敵情視察
昼食後、そう言えば屋敷を脱出する際に助けてくれたご近所さん達は無事だったのだろうかと、遅ればせながら気になった伊吹。
伊吹は怒鳴りながら襲撃犯を迎え撃っていたご近所さん達を思い出して、やはり現実感のない光景だったなぁとため息を吐く。
「今さらなんですけど、ご近所さん達は皆さん無事なんですか?」
「はい。多少の怪我はあるそうですが、大した事はなかったと聞いております。
伊吹様がご無事であったと報告した際に状況の確認をしております」
美子の報告を聞いて、伊吹は胸を撫で下ろす。
自分達が幼い頃から見守ってくれていたご近所さん達なので、無事だと聞いて安心した。
「当分屋敷には戻れないって事は、ご近所さん達にお礼も言えないな。
申し訳ないなぁ」
「今は屋敷周辺だけでなく、男性保護省やその他省庁もバタバタとしております。
もうしばらくは宮坂家のお世話になった方がよろしいかと思います」
屋敷襲撃をしたのは他国の勢力であり、男性保護省の内部に他国へ情報を流していたスパイがいた事まで判明している。
現在、国は水面下で準戦時体制を敷いており、伊吹が襲われたという問題をきっかけとして、国防そのものの見直しが進められているのだ。
「伊吹様。待機していた車に乗られた後の事をお聞かせ願いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「車に乗った後?」
改まって顔で尋ねる美子に対し、伊吹はあった事そのままを伝える。
「えっと、京香さんを置いて車が走り出して、運転手さんに外から顔が見られないよう伏せておくように言われて、何台か追手らしき車とすれ違って、最寄り駅だと追手に見つかるかも知れないから、新幹線の停車駅まで向かう事になって……」
「運転手の顔は見られましたか?」
「顔……? 顔は、見たよ。中性的な顔で、声も割と低くて、最後は笑顔で送り出してくれたよ」
伊吹が運転手の事を思い出しながら美子へ説明する。
その説明を受けて、美子は顎に手を当てて、思案し始めた。
「どうしたの? 運転手さんに何かあったの?」
「いえ、その運転手がいないのです」
「いない? いないってどういう事ですか?」
「運転手だけでなく、伊吹様を乗せていた車も今どこにあるのか分からないのです。
本来の緊急時の対応としては、車は駅の駐車場に乗り捨てて、伊吹様に着いて護衛しながら移動するべきなのですが、その運転手は伊吹様をお一人で新幹線へ向かわせてしまったのですよね?
それに加えて、運転手が誰だったのかも今となっては分からないのです」
「え……?
今怖い話してます!?」
美子の話を聞いて、急に怖くなる伊吹。そんな伊吹を、美哉と橘香がそっと抱き締める。
背中を撫でられて、少し落ち着いた伊吹が美子に尋ねる。
「えっと、運転手さんはご近所さんじゃないの?
車が見つからないのは、何か用事でまだ家に帰っていないだけとか」
「いえ、それもないようです。
京香は運転手が手で伊吹様脱出時の合図を出していたのを確認しておりますので、確実に三ノ宮家の協力者だとは思うのですが……」
京香が待機していた車を目にした際、襲撃犯の車でない事は確認済みである。
でないと、京香が伊吹を乗せるはずがない。
「何にしても、あの運転手さんにお世話になったのは間違いないからね。
無事なのかだけでも確認してほしい」
「はい、この件については引き続き調査を続けます」
美子が食器を下げ、台所へ向かった。
美哉と橘香が国立侍女育成専門学校を卒業し、初任者研修も終えた今、二人を常に伊吹のそばに控えさえ、美子と京香は主に家事や裏方作業などに回ろうという方針を決めている。
それが伊吹の為であり、娘達の為でもあると二人は判断している。
伊吹に仕える侍女としての気持ちと、三人の子供を持つ母親としての気持ち。
どちらを取っても結局はそう変わらない。
伊吹が事務所にあるテレビを付けて、YourTunesアプリを選択する。
午前中に発覚した、自分がこの世界のYourTunes事情に詳しくない事を反省し、少しでも情報収集しようと考えた。
「あ、この人って元一期生の人じゃない?」
先ほど燈子のスマートフォンで見た伊地藤玲夢が生配信中であるらしい。
敵情視察だ、と彼女のチャンネルを選択して生配信を覗く。
『マジほんとあり得ないと思わん!?
不良品掴まされたとか最悪だわマジでほんと』
何やら怒っている様子。
アバターの動きが先ほど燈子に見せられたものよりもぎこちなく、時々コマ送りのような動きをしている。
『収益は搾取するは機材は不良品だわ、マジほんと使えない女だわ』
どうやら藍子の悪口を言っているようだ。
視聴者の同時接続者数は三千人。昼間の生配信である事を考えると、決して少ないとは言えないが、多いとも言えない。
伊吹はリモコンを操作してコメント欄を表示するよう設定し、視聴者の反応を確認する。
≪怒ってるのは分かるけど配信中に言うべき事じゃないな≫
≪業者に連絡して調整してもらうべき≫
≪あの日かな???≫
意外にも玲夢に同調するようなコメントは見受けられない。
配信主が怒っている分、逆に客観的な見方をしているのかも知れない。
『業者に連絡? 連絡先知らないしあの女に言って呼ばせるわ。
ってか配信見たら私の機材が壊れてる事くらい察するべきじゃね?
そっちから大丈夫ですかって連絡寄越すべきよ。
ったくマジ無能』
伊吹はさすがに黙って見ていられなくなった。
「こいつ何なの? 藍子さんから機材とアバター強奪するだけじゃなく、配信者としてもクズじゃない?
これクズキャラとしてやってるんじゃなくてただのクズでしょ」
伊吹の言葉に美哉が同調する。
「詳しくないけど、あまり応援しようとは思わない」
「よしよし、怒らない怒らない」
「あっ! 橘香だけずるい!」
怒りを露わにする伊吹を宥めるべく、橘香が頭を優しく撫でる。
そして橘香に対抗して美哉が伊吹を抱き寄せて胸元へ押し付ける。
(幸せはここにあったのか……)
伊吹が美哉と橘香とイチャイチャしていると、視聴者から伊地藤玲夢へと投げ銭が送られた。
投げ銭とは、視聴者が配信者へと金銭を送るシステムだ。
≪500円:機材修理代≫
『あらぁ~、投げ銭ありがとう♡
でも支払いはあの女にさせるね。こっちは被害者だし。
不良品寄越すような無能には金出すしか出来んのよマジほんと。あいつ良いとこのお嬢様だから金だけはあるしね。
そもそも五百円で足りないし! 最新機器なんだからさぁwww』
「あー、こいつ早めに潰そう。見ててイライラする。
こんな奴が独立? 経営? やって行ける訳なくね?」
伊吹の怒りに同調するかのように、視聴同時接続数が二千三百人まで減少する。
美哉と橘香が伊吹の頬っぺたをぷにぷにしたり、手を取って太ももへ導いたり、何とか気を紛らわせようとしていると、伊吹用にと用意されたインカムが反応する。
美哉がハンズフリーに設定して通話状態へ移行させ、橘香がテレビ画面を消した。
「はい、こちら伊吹」
『あーっと、こちら燈子。敵本拠地へ到着、どうぞ』
伊吹は燈子が割と冗談を好む性格であると判断し、伊吹も冗談で返す事にした。
「了解。速やかに侵入せよ。極力殺すな」
『くくくっ、了解。
以後こちらからの呼びかけはないものとする。
何かあればそちらから指示をくれ。以上』
『とこちゃん、何言ってんの?』
向こうのインカムは燈子がイヤホンに繋いでやり取りしているので、藍子にこちらの声は聞こえていない。
燈子とのやり取りで少し怒りが落ち着いた伊吹は、美哉の胸元で深呼吸をする。
再び落ち着きがなくなる伊吹。
「はいはい、後でね」
「お母さんにもう一回提出に行ってもらわなきゃ」
「え、精液採取器に出す前提なの?」
『え、ナニなに何の話?』
『こちらからの呼びかけはないんじゃなかったの?』




