第99話 シングの戦い
目の前にいるシングの体に恐怖による震えはない。
黙って俺を見つめているその視線も、さっきまでの不安や恐怖が入り混じったような弱弱しい視線とは違い、自分自身が戦うという強い意志を感じる。
おそらくだが、シングに恐怖の感情がなくなったわけではない。
今も、目の前にいるグロースラビッツの事は怖いと内心感じているだろう。
だが、それをシングは意志の力で抑え込んでいる。まったく、大したもんだよ。
「シング、お前の覚悟は受け取った。なら次は戦闘についての話だ」
俺が真剣な表情でシングにそう話しかけると、
シングは少しだけ強張った表情になりながらも、小さく頷く。
「まず最初に言っておくが、グロースラビッツは間違いなくお前よりも強い」
今から戦うシングにとって少し残酷かもしれない言葉を投げかける。
もしかしたらシングの心に動揺を生んでしまうかもしれない。
そう思っていたのだが、シングは俺の予想をいい方向に裏切り冷静だった。
「うん、分かってるよ兄ちゃん。ここから見ているだけでも分かる。あいつは、俺よりも圧倒的に強い存在だって」
グロースラビッツが自分よりも強いと認めながらも、シングには焦りなど微塵も感じられなかった。
俺はそんなシングの様子に少し笑みを浮かべながら話しを再開した。
「よし、なら力押しが通用する相手じゃないって事も分かるはずだ。さて、そんな相手にどうやって勝てばいいのかだが、まずは弱点を探す事だ」
「あいつの、弱点を探す?」
「そうだ。あれくらい大きな体ならここからでもよく見えるはずだ。俺が教えるのもいいが、まずは自分で探してみな」
俺がそう言うと、シングを少し身を乗り出しながら、必死にグロースラビッツの弱点となる部位を探していく。少しすると何か見つかったようで嬉しそうにこちらを振り向きながら言った。
「兄ちゃん、あいつ左足になんか怪我してる!」
「正解だシング。あの傷はつい数日前、バリス村の人達が必死につけたもんだ。そのお陰で多少動きが鈍くなっているとも聞く。シング、戦闘になったらお前はあの左足を集中して狙え。そうすれば必ずチャンスは来る」
「バリス村の人達が……。分かったよ兄ちゃん、みんなの為にも頑張る」
バリス村の名前を聞きシングは俄然やる気が湧いてきたようだった
やはりシングにとってバリス村は特別な存在のようだ。
「さて、最後にもう一つだけ言っておく。シング、グロースラビッツの攻撃は絶対にまともに受けようとするな。避けるか、避けきれない時は必ず受け流せ」
「え? 攻撃を受け流すって、俺にそんな事できるわけ……」
「できなければ、死ぬだけだ」
俺がそんな事を言うと思わなかったのか、シングは驚いた表情でこちらを見る。
そんな顔をされたところで事実は事実だからな。こういう事ははっきり言っておいた方がシングの為にもなるだろう。
「シング、少し考えてみろ。お前、あいつの攻撃をまともに食らって立っていられるとでも思っているのか?」
「そ、それは……」
「結論を言ってやろう、無理だ。今のお前じゃグロースラビッツの攻撃には耐えきれない。下手すれば一発で絶命って事もありえるくらいだ」
「…………」
シングは俺の非情ともとれる発言に言葉をなくしてしまっている。
まだ話は終わっていないんだけどね。
俺は少し俯いているシングの頭にそっと手をおいて。
「おっと、勘違いはするなよシング。俺はさ、お前ならできるって信じてるからこういう話をしているだけだぞ」
「俺ならできるって、信じてる?」
「そうだ。俺はお前が戦うところを少しだけしか見ていないが、それでも素晴らしい剣の才能がある事は分かった」
まぁ本当は鑑定でステータス覗いたから分かるんだけどな。
もちろんこれは秘密だ。
「そんなお前だからこそ、俺は信じているんだ。お前ならきっとできるってさ」
俺のそんな言葉にシングは少しずつ顔にやる気を取り戻す。
そして手に力を入れ握りこぶしを作り、俺の目を見てはっきり言った。
「兄ちゃん、そんなに俺の事を……。うん、なんかできるような気がしてきたよ!」
よーしよしよし、無事にシングはやる気になったみたいだ。
騙してるみたいでほんの少し心が痛むが、この場合は仕方ないよね。
「よく言ったシング。さて、戦闘前の話はこれで終わりだ。いよいよ戦闘開始なわけだが、準備はいいか?」
「うん、俺はいつでもいいよ兄ちゃん」
「なら今から10秒後、同時に飛び出すぞ」
俺はアイテムボックスからデーモンリッパーを取り出し右手に持つ。
シングも腰にある剣に手を置いていつでもいけるといった感じだ。
そして10秒後、俺とシングは草むらから同時に飛び出し、グロースラビッツに向け疾走していった。
さて、俺の仕事はゴミ掃除だな。
シングより素早さの数値が高い俺は当然シングよりも早くグロースラビッツの元までたどり着き、ゴミ掃除を開始した。
まずはグロースラビッツの周囲のラビッツを一瞬で葬っていく。
さすがに最弱クラスの魔物だけあり、デーモンリッパーを本当に軽く振るだけでバッサリバッサリ切り裂いていく。
そんなこんなでグロースラビッツ周辺のゴミ掃除が終了したので、死体をアイテムボックスへと回収して近くの大木の上へと移動する。ここなら戦いがよく見えそうだし、シングの戦いの邪魔にもならないだろう。
そんな俺の姿をグロースラビッツは敵意むき出しの目で睨んでくる。
おいおい、俺にそんな敵意向けてていいのかよ。
お前の敵は、ほら、すぐ後ろに迫ってるっていうのに。
「おおおおおおおおおおおおお!!」
「ギギイイイイイイイイイイイイイイイ!?」
俺がゴミ掃除をしている間に、グロースラビッツの背後へ近づいていたシングの斬撃が炸裂した。俺から見てもその一撃は見事だった。普通ならこれで勝負は決まっていただろうと思うほどに。だが、現実はそこまで甘くない。
「ギギギイイイイイイイイイイイイイイ!!」
グロースラビッツがシングの攻撃など効いていないと言わんばかりに大きな雄たけびを上げる。ちなみにスキルではないので体が硬直する事はない。だが間近でグロースラビッツの雄叫びを聞いたシングは驚きその場から離れてしまう。
「くそっ、俺の攻撃が効いてないのか? いや違う、確かに手ごたえはあった」
そう、シングの言う通りあの一撃はグロースラビッツにそれなりのダメージを与えていた。今も首から流れているあの血がその証拠だ。
おそらく、グロースラビッツのさっきの雄叫びは威嚇目的ではなく、シングをあの場から遠ざけるのが目的だったのだろう。シングはまんまとグロースラビッツの思惑通りに動いてしまったわけだ。
「ギギギイイイイイイイイイイイイイイイ!!!」
グロースラビッツが雄たけびを上げながらシングを睨む。どうやらシングを倒すべき敵と判断したようだ。これでもうさっきのような不意打ちはできないだろう。
シングはそんなグロースラビッツを間近で見ているわけだが、表情に少し笑みが浮かんでいる辺り、割と余裕がありそうだった。
「父ちゃんが仕留めきれなかった魔物だ。こうなる事は覚悟してたさ」
シングは剣を両手で構え、グロースラビッツを睨みながら言い放った。
「お前が倒れるまで何度でも、何度でも攻撃を食らわしてやる。いくぞおお!!」
なんとシングは叫び声を上げながらグロースラビッツへ一直線に突っ込んだ!
おいおい、シングのやつ俺の言ったこと忘れてるんじゃないだろうな!
グロースラビッツは突っ込んでくるシングにカウンターを食らわそうとしている。
まずいまずいまずいいいいい!!
俺が思わず動こうとした次の瞬間、グロースラビッツに突っ込んだシングの重心が一気に沈み、そのままの勢いでグロースラビッツの左足を剣で斬りつけた。
「ギアアアアアアアアアアアア!!!」
怪我をしている左足を攻撃された痛みでグロースラビッツの悲鳴が上がる。
悲鳴が上がるという事は攻撃が効いている証拠。
シングは何度も何度も同じ場所を剣で斬りつけていく。
やがてグロースラビッツが攻撃に耐えきれなくなり、その大きな体を無理やり回転させシングを攻撃すると同時に自分から遠ざけようとする。
しかし、シングはグロースラビッツの僅かな動きからその行動を予測していたようで、少し後ろに下がり回転攻撃をあっさりとかわした。そして再び体の大きなグロースラビッツに張り付くように攻撃を開始する。
「これは、驚いたな……」
大木の上で戦いを見ていた俺は思わずそう呟いてしまう。
グロースラビッツの左足へ放った最初の一撃も驚いたが、問題はその後だ。
まさかあの回転攻撃を僅かな動きで予測して避けるとは。
初めての強敵との戦闘、しかも父の仇を目の前にして、シングは恐ろしく冷静だ。
もしシングが父と同じく冒険者の道を歩むのなら、物凄い冒険者になりそうだな。俺もうかうかしていられないなこりゃ。
「ガアアアアアアアアアアアアアア!」
俺がそんな事を考えている間にもシングは攻撃を続けていたようで、いよいよグロースラビッツの大きな体が痛みに耐えきれず地面に崩れ落ちる。
「これで、終わりだあああ!!」
これを最大のチャンスと見たシング。目の前のグロースラビッツの太い首を最大の力で斬りつける。その一撃は確かにグロースラビッツの首を切り裂き、致命傷に近い傷を負わせた。だが、ここでシングは致命的なミスを犯してしまう。
「倒した!? 俺が、倒したんだ! 父ちゃんの仇を!!」
グロースラビッツを倒したという喜びがシングの全身を支配し、今まで抑え込んでいた感情があふれ出してしまう。そしてあろうことか、目の前のグロースラビッツから目を背け、俺がいる方向を見てしまう。その表情は喜びに満ちていた。
そんなシングに俺は必死に叫ぶ。
「シング前を向け! 戦いはまだ終わっていないぞ!!」
「え、もうグロースラビッツは俺が倒し……ぐああああああああああ」
無防備なシングの小さな体に、グロースラビッツの大きな角による横殴りの一撃が叩き込まれてしまう。
「がはっ!!」
砲弾のようなスピードで飛んでいったシング。
大木に激突することでやっと止まったようだが、そのダメージは計り知れない。
シングは剣を杖のようにして必死に起き上がろうとすると、中々起き上がれない。
無理もない。シングは剣の才能はあるが、まだレベル自体は低いんだ。
限界か。そう思いシングの元へと駆け寄ろうとするが。
「に、兄ちゃん。俺は大丈夫だから、こいつは、俺が倒すから……」
そう言ってシングはなんとか立ち上がる事に成功する。
しかし、その姿からほとんど力は感じられない。
それでも、シングは最期の力を振り絞り、グロースラビッツへ向け駆け出した。
「ガアアアアアアアアアアアアアアア」
対するグロースラビッツも先ほどのシングの一撃でほとんど力は残っていない。
グロースラビッツは必死に頭だけを動かし、走り近づいてくるシングに向かいその大きな角でカウンター気味に横殴りの一撃を繰り出した。
駄目だ! あの一撃を避ける力はシングに残ってはいない!
そう思い俺はシングの元へ駆け寄ろうとするが、シングは俺の想像の上をいった。
「おおおおおおおおおお!!」
なんと、シングはグロースラビッツの角を足場にその場で跳躍をしたのだ!
そしてそのまま落下の力を利用して、グロースラビッツの首の裏側、この戦闘で最初にシングが攻撃したその場所へ、シングは思いっきり剣を突き刺した。
「ギギィィィィィィィィィィィィ……」
最初の時と同じようにグロースラビッツから雄たけびのような声が聞こえる。
ただし、今回は断末魔の叫びだ。
そして最後の攻防で力を使い果し、無防備な状態で落ちて来たシングを丁寧に両手でキャッチする。俺の手の中にいるシングは本当に力を使い果たしたという感じで、意識を保つのもやっとといった感じだ。
それでも、シングは意識を失う前に俺に一つだけ質問した。
「ね、ねえ兄ちゃん、俺は、父ちゃんの仇、討てた?」
「ああ、今回の戦いは間違いなくお前の勝ちだ。本当に、本当に見事だった。後の事は俺に任せて、今はゆっくり休むといい」
俺がそう話すと、シングは安心したかのように目を瞑り眠っていった。
あの激しい戦いの後とは思えない程、穏やかな表情で……。
読んでいただきありがとうございます。
これからもこの調子で頑張っていくのでよろしくお願いします。
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