九章.集う孤は楔(一)
今日、蘭はアンヘリカへ向かう。
姫の証である赤い衣服を身にまとい、髪を結う。そして城から出て、国民に姿を晒す。
ウィルナの姫ランはシェラルドとの対話の為にアンヘリカへ向かい、結果と共に帰って来る。
発言は必要とされず、ただ凛とした佇まいを見せつければ良いのだとセルアは告げた。
ユージィンも、確かな未来と共に蘭は存在しているのだから自信を持てと頷く。
戦わない結末を望んではいるが、必ずしもそうなる保証はない。決裂すれば、おそらくではあるが戦いが起こるのだろう。
国の行く末を知る権利は誰もが持っており、大勢がいる空間を蘭はランとして歩いた。護衛として側に付く者に囲まれ、並ぶようにユージィンや重役達もいる。セルアだけが共に行動をせず、先に乗り合い場へ向かっているはずだった。
ウィルナでは町の中を徒歩で移動する以外の方法はない。王族だろうが王宮に勤めていようが、誰もが歩くほかはないのだ。
必ずしも安全が保証されないが故に、ランの周りは景色が見えぬ程に囲まれている。しかし、正面はある程度開けている為、自身が通る道の端にはたくさんの人が集まっているのがわかった。そして、その者達は蘭がアンヘリカへ向かう事へ対する思いを口々に投げかけて来る。
ラン様はこの国をお救いになる方だ。
戦いを望まぬのだから、必ず良い知らせをもたらしてくれる。
誰よりも素晴らしい未来を持っていると告げられた姫が、私達の命を奪うはずがない。
概ね姫を信じている。いや、心酔しているような熱のこもったものが多く、蘭はこの国における姫という人物の重要性について改めて認識させられた。
(こんなにも信じる人がいるのに、どうして姫様はいなくなってしまったの?)
蘭は疑問を抱きつつも歩みを進める。アンヘリカへ向かう理由は例を見ないものであり、今の蘭は周りへ愛想を振りまく必要もない。真剣な面持ちで乗り合い場まで向かう事が重要だった。
とにかく、それまでは蘭に戻ってはならない。
信念を持ち、国の為に動く姫。それがまさか偽者だとは誰も思っていないのだろう。
時折、本当に極稀にだが良くない言葉も耳には飛び込んで来た。しかし、全ての者が支持をするという事態は到底考えられないのだから、その人はそう思っているだけだと受け止める。
何よりもそうした内容を口にすると、周りの国民達がその人物を言いくるめるように言葉をかけてしまうのだ。
姫にそのような無礼を働くな。
そうして揉めるかと思えば、そこまで熱く批判の言葉を吐こうともしない。
自分達は先視みによって殺されはしないのだ。
否定の言葉を口にしていても、姫の成した事を認めぬわけではない。どうしようもなく姫を批判する人物は今のところ、蘭には見受ける事ができなかった。
わずかにだが揺れる乗り合いの中で、蘭は普段よりも心持ち姿勢を正し腰かけている。今はアンヘリカ到着まで姫である事を忘れくつろげる時なのだが、どうしても緊張は隠せなかった。
これまでは常々砂漠を渡るものと同じ乗り合いで移動していたが、今回は姫の為に作られたという豪華なものだ。見るからに違う外観にも驚いたが、中身は更なるものを感じさせる。まるで小さな部屋と表現すべき内装に蘭の気負いは増すばかりだ。
ベンチ状の椅子と床そのものを使用する空間が半々である乗り合いとは違い、ここには簡易的なベッドすらも備え付けられている。乗る人数が限られているのか椅子の数は半分以下に減らされ、寄りかかる為に使用していた壁板には棚が作りつけられていた。
一台での移動ならば、セルアの魔力で所要時間を速める事ができる。
しかし今はウィルナの者達が複数の乗り合いにいるのであり、丸二日という当たり前の道程を辿らなくてはならないのだ。更にはアンヘリカでの不測の事態に備えて魔力を無駄にできないという理由もある。
蘭はこの無駄に豪華に見える乗り物でアンヘリカを目指す以外の選択肢を持たないとは知りつつも、思わず呟いてしまう。
「なんだか違い過ぎて落ち着かない」
ただでさえ悪路の上を静かに走る乗り合いが、より揺れを抑えている状況は乗車している気分さえ忘れてしまいそうな程なのだ。ウィルナの屋敷と比べれば簡素と言えるが、本当に小さな一室で過ごしていると錯覚してしまいそうな環境だった。
隣に座るセルアは前の座席へ足を載せる体勢のまま、蘭の髪に触れ笑う。
「ああ、やり過ぎだと思うだろ? あいつも普通で構わないと言ったんだが、周りはここまでしねぇと納得しなかったんだよな。馬鹿馬鹿しい」
「姫様がこうしたかったわけじゃないんだね」
「ええ。特に頻繁に使用するものではない為、同じものを望まれていたのですよ。使われたのは二往復だというのだから、無駄にも思えますね」
蘭の向かい側にいるユージィンが苦笑する姿は、本当に仕方がなさそうに見える。
「姫様が普通でいいって言ってるのにこれなの?」
「示しがつかねぇと言われちまうんだな。これが」
屋敷の豪華さを考えるとこれでも妥協しているのかと感じる部分もあった。しかし、二度しか使われていない乗り物と考えるとやはり首を捻りたくなる。
「中を見る人なんてそうそういないんだよね? 外側だけ立派でもじゅうぶんそうなのに……それに、はっきりと要人が乗ってるのがわかるって危なくない?」
思わず漏らした本音にセルアが更に笑う。
「あいつも同じような事を言ってたな。この内装で通常の乗り合いが何台か作れるんじゃねぇかと溜息をついてたぞ」
「だって、暮らせそうなくらいに張り切ってますって感じだもの」
蘭が知るのは姫の屋敷とアンヘリカの宿、そしてシェラルドの為に準備されたというアンヘリカの建物だった。必要最低限のものを置いている宿よりも、乗り合いの方が充実しているという状況は身分の差なのだろうかと自然と蘭も溜息を零してしまう。
「やっぱり落ち着かない」
セルアと共に幾度もウィルナとアンヘリカを往復してきたのだ。蘭はすっかり木の床に布を敷き寝転がる状況に慣れてしまっていた。
「俺もあっちの方が居心地がいい。乗り込む人数が少ないからといって、やり過ぎにも程がある」
「乗り物って感じじゃないもんね。でも、姫様と一緒に乗りたい人もいるんじゃないの? かえって狭い気がするけど」
当然のように三人で使ってしまっているが、見回す限りあと一人二人を追加するのが限界だろう。
今はランではなく蘭がいる為に新たな人物は不用なのだが、今回のようにセルアとユージィンだけで二日間を過ごすのはさすがに困るのではないかと気付く。
「姫が乗る場合はセルアが必ず一緒ですから、私以外に同乗する者はいませんよ」
「ユージィンだけ?」
「俺と二日間も同じ空間にいられる奴がいねぇって事だ。だから、こんな部屋みたいな作りになっちまった」
「ふうん。まあ、色々事情もあるし、姫様みたいな立場だとなおさら仕方ないのかな。ユージィンもこんな感じで暮らしてきてたって事でいいの?」
一国の主になる者の暮らしなど、代わりを務めた身としても理解しきれるものではない。しかしユージィンは身を持って知る人物だったと蘭は聞く。
「はい。概ね同じと言えるでしょうね。立場を忘れるなと、よく言われたものです。しかし、先視みの力があるからこそわがままが通るという点もあるのですよ」
「先視みがあるから、長期間国を離れるのを許してもらえたんだよね?」
これこそがわがままなのだろうと蘭は告げたのだが、ユージィンは困ったように眉を下げる。
「許されたのではありませんよ。押し通しただけなのです。ヘンリクと……もう一人の者に自国を任せて、私は逃げるように飛び出してしまいました」
何かを思い出したのか瞳を伏せるユージィンの姿に、セルアは驚いたらしい。
「らしくねぇ台詞だな。ユージィンには逃げるなんて似合わねぇ。まあ、俺はあいつに対する態度を見てそう思ってただけだからな。実際に立場を理解できるからこそ、対等を望まれた時の適応が早かったってだけか」
蘭にもユージィンが逃げるという状況は想像がしづらいものだ。しかし以前にも先視みに振り回されるようにウィルナへやってきたと言っていた。それ程の感情が与えられたのだろうと納得する。
「性別は違いますが、よく似た教育をされたのでしょうね。継ぐ者は皆、同じような感情を抱くのかもしれません。しかし、先視みの与える感情とは、本当に逃げたくなるようなものもあるのですよ? ヘンリクは殺してしまいたくなり、アンヘリカは欲しくてたまらない。これからでさえ、二人の未来がないのならば私は耐えられなくなるかもしれません」
真実を知った今だからこそ、ユージィンはアンヘリカにいる自身の状況を伝えてくる。蘭がさらわれた際にクロードから守るように側へいたのは、自身の為もあったらしい。
良いと感じさせる未来と共でなければ、アンヘリカはつらい場所以外の何ものでもない。理解する事は難しいが、ユージィンはひたすらに苦しい場所なのだと訴えた。
「そんな物騒な事言うなよ。前にあいつがアンヘリカに行った時にユージィンの様子もおかしかった意味が今ならわかる。同じような感情を与えられたと考えて構わねぇんだろ?」
「ええ。アンヘリカは訪れる度に欲しいと思わせてきますからね。どうしたならああも欲する事ができるのか……、まったく困ったものです」
そのまま口をつぐんでしまったユージィンを気にしつつも、蘭は先程からやたらと触れてくるセルアへ目を向ける。
「ねえ、わたし達しかいないからって、今これはないんじゃない?」
どうにも緊張感が足りないのではないかと告げれば、セルアはこちらの髪に唇を落とし満足気に口端を上げた。
「どうせ外からは見えねぇんだ。構わないだろ? アンヘリカへの滞在は一日の予定だが、不測の事態で伸びる可能性だってある。俺の魔力を受け取っておけよ」
最もらしいようで自身の都合に沿ったセルアの発言に、蘭は仕方なしに頷く。
「ずるいんだから」
「絶対に大丈夫とは言えないんだ。俺達は万全で臨む必要がある」
すると何かを考えているように見えたユージィンが、セルアへ眼差しを向ける。
「今回ばかりはそうした発言は控えていただきたいですね」
「はなっから道筋もできてねぇ今の状況だ。全てが不測じゃないのか? 最悪の事態に対して備えておく必要がある。後手に回るわけにはいかねぇだろう」
鼻で笑うセルアに、ユージィンは小さな溜息を漏らす。
「貴方はわかっていて言うのですからね」
「今どんなに気を張ったってしょうがねぇだろうが。全てはアンヘリカに着いた後、シェラルドの奴らに会ってからだ」
蘭がアンヘリカでヘンリクに会うという案を聞き散々反対してきたセルアだったが、話が進みこうして間近になると誰よりも自信有りげな発言をするようになっていた。
こちらの髪を優しく撫で続けているセルアへ、蘭は再び視線を向ける。
「でも、本当にどうなるかわからないんだし、わたしも心配だな」
ユージィンはウィルナの姫ランとシェラルドの王子マティアスを婚約させると言った。確かに二つの国をまとめるには良い話だとも思えたが、実際に成立するかと問われれば首を傾げてしまいたくなる内容なのだ。
この世界について詳しくもない蘭ですら、無謀ではないかと疑念を抱いてしまう。
自分達以外の誰が首を縦に振るのだろうと思える程に可能性の薄い望みであるが、今はすがらざるを得ない状況でもあった。
果たして全てはどこへ向かっていくのか、あまりにも先を読めない状況はどうしても蘭の心をざわつかせる。
不安を零した蘭を見つめるセルアは、そんな事言ってもどうにもならねぇと続けた。
「腹を括るしかねぇんだよ。やれるだけの事をやってどうなるか、そんなもんはその時にしかわからねぇ。俺達はそうしてこうなったんだろ?」
セルアの言葉を聞いた蘭は、何故今の状況になったのかを改めて考える。
おそらくだが自分がこの世界へ現れ、姫は消えた。そして、その代わりとして暮らし、クロードと出会いアンヘリカへ向かったのだ。それによりアンヘリカとの縁ができ、魂の欠片という言葉を知った。
全てがそこから動き始め、蘭は失われた魂の欠片であり、姫とユージィンが分かたれた二つなのだろうと思える本を見つけたのだ。
(でも、どこからが始まりと言えるんだろう?)
蘭がこの世界へやってくる以前から、何かが起きていたと考えるべきなのか。敵国の王であるはずのユージィンがいて、ウィルナ一の使い手である術師のセルアもいる。姫は二人がいる状態で蘭を呼んだのであり、何となくだがクロードもこの中に加えていいように思えた。
(クロードがいたからこそアンヘリカに行けたんだし……ヘンリク王子もそうなのかな? もしもシェラルドの王子が一人だけだったなら、今とは違った状況になっていたんだろうし)
うつむき眉間に皺を寄せ黙り込んでしまった蘭へ、セルアが声をかけてくる。
「どうした?」
自分の世界に入り込んでしまっていたと蘭は慌てて頭を上げ、首を横へ振る。
「ん、なんでもない。ちょっと考え事をしてただけ、どうしてここに来たのかなって改めて思っちゃって」
「今更そんな事か?」
セルアの手が蘭の頭を掴み大雑把に揺らす。時たまこうして揺さぶる仕草が気に入らない蘭は鋭くセルアを見た。
「やめて。それに、そんな事ってないでしょう? わたしにとっては重要なの」
しかし、セルアは本当に気にならないらしい。睨みつけている蘭を無視し、こちらの耳元へ唇を近づけ囁きかける。
「ランは俺に会いに来たに決まってる」
「な……っ」
突然の発言に、蘭は耳元を押さえて体をセルアとは逆方向へ傾けた。載せていた手から逃れるように動いたのが気に入らなかったらしく、セルアは腕を伸ばし蘭の肩を掴む。
「なんで離れる?」
「なんでって……急にそんな事言われたらびっくりするじゃない」
妙に驚かされた台詞を思い出しながら蘭が言うと、セルアは意地悪そうに口端を上げた。
「急じゃなかったらいいのか?」
そうして、そんなふざけた口をきく。
「もう何なの! こっちは真剣なんだからね。アンヘリカに着いたらまた姫様をしなきゃいけないのに」
真っ赤な顔でまくし立てれば、笑い声と共に返事を向けられる。
「わかってる。だから今はランらしくしていりゃいいんだ。そんなに気負うな。俺はランが好きだからこうしてるんだ、構わねぇだろ? 別にふざけているわけでもない」
「ちょっ、何!」
更に告げられた言葉に蘭は過剰に反応したが、セルアには伝わらなかったらしい。不思議そうに瞳をぶつけられる。
「どうした?」
「どうしたって、セルアが今、す、す」
これまでセルアは蘭が好きだと口にした事はなかった。気に入っているや、帰りたくないと思わせてやるなどと散々言われてはきたが、突然正面切って感情をぶつけられたのだ戸惑いも生まれる。
同じ言葉を出す勇気がないままに蘭が口ごもれば、目前にある瞳は細められた。
「好きだと言っただけだろうが」
「だって、今までそんな言い方した事なかったもの」
「なんだ? 言わねぇとわからなかったのか? じゅうぶん態度で示してただろ?」
今度は髪を乱すように頭を撫でたセルアに、蘭は再び頬を赤らめる。
「ずるい……ずっと私が決めればいいって感じだったのに」
確かに好かれているとは思っていたが、蘭自身の感情だけが問題だと考え続けてきたのだ。自分はこの世界で暮らさなければならない。はっきりとした答えが出ない限りは受け入れられない話だと思い続けてきた。
何故そんな事を言うのかと蘭は訴えたが、セルアは妙に自信に満ちた笑みを浮かべ告げる。
「今だってそれは変わらねぇよ。何か心境の変化でもあったのか? 言ってみろ」
「嫌よ、わたしは帰る為にここにいるんだもの」
まるでこちらが変わったかのような物言いに、蘭はただ強く突っぱねた。しかしセルアは不安をあおるような現実を突きつけてくる。
「帰れないかもしれないだろうが?」
蘭はこの世界から帰るという目標を掲げていて、今でも答えを探しているはずだった。
「前にも言ったけど、私ははっきりしないのが嫌なの。ちゃんとわかっているなら……」
しかし口から飛び出したのは酷く曖昧な、決して帰りたいとは言い切らないものであり自身が戸惑ってしまう。
「わかったら何かあんのか?」
続けるべき言葉を見つけられない蘭へセルアは確認するように問うてくる。
(わかったら……どうするんだろう)
見えるようで見えない。もしかすると気付いているのに気付いていないのかと、自分すらも疑いたくなるようなおかしな感情が蘭の中では渦巻く。いったい何の為に自身はここにいるのかと、改めて考えながら話を打ち切る事に決める。
「何でもない。本当に何でもないから。ねえ? 今はアンヘリカに行く事を考えなくちゃ」
この発言にセルアの眉ははっきりと潜められた。しかし蘭は言い切れる程の答えを提示できる気がしない。どれだけ問われようが考えようが決断できる状況ではないと、蘭は言い表す事のできない感情を己の中に閉じ込める。
とにかく話題を変えなければと蘭が視線を動かすと、こちらを黙って眺めているユージィンが面白そうに笑っていた。
「ユージィンも笑って見てるだけじゃなくて、何か言ってよ」
内心で助けて欲しいと思いつつ言葉を向けると、ユージィンは少し驚いた表情を見せ仕方がありませんと苦笑する。
「セルアが少々ランを困らせているようには見えますね」
「でしょう?」
予想していた通りに言葉を発したユージィンに蘭は大きく頷く。しかし、セルアはだからどうしたと言わんばかりにこちらを見つめているだけだ。
「なんで気にしないの!」
「気にするわけがねぇだろうが、俺はただランが好きだと言ってどう思われてんのかを聞いただけだ。問題があんのか?」
「それはそうだけど」
確かに問題はないのかもしれない。単にいつからか自分が迷いを抱いているだけなのかと、蘭の声も自然と小さくなる。
「まあ、本音を言えば私のいない所でしていただきたいですね。セルア、以前から気になっていた事があるのですが、姫の先視みの件をどう思っているのでしょう?」
突然に告げたユージィンの発言はこの流れを断ち切るものなのかと蘭は視線を向けるが、セルアが随分と嫌そうな声を発した。
「どういう意味だ?」
「もちろん、貴方へ姫が告げた先視みですよ。出会いがあると言われていたでしょう?」
何故そうも嫌がるのかと言いたげにユージィンは笑んでいるが、蘭は先視みが何かを告げていたらしい事実に驚く。
「な……に? セルアはわたしに会うって知ってたの?」
見上げればセルアが不機嫌そうにユージィンを見据えており、決して認めているとは言えない状況には思える。
「そんなの関係ないだろ? 俺自身がランを好きだと思っている部分が重要なんだよ。あいつの先視みがランの事を告げていたかなんて、俺達にはわかりもしない――。いや、ユージィンには見えるんじゃねぇのか?」
蘭には姫がどんな先視みをしたのかはわからない。しかしセルアの口ぶりでは特定の誰かに会うと告げられていたようには感じられなかった。
確かにユージィンも先視みを持っているのだ。姫と同じくセルアの未来を知れるのだろうと、蘭も瞳を向ける。
しかし酷く困っているらしい表情がユージィンには浮かんでおり、こちらが望む言葉を吐く事は叶わないようだった。
「残念ながら、どうして姫がセルアに出会いがあると告げたのかが私にはわかりません。貴方の未来は心穏やかになれる素晴らしいものですが、決して誰かに出会えるとは思えないものなのですよ。まるで私と姫では違う未来を見ているのではないかと思える程に理解できないものです」
「二人が見てるもんは違うって事なのか?」
セルアははっきりと認められない答えにどこか安堵しているようにも見える。だがユージィンは表情を陰らせるのであり、何か不安を抱えているようにすら感じられた。
「どうなのでしょうね。私は姫とそこまでの会話はできていませんでした。このような事態になるとは露とも思わず、これから先視みについてを語れるとさえ考えていたのですよ。しかし姫は同じ未来を持った別人のランと入れ替わるようにいなくなってしまわれた。まるで確認する事を拒まれているようにすら感じられます」
ユージィンの正体を姫は知っていたが、詳しい話をする間もなく蘭がこちらへ来てしまったらしい。二人の先視みの違いを知る事は無理なのかと蘭が思うと、隣でセルアが鼻で笑う。
「とにかく俺は先視み通りに動いてんじゃねぇよ。例えランに会うと示していたんだとしても、俺は自分で決めてんだからな」
「う……うん」
確認するように目線を合わせられた為に蘭はセルアへ頷いて見せたが、何故かこの様子にユージィンが苦笑していた。
「私も先視み通りに動いているとは思っていません。自身で姫の側を選んだのですよ? 先視みはどこまでを知り何を伝えてくるのか、まったく理解できないものなのですからね。そう言いたくなるセルアの気持ちもわかりますよ」
「それでも先視みを信じて動いてきたんだろう?」
「仕方がないでしょう? ウィルナもシェラルドも結局は先視みに頼らなくては生きていけないのですから……姫の為にも私はこの力にすがるつもりです。二人もそれで構いませんね?」
正体が掴めないままに話の中心となった先視みは、この世界にとって決して無意味なものではないのだろう。ユージィンは疑問を抱きつつも信じ、先へ進もうとしているように見える。
「よくはわからないけれど、今までもそれでうまく進んでいるなら信じるしかないのかなとは思うよ?」
蘭が肯定すれば、セルアも溜息混じりに続いた。
「俺は信じるしかないんだろうな。未来が良いから生かされて、今がある」
悪しき未来が見えるのならば殺されているはずなのだ。先視みはそれだけの力を持ち、この世界は成り立ってきている。
蘭の瞳は自然とセルアを見つめたが、先視みに決められていたという事実がいまだに気に入らないらしい。再度、念を押すように言葉を向けられた。
「俺は先視みに動かされてんじゃねぇからな」
「うん、大丈夫わかってる」
先視みを持つユージィンですらセルアの言動を理解できると言っている。影響力の強さを感じつつも蘭はとにかく同意をした。
「しかし、ランも姫である事を忘れられたのではありませんか? 普段に近づいたように思えますよ」
「え?」
思いもしない言葉に蘭は驚き、セルアは自身の髪を気だるそうにかき上げて呟く。
「俺は別にそんな事まで考えてねぇよ。ランがあいつの振りをするのは必要な時だけでいいと思ってるだけだ」
何故かそっぽを向いてしまったセルアに対し、ユージィンが頷いた。
「確かに今はランが姫である必要はありませんからね。もう随分と慣れたものでしょう?」
セルアに対して何かを言うわけではなく、こちらへ言葉をかけてきたユージィンを蘭は見る。
「確かに、何回か姫様として話はしたけど」
慣れたのかどうかは分からなかったが、蘭は数度姫として城に赴いていた。それはいつもアンヘリカへ向かう為のものであり、戦いはせずにヘンリクと会う事だけを望み続けたのだ。
そして、結果としてそれは成り立ち、今に至っている。
もしかすると気負った自分の為にセルアはわざわざあんな事を言ったのだろうか? 蘭は視線を横へと向けたが、セルアは少し不愉快そうな表情で座っているだけだ。
そうなのかもしれないが、セルアはいつもこんな調子であり蘭に真意はわからない。
例え本当だとしても本人が認めたくないのならば、追求する必要もないのだろう。もしかするとセルアなりの優しさが含まれていたのかもしれないと蘭は心の内で思う事にする。
(でも、違う悩みを思い出しちゃったしな)
セルアに好きだと告げられる事で、蘭は自分の不安定な立場を嫌でも思い出した。帰れるのか帰れないのか、知りたくとも知れる気がしない疑問をだ。
(どうしたら、答えを知る事ができるんだろう)
現時点では導き出せないとわかりきっている為に、蘭は無理やりにでも発言する事で頭を切り替えようと試みた。
「それにしても、本当にわたしで大丈夫なのかな?」
確かに先程より気を張らずにいられると思いながら蘭は、これからに対する不安を改めて口にする。
「また、それか?」
セルアがその話はしたくないとばかりに、眉根を寄せた。しかし、蘭は話を止めるつもりはない。
「またって言ってもね。アンヘリカの人達はわたしを直接知ってるんだよ? それが姫様として現れたらどう思うのかなって考えるじゃない」
蘭はこれまで姫としての姿で外へ出た事はなかった。いつも庶民的な衣服に着替えて外出し、アンヘリカへも来ている。姫と見目が似ている為に王宮の敷地内に住んではいるが、あくまでウィルナの一市民であるとアンヘリカでは認識されているはずだった。
その旨を聞いたユージィンは、わずかにだが神妙な面持ちを見せる。
「詳しい事を知っているのはクロードだけですからね。一応、マルタへはランが姫の代役として行くとは伝えてもらっていますが、彼女も何故本人ではないのかと疑問を覚えているでしょうね」
「さすがに本当の事は言えねぇだろう? アンヘリカとの仲はあいつがいるからこその部分もある。ランの役割も大きいが国単位になると違う」
アンヘリカの意志を読めるからこそ歓迎されている蘭。そして、ソニアを助けた事によって更にアンヘリカの人々に知られる事となった。それは確かに絆自体が深まっているようには思えるが、国としての意味は成していない。
蘭個人だけが優遇されるのであり、ユージィンやセルアと共に訪れるほかに方法を持たない為、二人も同じように扱われているだけなのだ。
「私達も多少は気軽に向かえるようにはなりましたが、あくまでおまけのようなものです。姫がいないとなれば不安を煽るでしょうね。マルタにはこちらに案がありわざとそうしているとでも思っていただきましょうか。まあランはアンヘリカの救い主と思われているようですし、嫌がりはしませんでしたよ?」
ユージィンは簡単に言うが、それはつまりしっかりとした策があってアンヘリカへ来ていると、そう見えるように振舞えという事だ。
「ユージィンはすぐに面倒くせぇ事をさせたがるな」
嫌そうな表情をはっきりと見せたセルアへ、ユージィンは言い切った。
「面倒と言っている時ではありませんよ。しっかり働いてください」
これ以降、三人はアンヘリカですべき内容を口にする事を極端に減らしてしまう。当たり障りのない会話をし、時折セルアがからかうような発言をこちらへ向けてくるの繰り返しだった。
単に二人は必要がないと判断していたのかもしれないが、蘭は心をざわつかせたまま笑みを浮かべようと努力をする。
まるで全てを集めるような事態は、恐れずにはいられないものだった。




