第六章 惑星エブルー周辺域反撃戦 4
「ご苦労様です、零。ヴァージニア陛下を危機から救い出すことが出来ました。クロノス・クロックを使用されたとしても、当座は安全です」
艦橋エリアの吹き抜けに浮かぶホロウィンドウに屈託のない美貌を映し出すルナ=マリーの労いに、これからこの難局を乗り切る困難さを思いながらも零は丁寧に頭を下げる。
「いいえ。ボルニア帝国の臣としては当然のことです」
零の答に中央のウィンドウを挟んでルナ=マリーの反対側に老獪で怜悧な面を浮かべるボルニア帝国宰相たるブノアが、相好を崩し零の功績を称える。
「謙遜なさるな。六合殿はシャイル恒星系を離れ、ユーグ恒星系への任務に赴いていた。それが、例え捕囚から事前にことの成り行きを聞き出していたとはいえ、陛下の身を危険から逃す算段を持って戻るとは。なかなかに、用意周到なようじゃ」
ルナ=マリーとブノアを映し出したホロウィンドウに挟まれる中央に凜凜々しく妖艶な美貌を映し出した赤を基調としたグラディアート機乗服をその艶姿に纏うヴァージニアは、やや低めの声を冷ややかに響かせる。
「ふん。そのような物言いをしては、そやつがつけあがる。今提督から連絡が入った。包囲網攻略艦隊が、敵包囲網の一部を破ることに成功したそうだ。これでトルキア帝国艦隊の強力なジャミングに阻まれることなく、戦場から離れこのオーガスアイランド号から指揮が執れる」
話しながら汎用コミュニケーター・オルタナのARデスクトップを操作する仕草をしたヴァージニアは戦場の経過を告げ、零は今し方の嫌味を気にしたふうもなく用意していた進言を口にする。
「ヴァージニア陛下にお願いがございます。帝国総旗艦アルゴノートを囮に敵を罠に填めるタイミング。わたくしに任せて欲しいのです。敵を知らねば、通常のやり方で果たしてそれが罠となるのか、我々は何も分かってはいないのです。分かっていることは、敵は古代兵器神の槍クロノス・クロックを用い、時を操るというだけですから。隙が分かりません」
「ふん。尤もじゃの。そちがもたもたしておらなんだら、聞き届けてやらぬこともない。爺はおぬしを高く評価しておるが、予はそうでもない。第一に零は、ユーグ恒星系での任務に失敗しておる。帝国参謀部の情報収集不足と言うやもしれぬが、失敗したからこそ古代兵器運用艦は経世兵団群などと称するトルキア帝国軍と共にあり、奇襲を受けた窮地が更に窮地になっておる。零が申すとおり、失点を挽回する意味でも予を連れ出す手立てを講じるは当然して然るべき。他国に介入された内乱で敵に先を取られ窮地に立たされた状況で皇帝を失えばどうなるか、分かっておるであろう?」
情を交わしたことが嘘のように傲岸に睥睨するヴァージニアに、零はいっそそのようなことなどおくびにも出さぬほど冷ややかに答える。
「肝に銘じております」
女帝ヴァージニアとの契りなど現状一部将で戦後オルデン・エクエスに入団を果たしたとしてもボルニア帝国での身分が低い零にとって綱渡りそのもので、ヴァージニアが無視してくれるならそれだけ零にとっては安全なのだ。
居住まいを正すと零は、最敬礼と共に離脱を告げる。
「では、窮地挽回の一助となれるよう戦場に戻らせていただきます」
空中に投影されていた三つのホロウィンドウが消え、零の右後方から呆れ気味の音律的な声を二人の関係を知るサブリナが響かせる。
「お優しい女帝陛下ね。零は随分、陛下に気に入られているのね」
「嫌味か?」
「でも、少し酷いかな。標的艦は確かに破壊した。ただし、それが本物じゃなかったっていうだけだから」
零に同情気味のヴァレリーは肩を竦め、フォルマンは嘆息気味だ。
「勝てねば無価値だと仰りたいのであろう。もしもここでヴァージニア陛下が敵の手に落ちれば、女帝軍は瓦解し我らもこの周辺域で斃れる。さすがにその後敵の言いなりということはなかろうが。何しろ大公は他にもアルノーを抜かし六人おり、皇帝候補最有力と見なされていたベルジュラック大公も無事落ち延びられれば捲土重来を図れるからの。それでも、帝国の領土は相当切り取られよう」
「崖っぷちに立たされているのは、まさしく女帝陛下だからな。厳しくもなるだろう」
頷き艦長のバジルが、渋めの面を一層渋くした。
総合指揮卓を兼ねる背後のマルチファンクション・テーブルに向き直り、零は一同を見渡すと告げる。
「これより、軽巡航艦ローレライ二は戦場へ戻りドゥポン兵団群との合流を図る。エレノアやブレイズ等と連携したい」
「了解。ローレライ二巡航推力にて当該域へ発進します」
対人インターフェイスのAIが操るヒューマノイドが答えると同時、軽巡航艦ローレライ二は全長一キロメートルの巨体とは思えぬ機動でもって反転加速した。全長二十キロメートル級のオーガスアイランド号の巨体を、あっという間に置き去りにして。
球殻状に包囲陣を敷くトルキア帝国艦隊の一部にボルニア帝国艦隊の一部が楔を打ち込むように雪崩れ込み包囲を崩す一角へ、ローレライ二は向かった。
暫しボルニア帝国の最高権力者と宰相に親衛隊を含む要人を乗せていたローレライ二の総合指揮所発令所にはほっとした空気が流れ、その意を汲むように給養担当官のネリーが珈琲を乗せたカートを押してきた。鼻腔を擽る酸味に緊張状態が続く戦場にあって、一時の憩いが流れた。
零の前に珈琲カップを置くとき軽く零の手に触れ、ネリーは小声で囁く。
「お疲れ様、零」
「全くだ。敵味方ともグラディアートは一億体を超える。長丁場になるから、適当にネリーもやっていろよ」
小声で返す零に微笑むとネリーは、零の席から離れ珈琲を配っていった。
巡航推力で進むローレライ二はほどなくボルニア帝国艦隊の陣列へと突入し、AIサポート通信担当官のマリーズが形式的な抑揚を効かせながらも艶めかしい声を響かせる。
「兵団群旗艦ポトホリに繋ぎます」
十秒と経たぬ内に三つホロウィンドウが艦橋エリアの吹き抜けにポップし、初めから四人で協議するつもりだったのか向かって右からエレノア、モリス、ブレイズが映し出された。
すぐさまモリスが一息吐くような雰囲気で、口を開く。
「零君、ご苦労様」
「女帝陛下を無事、恒星貨物船オーガスアイランド号へとお連れした」
「何よりだ。これで、ヴァージニア陛下の身を案じながら戦わなくて済む」
「それで、これからどうする?」
報告する零に頷き美貌を勇ましげにするエレノアの後を継いだブレイズの問いに、零はやや口調を意地悪くする。
「どうするなんて、俺が決めることじゃないだろう。大元帥たる女帝陛下が命じることじゃないか」
「おいおい、ただ命令されるだけだなんて言わねーだろ? このままじゃ、負けが見えてる。死にたかねーんだろう?」
半眼を向けるブレイズは本題を促し、零は軽く麗貌を笑ませる。
「アルゴノートを使って、敵を罠に掛けられないかとは思っている。その為には、敵を知る必要がある。古代兵器運用艦ギガントスの性能をまずは把握しないと。でなければ、何が罠になるのか分からないからな」
「なるほど。それで?」
深みのある赤い双眸を興味深そうにするエレノアに先を促され、零は三人に視線を送りつつ告げる。
「この状況が動くのを待とう。ほどなく女帝陛下はグラディアート戦に持ち込む為、戦場を動かす筈だ。今のままでは身動きが取りづらく仕掛けづらい」
「だろうね。敵の包囲網の一角に穴を穿ったわけだし。やりようは色々」
「うんじゃ、俺達がやることは敵を丸裸にすることか」
思慮を茶色の双眸に浮かべるモリスは同意し、ボルニア帝国での出世を夢見るブレイズは意気込み、零は密かに頼れる僚友に喜んだ。
「ああ、頼む。ヴァージニア陛下には、アルゴノートの使いどころを見極める許可を確約ではないが得てある。その為にはドゥポン兵団群は当然だが、エレノアやブレイズの武勇に頼らせて貰う」
対人インターフェイスのヒューマノイドが告げ、戦場は次の局面へと動き出す。
「ヴァージニア陛下より、全艦に向けて命令書が届きました」




