第3章 犠牲の軍隊後編 16
「そろそろ、かな?」
艶のある薄紅色の唇にそっと呟きを乗せ先ほど空を赤い闇色に染め上げた方角を見遣っていたエレノアは、振り向き傍らのヴァレリーへ視線を送った。普段の凜々しさが鳴りを潜める清楚な美貌に愁いを浮かべるヴァレリーは、エレノア同様空の一方向へ青い明眸を向けていた。
視線に気づくと金髪のローポニーテールを微かに揺らしエレノアを視界に収めたヴァレリーは、桃色の唇を開く。
「はい。あの光は、魔術による大技。マーク・ステラートが仕掛けたもの。不発に終わったようですが。零とブレイズが、手筈通り彼を押さえたといったところでしょう」
きびきびと返事を返す少女の言葉は、正確な情報分析に裏打ちされた理路整然としたものだった。
かつて知るヴァレリーの几帳面で生真面目な性格が窺えるその様子に思わずエレノアはクスリと笑みを漏らし、怪訝な表情を浮かべるヴァレリーの声はやや尖り責めるように響く。
「どうかしましたか? リザーランド卿」
小首を傾げるヴァレリーは気を悪くしたようで、エレノアは苦笑未満の柔らかい表情を浮かべる。
「いや、済まない。帝国があんなことになって今はこんな境遇だというのに、ヴァレリーは変わらないなと思って」
「……変わりました。今のわたしは侯爵家令嬢ではなく、様々な権利を剥奪された帝国民権すら持たない人間以下の存在。泡沫の明日をも知れぬ身。先の希望なんてなくて、ただ命を繋ぐことを考えるだけ」
「わたしもそうだ。内乱前は、帝国や家の未来に思いを巡らせていた。宮殿やどこぞの家で開かれるパーティーで、娘しか居ないリザーランド伯爵家にどう婿養子を送り込もうか算段を巡らす上級貴族や、言い寄る男をどういなそうかあれこれ頭を悩ますこともなくなった」
切なげに紡がれたその言葉にエレノアは寂しげに応じ、しかし、最後に茶目っ気を見せた。 それまで微かな苦悶に表情を沈ませていたヴァレリーは、ぱっと美貌を愉しげに輝かせる。
「ふふ。帝国の一一傑と讃えられる勇猛なお方なのに、宮廷では並み居る名花を押しのけ殿方の関心を攫う見目麗しさ。何やら、殿方の興味をそそるらしいですね」
ちらりと視線を騎士甲冑の胸部――装甲で隠され生身が見えない胸へと向けてくるヴァレリーに、エレノアは綺麗な眉を顰める。
「そんな風に見られると、何か嫌な言い方をされているように聞こえるな」
二人は輸送型機械兵ユニットを背に、遙か彼方にガーライル基地の秀抜――タワーを見晴るかす切り立った岩と岩が覗き窓を作っている高台に居た。五機の機械兵ユニット群から降りているのは、エレノアとヴァレリーの二人だけで他のキャバリアーは中で待機し基地への突入を待つのみだった。
ガーライル基地からマーク・ステラートとストレール連隊百三十五が出撃したことは、背後の鹵獲した機械兵ユニットの自立特化型AIが騎士甲冑を照合し確認済みだ。この場所から陽動兵団群を視認することは出来ないが、恐らく敵と激突しているに違いなかった。
いつ基地への突入指示が入ってもおかしくない緊迫がヴァレリーとの間で言葉が途切れれば張り詰める中、エレノアは口元に笑みを刻む。フッ、と。
――柄にもない。このわたしが緊張するだなんて。
いつ以来だろう? そんな自問にエレノアは、ああ、あのときかとふと昔を懐かしむ。
――ボルニアでは新参のあいつがでかい顔をしていることが許せず、勢い挑んで負けた。あのときは聖帝国からの留学から伝説級位階を引っさげて戻ってきて、ちょっとした英雄の凱旋気分だったからな。あいつを、格下と思い込んでた。実際に剣を交えた瞬間そんなもの吹き飛んで、背筋が凍った。あのとき、以来か。
エレノアは敵地に乗り込む瞬間を待つ今、ときを弁えず内心愉しかった。と、そのとき。
騎士甲冑のスピーカーから、鈴のように涼やかな声が響く。複数の自律軽量斥候で敵に傍受されぬよう中継させた低出力のデータリンクで、敵と交戦中だろうマーキュリーが繋いできたのだ。
「マーク・ステラートとブレイズ、零が交戦中。ストレール連隊と機械兵ユニット群二個師団が交戦状態に入り、拘束に成功。敵は、術中に填まった。リザーランド卿以下奪還兵団は、ガーライル基地へ向かわれたし」
「ご苦労様、マーキュリー。無事、ストレールを押さえられたか。零の策は理屈では分かっても、確証が持てなくて少し心配していたんだ」
「最初のハードルは、クリアね。後はわたし達が基地のAI――汎用人工知能の優先権コードをボルニア帝国軍に書き換えて基地の制御を奪えば、殲滅の光弾砲台を封じられる。そうすれば、分遣群本軍が惑星フォトーに降下できるわ」
ほっとしたものを口調に滲ませエレノアは己の杞憂とは無関係に作戦が次のフェイズへと無事進んだことであの策をごく当たり前に編み出した零に舌を巻き、心待ちにしていたのか話の終わりを待ちかねやや無作法にヴァレリーは割り込み青色の明眸に生気を宿した。
中継されたデータリンクの先でマーキュリーは、微かに笑ったようだ。
「できる限り速やかに、AIの制御を奪ってもらえると助かるわ。わたしが受け持つストレールの方は暫くは平気だけど、問題は琥珀色の騎士。ブレイズと零の二人がかりで、守勢に回らされている。十色の騎士は伊達じゃないわね」
「魔獣との戦いで見たけれど、零は尋常ならざる手練れ。そして、その零と渡り合ったブレイズ。確実に二人とも、虹位階以上。その二人と互角以上に戦うなんて」
伝説級位階以上との戦闘経験がないヴァレリーの反応に、無理もないとエレノアは思う。ソルダ位階二位以上は、人外。人を超える化け物が跋扈する世界。その中には、希にそれすらも逸脱した者が存在するのだ。例えば、ボルニア帝国近衛軍司令。ソルダ諸元の一つ二つは、上限値を上回っているとエレノアは確信している。銀河で十名のみがその位を授かる十色の騎士ならば、当然。
たった一人だが、懸念材料にエレノアは口調を慎重にする。
「だろうな。かの騎士様とは、先に手合わせ頂いたが化け物じみていた。高度なポテンシャルと戦慣れた越えてきた数々の実戦に裏打ちされた実力。もし、零かブレイズの一人でも落とされれば奴は行動の自由を得、機械兵ユニット群とストレール連隊の均衡を崩し陽動兵団群は全滅するだろう。そうなれば、作戦そのものが失敗してしまう。基地に戻った奴から、AIの優先権コードというより司令室を守り通せる自信がわたしもない。急ぐとしよう。ヴァレリー、状況によってはわたしは戦いに専念せざるを得なくなるかも知れない。そのときは、奪還兵団の指揮は任せる」
「心得ています。十色の騎士が、ミラトに居た。ボルニア帝国の内乱につけ込んだ勢力に。マーク・ステラートが腐肉を漁るような勢力に与するとは、やや不自然に感じます。何があるか分かりません。用心しましょう」
きびきびと応えるヴァレリーに微笑みを艶美な美貌に一瞬浮かべエレノアは、ガーライル基地から視線を切り輸送型機械兵ユニットの一機へ彼女共々乗り込んだ。
架空頭脳空間を用いず口頭でエレノアは、機械兵ユニットへ指示を飛ばす。
「AI、打ち合わせ通りガーライル基地へ。わたし達を無事、コヨーテの群の中へ放り込んでくれ」
「了解しました。ご武運を」
やや硬質な女性の声で、機械兵ユニットの自立特化型AIは答えた。
五機の輸送型機械兵ユニット群は音もなく重力子機関の重力制御で浮き上がると、発生したエネルギーで汎用推進機関が推力を生み出し高速で飛行を開始した。みるみるガーライル基地が迫り、ミラト王国軍のシステムが敵味方所属を問い合わせてきた。
AI同士の遣り取りが行われる一瞬、隣から切なる響きを帯びた呟きがエレノアの鼓膜を震わせる。
「宇宙の深淵にある律動よ、どうか我らを導き給え」
ちらりと視線を送るとハンガーで身に纏う外骨格スーツを固定されたヴァレリーが、凜々しさと清楚さが同居した美貌に緊張を浮かべていた。
手を伸ばし、エレノアは騎士甲冑に覆われた手でヴァレリーの同様に外骨格スーツに覆われた手に触れる。
「大丈夫。こんなつまらないことで、躓いたりしないさ。元々、こいつはミラト王国軍の物。擬装なん必要ないんだから」
力づけるエレノアの言葉にヴァレリーが答えようとしたとき、架空頭脳空間に基地への入場許可が伝えられた。
と、同時。ヴァレリーは面をはっとさせ、歌い上げるように言葉を綴る。
「城門が開かれた。わたし達は、トロイの木馬。招き入れれば滅びをもたらす」
「そうありたい。敵は、わたし達がここに居ることを知らない」
聳えるタワーからかなり距離を置いた場所に張り巡らされた高い金属質の壁の一角、分厚いゲートが開きミラト王国軍に擬装した輸送型機械兵ユニット五機はそのトンネルのような入り口を進んだ。




