第五章 最後の試練 5
深海にたゆたうクラゲを連想させるキロメートル級艦船用宇宙港が、惑星ゴーダの衛星軌道上に浮かぶ。
その様子を艦橋エリアの吹き抜けの空中に投影された半球状のホログラムスクリーンで眺めるルナ=マリーが、菫色の双眸に子細を見極めるように慧眼を湛える。
「事前の情報通り、ミラト王国軍は民間への統制は行っていないようですね。船舶の出入りがとても活発です」
「ええ。キロメートル級艦船用宇宙港、それ以下の艦船が用いる惑星ゴーダ地表の各宇宙港、それぞれこうして見ただけでも向かう船が多い。AIが示した資料でも、常時と運輸量はさほど変わらぬようです」
ルナ=マリーに頷きつつ、乗艦が進路を向ける先にあるクラゲの傘の如き下部にするする間を開けず吸い込まれ入港の列をなす民間宇宙船を眺め、零は今のところ問題は無いことを確認する。
長いマルチファンクショナル・テーブルに座す、綺麗に切り揃えた白い髭が特徴のAIサポート参謀担当官の元子爵家隠居のフォルマン・バイヤールが、言葉とは裏腹口調に茶目っ気を滲ませる。
「さて、先ずは第一関門。無事入港できますか。ローレライ二の武装商船への偽装は、女帝軍が総力を挙げただけあってなかなかのものですが」
「データベース上の船の情報は本物で、現在ローレライ二はボルネオ商会所属の武装商船シャントン号。ミラト王国軍は数が少なく検問などはしていない様子。入港を止められることはないでしょう」
隣席の指揮官シート元いキャプテンシート近くに座るブラウンのスカートスーツを纏った女性が、完璧な抑揚を効かせた声で答えた。
ここ軽巡航艦ローレライ二改め武装商船シャントン号の艦橋エリアの中心部総合指揮所の高台にある発令所の総合指揮卓には、ずらりと人員が居並んでいた。最奥のキャプテンシートには、男装の麗人めいた年若き青年、零。左列に七道教アークビショップ、聖少女の異名が相応しい、ルナ=マリー。その護衛、戦いの束の間の休養に身を置く瀟洒な傭兵、ヘザー・ナイトリー。軽巡航艦ローレライ二AI、秘書風対人インターフェイスの、ヒューマノイド。軽巡航艦ローレライ二艦長、茶色いくせ毛の壮年、バジル・ドゥルスー。AIサポート参謀担当官、白髭の老人、フォルマン・バイヤールAIサポート補給担当官、太り気味の、ニコラ・ラデュース。AIサポート運用担当官、官僚のような風貌の、エドガール・マリネル。AIサポート航宙担当官、痩せ型の中年、リグネル・ヴィレール。AIサポート機関担当官、髭面のがっちりした大男、ジャコブ・モントロン。AIサポート通信担当官、ダークブラウンの髪を左側に垂らした女盛りの、マリーズ・ジュアット。
反対側の右列には零の副官、金髪をローポニーテールにした少女、ヴァレリー・ルブラン。六合兵団副団長、知性を感じさせる端麗な美貌の、サブリナ・フリーデリケ。分隊指揮官、ウェーブのかかった金髪の妙齢な女性、エディト・グレヴィ。大隊長、ストロベリーブロンドをショートカットにした年若い女性、レア・ミルボー。大隊長、綺麗な口髭が特徴の中年男性、エドガール・エルミート。大隊長、柔らかな顔立ちが元貴族であることを窺わせる青年、ダニエル・アジェ。大隊長、むっつりとした壮年、リシャール・フィネル。大隊長、老齢な男性、セルジュ・フランツ。大隊長、茶色の髪を編んだ女盛りの、ベレニス・リファール。大隊長、やや無愛想な成熟した女性、サラ・キュヴィエ。大隊長、本来高等学生くらいの少年、イニヤス・ラブノー。決死隊の第一エクエス相当のキャバリアーが、居並ぶ。
そして、空になったカップに珈琲を注いでいるのが、軽巡航艦ローレライ二のAIサポート給養担当官元メイドの綺麗な顔立ちをした艶姿の佳人ネリー・バイエ。
六合兵団、軽巡航艦ローレライ二の主立った面々が艦橋エリア総合指揮所・発令所にやや緊張の面持ちで、全員ボルニア帝国軍の戦闘服や軍服姿ではなく防衛隊役が武器を帯びているだけで民間の商会所属の船乗りといった銘々自由な服装だ。艦橋エリアも軍事色は一切削ぎ落とされ、老朽艦ということもあり場末の武装商船にしか見えない。
ユーグ恒星系に侵攻したミラト王国軍が居るだろう巨大クラゲめいた宇宙港を眺めつつ、零はシャツの肩から羽織ったニットの長袖で胸元に作った結び目を弄ぶ。
「無事第一関門は突破できるだろうと分かっていても、敵がすぐそこに居るのに只待つだけなんて嫌なものだな」
「そうね。今のローレライの名前同様、今のわたしたちは牙のない子猫同様だもの。無力はとても怖いわ」
「ああ。敵と戦っているときよりも、ずっと怖い」
明眸を憂愁で陰らせた視線を向けてくるヴァレリーに頷く零へ、挑発めいた響きを帯びた音律的な声をサブリナは鳴らす、
「あら? 六合兵団長殿は、鉄の心臓をお持ちだと思っていたわ。獅子の顎の中でもお楽しみだなんて感心したもの」
氷の如き冷たい口調へと変じるサブリナに、零は無表情ながら厄介さを感じる。
――この前から、サブリナは突っかかるな。ヴァージニアとのことを知ってから、何かにつけて当てこすって。
蔑んだサブリナの視線を受け、零は口調に剣呑さを帯びさせる。
「何が言いたいのさ、サブリナ?」
「何よ、凄んで。口を滑らせてもいいのかしら?」
「…………」
「調子に乗っていると知らないわよ。どこにどんな強敵を帝国内に作ってしまうか、分かったものじゃないんだから」
押し黙る零にサブリナは嵩にかかって責め立て、勘が良いヘザーが何やら感じ取ったらしく青色の双眸を胡乱げにする。
「それはどういうことです? 穏やかじゃないわ」
「零さんが、何かしでかしたのですか? 少々零さんには、非常識なところがあるので心配です。場慣れているように見えて、案外堂々と間違えている方ですから」
以前の惑星ファルの酒場での一件――零の信仰姿勢を思い出したらしいルナ=マリーに困った視線を向けられ、零は名前を一句一句区切り強調しサブリナに何も言うなと威嚇する。
「別に、何も。な、サ・ブ・リ・ナ」
「何、サブリナを威圧してるのよ。全く、困ったものだわ。零も何をしたか知らないけど、自重してよね」
胸の前で腕組みするヴァレリーは、呆れ気味だ。
すると、秘書風ヒューマノイドを通してローレライ二のAIが告げる。
「入港許可が下りました。これより、武装商船シャントンは、キロメートル級艦船用宇宙港のマルチトランスポーテーション管理AIの制御下に入り入港します」
それまで許可待ちで停止していた武装商船シャントン号が動き出し、筋張った傘状のクラゲめいたドームの下へ吸い込まれて行く。キロメートル級艦船用宇宙港は巨大で、直系約八百キロメートル。円周はざっと二千五百キロメートル以上に達する。超のつく巨大構造物だ。
航宙船が出入りする傘の下は、艦船の大きさにより入港エリアが区分されている。全長約一キロメートルほどのシャントン号は、キロメートル級艦船用宇宙港を利用する航宙船にあっては、最も小型な部類に入る。入港を指示されたエリアは、幾つもの櫛状の突起が突き出たバーがずらりと上下左右に並ぶ。そのバーの一つに近づくと、それを三十度の角度で突起が十二本等間隔で奥まで櫛のように取り囲んでいる。その突起一つ一つが、艦船を固定する桟橋だ。そこへ、マルチトランスポーテーション管理AIに制御されシャントン号はその巨体故人間には不可能な緻密な操艦でドッキングし停止した。
キャプテンシートから立ち上がりつつ、零はルナ=マリーへ声を掛ける。
「行きましょう。先ずは、女帝陛下からの言いつけ通りアレクシア猊下をボルネオ商会の商館へお連れします。作戦終了までそちらへ。その後は、商会の手引きでゴーダ脱出を」
「そのことは、ヴァージニア陛下にお断りした筈です。零もその場に居たでしょう? 何の為にここまで来たと思っているのです。結果だけを聞きたいなら、アルゴノートで大人しくしてました」
「作戦が成功しても、俺達が生きて帰れる見込みはまず無いんですよ」
七道教のアークビショップ相手に口調が砕けすぎたかと零は思ったが、ルナ=マリーは特に気にした様子もなくきびきび言葉を紡ぐ。
「分かっています。神の槍が使われることがないことを確認できれば、大人しく言うことを聞きます」
「ヘザー、そのときになったらよろしく頼む」
「ええ、任せて」
やや憮然として話を振った零に、ヘザーは短く淑やかに笑んだ。
話を引き取るように、サブリナが音律的な声を凜と張る。
「ともかく、ボルネオ商会へは顔を出さないと。何の商取引もしなければ、怪しまれるわ」
「それに新たな情報も得られるかも知れないわね」
「そうだな。これから向かおう。AI、クルーに下船許可を」
補足するヴァレリーに零は頷き、AIが使用するヒューマノイドが零の求めに応じる。
「了解。当直を残し下船許可を伝えます」
零達は艦橋エリアを出て、揃って下船。船を固定した桟橋内の通路から、シャトン号が見えた。色をグレーに変えた以外、見た目はさほど変わりが無い。元々戦闘から外され補給に回されていた老朽艦である為、中古市場に退役艦は払い下げられていてこの船齢なら当たり前に出回っており大幅な改修は必要としなかったらしい。船体には、ボルニア帝国の国章ではなく、ボルネオ商会の金貨袋が派手な金色で描かれていた。
機械兵ユニット群は降ろしてあり、そのブロックにグラディアートを隠すように搭載していてウェルドッグからは見えない。元々グラディアートを搭載していた場所には商船としての積み荷のリキュールが山と積まれ、十体の傭兵やこういった民間の防衛にも普及しているロッサム社のグラディアートが目立つように搭載されていた。
少し離れた場所から、如何にも開放感に満ちた声が響いてくる。
「久しぶりの陸だー」
「今日は、思い切り飲むぞ」
先に下船していた船員達が本物の商船の乗組員さながら、陽気に繰り出すところだった。迫真の演技だが、あながち演技ではないかもと零は思う。羽目を外し飲むなど、任務以外で彼らには数度あっただけだ。案外、最後の晩餐のつもりで居るのかも知れない。が、怪しまれないのはいいことだった。
零は通路から港を見渡すが、ミラト王国軍の戦闘艦は見当たらなかった。尤も、ここは広大な宇宙港の一エリアに過ぎないが。
通路の行き止まりから、連絡リニアへ乗り込み宇宙港中心部へ向かった。トンネルを抜けると、景観が突然開けた。
中心部は、ここは惑星上かと見紛うような大の付く都市部。商業活動の中心的場所として、大概のキロメートル級宇宙港の中心地は栄えていた。ボルネオ商会の商館もここに支店、惑星上に事業所が置かれている。
辺りを不自然にならぬ程度に見回すサブリナは、ほっとしたものを声音に乗せる。
「ミラト王国軍の姿はないわね」
「まあ、当然でしょうね。元々、王国の軍勢は少ない。統制などしていない民間への監視は強くないのでしょう」
敵地に居る緊張感がまるでない様子で、ヘザーが応じる。
汎用コミュニケーター・オルタナにボルネオ商会へのナビを呼び出すと、零は呼びかける。
「向かおう。徒歩で十分行ける場所だ」




