第3章 犠牲の軍隊後編 19
「基地AIの優先権コードへのハッキングに成功。優先上位をボルニア帝国に書き換え。ガーライル基地は、帝国への帰属へと戻りました」
「この制御ルーム一室を占拠しただけだが、基地の奪還がなったわけだ。囮兵団群の人工知能技師三名の他に、決死隊に演算システム系のクリエイトルが居たのは行幸だった。思ったよりも早く済んだ」
広い室内の中央に設置されたコンソールに座る四名の内年配の男が振り向き成果を伝え、背後で様子を窺っていたエレノアが艶美な美貌を勇ましげに笑ませた。
そのエレノアの傍に立つヴァレリーが、凜々しく引き締まった声を凜と鳴らす。
「奪還と言っても実感が湧きません。ボルニア帝国軍は、五百と少数。対するミラトは、五千名からなる防衛兵団群がこの基地に残留している上グラディアートもあります」
凜々しさと清楚さが同居した美貌を難しげにするヴァレリーの現状を口にする様子には、如何にも生真面目さが窺えた。
ガーライル基地にミラト王国軍を擬装し潜入を果たしたエレノア以下基地奪兵団は電撃的に行動し、タワー内に無傷で到達。この制御ルームへ至るまで、機械兵ユニット群大隊との戦闘二回と基地防衛兵団群五十名との戦闘一回をこなし無事制御ルームの占拠に成功。エレノアが派手に蹴散らした為、防衛兵団群は警戒し今はルーム外の廊下にバリケードを築き様子を窺っていた。目的の基地AI=|インテリジェンス・ビーング《IB》の優先権コード・デバイスのハッキングに成功し、ボルニア帝国軍の優先順位を最上位へと置き換えに成功したところ。
ヴァレリーの指摘にエレノアは悪戯っぽい表情で肩を竦めると、虚空に呼びかける。
「AI、惑星フォトーの防衛システム、殲滅の光弾砲台を停止せよ」
「申し訳ありません、コマンダー。現在、基地からの外部回線が、不通。中央タワー内監視システムの一部が壊滅。直前の記録映像から、タワー内のミラト王国軍が回線を破壊した模様。現在殲滅の光弾砲台は、各個自律稼働モードに移行。基地制御下から、離れました」
「そんな………」
「では、我々がやったことは……」
「それでは、本軍が惑星フォトーに降りられないではないか。降下組は、孤立無援の儘だ」
AIからの返答に、制御ルーム内に動揺が走った。AIのボルニア帝国軍に対する優先度を最上位に出来たことから、最早作戦は成功したも同然といった空気が流れていたから尚更。
ショートヘアにした艶やかな赤髪を梳き上げ美しい眉を微かに顰めると、エレノアは口惜しさを隠し表面は平静を装う。
「当然か。中央タワーで戦闘を行い制御ルームを占拠したわたし達の目的は、敵も承知している」
「はい。敵に先手を打たれてしまいました。どうします? このままでは、迎撃システムとして機能しないとはいえ殲滅の光弾砲台は個別に稼働し、完全に無力化出来ない状況。ですが」
ヴァレリーの指摘に答えたのはエレノアではなく、年配のクリエイトルだ。
「殲滅の光弾砲台が稼働するといっても、以前のような迎撃精度はございません。十分に本軍は進軍可能かと」
年配のクリエイトルの言葉にそうだなとエレノアは頷くと一思案し、傍らのヴァレリーは居るのがわたし達じゃなかったらね、とすっきり通った眉目を曇らせた。そのヴァレリーの言葉は、このルームにいる大半の者たちの気持ちを代弁していた。エレノアを除けば、ここに居る主力は第二エクエス以上を擁する決死隊の一部だ。囮兵団群は、通常の兵団群の人員で構成されており、第二エクエス相当の実力者は居ない。懲罰部隊とはいってもこと実戦で、実力者が在籍する決死隊の者達へそれなりの敬意が払われていた。
――そう。この惑星に居るのがわたし達でなかったなら、公は本軍を進撃させる可能性が高かった。だが、決死隊やわたしや零が居ることで、進撃は贖罪者を救う行為であるように公は感じてしまうことだろう。地上攻略本兵団群三万が壊滅し残存の通常兵団が少数なことも災いしている。
おとがいに指の甲を宛がっていたエレノアは、ふむと意識を切り替えるように足音高く一歩前へ出て騎士甲冑の踵を鳴らす。
「AI、基地の詳細図を」
中空に細部まで描かれたガーライル基地の見取り図が、フォログラムで投影された。エレノアや副官のヴァレリーの他、主立った数人が覗き込んだ。
中年の人工知能技師の一人が何かに気づいたらしく、失礼とエレノアに断ると手で見取り図を動かし何事かを調べだし、下げた顔を再び上げた時には得意げだ。
「ここに、基地の規模が小さかった頃使用されていた回線が残っています。非常用に残されていたようで、手動で操作すれば切断箇所を迂回して、外部との接続が可能です」
「よく、見付けた」
エレノアが讃えると、中年の技師と入れ替わるように見取り図を手でどかしたりしながら、改装前の図面を探し出したヴァレリーが提案する。
「ダクトから、封鎖された旧回線点検用通路に出られそう」
「二手に分かれよう」
ヴァレリーと視線が合ったエレノアは、頷き合った。
全身に何とも言いようのない頼りなさを、外骨格スーツを脱いたヴァレリーは抱かずにはいられない。肌にぴったりフィットした身体のラインが見えやすい黒色のインナーウェアは、それ自体防御力を有する気密にもなる通気コントロール素材の強化繊維で織り上げられていて通常の野外戦闘服とそれほど性能に差があるわけではないが、ようは気の持ちようだ。若い引き締まった羚羊のような全身が一目瞭然で見て取れることに、ヴァレリーは先ほどから羞恥をちくちく刺激されていた。このような状況で何を、と思う。が、勝手に沸き立つ感情は抑えようがなかった。
金髪のローポニーテールを揺らし、勝手に背後を振り返ろうとする己を律しヴァレリーは強引に前へ向く。
――こんな時に、自意識過剰よ。他人の視線が、こんなに気になるなんて。この別働隊の指揮を任されたわたしが、挙動不審でどうするのよ。作戦に集中できないようじゃ、誰も付いてきてくれないわよ。
半ば己に呆れつつ己を叱咤し、ヴァレリーはことの重大さを噛みしめ直した。
旧回線復旧の別働隊三十名は、狭いダクトや図面上封鎖された点検用通路を進み行動する為外骨格スーツを全員が脱装していた。十名は決死隊の者達でヴァレリー同様の黒いインナーウェア姿で、残り兵団群所属の二十名はオリーブグリーンのインナーウェア姿だ。別働隊の指揮官は、基地奪還兵団ではエレノアに次ぐ実力のヴァレリー。作戦の成否がかかったこの重要任務を実戦経験のない本来学生のヴァレリーが受け持つことに反対はあったが、エレノアがヴァレリー以外に任せるつもりがないと言い放ち反対意見は鳴りを潜めた。
基技空間把握を用い少し先が闇に閉ざされたダクト内をヴァレリーは走査すると、背後へ声をかける。
「行けそうよ。わたしの空間把握で可能な限り探ってみたけど、多分旧回線点検用通路まで何も問題はない筈よ。わたしが先行するから、付いてきて」
凜々しさと清楚さが同居した美貌をキリッとさせるヴァレリーに、男女の別働隊の面々は反応に困ったようにすぐには返事しかねる様子だった。
一つヴァレリーは桃色の唇に吐息を乗せると背後を振り向き、茶色の双眸を幾分和らげる。
「わたしの指揮に納得していないのは、承知しているつもりよ。このメンツの中では、一番若いもの。実戦とは無縁だったインターンの親衛隊以外、軍務経験もない。けど、キャバリアー養成校以外でもわたしは自領の領邦軍で演習の指揮を執っていたわ。だから、それなりに自信がある。当然、腕にもね」
創成の鋼――ダマスカス剛製のナイトリーソードの柄をヴァレリーは拳でコツンと叩き、前列の黒いインナーウェア姿をした決死隊のまだ若い女が眉尻を下げやや申し訳なさそうに口を開く。
「腕を信用していないわけじゃないのです。ヴァレリー嬢の腕は、色々と聞く機会は多かったもので。何せ、元侯爵家のご令嬢。ソルダ位階第四位ダイアモンド位階。第一エクエスでも軍団長はおろか、軍団群長だって務まる実力です。ただ、元の身分の高さが不安だったのです。敵だらけの星での実戦はヴァレリー嬢には、過酷すぎるんじゃないかと。懲罰部隊に落とされて、助言してくれる味方もいない。けど、反目されても変わることなく、上官と部下の関係を勝ち取ろうとする態度は信頼できます」
「ああ。怒りもしないしな。話し合おうって気がある指揮官は、嫌いじゃないぜ」
「ま、最初は反対だったが、こんな場所でいざって時頼りになるのは強者だ。だから、あんたが俺達を指揮するのは悪くないんじゃないかって思う」
波打つ金髪の若い女を皮切りに、決死隊だけではなく兵団群所属のキャバリアー達が次々とヴァレリーを支持した。
内乱前のインターンで構成される親衛隊所属の時以来、自領のキャバリアーではない者達から頼られる感じがくすぐったく、ヴァレリーは持ち前の生真面目さを纏う。
「行くわ。付いてきて」
制御ルームに付属の個室の壁に、金属スリットを外した換気を兼ねたダクトがぽっかり大きな口を開けていた。大人一人が、屈むことなく進むことが出来る。ヴァレリーは、一歩踏み出し薄暗がりへと入って行った。背後に続々と続く足音が響く。
換気口から漏れ入る明かりでダクトの中は仄暗くぼんやり明るかったが、少し進むとすぐ暗がりになった。キャバリアーの有する強化された眼球は夜目が利くがそれでも行動しづらいことに変わりなく、ヴァレリーは腰のポーチから柄に棒が付いたスティック状の明かりを取り出すとボタンを押した。柄の先の棒の先端に明かりが灯り今度はボタンを二度素早く押すと全体がぼうっと光を発し輝度調整にもなるボタンをスライドさせると、スティックは眩く輝き辺り全体を照らし出した。そうするとダクトの中が、ちょっとした回廊のように見渡せた。
歩みを進めつつ、ヴァレリーは背後を振り返る。
「警戒を。こうも目立てば敵がもし居れば真っ先に見付かるけど、先を急ぎたいわ」
「出くわすなら何らかの機械兵ユニットでしょうから、先を見渡せるだけこちらは有利になります。彼らはこちらが光を発そうと発しまいが、お構いなしに見付けますから」
すぐ背後を付いてきた先ほどの若い決死隊の女が、ロングの金髪に縁取られた整った面を軽く笑ませた。
ダクト内はあちこちに枝分かれし、けれど行き先を妨げるようなものは特に何もなかった。ただ、AIが提示した見取り図とは所々に違いがあった。
綺麗な眉を顰め首を捻り、ヴァレリーは曲がり角の突き当たりで立ち止まり普段凜々しげな声を可愛く唸らせる。
「うーん、ここは変ね。実際の改装とAIが把握している図面と違っているわ。ここから旧回線点検用通路に出られる筈なのよ。ここで折れてしまったら、離れてしまうわ。空間把握で探ってるけど、この先に空間がある」
「設計段階の予定と実際の改装で、何らかの都合で違ってしまったようですね。先ほどから、図面と細部が違っていたりずれていたりしています。ここはセンサの類いを設置していないようですから、AIの目が届かず図面が修正されていないのでしょう。拡張工事のとき使用した作業用ロボットを、AIと連動させていなかった可能性があります。民間の工事なら、費用をごまかす為敢えて自社のネットワークを切り離していたかも知れませんね」
壁に手を当て若い女は整った面に思慮を浮かべ、ヴァレリーは美貌を怪しからぬと顰める。
「帝国も杜撰ね。重要な基地建設で、手抜きだなんて。前皇帝の元、賄賂や不正が幅を利かせていたから。その会社を斡旋した奴、怪しいわね」
「前皇帝が負けて良かったとは今のわたしの立場では思えませんが、少し前までの帝国がおかしかったことは認めざるを得ません。多分、この壁の先に――」
苦笑しつつ若い女は壁に手を当てそこから無数の弧を描いた同心円の光が広がり、次の瞬間衝撃。ソルダ位階第六位宝石位サファイア位階以上のキャバリアーが使用可能な超技インジェクションによって前方の壁が歪み、更に重ねて女は使用しついに大規模建造物に向いた耐久に優れるヤスキハガネがひしゃげ、一枚の成形材ではない為周囲の壁から外れガコンと音を立て反対側へと倒れた。先には、ダクトではない中空に浮いたキャットウォークが伸びていた。
明眸を大きく見開き、ヴァレリーは声音に喜色を乗せる。
「大正解ね。あなた、もしもの時頼りになりそうだわ。確実に第一エクエス上級部将クラスの実力。名前は?」
「シャトレイユ公爵家に仕えていたエディト・グレヴィと申します。ヴァレリー嬢」
「まぁ、シャトレイユ家の。そうだったの……。じゃ、エディト。何かあったとき頼むわ」
表情を陰らせ何事か言いさしたヴァレリーは途中で言葉を飲み込み、敢えて声音を明るくし先を進んだ。
キャットウォークを行くとヴァレリーの視界の端に白い何かが掠め、発動している空間把握に捉えるものがあった。だが、それは確かな物とは言い難かった。
溢れるヴァレリー声に、緊張が滲む。
「何? この感じって、幽子体?」
「ヴァレリー嬢、死食鬼ですっ!」
エディトが指し示す方をヴァレリーが見遣ると、そこに半透明な白い何本もの筋が集まったようなクラゲにも似たものが漂っていた。一つではない。遠くの闇に鷹の目で目を凝らせば、多数。
生理的に背筋に悪寒が走り、ヴァレリーはぞっとする。
「閉鎖時、安全策に死食鬼を放ったようね。おぞましい」
「どうします? 死食鬼は、厄介です。生者が取り付かれれば、あの白髪のような筋に乗っ取られ精神を侵食されます。生気を奪い取り寄生対象が死ねば、奴らの餌食」
「進むしかないのよ。本当は時間をかけたくないけど、一体一体慎重に対処しましょう。ショックウェーブやインジェクションなどの秘超理力の波動を用いる技が有効と、聞いてるわ。使用できる者は、お願い」
背後を向き呼びかけると、ヴァレリーは闇に浮かび上がる幻想的ですらある白い魔性を見詰めた。
「外部への回線を遮断し殲滅の光弾砲台無力化を阻止した敵が、勢いづいたか」
「AIが敵となり奪われた基地を奪還しようと、躍起のようですな。全く、さすがはミラトのコヨーテ共。盗人猛々しい」
制御ルームの外、活発な動きを見せ始めた敵に、広々としたタワーの北側半分に巡らされた回廊へ制御ルーム内に数人を残し外へ出たエレノアが廊下の左右を固める大盾のバリケードを眺めやり落とした呟きに、兵団群に属する男性キャバリアーが応じた。
一つ頷きエレノアは、背後を振り向き外骨格《Eスケルトン》スーツで身を固めた部下を視界に収める。
「そのようだ。騎士甲冑のセンサと空間把握は、あの大盾に遮られた先に連なる幾つもの兵団を捉えている。基地奪還兵団は制御ルーム入り口を固め、守備に専念せよ」
少しも経たぬうちに廊下を閉鎖する大盾のバリケードが撤去され、その背後に控えたヴァニラ色の外骨格《Eスケルトン》スーツで身を固めた兵団がホバリングで突進を開始した。
下ろしたバイザーに隠れたエレノアの薄紅色の唇が、そっと呟きを乗せる。
「頼んだぞ、ヴァレリー。惑星フォトーに残留するボルニア帝国軍の命運は、おまえにかかっている。時間をかけすぎれば、零達が保たない」
所々金色のインナー装甲が覗く紅のスリムな騎士甲冑が、残像を連ねるように横に広がると分身が二十以上出現した。




