第4章 星降る夜 17
加速した巨岩の群と共に三時間宇宙を疾駆した六合、リザーランド、リュトヴィッツの三兵団は、光学センサの通常倍率で惑星レーンを捉えられる距離に到達した。闇の深淵の中に浮かぶバーミリオンの輝きは、さながら貴石のように見る者を誘う。
これから始まるだろう熾烈に長い巡航に適した意識を切り替えようと零がしたとき、サブリナの音律のある声が当たり前のように現実感を伴い響く。
「そろそろね。味方の主力兵団群の艦隊が、陽動も兼ねて惑星拠点防衛システム・エンゲージ・リングの射程外ギリギリで待機してる筈。味方が作戦エリアのすぐ傍に居るのに当てに出来ないなんて、ホントもどかしいわね」
「全くだ。防衛システムの射程内は、荷電粒子の嵐。惑星レーンの衛星軌道上に無数に浮かべた粒子加速中継器と偏向電磁石が、粒子加速器として用いられている。まさに、前代未聞の規模。戦艦だろうが、エネルギー伝導表面硬化型シールド装甲以外に被弾すれば一撃で沈んでしまう。そんな場所へのこのこ行く奴は、只の馬鹿さ」
「ちょっと二人とも。もうその地獄は、目と鼻の先なのよ。気合いを入れ直さなくちゃいけないときに、出鼻をくじくようなこと言わないでよ」
サブリナの愚痴に同調し弁舌を振るう零に、呆れ気味のヴァレリーは嫌そうに抗議した。
ファントム・エイラは、以前惑星ファルで一時契約をしたシェルケに比べ声にやや瑞々しさがあるものの抑揚に欠ける片言は似ている。
「惑星拠点防衛システム・エンゲージ・リング推定射程範囲内に到達」
本来タンデム式の零が身体を預けるシートの背後に席はなく取り払われ、代わりに中で幽子体の精霊が揺蕩う様が透かし見える窓があるカプセルが固定されていた。惑星ファルでグラーブと共に共闘したシェルケに代わり、零に配属されたファントムはやはりゲレイドに搭載された人形だった。諸元面ではシェルケより上のモデルとはいえ、やはりローエンドモデルの大量育成体であることに変わりはなく、人型の肉体を有したファントムと性能は比ぶべくもなかった。零の技量と人形とでは隔たりが激しく、遠慮なくゲレイドを駆ればエイラが機能不全に陥ることに変わりない。詰まりは、戦場にあって人形であるエイラがフリーズしてしまう恐れがありそれが命取りであることは、以前と変わり無いと言うことだ。
何かに耐えるように――この状況では明確で惑星レーンを覆う超巨大粒子加速器・惑星拠点防衛システム・エンゲージ・リングによって晒されるだろう猛威に、気を紛らわすようにブレイズが幾分緊張を孕んだ声で零をからかう。
「南無三。神の御加護をって奴だな、元巡礼者。もう七道教の加護を受けた旅の巡礼者じゃないから、零に祝福されてもありがたみはねーが」
「違うな、ブレイズ。旅の巡礼者は、旅人を見守る守護聖人と見做される。だから、加護を与えられるのは旅人やその旅に対してで、何でもかんでも効果があるわけじゃない。おっと、これは即物的だったな。元巡礼者なんだから、零は詳しいんだろう?」
「今だって旅の巡礼者だ。只、巡礼の旅を中断してるだけで」
律儀にブレイズの馬鹿話の考え違いを正すエレノアに、今一度己の立場を明確にすべく零は言葉を尽くす。
「ベルジュラック大公との諍いと惑星フォトーでの戦いでうやむやになっていたけど、俺は旅の巡礼者のままだ。内乱後、ずっとボルニアに仕える気はない。今は内乱中。辞めることは認められないし、勝手におさらばしたら敵前逃亡罪。けど、内乱後ならじっくり辞められるさ」
「じっくり辞めるって何よ? まだ、巡礼の旅とか馬鹿なこと考えてたの?」
「考えは変わってなかったのね。決死隊を自分の兵団として率いるって決めて、その気になったのかって思ってた。だって、惑星フォトーでの零の活躍は凄かったし、そうしてくれれば頼みたいことがあったのに」
呆れ気味にサブリナは小馬鹿にし、失望した様子のヴァレリーはどうしてか気落ちした声音だった。
二人の声を聞き流し刻一刻と惑星レーンへ高速で接近する中、零は希うように呟く。
「このまま見逃してくれるか? 気付くなよ。俺達は、惑星レーン近くを通り過ぎるだけの流星群だ。攻撃対象じゃないぞ」
汎用推進機関による推進を既に停止し今は慣性で進む巨岩の群れに紛れる三兵団千五百強の同様に汎用亜光速推進機関による推進を停止したグラディアート兵団群は、さながら亡骸の群のように偽装流星群の一部となっていた。惑星レーンの惑星拠点防衛システム・エンゲージ・リングは未だ沈黙の中にあり、目覚めれば猛威を振るう敵攻撃圏内に居る零は包まれる静けさに却って緊張が増していた。まるで、敵との会敵を望んでいるかのように。その方が、まだ楽だとでもいうように。嫌な時間だった。
が、それほど待つことはなかった。まるで零の希望に応えるように、エイラのどこか機械的な声が響く。
「惑星レーンの索敵衛星から、レーダー照射を確認。発見された模様です、マイ・ロード」
「全く。旅の巡礼者の加護も、ここでは無しか。ま、そうそう上手くはいかないよな。でも、気が楽になった。幸い、奥深くに食い込むこともできたことだし。兵団群各位、情報感覚共有リンクシステム起動。気休めだが岩の陰に。離脱ポイントに達し次第、衛星マダムートの集結ポイントへ。エイラ、流星群の加速とフィールド発生最大出力。離脱と同時に流星群の軌道を修正。牽制に衛星軌道上の加速中継器と偏向電磁石に。各位、当たるなよ。ヴァレリー、オルタンス、バルチアン、ランベール、シャルロット。タイミングはファントムに一任。付いて来い」
【【【【【了解】】】】】
【イエス・マイロード】
最後に自隊に零が呼びかけるとヴァレリーを始め隊員とエイラから高速情報伝達で返事が返り、惑星レーンに無数の光の筋が描かれ煌めいた。衛星軌道上に無数に並べられた加速中継器と偏向電磁石を粒子が通るときの、超速の煌めき。次の瞬間、巨岩に次々と荷電粒子が命中した。その一撃は、戦闘艦に搭載された超大口径の重イオン砲やプラズマ砲の比ではなく、強力なフィールドによる減衰がないかのように一つ一つが数百メートルはある巨岩を一撃で粉砕する。惑星拠点防衛システム・エンゲージ・リングに死角はなく、惑星レーンから吹き荒れる暴風の如く荷電粒子が一角に荒れ狂った。
飽和攻撃とまでは行かないことが、幸いだった。その高出力から、衛星マダムートに設置されたイオン源入射装置の入射速度と数が自ずと限られる。キャバリアーの未来予知を増幅させるファントムと補佐するグラディアートによって、攻撃予測は正鵠を極める。零も何度か陰に隠れる巨岩を攻撃前に回避した。まだ、三兵団の内で損傷を受けた機体はなかった。が、巨岩という隠れ蓑がなくなれば、標的を見定めた敵攻撃システムは一体一体を攻撃飽和で追い込むことが可能となる。時間との勝負だった。
世界が割れたかのような錯覚を覚える十数秒、晒される猛威に耐えていた零にエイラの機械的な思考が天使の囁きのように響く。
【離脱ポイント到達】
同時、オルタナアライメント・プレコグニション・サイバニクスシステムを通し、もう一つの頭脳ともいうべき架空頭脳空間が己と認識しているゲレイドの背から腰にかけて連なる機動スタビライザー等を含む推進ユニットから、汎用亜光速推進機関の燐光をぱっと散らしその場を離脱した。人形とはいえファントムのエイラによって増幅された未来予知が既に零に体感させていた荷電粒子を、続く自隊のゲレイドを認識しつつ機動スタビライザーの重力偏位によって零は機体を急激に機動させその場から掻き消えるように僅か上方へ移動し躱し、衛星マダムートとの距離を一瞬で食い潰し惑星拠点防衛システム・エンゲージ・リングの死角に入った。
続々と衛星マダムートに雪崩れ込むグラディアート群に混じって、零に遅れることなくヴァレリー他四人の自隊のゲレイドが陣形を組み着いてきていた。零の小隊は副官機を設けている為六体で、小隊員が零を陣頭に後ろに傾斜をつけるように横に並びヴェレリー機が零の背後に着く鉾矢の陣形を取っていた。
咄嗟のことだというのに、零は思わず目を見張り高速情報伝達にも感心するものが混じる。
【訓練の成果が出てるじゃないか。一体も遅れずに陣形を保ったままとは、やるな】
【こんなこと、出来て当然だろう?】
四人の年少者の中で生意気な少年バルチアンが、小馬鹿にしたように応じた。
透かさずヴァレリーの厳しさが伝わる合成音声が、バルチアンを窘める。
【こら、駄目でしょう。零は、あなた達を気遣って言ってくれているんだから】
【そんなこと分かってる。お節介って、言いたかっただけ】
【ヴァレリーは、バルチアンの為に言ってるんだよ。それに零だって、あまりにも年若いわたし達の生存を高める為に自分の隊に置いてるのに。我が儘】
【僕達もう貴族でも何でもないし、軍では階級の上下が重視されるんだよ。六合卿は上官なんだから、命令はちゃんと聞かないと】
【驚いた。ヴァレリーにそんな口効くなんて。少し前なら、侯爵家令嬢を前にして縮み上がってたでしょう。あんたみたいなのが真っ先に死ぬのよ、バルチアン。グラディアートに乗ったくらいで、英雄にでもなったつもりなの?】
ヴァレリーに口答えするヴァルチアンを、気さくなシャルロットがやんわり、大人しい性格のランベールがおずおずと、勝ち気なオルタンスがやや辛辣にそれぞれ注意し、形勢の不利にバルチアンはやや勢いを落とし不満げだ。
【何だよ。俺を悪者にしてさ】
【全く。もう少し、可愛げ見せなさいよ。バルチアン】
年少者達とヴァレリーの遣り取りに、零はヘルメットのバイザー越しに額を押さえる。
【ホントに大丈夫か? 俺がお守りなんて】
首を振り、ホロウィンドウに表示されたヴァレリー達の顔を見て零は思い直す。
【ま、戦場に飲まれるよりはずっといいか】
六合、リザーランド、リュトヴィッツ各兵団は、一体も傷つくことなく無事衛星マダムートの集結ポイントで合流を果たした。ゲレイドから成る零の兵団の両隣、各五百・二兵団のパルパティアの前にそれぞれ立つのは、エレノアとブレイズのグラディアートだ。
エレノアに与えられたのは、兵団主力機のパルパティアではなくその上位機種であるファブールだ。ライラック色をした要所をやや大ぶりな装甲でミディアムクラスの骨格を覆った強固なイメージを与えるデザインの、第一・第二エクエスの別格の機体は別として一部の精鋭兵団や主力兵団でも上位の部将に与えられるハイエンドに位置する機種。アイセンサが六つあるフェイスマスクはヘッドギアを填め込んだようで、人とは異質な機械的な静物としての印象を与えた。アダマンタイン製光粒子エッジ式バスターソードを、同じくアダマンタイン製フィールド発生エネルギー伝導硬化型カイトシールド裏にラックしている。
ブレイズのランスールは、ウィスタリア色をした要所を護るアーマーが丸みを帯び少なめで内部機構を除き見せる、高機動タイプ。頭部アーマーと一体となった三角形をしたフェイスマスクが、より軽快な印象を与えた。アダマンタイン製光粒子エッジ式ブレードを、同じくアダマンタイン製フィールド発生エネルギー伝導硬化型ラウンドシールド裏にラックしている。
背後に並ぶ己の兵団と左右のリザーランド・リュトヴィッツ両兵団を確認すると、零は次の作戦行動に移るべく指示を出す。
【各兵団、揃ったな。兵団群各位、自律軽量斥候を出し、目的のイオン入射装置稼働施設の位置を探ってくれ】
元居た場所を零が見遣ると、数を減らした偽装流星群の巨岩に、惑星拠点防衛システム・エンゲージ・リングの荷電粒子が猛威を振るい荒れ狂う。百近く残っていた巨岩が見る間に砕かれあっという間に数を減らし、数瞬後閃光の暴風に消し去られた。
流石にその様に零の血の気がぞっと引き、高速情報伝達を介さず言葉に出して呟く。
「あの中に取り残されたら、生き残れる見込みはない。衛星軌道上に惑星を覆うように無数に浮かぶ加速中継器と偏向電磁石全て――惑星レーン全体が砲台ってわけだ。イオン原入射装置の連続入射能力と数の制限を受けているのが幸いだな」
「ああ。ほんの少し離脱するタイミングが遅れてたら、生き残れなかったかも知れないな。尤も、早すぎても駄目だ。衛星マダムートと距離があるから、グラディアートと判別した敵攻撃システムは、こちらを優先的に狙っただろうからな」
右上にホロウィンドウがポップし映し出されたエレノアがヘルメットのバイザーに閃光を反射させつつほっとした様子でこちらも高速情報伝達を介さず零に同意し、その隣にエレノアが縮小しつつ新たにポップしたホロウィンドウに映し出されたブレイズがヘルメットのバイザー越しの精悍さのある端正な面を顰める。
「ホント、嫌になるぜ。こんなこと、下位のたった三兵団にやらすなって話だ。この戦力で、防衛戦力で護られた敵の虎の子の兵器を沈黙させろとか」
「様子見の第一波攻撃なのだから、使い捨ては当然だろう?」
ブレイズへにやりと零が笑いかけると、新たにポップしたホロウィンドウのサブリナが知性と勝ち気さが現れた端麗な美貌を険しくし声に挑戦的な音律を刻む。
「奥歯に物が挟まったような物言いね。はっきり言いなさいよ、零。この作戦――第一波攻撃は、わたし達決死隊に対して行われる第二の試練だって。気を遣わなくても、いいのよ?」
「サブリナ、作戦行動中よ。混ぜ返さないで。でも、言いたいことは分からなくもないわ。ベルジュラック大公は、早くわたし達に死んで欲しいの。目障りな前皇帝派――謀反人の中でも重罪な者達ですもの。でなければ、見せしめにならないから」
「ヴァレリーお嬢様……ごめんなさい。あんなの見せられたものだから、つい感情的になってしまって。零も、悪かったわね」
四つ目のホロウィンドウがポップし凜々しさと清楚さが同居した美貌をしかつめらしくしたヴァレリーに、ヘルメットのバイザー越しの美貌をサブリナは冷静にし零に詫びた。
ふっと、麗貌を零は緩める。
「否。ここは戦場だからな。アドレナリンが過剰分泌するのは、仕方が無いさ。俺も、そうだし。こんな俺達が置かれた状況を、揶揄しなければやってられない」
再び新たなホロウィンドウが出現しバイザー越しに閑雅な美貌をマーキュリーが覗かせ、鈴のように涼やかな声を響かせる。
「零、探索に出しが自律軽量斥候が、こちらに接近中の敵勢を捉えたわ。詳細は、トルキア帝国ボーア・エクエス大隊とミラト王国ストレール・エクエス大隊。二方向から進軍」
「ちっ、最精鋭を衛星の防衛に充てていやがったか」
「どうする零? 主力兵団のキャバリアーでは、第一エクエスの相手にならないぞ」
左掌に右拳を打ち付け表情を険しくするブレイズと、己の双眸を深みのある赤いそれで覗き込むエレノアに、零は大きくもないのによく通る声を尖らせる。
「どうするもこうするもないな。何の手も打たずこのまま当たれば、この三兵団は全滅同然となるだろう。こちらも、第一エクエスだけで相手しよう。俺と六合兵団の第一エクエス相当の十三名、エレノア、ブレイズ以外は、下がらせよう」
「そうするしかないわね。けど、敵二大隊九十機に対して、こちらは十六機。五倍強の兵力差があるわ。厳しいわね」
「その上、敵のフォルネルやティグリスとこちらのゲレイドでは性能に差がありすぎる。せめて、パルパティアなら増しだったけど。懲罰部隊に、最新鋭機を回しては貰えない。言っても仕方が無いとはいえ、つい愚痴りたくなるわ」
零の言葉に、ヴァレリーが青い明眸に思案を浮かべ、サブリナが煌めきのある榛色の双眸に勝ち気な思慮を浮かべた。
いきなり第一エクエスと遭遇することを低い確率で見積もっていた零は、二人の声を当てが外れた思いで聞きながら三兵団総員へ呼びかける。
「聞こえたな。年少者を除いた第一エクエス相当、詰まり大隊長以上の六合兵団の者はこの場に残れ。俺、エレノア、ブレイズ、サブリナで三人ずつ率いて敵に当たる。残る三兵団は、副兵団長が指揮。俺の兵団はユグノーが。後方のこの指定ポイントにて待機。惑星フォトーでやったように、迂回して進む侵攻ルートに幽霊を出現させ残る防衛兵団を誘導しろ。それでいいな、エレノア、ブレイズ。時間をかけて戦えよ」
架空頭脳空間の空間認識戦術マップの一カ所をマークしつつ指示を伝える零は、最後に含みのある言い方でエレノアとブレイズに念押しした。
バイザー越しの艶美な美貌をエレノアは意味ありげに笑ませ、精悍な面にブレイズは納得した表情を浮かべる。
「ああ。今わたし達が行える最善手だろう。時間をかけて、ね。なるほど」
「最精鋭の連中は、二大隊だけで済ませたいものな」




