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第4章 星降る夜  10

 ここは空中庭園かと錯覚させるほど広大で多層的なルームは、凝った調度と建築デザインの品の良さから零が未だ目にしたことのないボルニア帝国のラ・リヴィエージェ宮殿の一角を連想させた。一種の芸術性を帯びた広大なルームは、言うまでもなくボルニア帝国総旗艦全長十五キロメートルに及ぶ巨体を有する重戦艦アルゴノートの艦橋エリアだ。ここが宇宙空間に浮かぶ人工物の中なのだという圧迫感など微塵も感じさせない高台となった総合指揮所の下に広がるのは、お洒落なオープンテラスのカフェが並ぶ街角さながらだった。


 前方が空中庭園を彷彿とさせる吹き抜けとなった開けた艦橋エリア中央に位置する総合指揮所の下部には大規模作戦会議を行うブリーフィングスペースを有する広大なホールがあり、その最奥の階段を上り詰めた高台には発令所の総合指揮卓を背に女帝ヴァージニア・ド・ダイアス・ボルニアが座す。絢爛とは対極の機能美に満ちた装飾のない地金を整形しただけの女帝が座す総指揮官シートである玉座は、シンプルだった。ただ、シートの材質は虹金であることは明らかだが。新たに即位した若き女帝が虚飾を嫌い実用性を重視した変革の象徴として先帝の装飾過多の玉座を廃したらしいと、モリスから零は聞かされた。


 自身が立つホール一帯へぐるり視線を巡らしつつ、零は声が大きくなりすぎないよう、けれど、周囲の者達に聞こえるよう注意し呟く。

「前回の惑星フォトー奪還へ差し向けられた時と同じ顔ぶれだな」

 零の視線が捉えるのは、女帝ヴァージニアの傍らに控える宰相ブノア・ド・ルベッソン、玉座下の左側に並ぶ白と青を基調とした戦闘礼装を纏ったオルデン・エクエス総司令マリウス・ド・ドゥラン他同エクエス上級軍団群長が三名、軍団群長が四十名、軍団長が四百名及び随員九百名弱。招集された側は、女帝の正面に立つ西方鎮守府将軍ジョルジュ・ド・ベルジュラック大公、その背後に控えるオクシデント・エクエス軍団長十名と二十名の随員、さらに左斜め後方に少し離れてベルジュラック大公国領邦軍兵団群長十名と麾下の兵団長及び随員、右斜め後方にはモリス・ド・ドゥポン等ボルニア帝国主力兵団群中級兵団群長十名と麾下の兵団長と随員がずらり。


 同様にホールに居並ぶ顔ぶれを眺めていたエレノアが、零の暗に意見を求めた呟きに頷く。

「ああ。わざわざ招集して、女帝陛下は何をお命じになるのか?」

「厄介ごとじゃなけりゃいいっすけど、そう言ってもいられないのが正直なところですかね。この分遣群はアダマンタイン創世核鉱物重要産出地、惑星フォトーを奪還した実績がありますから。殲滅の光弾(アニヒレート)砲台で要塞化した惑星を攻略する、高難易度の。その分、零の兵団が危険に晒されるかも知れない。何せ、試練とやらが課せられるからな」

 エレノアに同意するブレイズが口にした不吉な言葉に、冗談じゃないとの想いが零の夜空の双眸を白ませ顔を顰めさせた。


 そんな零の背後から、微かに不快感の混じった音律のある声が響く。

「先の分遣群の総指揮官は、ベルジュラック大公。刑を執行したくてうずうずしている公のことだもの、必ずわたし達決死隊を死地へと追い込んでくる」

「でしょうね。嬉々として、何を命じるにせよ試練を組み込んでくる。あと二回。身と心を削られる思いをすることになるわ。備えておかなければ、いけないわね」

 零の右後方に控えたサブリナの囁きにその左隣に立つヴァレリーが、用心するように声を潜ませた。周囲に居並ぶ者達がボルニア帝国軍の紺色の戦闘礼装姿の中、サブリナとヴァレリーだけが黒色を基調とした決死隊の戦闘服姿で浮いていた。その格好は、彼女等の立場を表明した死装束。二人は、零の随員として同行している。サブリナは、副兵団長。ヴァレリーは、副官だ。


 二人の囁きに、零の中で残響のような声が勝手に響く。

 ――またジョルジュの麾下になりそうとは、まるで彼は刑執行の首輪のようだ。


 残る二度の試練を承知で決死隊を麾下としたのは己だと、零は這い寄る憂鬱を振り払った。惑星フォトーで生き残ったとき、零は彼等を見捨てられないと思った。生き残りたい本能は、同じだから。せめて、捨て駒として無駄に死ぬことがないように、と。懲罰部隊である決死隊は、死地に三度送られる。ソルダとしての道を捨てた零だったが、否、捨てた零だからこそ今後のボルニア帝国での立場など、気にする必要が無かったから。己ならば内乱を全員は無理だろうが生き残らせることは可能だろう、と。只、生き残らせるだけで内乱後の彼らの境遇にまで責任は持てないが。


 せっかくだから、総合指揮所に居る面々を零はなるべく詳細に記憶に留めようと視線を再び走らせた。招集された者以外でこの場に居るということは、女帝ヴァージニアに近い立場ということだから。今後の内乱中、生き残る為の駆け引きが必要になるかも知れない。尤も、零が直接パイプなど作りどうこうするということはない。それをするのは、己を麾下とするモリスのすることだ。少なくとも、情報源となる有力貴族の派閥があるらしいから。


 観察する零の双眸に、女帝サイドで第一エクエス・オルデン以外で華麗な戦闘礼装を纏った一団が注意を惹いた。オルデンのものよりも、より戦闘に特化した衛士のそれ。以前目にしたときは気にならなかったが、今度は数が多い。


 美貌の右側に垂れたショートヘアの赤い髪に半ば隠れた深みのある赤い双眸へ視線を送り、零はそっと尋ねる。

「あの、女帝の周囲を固めている高級そうな身なりの衛士達は? 随分若い」

「親衛隊さ。零が初めて女帝陛下にお目通りした時にも、オクタヴィアンを引き立てて来ただろう。尤も、男性隊員からなるソレイユ宮、女性隊員からなるリュヌ宮各一大隊のみだった筈だ。前皇帝の親衛隊の内、前皇帝派は粛正されてそうでない者も一度任を解かれ再度入隊の審査を行うらしかったからな。元親衛隊員は、決死隊にも何人か居るぞ。ヴァレリーや侯爵家推薦のサブリナもそうだったし。編成が進んだようだな。二十個大隊は居そうだ。定員の半分ってとこか。わたしの妹が返り咲けるかは、わたし次第だな。彼等は、侯爵家令嬢のヴァレリーもそうだったことで分かるだろうが、帝国で将来を約束されたエリート達で学生のインターンさ。大隊長で何と第一エクエス・オルデンの軍団群長と同格。軍事階級も大将だ。学生期間が終えれば、現階級を引き継ぎ、近衛、オルデン、オクシデントそれぞれの第一エクエスに配属される」

「へー、お偉いんだ。学生だからって、侮れないな。不興を被らないよう、注意しよう」

「それがいいな、零は。全く、初めてお前と出会ったときのことを思い出す。わたしとブレイズにモリス殿で、女帝陛下やベルジュラック大公に取りなすのが大変だった」

「悪かったな。おっと、始まるらしい」

 玉座近辺に動きがあり、話を聞いていたらしいブレイズが向けてくる非難の眼差しを無視して零は押し黙った。


 ヴァージニアが右手を挙げ、傍らに控えていた宰相のブノアが顔を近づけ何事かを告げられ頷くと、ホールを見渡すように向き直る。

「参集して頂いた一同に、女帝ヴァージニア陛下がお言葉が授けられる。心して、傾聴するように」


 やや疲れたようなそれでいて聞き取りやすいブノア独特の声で引き渡されると、ヴァージニアが悠揚と椅子に身を預けたまま低めの声を気怠げに響かせる。狙い通りだろう、その態度と声音には傲岸さが漂っていた。

「一同、参集大義。楽にせよ。礼は不要だ」


 総合指揮所に居並ぶ大半の者達が取っていた直立不動の姿勢が解かれ、一拍置いてからヴァージニアは続ける。

「急遽集まって貰ったのは、凶報が舞い込んだからだ。現在、前皇帝派貴族との合流を画策するトルキア帝国軍はヴァーネット公爵領公星リールを囲むオルデン半数と対峙しており、アルノー大公国・ヴァグーラ王国経済共同体諸国家盟約軍を近衛軍がアルノー大公国領に封じており、集結中のミラト王国軍との決戦に向け通称我が女帝軍も集結中である。その我が軍勢の進撃予定ルートにあるネージュ恒星系惑星レーンが、トルキア帝国・ミラト王国連合軍大小二千隻の艦艇群とその戦力によって占拠された。もたらされた情報によると、持ち込んだ大規模防衛システムを惑星レーンと衛星マダムートに建造し、亜空間航路管理システム敷設を開始したとのことだ。現在、惑星レーン周辺域との連絡が途絶している」


 内容を吟味させるようにヴァージニアが言葉を切ると、ブノアが控えめに付け足す。

「メイファースト社で試作中と噂の、超大型粒子加速器・惑星拠点防衛システム・エンゲージ・リングではないかと、技術部から指摘が上がっております」

「そうか。恐らく、それだろう」


 ブノアの捕捉にヴァージニアが鷹揚に頷くと、距離を取り正面に立つ臙脂色の豪奢な戦闘礼装を纏った偉丈夫たるジョルジュが直答ではなく己の意見を弁じる形で口を開く。

「何と。亜空間航路の制御を一度敵に奪われてしまえば、惑星レーンを奪還するのは至難の業だ。数光月に渡って敷設されただけで通常空間を亜光速で航宙すれば一年で辿り着けるか。光年単位でなら、暫くは使い物にならん。少なくとも、内乱中は」

「まこと、難儀なこと。内乱が終えてもかの恒星系を奪還するのに、十年以上時を要するなど笑い話にしかならぬ」

 こちらも意見に応答する形で第一エクエス・オルデンを束ねる宿将たるマリウスが面白くもなさそうに意見を口にした。

 それを皮切りにホールに居並ぶオルデン・エクエスや招集を受けた面々はあちこちで意見を口にし、場がざわついた。


 艶のあるメゾソプラノに、思慮の響きをエレノアは乗せる。

「なるほど。わたし達が集められたのは、それか」

「惑星フォトー攻略に編成されたこの分遣群なら、確かにちょうどいい」

「まだ、女帝軍は編成中でこの分遣群は手つかずですからね。すぐに動かせる」

「また、奪還対象をガチガチに固めてるやつか。フォトーでは酷い目に遭ったから、今回は楽に行きたいぜ」


 エレノアの言葉にサブリナとヴァレリーが補うように意見を口にし、嫌な顔をするブレイズに零は同調する。

「全くだ。フォトーのように、一歩間違えば全滅必死の策など使いたくもない」


 十分にこの場に居る者が事態を真剣に捉えたことを確認するように黙していたヴァージニアは、交わされる意見の中へ己の声を響かせる。

「正しく、危機というわけだ。そして、迂闊に惑星レーンへ進むのは危険だ。現在敷設されただけでも、封鎖された亜空間航路の区間分通常空間を進めば、そこは監視網が敷き詰められた正しく敵の狩り場だ。たちどころに敵軍の知るところとなり、亜空間航路を使用できる敵は意のままに有利な体勢で行軍中の我が軍へ軍勢を差し向けることができる。挟撃、包囲、待ち伏せと思いのままにな」

「奪還には、戦上手の将が要りまするな」

「一刻の猶予もなりませぬ。直ちに、奪還群の派兵を」


 ブノアが思惑ありげにマリウスが急くように進言し、一つ頷くとヴァージニアはやや低めの声に覇気を宿し凜と引き締める。

「亜空間航路管理システムの敷設が進まぬ内にこれを叩き、迅速に惑星レーンを奪還する必要がある。予想で一光週ほどは今からすぐ向かったとしても完成している見込みだ。集結中の通称女帝軍は、予定の七割ほどしか集結を完了しておらず、連戦で損耗したグラディアート用の大型武器も資源確保がなり現在督促し増産中だ。不足のグラディアートやファントムの補充もまだ。すぐには、女帝軍は進軍できぬ。そこで、だ」


 語気を強めると玉座から立ち上がり、ヴァージニアはジョルジュを見据える。

「ベルジュラック大公に、前回の惑星フォトー攻略に当たった分遣群を再編し惑星レーンを奪還して貰いたい。その為に、前回と同じ軍団と兵団群の代表を参集させた。実績ある卿等に任せたい。夕刻までの出立、可能であろう?」


 さっと直立不動の姿勢を取ると、ジョルジュは右拳を心臓に宛がい気勢を上げる。

「はっ! 大命、謹んでご拝命つかまつる。必ずや吉報を持ち帰りましょう」

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