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タロット絵師の物語帳  作者: 九JACK
タロット売りの占い処
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タロットと宗教

 キャペットと別れ、街を出て数日、サファリは父と森を歩いていました。広大で荘厳な森は街の中では味わえない空気を持っています。

 あっちでひそひそ、こっちでひそひそ。妖精がサファリたちを見ながら、何かお喋りをしているようなそよ風が森をいったりきたりしていました。

 サファリは父の手伝いとして、川から水を汲んできます。父は焚き火の準備をしている……かと思いきや、街でヴェンから受け取った手紙を広げていました。

 そういえば、父に渡された手紙もキャペットに渡されたのと負けず劣らずの量です。急用があるといけないから、道すがら読んでいるのでしょうか。

 サファリはなんだかどきどきしました。キャペットによれば、[キャペット道端図書館]や[ベルの行商人といったビッグネームのところに来る手紙は大概がファンレターだと言います。サファリはファンレターというのが何かよくわかりませんでしたが、どうやら、自分たちのことを[好き]と思ってくれる人たちから届く手紙のことを言うようです。

 世の中には黒人である父を好く人間なんて自分くらいしかいないもの、とサファリは思っていましたが、手紙の量から、少なくとも世界に百人はベルという黒人の行商人を好いてくれる人がいると想定できて、嬉しいやらこそばゆいやら。

「お父さん、お水汲んできたよ。ヴェンのお手紙、僕も見たい」

「……」

 サファリが隣に座るのに、父は少しみじろいで、手紙を伏せました。

 もしかして父は恥ずかしいのでしょうか? 父はあまり表情変化がなく、感情を読み取りづらいです。声も平坦ですし。

 そんな父の感情は所作から感じ取るしかありません。ファンレターをもらって、息子の前読んで、息子に見られるのは恥ずかしい、なるほど、筋は通っています。

 サファリは不思議な雰囲気と魅力を持つ男の子ですが、人並みに一人の男の子でもあります。年相応に好奇心がありました。相手が[見せたくない]という姿勢を示せば示すほどに、見たくなる、というような。

「お父さん?」

 甘えるように小首を傾げるサファリ。そう、この男児、自分の魅力というのをとことん把握し尽くしているのです。しかも知恵がついたことで、それを如何様にすれば相手に効果的か、わかってしまったのです。

 からの上目遣い。将来が恐ろしい。

 そんじょそこらの女性なら、目が合っただけで気絶するかもしれないサファリの美貌と上目遣いに、なんとこのサファリの父[ベルの行商人]たるこの男は眉一つ動かしません。なんて手強いのでしょう。

 サファリの父はサファリの美貌を毎日見ているので、慣れてしまったのでしょうか。それにしたって葛藤の一つも感じられない完全なる無はあまりにも見事。そのまま父は言いました。

「世の中には、知らなくていいこともある」

「お父さんのことを知らなくていいだなんて思わない」

 突き放すような父からの宣告に、サファリは即座に応じます。そこには打算なんてなく、ただ真っ直ぐな瞳があるだけです。海のように静かでいて壮大で、底知れない可能性の瞳。

 ベルはサファリをじっと見つめました。サファリもじっと見つめます。けれど、父の目の中に、表情や感情の変化は微塵も感じられませんでした。

 けれど、口を開いたのは、父が先です。

「……まあ、長く一緒にいたら、いずれ目にする機会はあるだろう」

 父の声色は淡々としていて、けれど、そこで初めて、サファリは父の感情が読み取れました。海のように深く深くに押し込められたサファリへの慈愛。そんな美しい感情を秘めるその心が、サファリはたまらなく愛おしく思いました。

 父には[ベルの行商人]として、たくさんの人がいます。一方サファリには、父一人しかいません。これから増えていくのかもしれませんが、サファリにとって、サファリの味方になってくれる絶対的な存在というのは、父しかいませんでした。

 そんな父が、サファリに伏せた手紙を見せます。そこにはこうありました。

「神の過ちにより生まれたあなたの命に祈りを(エイメン)

 それはとある宗教からの短い文言でした。キャペットのところで本を読んで知識を得たサファリは祈りの言葉というのは知っていましたが、この文言には混乱しました。

 神の過ち? 祈り? さも祝辞であるかのように映る文言は、暗に父を[間違った存在]だと否定しているのです。

 人が生まれるのは奇跡です。人が生まれるのはただそれだけで奇跡で、尊ぶべきことなのに、生きていることは祝福されるべきことなのに、それを遠回りでも[間違っている]と指弾することの、何が正しいというのでしょう?

「お父さん……これは、どういうこと? 神の過ちって何?」

 サファリの問いに惑うことなく、父はつらつらと述べました。

「黒人差別は知っているな? 普通の人々と違い、肌が黒く生まれてきた人間を黒人という。肌が黒いだけ。そんな差別は、宗教の思想から生まれたものだ。こいつらが信じる神というのは、黒い固まりから人の形の彫像を掘り出して、そこに命を吹き込んで、人間を生み出すと考えられている。神が丁寧に磨き上げ、仕上げて完成した人間が、白い肌を持つ白人たちだ。けれど稀に、神が仕上げをせずに彫像を世に送り出してしまう。磨かれず、仕上げもされなかった彫像は、黒く薄汚れた神の失敗作。だが、自分たちが崇める神の失敗を認めたくないやつらが、俺のような黒人のことを差別することで、神という存在が完全であり続けられる。そういう思想が黒人差別の始まりで、これはそういう宗教だ」

 サファリはなんとも言えない気持ちになりました。神様なんて、いるかいないかわからないもののために、こんなに優しい父が苦しまなければならないのか、後ろ指指されなければならないのか、というやるせなさと、人間とはそういう、どうしようもない生き物だった、ということを思い出した虚脱感が共存し、サファリから怒りの感情を奪います。

 賢くて、聞き分けのいいサファリは理解してしまったのです。神様とは人の心の支えの一つとして、なくてはならないものです。サファリにとって、父が絶対的な味方であるのと同じ。他の人々にとっても、絶対的な存在は必要でした。だから神様という概念が存在するのです。

 絶対的なものを絶対的なものにするためには、その他大勢が絶対的でないものにならなくてはなりませんし、絶対的に絶対的でないものがどうしても必要となります。この世界の場合、それが黒人でした。

「サファリ。これはまだいい方だ。過激な宗教は祈りなど送らず、黒人という存在の抹消を願う。だから時に[黒人狩り]が行われる地域もあるほどだ」

 狩りと称することで表現を和らげているつもりなのでしょうが、それは抹殺であり、殲滅でありました。神という存在を信望するあまりの人間の過ちは、神の名の下に正当化されるのです。

「俺と共にいることは、時にお前の命まで脅かすことがある。なるべく治安の悪い地域には行かないようにしているが、執念深いやつもいる。けれど、お前はまだ庇護されるべき子どもだ。だから、どうか、一人で立てるその日まで、傍にいてくれ。俺が守るから」

 父の言葉に、サファリは海の色の目を煌めかせて揺らめかせました。それから、隣に座る父にひし、と抱きつきます。

「離れない。ずっと一緒」

 父は幼いサファリなりの力強い腕にきょとんとし、それから服を握りしめるサファリの小さな手にその大きな黒い手を重ねました。

 風のように穏やかな声が、森の中にしん、と落ちました。

「これから行く場所は、お前をきっと守ってくれる場所だ。少し肌寒いだろうから、手紙を燃やして、火に当たろう」

「うん」

 そうしてサファリと父は焚き火に手紙をくべて、暖を取り、[北の街]へと進路を向けるのでした。

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