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第4章 星降る夜 8

「自室でこ)時間に寛げるのは、何だか随分久しぶりな気がする。ここのところ、エレノアやブレイズと遅くまで飲んでたとはいえたかが数日。短期間に、存在を植え付けてくれたものだ。それだけ、あの二人が騒がしかったってことだ。やっと自分の艦に帰ってくれたお陰で、ゆっくり出来る」

 部屋着姿で自室のベッドに横になった零は、額に腕を乗せ気怠げな様子で独りごちた。天井の照明パネルの明かりを落とし部屋の隅に設置された間接照明で仄かに照らし出されたモダン調の室内は、備え付けだろう最低限の調度品以外何もなくすっきりとした空気が凜と張っていた。それは、普段から零の周囲に張り巡らされている空気と同様な。


 人心地着いた零は、今日の成果を振り返り決めておかねばならぬ事柄を口ずさむ。

「副官は、ヴァレリーでいいか。何人か選んで、一緒に俺の隊に。グラディアート戦で俺はあまり戦う気がないから、実戦には早すぎる年少者でも」


 決死隊の何かと不揃いな顔ぶれで幾人かの知らぬ顔を決め込むには心に棘を感じる、未だ初等教育課過程の高学年か中等教育過程の低学年だろう年少者を零は思い浮かべ、それから兵団の核としようとする者へと意識を向ける。

「予定通りサブリナには、グラディアートでの兵団運用時陣頭指揮を任せよう。才走り、己の才を過信してしまうきらいはある。多数の流派技を組み入れた剣は一つ一つ磨きが足りず、全体が歪に完成してしまっている。そう、完成。それが問題だが……一つの流派を徹底的に修練し奥義レベルまで到達出来れば、これまで得た豊富な技は生きることだろう。とはいえ、通常の兵団でソルダ位階第三位虹は破格だ。第一・第二エクエスを相手にすることはまず無いだろうから、キュベレといい勝てる者など居もしない。サブリナには徹底的に叩き込みたいところだが、内乱中で時間が足りない。一度今の剣を壊さなくてはならないから戦闘に支障を来す」


 生真面目で優れた資質もあるが学生だったヴァレリーを副官に据えるのは、サブリナに対する担保的な意味合いもある。サブリナの希望は、主筋であり妹分でもあるヴァレリーを生き延びさせることだから。自信家としての彼女は断らないだろうが、独断に走る危険性がありその手綱代わりというわけだ。


 虚ろだった夜空の双眸の焦点が今は定まり、天井に蟠る闇を見詰める視線はそれを見通すようだ。

「大凡の編成は、エレノアやブレイズとマーキュリーにカーライトやエインセルと話し合って大体決まってる。細部は、サブリナとヴァレリーを加えて決定するか」


 決意を新たにしたような、覇気のある己に気付き零はむっとなる。

「てか、俺はどうしてこんなことを乗り気で考えているんだ? 俺はそもそもソルダとしての生き方を捨てたいのに。戦場なんて、まっぴらご免だっていうのに」


 不機嫌に吐き捨て煩悶とする感情を募らせた後、見捨てられないと思った決死隊に思い至って、零は叱りすぎたことに罪悪感を覚える上司のように微妙に悩ましげな口調となる。

「決死隊を生き残らせる。だから、俺が率いると決めた。けど、俺はボルニアに仕え続けるつもりはない。俺の戦士としての心は、もう折れちまってる。そんな奴がソルダを続けたら、破滅が待つのは必定。俺は、決して自分に敵わぬ存在があることを知っている。どうにかしようにも、どうにもならない存在が。あれは残酷だ。俺が無価値だと教えられた。だから、内乱が終えるまで。決死隊に課される残り二つの試練。それを乗り越えさせるつもりでいるけど、その後は――」


 何故だか、口にするのは躊躇われる。冷淡に感じて。

 ――内乱が終えたら、おさらばだ。生き長らえさえすればいいとは思わないけど、それ以上俺に出来ることはない。

 柄にもなく薄情と、零は心のどこかで囁かれたような気がした。


 惑いを振り切ろうとするとついてくる慚愧をねじ伏せようと逡巡していると、汎用コミュニケーター・オルタナと接続されたルーム制御|特化型AI《ANI)から来客の通知が呼び鈴チヤイム)の音と共に届いた。同時にホログラムウィンドウが空中に投影され、来訪者を映し出した。オルタナのARで右端に他のディスプレイと共に表示された時計は、午後十一時半過ぎを示していた。


 額に当てていた腕を降ろし麗貌に明らかな不快さを浮かべ、億劫そうに吐き出す零の声は不機嫌そのものだ。

「……こんな時間に、誰? あれは……」

 人目を憚るように緊張した面持ちで部屋のドアの前に立つ人影に、零は覚えがあった。決死隊に堕とされてしまった公爵家令嬢に付き従って、自身も決死隊となったメイド。

「確か、ネリー? バイエ……」

 小首を傾げつつ、メイドの名を零は呟いた。しきりに左右に視線をやる様子と、一人人目を忍びやって来た時刻とに零は用心した。

 ネリーが部屋のドアの前で佇む様子を暫し観察した零は、その気を揉む様と再び来訪を告げ帰りそうにない様子に一つ大きく溜息を吐き出した。


 ベッドから身を起こし、乱暴に言葉を転がす。

「仕方ない。用件を聞いてさっさと帰らせる」

 ベッド下の室内履きに足を通すと零は寝室を出てリビングを突っ切り玄関へ向かうと、一般クルーの部屋と違い恒星戦闘艦にあってレトロなドアガードをガチャリと外しそっとドアを少しだけ開いた。


 僅かな隙間から外を窺うように顔を覗かせ、ぶっきらぼうに尋ねる。

「こんな遅くに、何?」

「あのー、夜分遅く女性が忍んでやって来たのです。中へ入れて頂けませんか? 零様と折り入ってゆっくりお話がしたいのです」

 押し売りでも警戒するような零の態度に、ネリーは深緑色の双眸を見開き呆れ顔をした。

 ショートカットにした茶色の髪が似合うネリーは、やや気が強そうな綺麗な顔立ちをした高等学校を出たばかりほどの年若い女性だ。私物を本来許可されない決死隊が持ち合わせぬ簡素なミニ丈の紺色のワンピースは、先日の補給で手に入れたものか。自宅で寛ぐようなそれに包まれた全身は、女性的起伏が十全に備わり艶容だった。


 夜空の双眸をドアの隙間から覗かせる零は、入念な身支度を感じさせるネリーに嫌な予感がますます募り声音をやや剣呑にする。

「ここじゃ、駄目なわけ?」

「立ち話ではちょっと。誰かの目や耳があるかも知れません。わたくし個人の頼み事もあるものですから」

 零の態度に怯えるより気色ばむようにムッとなった様子のネリーは、だが、辛抱強く表情や声音に直向きな健気さを滲ませた。


 初めて惑星フォトーの戦場で声を掛けたとき、気や芯が強いだろうなと感じていた零だったがやはりと思い、簡単には引き下がらないだろうと諦めた。


 ドアを大きく開くと、歓迎はしていないと伝わる声音で部屋の中へと招じ入れる。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 一つ頭を下げさっとネリーが中へ滑り込みドアを閉じると、部屋を管理しているルーム制御|特化型AI《ANI)は自動で施錠した。


 玄関からすぐのリビングへネリーを案内するとソファを勧め、零は二つのグラスにワインを注ぎ客人の前へ一つ置くとテーブルを挟んだ対面に座り手に持っていた残りのグラスを自分の前へと置いた。


 グラスを手に取り口に含み喉を湿らせると、ネリーは緊張を解くためか部屋の中を物珍しげに眺める。

「広い部屋ですのね。わたくし達が使っている兵団員や航宙士用の一DKの個室と違って、部屋が幾つもあるからベッドが見えない部屋に客を通せるのはいいですね。人が来ても寛げますから」

「兵団長クラスの上級職用の部屋だからな。艦長室と同じ間取りなのさ。けど、ネリーの言い様は贅沢だな。軍用民間用に関わらず基準は多少違えど、星々を渡る恒星艦や恒星船は長期航宙に備えてるから乗員の生活環境には負荷がかからないよう気を配られてる。軍用艦なら、戦地に赴いたときせめて乗員の気が違っていない程度には。このローレライ二の個室は、キャバリアーなら二DK以上が当たり前の第一・第二エクエスの乗艦ほどではないにしても、大国の恒星戦闘艦だけあってか主力兵団用ならなり上等な部類さ」

 零もグラスを手に取り舌を湿すと、ネリーの取り留めのない話に合わせた。こんな話なら、寝酒に丁度いいし出来ればこんな話で帰って貰いたかった。


 人心地ついたように顔の血色が良くなってきたネリーは、不機嫌さが消えた零の様子に安心したのか声に淀みが消える。

「そうなのですか。軍艦など乗るのは初めてですし決死隊として送り出された時わたしたちは貨物扱いでしたから、流石に男女は別れてはいましたが最低限の生活設備が整った大きなコンテナに一纏め。それと比べたら、人間扱いにほっとするのは確かですね」

「良かったな。ネリーはキャバリアーではないのだから、残る二つの試練で命を落とす可能性は低い。決死隊のキャバリアーが全滅でもしない限りはな。内乱が終えるまで、この艦で無事に過ごすんだな」


 気休めでもなく割と本心で零が口にした言葉に、優雅な手つきでワインをもう一口飲んだネリーはぱっと顔を輝かせる。

「まぁ、わたくしの名前を覚えてくださっていたのですか? それにそのお心遣い、零様はお優しいのですね」

「別に。割と名乗られた名前って覚えてる方だから。キャバリアー以外は、艦内要員でしか使い道がないわけだし」


 話を弾ませるのが上手いなと流石に用心し、零は気を許さぬうちに本題に移る。

「で、話って? 世間話をしにこんな遅くに来たわけじゃないだろう?」

「わたくしは零様とお話していられるなら、それだけで愉しいのですが。知ってます? 零様は、決死隊の女達にとても人気なんですのよ。見目もセントルマ一の色男リヨン聖王国のエクス=バスティア様もかくやというほど綺麗ですし、黙っていれば貴公子として通用します。ですが、時折粗暴な口の利き方をする零様もわたくしは好きですが」

「良く言われるよ。で?」

 良くない方向へ向かい始めた話に釘を刺すように、零は声を落とした。


 すぐには答えずネリーはソファーからワイングラスを手にしなやかな動作でさっと立ち上がると、零の横へと背の低い小さなテーブルを回り腰を下ろした。

 斜めに座り直すと居住まいを正し、ネリーは真摯な眼差しを零へと注ぐ。

「いつかお礼をするとの約束を果たしに参りました。覚えておりますか? 惑星フォトーでわたくしの命を救ってくださったときのことを」

「ああ、あったなそんなこと。気にするな。あれも俺の仕事だから。敵を倒しただけだし、人員は必要だから被害を食い止めるのは当然だ。別に、善意で助けたわけじゃない」

「それでも、です。命を救ってくれた零様は、わたくしにとって英雄なんです.。それに、嘘が下手ですのね。キャバリアーでもないわたくしが必要な人員?」

 突き放した零の言葉と口調に、ネリーは本心であることが伝わるよう懸命に言い募ると熱い眼差しと共に小首を傾げた。


 絡みつくネリーの視線から逃れるように、零はリビングの出口へ視線を走らせる。

 ――やっぱりこうなった。どうやって、帰らせる?


 思考を巡らせつつ、零は適当にはぐらかそうと口を開く。

「嘘じゃない。戦闘が長引けば――」

 視線を外し話す零に、ネリーはワインを一口煽り柔軟な挙動で近づき――その動きは自然で気配で分かっていたが特に零は警戒することがなくて、気づけば柔らかな感触が己の唇に重なっていた。熱い何かが零の口に侵入し、ワインが流し込まれた。


 飲み干すと、ネリーは零の顔に両手を置いたまま唇を離す。

「夜分、こうして忍んでやって来たのです。女からこんなことをさせて、冷たくしないでください。何もされなかったら、悲しくなります。本当に零様は、わたくしにとって英雄なのですから。この身を献げてしまいたいと思うほどの」

「……強引だな」

 撥ね除けようか零は迷いつつ、ネリーの妙な艶を放つ唇に視線を引き付けられた。


 艶めかしく唇が開かれ、ネリーの熱を帯びた声がピンと張る。

「わたくし自身の筋を通したい、命のお礼をしなければ喉に棘が引っかかったみたいに心苦しいのです。けど、今はそれ以上に、零様に抱かれたいのです。ホントに、綺麗な方」

 潤んだようなネリーの深緑色の双眸が零の夜空の双眸と絡み合い、首に手を回しながら零の膝に乗り再び口づけをした。零の中で意識が白み、優しいネリーの唇を荒々しく上書きしワンピースの後ろで結ばれた紐を解いた。

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