第4章 星降る夜 14
風光明媚な観光地で運行すべく作られたシャトルバスが停車すると、内戦という時節柄に照らせば多数の乗客を吐き出した。
一団の最後、オリーブ色のフーデットマンを纏った二人組の女性がシャトルバスを降りた。
先に降りた方の背が後ろの女性に比べれば低く華奢な女性客が見上げるように顔を上げると白髪が溢れ、フードから覗く菫色の双眸が見開かれる。
「これは、見事なものですね。ここに来る途中、小型運搬艇から見えていましたが、近づけばこれほどとは……まさに大廈高楼たる威容といったところですか」
伸びやかな声に感嘆を帯びさせるルナ=マリーは、天高く聳え立つ古代遺跡・世界の門が加えてくる巨大な圧に軽く目眩を覚えた。
パイプとなった幾本もの階段が複雑な螺旋を描き天空への道を連想させる巨大建築物が、古代遺跡・世界の門だ。
パイプの色は一色ではなく光沢を持つ渋みのある色合いの、現在では創世不可能と言われる金属等とは別種の材質で出来ている。
それぞれ色の異なるパイプが古代には螺旋が顫動しエレベーターのように階段が上昇下降していたと伝わる、ルナ=マリーの双眸に映るそれは今静止の中にあった。
その螺旋の終点の頂には、遙か見上げる下からでも分かる巨大な砂時計が設えられている。
世界の門の周囲は建築物と五メートルほどの間隔でぐるり柵が巡らされ、等間隔で巨柱のようなフィールド発生装置が並んでいた。
ざっと見たところ殺傷能力のあるセキュリティは設けられておらず、世界の門から三十メートルほど離れた場所に、警備の詰め所があるだけだ。
遺跡のあるこの場所は、森林地帯に数キロぽっかり開けた白い石があちこちに見られる岩場だった。
そこが自然の風光を残しつつ、遺跡から五十メートルほど距離を置いて観光客相手の種々の店や宿泊施設が並ぶ、人類がテラに居住していた太古の城下町的な情緒ある街並みとなっていた。
ルナ=マリーとヘザーを乗せた小型運搬艇が着陸した小型艇用の発着場は、街から一キロほど離れた場所にありそこと街を結ぶシャトル便でたった今着いたばかりだ。
ルナ=マリーに続きシャトルバスを降りたヘザーも、額に手を翳しつつ上を眺め遣る。
「大きい。これはなかなか壮観ですね。そして荘厳だ。ざっと五百メートルといったところでしょうか。ふふ、オルタナの計測も大凡合ってますね」
聳え立つ世界の門を見詰めるルナ=マリー同様、汎用コミュニケーター・オルタナが視界に重ねて表示させただろうAR情報を確認しヘザーは満足そうだった。
このARガイドは機能を停止していなければ、人のような銀河憲章により保障された存在以外なら毎日同一時刻にエリアごとで自動更新されるデータベースに情報があるものは皆、一定時間対象を注視することで情報が表示される。
すぐさま表示しないのは、そうしなければ情報表示が溢れかえり視界が煩くなってしまうからだ。
隣に並んだヘザーへ一瞬視線を移すと、ルナ=マリーは再び前を向き珊瑚色の唇を開く。
「インテリジェンス・ビーング群によって作られた創造世界と現世とを繋ぐ、現代では理解不可能な装置ですからね。あのてっぺんにあるのが、クロノス・クロックですか。十二国時代以前の神の槍と言われる超兵器群の一つ――現代では使用法が分からずオブジェとして扱われていますが」
「創造世界からの干渉なしには恐らく使用できず、兵器としては稼働しないと言われていますからね。今では只の時を刻み続ける、動力源不明な時計でしかありません」
己の言葉に頷くヘザーが言うとおり、天辺の砂時計の砂が落ちきりゆっくりとひっくり返り始めた。
世界の門へ近づくと、観光客達の会話がルナ=マリーの耳に流れ込んでくる。
「時々、世界の門が鳴動するらしいのよ。旅宿のお上さんが、もう数ヶ月前から続いてるって言ってたわ」
「詳しくお話を伺えます?」
「一昨日の朝、観光に来た地元民以外の者が騒いでたわ。何でも、前の晩に世界の門が薄ら光って、澄んだウィンドチャイムの音色のような音がしたって」
「ほう、わたしは妻と最近世界の門で異変が起きているとの噂を聞いてやってきたのですよ。いやー、羨ましい。もう一日早くに来ておくべきでした」
女三人の旅人に、中年の夫婦と思しき旅人が話しかけているらしかった。
恍惚とした眼差しの夫人が語る声に、高ぶる感情を抑えられぬ熱が籠もる。
「今は途絶えてしまった、天上の神々の世界創造世界との道が繋がる前兆かしら? 銀河を侵略して回り圧政を敷いた十二国によって、閉ざされてしまったエデンへの道が」
その一団に聞こえぬ小声で、ヘザーが声音に冷笑を閃かせる。
「おやおや、創造世界がわたし達人類を素敵に飼育してくれていたことをお忘れとは。いやはや、十二国は確かに銀河を侵略し今では想像も絶するような騒乱をもたらしたことは確かですが、そのエデンとやらを上に頂いていた期間人類は歴史を殆ど喪失してしまっていた。何しろその頃の歴史の主役は、人類ではなかったのですから。為政者が居るとはいえわたし達は自らの錯誤によって道を切り開けるようになったというのに、解放をもたらした存在を否定するとは愚か。今のわたし達は、少なくとも歴史は刻めます」
「十二国時代が始まったのは、十二万年前。それが、それ以前の世界の終焉。そして、その十二国は八万年前に滅んだ。それだけ時が経っていれば、インテリジェンスビーング群によって管理された世界に生きていた頃の記憶を忘れ去り、当時に理想を抱いてしまうのは人間の性です」
同じ過ちを繰り返す人間に切なさを感じつつもの寂しげな気持ちになたルナ=マリーに、ヘザーは肩を竦める。
「でも、これはちょっと怖い。創造世界に支配された時代を望む者達が、出現し始めているのですから」
確かに、と。内戦中であるにも関わらず遺跡に訪れる多くの旅行者に、ルナ=マリーは視線を走らせる。
――これまでは気にも留めなかったけれど、悪魔崇拝的に創造世界を絶対視するカルト集団は確かに存在しましたが、世界の門に異変が起き始めているとなるとこの人数は……。
そう思いかけ、ルナ=マリーは首を振る。
自分は何を考え始めているのだ、と。
「聖導教との一件もありますし気にはなりますが、今は別のことを考えましょう。ここに来たのは本当に遺跡に異変が起きているか確かめる為ですが、どうやら本当のようですね」
「ええ。そのようです」
ヘザーに頷き、ルナ=マリーは今後の方針を整理する。
「では異変が起きていることを前提に、どのような異変かも大凡分かったということにして、どうして起きているのかを知る必要がありますね。異変は毎日というわけではないようですから、起きるまで遺跡の町に泊まって、って、ヘザー、どこへ?」
忽然と姿を消したヘザーにルナ=マリーは辺りを見渡すと、遺跡の周囲に張り巡らされた柵に一定間隔で設けられた巨柱のごときフィールド発生装置の物陰からひょいと探し人が顔を出し手招きした。
一体何を、と怪訝に思いつつルナ=マリーは彼女の元へと向かった。
巨柱を回り込むとヘザーは腰の化学兵装を抜き放っており、粒子を伝導させるエッジを裏返して握っていた。
ルナ=マリーの姿を認めると、ヘザーはキリッとした精緻な面に不思議な笑みを浮かべる。
「少々、お待ちを」
「こんなところで抜剣して、何を――」
迂闊に見えるヘザーの行為を叱ろうとして、ルナ=マリーの言葉は途切れた。
剣先に魔法陣のようなものが浮かんだからだ。
その剣をヘザーが遺跡の方へ差し向けると、長方形の人一人分ほどの空間の周囲に、青白い何かに抵抗するような摩擦が生じた。
それが何であるのか、ルナ=マリーは知っていた。
マジック・キャバリアーの技で、結界やフィールドに穴を穿つ上位レベルの技。
ここが如何に死角になっているとはいえ周囲に観光客が居る場所での無謀と直接世界の門を調べたい誘惑に、ルナ=マリーは美貌に微妙な表情を浮かべる。
「ヘザー、あなたは……」
「せっかくここまで来て、お行儀良く外から眺めていてどうするんです?」
ちらりとルナ=マリーを振り向くと、ヘザーはフィールドを鬩ぎ止める長方形の空間を通り通り抜けてしまった。
このままでは人目を引いてしまうと、ルナ=マリーも仕方なくヘザーの後を追いフィールドを抜けた。
抗議の視線を向け口を開きかけると、ヘザーはルナ=マリーが反応する間もなく彼女をさっと抱え何をと問うまもなく次の瞬間には柵の向こう側に居た。
徒人では感知が追い付かぬキャバリアーの敏捷さで、ヘザーはルナ=マリーを抱きかかえ柵を乗り越えたのだ。
地に降ろされるとルナ=マリーは、最早ヘザーの行為を軽率と詰る気も失せ気になることを口にする。
「ヘザー、あなたは、マジック・キャバリアーだったのですね」
「あら? ご存じありませんでしたか?」
通常使用される科学兵装光粒子エッジとは若干異なる仕様のそれは、イオン砲を柄に備えている。
ヘザーは、刀身の峰をルナ=マリーに示した。
細工の如きそれは、ハイメタルの刀身とは煌めきが明らかに異なっていた。
光粒子を伝導させる通常の刃以外に、その峰も刃でその金属が柄まで伸び絡みつき一見装飾に見える。
その水を滴らせたような輝きのそれは、創成金属ミスルリ。
魔力伝導に優れた特性を持つ。
しれっとしたヘザーに、ルナ=マリーの清らかな美貌が胡乱げになる。
「ええ。これまで、マジック・キャバリアーの技を披露してくれませんでしたから」
「そう言えば、機会がありませんでしたね。つい、失念していました」
ぬけぬけと答えるヘザーに得体の知れなさを感じつつ、ルナ=マリーは今は詮索するまいと現状へと意識を戻す。
「全く。こんなことをしたらすぐに警備が来てしまいます。どうするんです?」
「ここに来るとき、小型運搬艇に残る相棒に頼んでおきました。世界の門の監視センサ類に欺瞞情報を流しておくように、と。心配は要りません」
周到なヘザーに、ならば今は目的に集中すべきとルナ=マリーは遺跡へと視線を移した。
柵から世界の門までは、五メートルほど。
背後のフィールド発生装置を背にすれば、見付からず辿り着けるだろう。
ヘザーへ目配せし、ルナ=マリーは歩き出した。
近づくと、世界の門を形成する古代の素材は金属とも炭素素材とも生物とも言い難い不思議な質感をしていた。
強いていえば、グラディアートに使用されるアポイタカラが似た感じがするだろうか。
階段状の幾本ものパイプは、遠くからでは分からぬがレリーフめいた複雑な幾何学模様がびっしり刻まれていた。
世界の門に入り口のようなものは見当たらず、パイプが柱のように並んでいるだけだ。
そのパイプと同素材の床は、その付け根と一体となっていて模様のように右回りの渦のようなものが浮かんでいた。
まるで水面を棒でかき混ぜると出来る、波紋のように。
世界の門の下部は規則性がある空間で一種の緊張を孕んでおり、神殿かはたまたアートか何か特別な催し会場めいて見える。
だが、ルナ=マリーの目にはただそれだけのものに映る。
「見たところ、特に何もありませんね。何らかの芸術的オブジェにしか、見えません」
慎重に手を伸ばし、ルナ=マリーはパイプの一つへと触れた。
何気なく。
特に考えもせず、只。
が――、
瞬間、触れたパイプはもとより世界の門の構成物全てが、うっすらと輝きだした。
そして、澄んだウィンドチャイムにも似た鳴動が遺跡全体から響き始める。
同時に、波動のような温かみすら感じる波が周囲へと放たれたとルナ=マリーは体感した。
瞬間、ルナ=マリーと繋がっていた世界が断絶する。
ヒュッ――と、それまでルナ=マリーの周囲を取り巻いていた空気が途切れた。
目の前にあった筈の、古代遺跡・世界の門は跡形もない。
それどころか、ルナ=マリーの目線には何も。
視線を下方へ移せば、白い筋や塊が浮かんでいた。
それは、見慣れた雲だった。
だが、上空には透くような青い空が広がっていて、雲はルナ=マリーの下に浮いている。
そして、奇妙にも空には太陽がなかった。
であるにもかかわらず、心地よい明るさに満ちていた。
遠くに連なる連邦が見え、今ルナマリーが居る場所は広大な峰の縁に設けられたバルコニーであるらしい。
その端に置かれたテーブル席に、ルナ=マリーは座しているのだ。
これが一体何なのか、ルナ=マリーの意識が認識しようと活動を始める。
――わたしは、世界の門に居た。本当に今の今まで。でもこれは――。
突然、正面から響いた声にルナ=マリーの思考は中断させられる。
「いきなりで驚いたかしら? 巫女」
誰も居なかった筈の正面に、若い女性が座っていた。
その女性に、ルナ=マリーは見覚えがあった。
ボブカットの銀髪。
神秘的な、緑玉の双眸。
血のように赤い唇。
透くように白い肌。
細身の全身は、全体的に白を基調とし所々青い筋が入った身体にぴったりフィットしたボディースーツに包まれていた。
腰のベルトからは、スーツと同素材の布が数本垂れている。
菫色の双眸が見開かれ、ルナ=マリーは息を飲む。
「永遠の歌姫ユー・クライドっ! どうしてあなたがここに?」
「わたしがあなたをここに呼んだからよ。ルナ=マリー」
己が口にした名を否定せぬ目の前の女性――ユー・クライドにはっとなり、ルナ=マリーはまるで白昼夢のように迷い込んだ今居る場所、世界に思い至った。
胸の鼓動が高鳴る。
夢だと思えてしまう。
だが、自分は今の今まで世界の門を調査していて異変が起き、何の予兆もなくこの場所に居たのだ。
確信に近い憶測を確かめるべく、ルナ=マリーは乾く喉を無理に酷使する。
出た声はまるで己のものとは思えない、掠れたもの。
「こことは、創造世界のことですか?」
「あら、ごめん。いきなりだったわね。永遠に歌い続けるわたしが刻の境界の住人だって知ってるでしょうから、分かるかと思って。その通り、ここは創造世界。あなたの意識を繋がせて貰ったわ」
刻の境界は創造世界にある。
十二万年間そこへ至る道が途絶えた世界に今己が居ることにルナ=マリーは戦慄を覚えた。
十二国時代以降、この世界を訪れた者は目の前のユー・クライドを含めほんの数名。
――これが夢とは思えません。意識を繋いだと言っていましたから、白昼夢とは遠からず、わたしの身体は元の世界のままわたしはここに居るのですね。
心を落ち着かせ、ルナ=マリーは珊瑚色の唇を開く。
「どうして、わたしをここに?」
「一つには、この世界とあなたの感応性が優れていたから。そして、銀河で起きつつある異変に興味を持つ広範囲に影響力を有する立場の人物であるから」
まるで質問を知っていたかのように間髪入れずに答えるユー・クライドの声は、刻の境界から彼女が精霊力として届ける歌声そのものだった。
最早神――宇宙のハーモニーたる律動とも同一視される伝説の歌姫の声は、ルナ=マリーを不思議な気分にさせた。
だが、この瞬間の奇跡の邂逅に浸ってはいられぬと、ルナ=マリーはユー・クライドの話に意識を引き戻す。
「銀河で起きつつある異変……それは、銀河の各所の古代遺跡・世界の門で起き始めた異変と関係が――」
「あまり時間がないわ。水面下でずっと続いていた、創造世界の現世への再顕現に関わることよ。今各地の世界の門で起きている異変は、その前兆のようなもの。核心ではないわ。歯車が回り始めたのは、一年半前にあった元十三騎士の一人執行者ジョン・アルフォードの凶行」
「彼は、ラ・ネージュ聖王国で復活したと言われる、かつて十二国がこの世を管理したインテリジェンスビーング群から人類を解放する手伝いをした存在、光の導き手を倒しました。光の導き手は、十二国を導き人類をインテリジェンスビーン群の管理から解放した存在。自由を得た十二国が銀河の侵略を始めると姿を消した、まさに人類の導き手。以来、現世には干渉していませんでした。それが、聖導教信徒総員の祈りでこの世に姿を現した。ラ・ネージュ王国は、光の導き手によって創造された光の巫女の血を引く聖王家の一つ。ですのでかの国が復活の地に選ばれました。再び人類の行く手を照らしてくれる存在に、世界が関心を寄せていました。その想いを砕いた彼は、人類の反逆者、秩序の破壊者の落胤を押され地獄の門で永劫の責め苦の中にあります」
「そう認識しているわ。以来、闇に潜んでいた者達の活動が活発になった。現世から精霊種などが使う法などの流動ではなく、創造世界への干渉が始まったのよ。再接続が、ね」
赤い双眸を伏せるユー・クライドの面には憂慮が浮かび、ルナ=マリーはことの重大さに言葉を探す。
「創造世界を絶対視するカルトは幾つかありますが……とてもそのようなことは。そもそも、そのようなテクノロジーは既に破壊され喪失しています。とても、人類が主導する技術体系では、辿り着けるものではありません。方向性がまるで異なりますから」
「あなたが考えている者達は、扇動された者達よ。遙かなる過去から、十二国時代から暗躍する者達のことを、わたしは言っているの。その者達の名は、アポストルス。十二国時代以前、この世を管理したインテリジェンスビーン群の中核をなす二十四の従属の支配者の復活を望んでいる。人類では到達出来ない、この世の真理に到達する為」
一度伏せた緑玉の双眸を再び上げ、ピタリとユー・クライドはルナ=マリーの菫色の双眸に合わせた。
まるで、ルナ=マリーの奥底を探るように。
初めて聞くことばかりのルナ=マリーは見透かされていると知りつつ、それでも七道教のアークビショップとしてこれまで培った正義感が頭を擡げる。
「アポストルス……従属の支配者の復活など狂っています。かつての人類が管理されていた時代に戻れば、その真理とやらに到達出来るのは人類ではありません」
「ま、そうね。けれど、彼らは人類が今と同じ存在である必要はないと考えているのかしら」
「そんなことをすれば、どれほどの災禍が人類に待っているか。怨嗟に嘆く者達の慟哭は、銀河を酸鼻で満たすことでしょう。かつての銀河の大乱の再来です」
「だからあなたは、備えなさい。わたしは――」
ユー・クライドが言いさしたそのとき、まるで回線が不安定になった映像に遅延が起きるように彼女の姿がぶれた。
美貌にユー・クライドは険しさを浮かべ、口早に言い立てる。
「妨害だわ。もう駄目。わたしが言ったことを、肝に――」
ぷつりと通信が途切れるように、ルナ=マリーを取り巻く世界が変わった。
目の前には、世界の門が迫り手には未知の材質の感触があった。
すぐ傍で響く淑やかな声が、頭ははっきりしているくせにどこか夢現なルナ=マリーをはっと心づかせる。
ルナ=マリーの意識を、現世と同調させるように。
「どうしました? マリー? ぼうっとしていたようですが……話しかけても返事一つ返してくれませんし」
「……ヘザー……」
当たり前に現実を取り戻している己に、ルナ=マリーは違和感を覚えた。
ほんの少し前、ルナ=マリーの意識は現世を離れ別の世界に在ったというのに。
――どこかへ行っただとか、意識が途切れるだとかいったことなしに、わたくしは二つの世界を一瞬で行き来したのですね。
清らかな美貌と菫色の双眸を真剣にし、ルナ=マリーはヘザーを見詰める。
「今、わたくしは、創造世界へ行っていたのです」
「! それはこの異変と関係が? マリーの様子は尋常ではありませんでした。つい今し方当たり前に話していたというのに、反応がないだけでなく身体はここにあるのに何か遠くにあるような気がしたのです。なるほど。マリーの話を信じましょう」
目をすっと細め青い双眸に宿した鋭い観察眼をルナ=マリーに注ぎ、ヘザーは何事かを読み取るように頷いた。
そして、遺跡へと視線を送る。
世界の門では、先ほど始まった異変が続いている。
薄らと光を発し、ウィンドチャイムが鳴るような澄んだ響きで鳴動していた。
いっそ天上世界の旋律でもって。
ルナ=マリーも遺跡に視線を送りつつ、己の次の言葉を待つヘザーへ語りかける。
「どうやら、わたくしは永遠の歌姫に呼ばれたらしいのです。世界の門の異変に、わたしが同調してしまったからなのでしょう」
「最早神話上の歌姫ユー・クライドに? 冗談でしょう。あなたは白昼立ったまま夢を見ていたんです。と言ってしまいたいのは山々ですが、そうなのでしょうね。普段のマリーを知っていますから、あのように意識が飛ぶなど有り得ない。向こうで何があったのです?」
「ありがとう、ヘザー。ここで詳しくは話せません。落ち着いた場所で話しましょう。ヘザーには聞いて貰いたいし、意見が欲しい」
「なら、小型運搬艇に戻りますか? それとも、ここの旅宿に?」
「そうですね、一度――」
思案するようにルナ=マリーが言いさしたとき、背後の観光客達から悲鳴が上がった。
何事と、ルナ=マリーとヘザーが振り返ると、不気味なフェイスマスクが特徴の暗い色彩の騎士甲冑を纏った十二名の一団が観光客を突き飛ばし遺跡へと向かって来たのだ。
その武装集団の一人が、観光客達を脅すように呼ばわる。
「七道教のアークビショップを見た者はいるか? 隠し立てすれば、只では済まさんぞ!」
近くの者が知らないと答え、観光客達は我先に遺跡から逃げ出した。
ちらりと傍らのルナ=マリーへ、ヘザーは視線を送る。
「お目当ては、マリーですか。流石は有名人。人気がある」
「嬉しくありません。でも、どうしてわたくしがここに居ると知れたのでしょう?」
面を緊張させ当惑気味のルナ=マリーに、ヘザーが上空を指し示す。
「マリー、上を! フリゲートです。彼等のあの統一された一級の装備といい、只の賊徒の類いとは考えにくい。注意を!」
世界の門の真上に、灰色の戦闘艦が降下し見る見るその艦影を拡大させていた。
汎用コミュニケーター・オルタナがルナ=マリーの視線から判断し、対象物情報を表示した。
>距離一千二百二十五メートル。対象物長五百十四メートル。フリゲートと推定。
妙な不安感を掻き立てるギザギザした形状のフリゲートは急速に降下し、世界の門の天辺、砂時計のオブジェの真上でピタリと静止した。
世界の門はセキュリティ機能を有しているが、大規模な襲撃に対処するような防衛システムは持ち合わせていない。
不法者に対して、治安を担当する機械兵ユニット群が応じるだけで、戦闘艦のような空の脅威にはまるきり無力だ。
人間の治安要員も居るが、その者達はキャバリアーではない徒人で戦闘要員ではない。
あくまでここは観光地なのだ。
世界の門の真上に静止するフリゲートは、大型の作業用ロボットを三機射出した。
それらは重力子機関の重力制御と汎用推進システムによる機動で、天辺の砂時計のオブジェ――クロノス・クロックに取り付き作業に取りかかった。
怪訝な口調でルナ=マリーは、敵の目的を推し量ろうとする。
「古代兵器を奪おうというのですか? 今では使用することのできない、只の鑑賞物でしかないというのに。ですが、放っては……ヘザー、襲撃者をどうにか出来ますか? 可能なら、クロノス・クロック強奪を阻止して欲しいのです」
「わたしはマリーの護衛ですから、言われずとも襲ってく者達に対処しますよ。只、上空のフリゲートは確約しかねます。わたしが搭乗していない状態で、キャバリアーが搭乗した敵グラディアートが出てくれば、未来予知が効かないわたしの契約ファントムとグラディアートは逃げに徹するしかありません」
「それでも、可能な限りお願いします。襲撃者の方は、何人かは生かしておいてください。聞きたいことがあります」
「承知」




