犠牲の上に成り立つ平和って言葉が、詭弁じゃなかったためしはない。――3
「だから、わたしは贄になれるのです。エリーゼ姉さんに生きていてほしいから」
ただ……。
わたしは頭に手をのばし、髪飾りに触れる。
ロッドくんがプレゼントしてくれた、若葉と野花の髪飾りに。
「……カールくんから庇ってくれて、嬉しかった」
ポツリと、わたしの口から思い出がこぼれ落ちる。
「リーリーの育成を手伝ってくれて、嬉しかった。ピートをくれて、嬉しかった。戦い方を教えてくれて、嬉しかった」
こぼれだしたら、留まることをしらなかった。
「はじめてのデート相手になれて、嬉しかった。服を褒めてもらえて、ドキドキした。ふたりで『あーん』し合って、楽しかった。手を繋いでくれて、ときめいた。髪飾りをプレゼントしてくれて、幸せだった……!」
わたしの頬を涙が伝う。
「ずっと……ずっとずっとずっと、あなたの側にいたかった……!」
思わず崩れ落ちそうになる。
ロッドくんのもとに帰りたくなる。
消えたくないと思ってしまう。
それでもわたしは堪えた。
「ダメです。タイラントドラゴンが暴れ回ったら、ロッドくんも危険に晒されてしまうのですから」
それだけはイヤだから、わたしは涙を拭う。
「急がないと」
未練を振り切り、歩調を速めようとしたとき、
「待ってくれ、レイシー!!」
エリーゼ姉さんの声が聞こえて、わたしは足を止めた。
消えたくないと、また思ってしまった。
泣きじゃくりたい気持ちを抑え、無理矢理笑顔を作って、振り返る。
「なにかご用ですか、ガブリエル先輩?」
姉さんの顔が悲しみに歪んだ。
その顔を見て、わたしの胸は張り裂けそうになる。あえて突っぱねる言い方を選んだのは、自分のくせに。
「行くな、レイシー! タイラントドラゴンはわたしが倒す! そのためにわたしは強くなったのだ! ここで戦わなければ、わたしが生きてきた意味がない!!」
「ダメですよ。ガブリエル先輩では、タイラントドラゴンに敵いません。おわかりでしょう? 先輩は、アースドラゴンにすら苦戦したのですから」
姉さんを諦めさせるため、わたしは非情に徹した。
姉さんが震えている。おそらくは、情けなさと、悔しさと、悲しさと――自分の無力さへの怒りから。
作り笑いが剥がれ落ちそうになる。
胸が締めつけられて、うずくまりそうになる。
ダメ。ここで折れては、姉さんもロッドくんも、助けられない。
「それなら、わたしが贄になる!」
姉さんが血を吐くように叫んだ。
「レイシーにばかりツラい思いはさせられない! 妾の子と罵られ! 満足な自由を得られず! 挙げ句の果てに贄として死ななければならないなど、そんな理不尽を許せるはずがないだろう!!」
いいか!
「きみはやっと幸せになれるところなのだ! これからきみは、うんと幸せになるのだ! マサラニアくんと幸せにならないといけないのだ!!」
わたしは下唇を噛んだ。
そうしないと、堪えきれなかったから。
どうしてそんなことを言うのですか? ロッドくんの名前を出されたら、彼との未来を想像したら、覚悟が揺らいでしまうではありませんか。
「だから、きみの代わりにわたしが――」
これ以上説得されたら、わたしは本当に折れてしまう。
そう悟ったわたしは、エリーゼ姉さんに駆けより、ギュッと抱きしめた。
「レイ、シー?」
狙いどおり、驚いた姉さんが口を噤む。
「ツラくなんて、なかったですよ? たしかにわたしは罵られました。自由に生きられたとも言えないでしょう」
けど、
「エリーゼ姉さんがいてくれたから、ツラいことなんてありませんでしたよ?」
それは、わたしの本音。
姉さんが目を見開いた。
わたしと同じ、エメラルドの瞳を。
「だから、わたしに守らせてください。わたしの大好きな、姉さんを」
「レイシー……っ!!」
姉さんがわたしを抱き返し、わんわんと泣きわめく。
まるで駄々をこねる子どものよう。四天王の面影はなにひとつない。学校のみんなには、決して見せてはいけない顔。
それでも、そんな姉さんが、愛おしくて仕方ない。
姉さんの体温を感じながら、わたしは安堵を覚えた。
大丈夫。わたしは、姉さんのためになら、贄になれる。
「いいわけねぇだろ」
心を読んだような一言に、わたしはビクリと震えた。
どうしてですか?
「どんな理由があろうと、死のうとしているやつに、『はい、そうですか』なんて言えるわけねぇだろ」
どうして、いま一番会いたくて、一番会いたくないあなたが、ここにいるのですか?
姉さんの腕に抱かれたまま、わたしは彼を見た。
自分がどんな顔をしているのかは、わからない。
「ロッドくん……」
ロッドくんは、そんなわたしに、いつものようにニッと笑いかけた。
わたしの大好きな笑顔。
「引き止めにきたぜ、レイシー。お前に死なれたら敵わないからな」




