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七章.孤と個の隙に揺れる(二)

 建物の外へ出た蘭が本来利用すべき人達がいないままにしても良いのかと思っていると、ユージィンは簡単に言い放つ。

「クロード、貴方ならここの施錠もできるでしょう? ヘンリク王子は癇癪を起こして早々に帰ってしまわれた。必要な手順を踏みつつ、仕方なしに閉めていただけますか?」

「オレが?」

「当然でしょう? ウィルナの私達がシェラルドに関わる行動を取るよりも、クロードがヘンリク王子のわがままに振り回されている方が自然です」

 ユージィンはそのままゆっくりと歩き始めるのであり、方向からも宿へ戻るつもりらしい。一時見せた見慣れぬ様子は失われ、表情も口調も穏やかな人物が進んでいく。

「確かにクロードがするしかねぇんだが、ウィルナの人間がシェラルドの建物から出てきた時点で問題だろう。しかもシェラルドは出て行っちまってる。不自然だろうが?」

 セルアがすぐさま後を追い告げるが、特に視線を向けぬままにユージィンの歩みは続いた。

「気にする必要はありません。なるようになるでしょうからね」

「気にする必要はないだと?」

「ええ、こうして揉めて見える状況こそが今は不穏さを感じさせますよ。何が必要かを考えて発言すべきでしょうね、セルア?」

 全く気に留めていないのか足を進めて行くユージィンに対し、セルアは歩みを止めてしまっている。あまりにおかしな事態に戸惑いつつも、蘭はクロードと共にセルアへ近づき促す。

 確かにこの場で留まる姿は不自然に見えるだろうと動きはするが、すでに周囲の目はこちらを気にしているようだ。明らかに目を向けている者、気にせずに通り過ぎる者、どちらの姿も認められる中にはヘンリク一行がここから出て行ったと知る者もいるのだろう。

 しばらくは三人が口を開かぬままに進んでいたが、お互いの胸の内を知る事はできなくとも、どこか消化できないものを抱えているのはわかる。

 先を行くユージィンよりわずかに離れた位置のまま、蘭を真ん中にセルアとクロードが並び小声での会話が自然と始まった。

「さすがにユージィンの正体って信じるしかないんだよね?」

「そうだと思うけど、ねぇセルア?」

 クロードの問いを肯定しながらも逆隣にいるセルアへ蘭が視線を向ければ、随分と機嫌の悪そうな様子が伺えた。

「本人がそうだと言った上で兄上って呼ばれたんだ。そうなんだろうな」

 三人はどうしてもマティアスと口に出せないまま話をしていた。もし周りにいる誰かに聞かれ伝わってしまってはと心配する部分もあったのだが、蘭は何よりも事実として受け入れる事ができず濁してしまうのだ。もしかすると二人もそうなのだろうかと思いながら、クロードの言葉を耳にする。

「だとして明日にはウィルナに帰るの? 三人で?」

「そうするしかねぇだろう。正直、ユージィンがいなきゃこっちは困る」

 素直に頷けないらしいセルアが、困ったようにわずかにうめいた。

「完全におかしいよね? 普通はもう追い出したくならないの」

「だって、それはできないんだよ。事情はクロードもわかるでしょ?」

 先程の説明で大体ではあるが伝わってはいるだろうと蘭が言えば、クロードは渋々頷く。

「んー。わかるんだけど、変な感じだよなあ」

 クロードが言わんとしている感覚は蘭にもわかる。だが、ウィルナはユージィンがいなければ立ち行かないという現実を抱えているのだ。

 追い出してしまってはウィルナそのものが窮地を迎えてしまう。しかし、シェラルドの人間が国政の中心を担っている時点で窮地ではないのかと思える部分も大いにあった。

「そこはもう仕方がねぇんだ。話してる限りじゃユージィンがあいつをどうにかしたわけじゃねぇ。今のところ目的は一緒、そう考える事にする」

 クロードに言い聞かせる台詞かと思っていたが、どうやらセルアは自身にも言い含めたいらしい。

 こちらの会話が聞こえていたのかどうか、ユージィンが笑い声を立てつつ振り返る。

「お話ししたいのはわかりますが、宿へついてから三人でゆっくりとするべきではありませんか? 原因の私が言うのもなんですが、ここでは詳しい事も喋れないでしょう?」

 余裕たっぷりの姿を見たセルアが、自身の髪を盛大に掻き乱す。

「肩身が狭いはずのユージィンが一番余裕そうなのが納得いかねぇ」

「小さな事を気にしている場合ではないのですよ? 腹を括ったらどうです?」

 それはつまりユージィンは何かに対する覚悟を決めたという事なのだろうかと思ったが、聞けるような状況ではなく蘭はひたすらに足を進めた。



 宿へ戻ると心配そうな表情で出迎えたのはマルタだ。

 それはそうだろう。ヘンリクが来たから気をつけるようにと伝えたはずが、ユージィンが怖い笑みを貼り付けて宿を出て行ってしまった。挙句に蘭とセルアがヘンリクの所へ行くと言いながら追いかける。

 クロードが共には向かったが、むしろ心配事が増えないかとも思っていたらしい。

 宿の中へ足を踏み入れてすぐ、ユージィンはマルタへ説明をした。

「以前の事で話し合いをして来ただけですので、特に問題はありません。向こうはもうお帰りになりましたが、それによりアンヘリカとウィルナが困る事態にもならないはずです」

 簡潔に言い切ると振り返り、蘭とセルア、クロードへ、そうですよね? と有無を言わせぬ視線をぶつけてきたのだ。

 それには三人共が渋々ではあるが返事をし、マルタは怪訝そうではあったが安心した様子を見せた。その場は一応丸く収まったと言える程度にはなってしまったのだ。

 三人でゆっくり話せばいいとユージィンは言っていたが、結局は四人で一室に入り各々自由に腰を据える場所を見つけていた。

 蘭はセルアに無理やり並ばされる形でベッドに座らされており、そうなるとクロードも逆隣へやって来る。ユージィンだけがゆったりと椅子に腰を下ろし余裕の笑みを浮かべ、三人が並んで見つめる形となった。

「結局、ユージィンは敵ではないって事?」

 先程とあまり変わりもしない配置のままに、疑問を投げかけるのはクロードである。セルアや蘭と違い内情を深く知らない為か、簡潔ではあるが最もだと思わされる質問をぶつけ続けていた。

「敵ではないでしょうね」

 もちろん、ユージィンは全く動ずる事なく答えて見せる。

 蘭は何をユージィンに聞くべきかを迷い様子を見守るばかりであり、隣にいるセルアも不機嫌そうに座っているだけで口を開きはしない。

 このままクロード任せが一番ではないかと思えるような状態なのだ。

「じゃあ、オレとしては問題はないって事かな」

 ひとしきり聞き終えたのであろう。クロードはどこかすっきりとした表情で言うと、ベッドの空いているスペースへ器用に寝転がる。三人が座っているだけでも軋みがちだった簡素なベッドは、悲鳴のような音をぎしりと鳴らす。

「壊れるだろうが」

「痛っ」

 本来このベッドを使うべきであるセルアが咎めながら一つ叩くと、クロードは仕方なしに体を起こし、あ。と声を上げた。 

「オレ下に行かなきゃ。仕事の話の途中だったんだ」

 クロードはベッドから足を下ろし立ち上がると、見上げている蘭を見て満足そうに笑んだ。

「また来るからね」

「あ、うん」

 そうして蘭が頷けば、扉は閉まり足音は遠ざかる。

 確かヘンリクの所へ行く前のクロードは、マルタ達と何か会話をしている様子だった。慌てて廊下を駆けていく音が響き、急ぐべき用事があったらしき事はわかる。

 黙って見送ったセルアが、相変わらずの切り替えの早さに驚いたのか呆れたのかわからない表情で扉を見つめたままに言う。

「すっかり元通りって事なのか? あいつ」

「どうでしょうね。一見する分には問題はなさそうですが」

 するとセルアの視線は、相変わらずの笑みを浮かべているユージィンへ向けられた。

「ユージィンの問題に比べりゃ軽いもんだな」

「そうですか? クロードの抱えている問題の方が難しいと私は捉えていますよ?」

 おそらくユージィンはセルアの考えている事がわかっていながら、余裕の笑みを見せているのだろう。自身の発言によって起こりうる事態は予想済みなのか、動じる気配は一切ない。

「色々と聞きてぇ事はあるんだが、さすがに頭が追いつかねぇ」

 大きな溜息をついたセルアが悔しそうに口元を歪めると、ユージィンは更に柔らかに微笑んだ。

「私はどんな質問にもお答えするつもりですよ?」

「その余裕が気にいらねぇんだよ! 何様のつもりだ」

 セルアの言葉に何様も何もシェラルドの王子様なのだと思いながら、話さねばならない事はたくさんあるらしいと蘭は二人を見つめていた。


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