断したのだ。
「こういうのは早い方がいいのさ。代金は身内価格にしとくよ」
福乃がわざとらしく右手で輪っかを作り、伊吹へと見せてくる。
伊吹はそれを、福乃なりの気遣いだろうと受け取って、笑顔を見せる。
そして、福乃に先ほどの多恵子達の事を伝えておくべきだと思い、報告する。
「あ、ママさん。じゃなくて福乃さん。早ければ明日くらいに、このビルに外部から四人招く事になると思います。
お手数をお掛けしますが……」
「はいよ、詳しくは藍子から聞いとく。
それじゃあ私はこれで失礼するよ。まだまだやらなきゃならない事がたくさんあるからねぇ」
ヒラヒラと手を振って、事務所を出て行く福乃。
このビルの近所にある喫茶店のママさんであり、宮坂家で一定の立場にある女性、宮坂福乃。
昨日今日のやり取りの中で、伊吹は福乃が藍子と燈子の実家である宮坂家の家中でも、割と重要な位置にいる人物なのだろうと予測している。
宮坂家は近代になって財を成した家であり、金融機関や警備会社や不動産会社など数多くの傘下企業を抱える財閥である。
屋敷で生活していただけの伊吹でも、宮坂財閥系の企業には常々世話になっていた。
そんな上流階級に位置する家系が、実は自分が生まれた家の分家にあたると聞いたのは今朝の事だ。
そもそも伊吹は、自分の実家である三ノ宮家の事すら詳しく知らない。
母親である咲弥と祖母である心乃春は何故、あんな田舎の山奥に住んでいたのかも聞かされていない。
自ら好き好んであそこに住んでいたのか、それとも事情があって隠れ住んでいたのか。
そして、咲弥を愛し、伊吹が生まれてくるのを望んでいたという伊吹の父親についても。
美子と京香はある程度知っているだろうから、近い内に話を聞く必要があるなと伊吹は思った。
「このビルの入り口が物々しくなってびっくりしました」
「ホントよね、このカードキー落とさないように気を付けないと」
藍子と燈子がVividColorsの事務所があるビルに戻って来た。
藍子と燈子は伊吹が座っている対面のソファーへと座る。
美子が三人分のアイスコーヒーをテーブルへと配膳した。
皆が礼を言い、アイスコーヒーに手を伸ばす。
「お疲れさまでした」
「いえ、伊吹様のお陰で上手く話が纏まりそうです。
私と燈子だけではこうは行かなかったと思います」
「お兄さんの指示が的確で良かったよね」
燈子は出会った際の話の流れ上、伊吹の事をお兄さんと呼んでいるが、藍子は未だ伊吹との距離を縮める事が出来ていない。
これは藍子が人間関係を築くのが苦手という事ではなく、この世界の女性であれば珍しい事ではない。
伊吹としても、これから共に仕事をしていくのだから、ゆっくりと信頼関係を築いていければと考えている。
「河本さんの会社の株の話はともかくとして、四人には明日にでもこのビルへ引っ越してもらうよう伝えましょうか。
こういうのは早い方が良いですし」
「分かりました。今から電話でそう伝えます」
「あ、Vtunerのアバター一人分の製作にどれくらい時間が掛かるか聞いてもらえますか?
それで実際にYourTunesで活動開始する時期が見えてくると思うので」
「ってなると、あたしも元となるイラストを完成させないとね」
藍子はスマートフォンを取り出して多恵子へと連絡をし、その隣で藍子は対面の伊吹を眺めながらイラストを描き始めた。
電話で藍子が多恵子に、そちらが良ければ明日にでもこちらのビルに引っ越してもらって構わないと返事をすると、多恵子達は非常に喜び、すぐに荷造りを始めると張り切っていた。
アバターの制作時間について確認したところ、イラストを見ないとはっきり言えないが、他に仕事もないので五日で仕上げられると思うと回答があった。
伊吹としては、前世世界でクリエイター達が辛い思いをしながら各種業界を支えていた事を知っているので、この世界のクリエイターに対して給料以上に働かせる気はない、
しかし、少しでも早くVtunerとしてデビューし、藍子と燈子を喜ばせたいなと思っている。
そして何より、あの舐めた元一期生、伊地藤玲夢を地獄へ突き落としたい。
会社を去った四人の株主に関しては、すぐに連絡が付く訳ではないので、もうしばらく時間が掛かりそうだ。
現状として、VividColorsのビル内に協力企業を受け入れるという形になる。
「資本金が八百万円でも、今の評価額で考えるともっと低いですよね。八人中四人が権利を放棄すると想定すると、いくらくらいになるんだろう。
そこら辺は先方の会社の帳簿を開示してもらって、税理士に株価算定してもらわないとダメなのかな?」
スマートフォンで検索して、伊吹が大体の流れを確認する。こういうお金に関する情報について、もちろんネットには無数に掲載されているのだが、実際に手続きがその通りに進むとは限らない。
「馴染みの税理士がいるので依頼しておきます。買収となると、社長を決めないとダメですね」
企業を買収する際、買収する会社の株主から株式の譲渡を受ける。簡単に言うとお金かそれに代わるものを渡して株式を受け取るのだ。
株主は会社の取締役を任命し、その代表者が代表取締役となる。
元々の株主が株式を手放した際、大抵の場合において取締役達は解任される。新しい株主が自分で信頼できる新しい取締役を任命するからだ。
小さな企業であれば、ほぼ社長がその会社の株を持っているので、株を手放した社長がそのまま社長で居続けるのは考えにくい。
会社で一番立場が強いのは社長ではなく株主である。
ただし、元社長である多恵子はクリエイターなので、会社を追い出すような事はしない。それでは会社を買った意味がなくなってしまう。
「VividColorsの子会社の社長か。藍子さんで問題ないですよね?」
「いいんですか? 伊吹様が社長じゃなくて。
いや、私の会社の子会社の社長が男性様なんて、逆に不敬にあたるのかな……。
そもそも私が社長で男性様が副社長っていうのも不敬なのでは!?」
突然あわあわしだす藍子を見て、伊吹が笑って気にしないから大丈夫だと伝える。
「子会社の社長といっても、当分報酬はゼロでしょうけどね」
総資産数百万円の会社の社長で、今のところ収益予定は立っていない。親会社の仕事を受けるだけの小さな会社だ。
子会社化させるのは、VividColorsの要望に対して利益を考える事なく仕事をしてもらう為である。
そして、伊吹は口には出さないが、子会社が不要になれば多恵子達四人を簡単に切り捨てる事が可能であるとも考えている。
VividColorsで直接雇用してしまうと、VividColorsが多恵子ら四人に対して雇用を継続する義務が生じ、簡単には解雇する事が出来ないという枷が発生してしまうのだ。
現状のVividColorsに、不要な社員の面倒を見る余裕は全くない。
「あ、それと河本さん達四人と秘密保持契約を交わさないとダメですね。買収完了より先に仕事を始めてもらう訳ですし。
動画投稿開始より先に男性Vtunerがデビューするって話が漏れると面白くないので」
「なるほど、秘密保持契約書っと」
藍子は忘れないようメモ帳へ書き込んでいる。
次々に今後のすべき事柄を挙げていく伊吹を前にして、イラストを描いていた燈子が手を止める。
「よくそんなすらすらとすべき事が出てくるわね。
ホントに十八歳? 人生何回目?」
燈子は心底不思議そうな表情で伊吹を見つめる。
「えーっと、実は二回目なんですよ」
「またまたー」
伊吹が正直に答えると、燈子に笑って流されてしまった。
(本当なんだけどなぁ。まぁ信じる訳ないわな)
燈子は口を尖らせながらイラストを仕上げていく。
「うーん、お兄さんの顔にどこまで似せるかで迷うなぁ。
あんまり似せ過ぎるとお兄さんの生活に支障が出るかな?」
「さぁ、どうでしょうね。
基本的に僕は外を出歩く事がないので、支障はないような気がしますが」
そう言いながら、伊吹は部屋で待機している美子や美哉と橘香、警備担当の小杉達の顔を見る。
皆、Vtunerのアバターの顔が伊吹の実生活にどう影響するのか、想像出来ていない様子だ。
「……お嬢様。やはりあらゆる危険を考慮して、似せ過ぎないようにして頂いた方が無難かと」
「そっか。まぁ小杉さんとしてはそう言うしかないよね。
分かった。お兄さんの雰囲気を残しつつ、別人って感じで描いてみる」
燈子はスケッチブックをめくり、新しく似顔絵を描き始めた。




