タロットカード売りつけ事件
「肖像画? 私の?」
「ハクアや、ベルはお前さんよりうんと年上だから、敬語を使いなさい」
そう、ベルは[子持ち]としてサファリくらいの子どもを持っていても全然おかしくない年齢の人物です。黒人であるためあまり気にされないのですが、肌艶もよく、老いという枠組みから外れて見えますが、若者は若者でもきちんと子育てをする世代の若者です。実際の年齢をサファリはわざわざ聞いたりしませんが、ベルはハクアより確実に年上でしょう。
ただ、ハクアは崇められて育ってきたからか、年上年下という概念が薄く、師であるラルフにすら敬語を使わないような始末です。いずれ人の上に立つ存在かもしれませんが、人を敬う心たる敬語を扱えないのはいただけません。
「ハクターはハクアお嬢さんの噂を聞いて、紫一色で人の肖像を描いたことがないから是非に、と」
「なるほどな。まあ、街のことが落ち着いてからになるじゃろうが……ハクター、街まで押し掛けてきたりせんじゃろうな?」
「しそうだったので、交渉して止めてきました」
「ベルは優秀じゃの」
ラルフが胸を撫で下ろします。その様子からするに、ハクターという画家はかなり行動力があるようです。
芸術家には頭のねじが飛んだようなやつしかおらんよ、というのはキャペットの言でした。実際、サファリもハクターに会ったのですが、ハクターの印象はとにかく創作意欲のためのフットワークが軽い、というものでした。美しいものを描くことに拘っていて、せせらぎの街に拠点を置きつつ、息を飲むような滝壺があると噂を聞けば、そこが西だろうと南だろうと果てだろうと自分で見に行き、そこで見たものをそのままキャンバスに描き出すような人です。ベルたちが訪れるのがもう少しでも遅かったなら、自分で北の街に行くつもりだったようです。ベルの交渉にもだいぶ難癖をつけておりました。
ですが、北の街は今一触即発状態で、いつ争い事に巻き込まれてもおかしくない危険な状態です。民のほとんどはハクア側に傾倒しているとはいえ、地主側の人間も皆無なわけではないでしょう。それに北の街を囲む広大な森は世界でも随一の大きさを誇る森です。広大であるが故に、案内がなければ人は迷ってしまうほどの。
ハクアがそうであるように、この広大で壮大な自然を守るために、狩人が存在します。狩人は増えすぎた獣を間引くのが主な役割ですが、北の街においては森から侵入してくる不届き者を制する役割も持っています。ハクアがベルに弓を引いたのもそれが理由です。
「それに比べ、ハクアはまだまだ未熟者じゃ。お前さんは徒に人を惹き付けるが、惹き付けるだけでその中に入り交じる善悪を区別しようとしない。そんなことでは地主にとって食われるぞ」
「……ご指導、ありがとうございます」
「別に余所者だから必ずしも賊とは限らんのじゃし。排他すれば良いという考えでは、今の地主とそう変わらん。お前さんがなりたいのは独裁者か?」
「いいえ」
師弟関係というだけあって、ラルフの師としての言葉は少々手厳しいもののように感じられますが、ハクアはそれを厳粛に受け止めているようです。良くも悪くも真っ直ぐで、だからこそ精霊に好かれるのでしょう。
それでも、父に弓を引いた人物をサファリは簡単に信用できませんでしたが。
「すまんの、ベルや。地主に喧嘩を吹っ掛けられて、ムキになっておるんじゃ。[北の街]を治めたいというのなら、まずは皆から[北の守護者]と認められる働きをせよ、とな」
「わりと真っ当なことを言うんですね」
真っ当なんだ、とサファリは驚きました。横暴な独裁者ならではの無茶振りなのかと考えていたのですが、北の街において、森と街を守護する狩人の中の狩人の称号とされる[北の守護者]はかなり大きな影響を持つのだとか。時に地主より他の街の者と接する機会があるため、求められるのは狩りの技術のみではないとのことです。
確かに、人を見極め、賊なら倒し、善人なら招き、というのを見極めるのは並みではできません。それができるからこそ、街の人々の守護者への信頼が厚いことが伺えます。
なるほど真っ当です。誰彼構わず弓矢を向けていい理由にはなりませんがね。
「北の果てに来る黒人なんて怪しさしかないでしょう。ハクア嬢の判断も正しかったと思いますよ」
「甘やかさなくてよいよい。荷車には[行商人カヤナ=ベル]の看板があったんじゃ。この世に二つ名を持つ者はおっても、セカンドネームを持つやつはそうおらん。あれだけ有名な[ベルの行商人]に思い至らないのはハクアの未熟さだ」
そこまで見ろと、とは思いますが、実際に守護者としての役割を果たすなら、そういった細かいところにまで気を配れた方が良いのでしょう。
それに、とラルフは連ねました。
「黒人かどうかで判断するなど差別思想じゃ。人並みの差別思想を持ったままでは、今の地主は越えられんよ。黒人差別をする輩に、街を託したいとも思えぬ」
ラルフは黒人差別に反対する人物でした。おそらく[宝石色の子]として生きていた時代に様々なものを見たのでしょう。良いものも、悪いものも、平等に。
だから、人を、守れるものを、守りたいという思いが温もりを持ち、目がくすんだ今もなお、精霊を惹き付けるのでしょう。サファリはそう感じました。
ハクアが、一歩ベルの方に近づき、頭を下げます。
「すみませんでした。あのとき、あなたが……怖くて」
「いや、仕方がないさ。君は女性にしては体躯がいいが、それでも少女、まだ子どもと言える範疇だ。子どもが大きい大人を怖がるのは、無理もないこと。慣れているからいい」
ベルがすらすらと述べますが、少女は紫の頭を垂らしたまま、いいえ、と続けます。
「連れ合いとはいえ、その子はあなたに怯えていませんでした。私を怖がっていたのに気づかず……本当に不甲斐ないです」
ハクアは少し頭を上げ、ココアのカップを両手で抱えたサファリを見ます。鈍感なハクアでもよくわかるほどに洗練された魂をサファリの中に感じます。ラルフがこちら側と言ったのも頷けるというものです。
自分より年下のサファリでさえ、精霊を感じ取り、精霊に気遣った振る舞いができているというのに。自分の余裕のなさに、ハクアは苛立ちとやるせなさを覚えます。
そんなハクアを見て、動いたのはベルでした。ウエストポーチから、何かを取り出します。
徐にテーブルの上にばらりと広げられたのはタロットカードでした。洗練された筆捌きの見られる絵柄には見覚えがあります。
ベルは答えを口にしました。
「ハクターのタロットカードです。交渉のときに押しつけられました。これを売って来い、と」
「なんとまあ」
「了承しないと北の街に行くと脅されました」
「それは災難じゃったのう」
「いえ。けれど、脅しの道具でなくとも、俺はこのタロットは売れるでしょうから、買い取りましたよ」
「ほう、随分断定的に言うのう」
つらつらと述べるベルに、ラルフは面白そうに口角を吊り上げました。ベルは顔色一つ変えません。
「ハクターの画風を好む収集家はいくらでもいます。それにタロットカードは御守りとして持つ人も少なくありません。需要があるんですよ、確実に。せせらぎの街で売れなくとも、世界のどこかには必要とする人がいる。例えば、ハクア嬢とか」
「へ?」
急に名前を出されて、ハクアはどきりとします。ただ、何故か無意識にするすると腕はタロットの方へ伸び、カードに触れました。
そこでハクアははっとします。
「声が、聞こえる……」
その言葉に、ベルは口元に笑みを湛えました。
「お気に召されたのでしたら、お売り致しますよ」




