第98話 恐怖
洞窟での昼食から数時間後。
俺とシングはグロースラビッツを探すため森の奥へと歩みを進めている。
あの洞窟での一件で俺はシングの本心を聞くことができた。そのお陰なのかは分からないが、あれ以来シングの俺に対する態度に変化が現れ始めたように感じる。
それまでは口調はともかく、どこか余所余所しい印象が拭いきれなかったシングの態度が、少しだけ柔らかくなったように感じるんだ。分かり易く言えば、年相応に子供らしい態度を取るようになった。
それ自体は俺にとっても大変嬉しい事だ。やはり子供は子供らしい態度が一番だからな。そう思って俺も最初は喜んでいたのだが、今になってほんの少しだけ後悔している事がある。その原因がこれだ……。
「ねぇねぇ兄ちゃん聞いてる!? やっぱりSランク冒険者の中でもミナリスさんは別格だと思うんだよね! あの強さも凄いけど、長年Sランク冒険者として活躍を続けるのは本当に凄い事だと思うんだ!」
「そうだな。俺もミナリスさんとは会った事があるが、凄い人だったよ」
今のところ、俺が鑑定を使って効果がなかった人はミナリスさんだけだ。
自分でも今の俺は相当強くなったと思っているが、それでもミナリスさんの強さはまったく底がしれない。俺の当面の目標である人物だ。
そして俺がミナリスさんと会った事があると話すと、
すぐ真横にいるシングはその目を輝かせながら嬉しそうに話始める。
「うわぁ、ミナリスさんと会った事があるなんていいなぁ兄ちゃんは。俺もいつか実際にミナリスさんと会って色々冒険の話とか聞かせてほしいな! でさでさ、次はSランク冒険者のレブナントさんの話なんだけどさ!」
レブナントって誰なんだよそんな人知らねぇよ。
ここまで聞いてもらえれば分かるとは思うが、シングは冒険者オタクだったのだ。
洞窟を出てから数時間、俺は延々とシングの冒険者自慢を聞く羽目に陥っている。
ちなみに、ミナリスさんの話はさっきので三回目だ……。
「確かにレブナントさんはミナリスさんに比べれば全然若いんだけど、あの速さは凄いと思うんだよね。スピードだけで言えば冒険者の中でもトップクラスだと思うんだよね。って兄ちゃん俺の話聞いてる?」
シングがそう下から俺の表情を覗き込むように質問してくる。
正直、そろそろシングの冒険者自慢にも飽きているのだが、俺と話している時のシングの楽しそうな表情を見るとそんな事を言えるはずもなく。
「……ああ、聞いているから大丈夫だシング」
「それならよかったよ! それでさ、今度はSランク冒険者だったクリュウさんの話なんだけど、あの人の剣術は本当に凄くてさ、まるで未来を見てるみたいな……」
その後もシングの冒険者自慢は進んでいき、
さらに数十分が経過した頃、やっと俺の興味の持てる話がシングの口から。
「でもやっぱり一番有名な冒険者はあの人かな。なんせ魔王を倒した人だからね!」
……ん、魔王だって?
俺が日本にいた頃は魔王が出てくるアニメなどよくやっていたもんだが。
やはりこの世界でも魔王ってのは存在するんだな。少しだけ興味があるね。
「シング、魔王について教えてもらってもいいか?」
俺がそう魔王について質問すると、シングは少し意外そうな顔で言った。
「兄ちゃんって魔王の事を知らないんだ。珍しいね。
まぁいいや、そういう事なら俺が魔王について教えてあげるよ!!」
こうしてシングによる魔王についての説明が始まった。
「まず魔王ってのはね、数百年前に存在してたって言われているんだ」
ほう、魔王がいたのは数百年前なのか。
てことはシングが魔王について知っているのは本で見たとかだろうか。
もしそういう資料が残っているのなら俺もいつか見てみたいもんだな。
「その頃はまだ魔族達の動きも活発だった時期らしくてさ。魔王はそんな魔族達と魔物を率いていくつもの村や街を襲ってんだって」
ふむ、魔王はともかく魔族って存在も初耳だな。
この世界にはまだまだ俺に知らない事が沢山ありそうだ。
「それでいよいよ魔王がこの大陸まで攻めてきたその時、たった一人の冒険者が魔王に立ち向かっていったんだ!!」
ほう、話を聞いた限り魔王ってのは相当な強さなんだろう。
その魔王を相手に一人で立ち向かっていくとは、凄い人がいるもんだ。
俺はその冒険者に少し興味が湧いたので質問してみる事にした。
「シング、その冒険者の名前を聞いてもいいか?」
「いいよ、その冒険者の名前はね、クロダさんって言うんだ」
俺の知ってる人だったああああああああ!!
いや待て待て、もしかしたら名前が同じだけの別人かもしれない!
「な、なぁシング、そのクロダさんって人はどんな外見をしていたか分かるか?」
「えーと本によると黒髪黒目で凄い珍しい外見だったって話だね」
ああ、確定だよ。
シングの話している魔王を倒した人物はクロダさんで間違いない。
しかしなぜクロダさんは魔王と戦う事になったのか。
人々を守るため?
いや違う。あくまで俺の勘だけどそれだけじゃないような気がする。
「シング、クロダさんが魔王と戦う事になった理由って分かるか?」
「俺もそこまで詳しくは知らないけど、目的の邪魔だっただけ、ってクロダさんは答えたらしいよ。その目的までは本にも書いてなかったけどね」
クロダさんの目的、おそらくは日本に帰る事。
その目的の邪魔になったのが、魔王だったってわけか。
だめだな、今のところなんで魔王が目的の邪魔になるのかが分からん。
今度ミナリスさんにでも話を聞いてみるとするか。
「ありがとなシング。魔王の事は大体分かったよ。
それで、魔王が従えていた魔族や魔物たちはどうなったんだ?」
「えーとね、魔物達はその場で殲滅して、魔族達は魔王を失った時点で降伏して自分たちの住んでいる大陸へ戻っていったらしいよ」
なに、その話が本当なら魔族達は逃がしたって事か。
それは少し危ないんじゃないか。もし魔族達がもう一度戦いを仕掛けてきたら。
俺がそうシングに質問すると。
「その心配はいらないと思うよ。魔族ってのは魔王が存在してないと本来の力が発揮できないみたいなんだ」
なるほど、だから魔族達は魔王がやられた時点で降伏したのか。
まぁそれなら心配はいらないのかな。魔王はすでに死んでるんだし。
「そうか、色々教えてくれてありがとなシング」
そうしてお礼を言いながらシングの頭を軽く撫でる。
以前に頭を撫でた時は少し恥ずかしそうだったのだが、今回は満面の笑みだった。
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シングと魔王についての話をしてから大体一時間後。
俺とシングは森の奥深くへと進んでいき、やがて目的の魔物へとたどり着く。
現在、俺とシングは草むらに隠れている状態だ。
そして俺達の目の前には、圧倒的な巨体の怪物が佇んでいる。
あれが、グロースラビッツか。
ラビッツって名前がついているだけでまるで別物だなあいつは。
おそらく大きさはサイクロプスといい勝負、いや上回っているかもしれない。
頭には大きな角も生えていて、威圧感も十分だ。
さて、とりあえずは鑑定してみるとしますか。【鑑定】発動。
グロースラビッツLv67
力 145
体力 123
素早さ98
幸運 97
【スキル】なし
【称号】 なし
なるほどな、グレースさんの言った通り、Aランク級の強さだ。
おそらくオークキングとゴリトリスの中間程度の強さだろうか。
力と体力はオークキングと同等で素早さが圧倒的にオークキングより高い。
こいつは厄介だな。救いは特別なスキルなどを持っていないことくらいか。
さて、問題はこいつをシングが倒せるかどうかだな。
ステータスだけを見る限り、シングにほぼ勝ち目はないように思える。
ただし、ステータスの差が勝敗のすべてを左右するわけではない。
シングにはステータスの差を補えるほどの剣の才がある。
それにゾンガさんから聞いた情報では、グロースラビッツは左足に怪我があるらしい。上手くその怪我をシングが狙う事が出来れば十分に勝機はあるはずだ。
まぁ俺が色々と考えたところで決めるのはシングだ。
そう考え横に座っているシングの方に目を向ける。すると。
「に、兄ちゃん……」
俺の横に座るシングは、小刻みにその身を震わせていた。
そうか、ステータス云々の前にこれがあったか。
シングはおそらく、グロースラビッツに恐怖を感じている。
俺は隣で震えるシングに優しく声を掛ける。
「シング、グロースラビッツが怖いか?」
俺のその問いに、シングは無理やり笑顔を作ると。
「こ、怖くなんかないよ。俺だって覚悟してきたんだ……」
「シング、勘違いしているようだが一応言っておくが、恐怖は悪い事じゃないぞ」
「……どういうこと?」
「お前が感じている恐怖って感情は人間にとって大事なもんだ。実際人間なんて脆い生き物だからな。少しの事で死んじまったりする。そんな人間には恐怖って感情は絶対に必要なのさ。死なないためにな」
「じゃあさ、もし恐怖を感じた時はどうすればいいの」
「俺が今のシングの立場になったとしたら、間違いなく逃げるだろうな」
「そうだよね、逃げ……え?」
俺が逃げると答えるとは思っていなかったのか。
シングの顔が驚愕に染まる。
そんな顔されてもこれが正直な俺の気持ちだから仕方ないだろ。
「そう意外そうな顔をするなシング。俺だって人間だ、死ぬのが怖いさ。実際の話、恐怖を感じるような相手と出会った場合、逃げるのが一番正解だと思うぞ」
「逃げるのが、正解?」
「そうだ。だからシング、今回お前がグロースラビッツに恐怖を感じたのなら戦わなくてもいい。俺がすべて片づけてこよう。それですべて解決だ」
俺がそう話すと、シングは下を向き何か考え込む。
そして再び顔を上げたシングの表情は、今までのものとは違っていた。
「だめだよ兄ちゃん。あいつだけは、グロースラビッツだけは俺が倒さないといけない。そうしないと俺は前に進めない、そんな気がするんだ」
今だにシングの体の震えは止まっていない。
だが、その表情だけは今までと違い何か力を感じる。
「それが、お前の答えか?」
「うん、あいつは俺が倒す。もちろん兄ちゃんなら簡単にあいつを倒せるってのも分かってる。それでも、俺がやりたいんだ。わがままでごめんね兄ちゃん……」
はは、せっかくの勇ましい顔が最後で台無しだぞ。
俺はシングの頭をゆっくり撫でてやりながら。
「それがお前の答えなら、俺は全力で手を貸すよ。シング、お前はグロースラビッツだけを見ていればいい。それ以外のゴミはすべて俺が処理しよう。まぁ危なくなったら少し手助けするかもしれないが、それくらいは勘弁してくれな?」
俺がシングの頭を撫でながらそう言うと。
シングは顔を上げ、嬉しそうに笑顔で言った。
「ありがとう兄ちゃん。俺、絶対にあいつを倒すからさ」
グロースラビッツを絶対倒すと覚悟を示すシング。
その体に、もはや恐怖による震えなど残ってはいなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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これからもこの調子で頑張っていくのでよろしくお願いします。




