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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
ため息曜日

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8

 パート帰り、家の最寄駅の前に着いたのは約束に十分も遅れてだ。


「秘書の影山を迎えにやるから」とPINK ⚪︎OUSEさんから連絡をもらっていた。個人秘書を持つなんて、ますますPINK ⚪︎OUSEさんという人が謎めいてくる。


 委託を頼んだイベント後、初めて彼女と会う日だった。と言っても、オフで会うのはこれが二度目でしかないのだが。


 ロータリーをざっと見渡しても、前に見たリムジンらしい車はない。道でも混んでいるのかも。それでも慌てて自転車を駐輪所に停める。待ち合わせたテイクアウト専門の一口餃子店の側に立った。


 そうしてすぐ、忍び寄るように近くに影ができた。ダークスーツに身を包んだPINK ⚪︎OUSEさんの秘書の影山さんだ。この日はハンチングを頭に乗っけている。


「申し訳ございません。だらしなく約束に十一分も遅れていらしゃる雅姫様をお探しする、ほんのついでに、売店で『競馬ブック』を買っておりました」


「いえ…、遅れてすみません」


「では、お嬢様がお待ちです」


「ささ」と導かれたのは、国産のコンパクトカーだった。前と同じリムジンを探していた。これでは気づくはずがない。


 後部座席に乗り込めば、車は滑らかに発進した。


「例のリムジーンはご家族様専用でございます。わたくしども使用人が外出の際は、小回りが利く安価な車両を用います。

 とは申しましても、無論、お客様にはリムジーンを使用するのが常。で、ございますが、こう申しましては失礼、いえ無礼、はばかりがあるのでございますが…。

 雅姫様にはわたくしども下々特有の体臭を感じ、こちらの値の張らない車の方がより楽な気分でお乗りになれるのではないかと、とゲスな勘ぐりをいたしまして…。

 能う限り、レベルを下げた車でもってお迎えに上がった次第なのでございます」


 毒気を抜かれるというか…。嫌味な物言いが実に流暢でどうに入っていて、腹も立たない。一種の芸のようだ。


「…安い車で十分です」


「気持ちよくご理解いただき感謝申し上げます。そうそう、ちなみにわたくしのこのハンチングは、リムジーンを運転する際被りませんね」


 ああ、そうですか。


 はいはい。


 車は山手へ向かっているよう。ぼんやり車窓に見入っていると、ケイタイが鳴る。メールだ。『紳士のための妄想くらぶ』のスガさんからで、次の平日いつでもいいのでシフトに入ってもらえないか、と打診だった。


『オネガイ>< ♡泣き虫なスガからでした♡』と無駄な演出が多い。海坊主ルックスがこれを打っているのかと思うと、吹き出しそうになる。


 小林君を見かけて以来、店は近々に辞める方向で考えていた。心情的には不義理がしにくいものの、いつまでも引きずれる生活ではない。


「一日だけOK」と返信した。


 窓の右手に高い塀が長く続くな、と思ったら、影山さんの運転する車はようやく切れた塀の先にある堅牢そうな門を潜った。


 樹木の茂る私道をくねくねと百メートル(体感)も走ったとき、車が止まった。


 促されて降りた。四畳半はある大きな扉が玄関になっていた。入った広々としたたたきの向こうは先が見えないほど奥へ広がっている。


 土足のまま案内され中を進む。いつまでも続く廊下のある一つの扉の前で影山さんが歩を止めた。ノックをし、わたしの来訪を告げる。このドアの奥にPINK ⚪︎OUSEさんがいるのだろう。


 ドアが開いた。出迎えたのはやはり彼女だった。


「いらっしゃい」


 ゆったりとした畳敷きの和室だ。踏み込みがあり靴を脱ぐ。彼女はここで原稿をしていたらしい。紫檀の大机には散った紙が載っている。


 イベントではスペースに委託をしてもらった礼を述べた。返しに本の代金の入った封筒を受けとる。表に本単価と冊数をかけた式が書いてあった。


「検めて」


 中を見た。計算と違いなどない。紙幣の数に思わず唇の端が緩む。また、総司に何か買ってやれる…。


「ありがとう。助かった」


「いいの、もうお礼に一冊もらっているし」


 これはわたしの新刊のことだ。


 ほどなく、影山さんがお茶とお菓子を持ってやって来た。机に置くと、PINK ⚪︎OUSEさんは「散れ」とでも言うように手を払って見せた。それを受け、しおれた草木のようによろよろとした足取りで彼が部屋を出て行く。


 何あのだろう、この二人…。


「雅姫さんの本を一緒に置くから、人にあれこれ聞かれちゃったわ。どんな仲なのかとか…。「友達」って言っておいたけどねえ」


「友達」の部分だけ甲高く響いた。言った後でやや目を逸らし、なぜか頬を染め照れているよう。友達かどうかは微妙だけれど、「知人」と言うのも寂しい気がする。『ガーベラ』時代からだから、見知ってからの期間だけは長い。


「うん…。アンさんは(PINK ⚪︎OUSEさんのペンネーム。以降はこちら)新刊はまたあの宇宙シリーズの?」


 彼女はうんと長くオリジナルなSF風な小説を書いてきた。背景描写がやたらと緻密なくどさはあるが、なかなかうまい物語を書く。今言うBLものだ。固定ファンもあったはず。


「うん、いつものシリーズの番外。『スペース・反社~兵隊コロニー番外地~』と『スペース・反社~さすらいのロケット野郎~』の二冊」


「ふうん」


 イベントでのあれこれを聞き、はしゃいだ気持ちになってくる。楽しくて、つい昔のノリで、


「夏のイベント、アンさんが出るのなら、次はわたしに売り子させてよ」


 などと口走った。そこで、彼女の顔から笑みが消えた。低い声がつぶやくように言う。


「できない約束をしないでよ」


「え」


「期待しちゃじゃない…」


 アンさんはわたしに家庭があることを考慮してくれている。確かに、言った後で、総司はどうしよう、パートは…、と諸々出てくる。


 だが、唇は「何とかなるって」と動いていた。


 そう返しながら、何とかなるような気がした。何とかしようと気持ちがそちらへ傾く。実際、気持ちさえあればどうとでもなるはず。そうやって、わたしはまた本を出したではないか。


「ふうん、なら、これからも雅姫さんとはいろいろ打ち合わせないとね。まだ当確(夏イベントのサークル参加も抽選制)も出てないけど…」


 アンさんはこちらの返事にまんざらでもないようだ。笑みを堪えているのだから、多分その気なのだろう、彼女も。


 さっそく新刊の予定などを問う。


「描きたいけど、新しい一冊は厳しいかも…。すごい薄いのになっちゃう」


「だったら、合同誌の形にしない?」


「え、いいの? だったらありがたいな」


 そんな話で盛り上がっていると、また影山さんだ。アンさんへ「例のお客様が…」と知らせている。それを聞き、半分残った練り切りのお菓子を口に入れた。もうおいとましようと思った。


「じゃあわたしはこれで…」と腰を浮かしかける。アンさんが怖い顔でにらんだ。なぜか。


「あなたに合わせない人なの。というか、雅姫さんに会いたがっている人なのよ」


「は?」


 聞けば、この間のイベントで、わたしの本がアンさんのスペースにある理由をしつこく聞いた当人なのだという。わたしが最初に出したコピー本で、すっかりファンになってくれた女性だというが…。


「「友達」だって言った手前もあるし」


「友達」の部分がまたそこだけ上ずって響く。アンさんはその女性が知人の紹介のあるきちんと人であると言い添えた。


「勝手に呼んで悪いけど」


「ふうん」


 ちょっと面倒な展開だと思った。


 やや気持ちがもやもやとする。本音では嬉しい、ありがたい。


 だが正直、面と向かって作品のファンだの好きだの言われるのは、少し苦手だ。


「彼女、同人のツテを探し回ったみたいよ。今の同人界で雅姫さんの現存する「友達」って、わたしくらいのものでしょ。そりゃ、彼女目をキラキラさせてね…。

『ガーベラ』さんは元から孤高のストイックなサークルだったけど、雅姫さんも同人再開したのなら、またそれとは違ったやりようもあるしね。萌えという血に飢えた同人荒野をさまよう一匹狼もいいけど。

 それを「友達」として伝えてみたくて…」


「友達」「友達」と甲高くアンさんが連呼している。


 誰が「萌えという血に飢えた同人荒野をさまよう一匹狼」だ。


 確かに頑な過ぎるかもしれない。変な人じゃないなら、ま、いっか。


 照れ臭さに億劫さが混じりつつも、会う了承にうんと頷いていた。



 現れたのは若い女性だった。


 二十代半ば。栗毛色に染めたボブスタイルは、肌の白い彼女によく似合っている。可愛いらしい印象の人だ。


 緊張からか、こちこち音がしそうなほど固くなっているのがわかる。影山さんが新たにコーヒーを運んできた。机に滑らかに載せながら、


「どうぞ、お楽になさいませ」


 と、優しい言葉をかけている。別にひがむ訳ではなないが、わたしに対するのとは全く違う。「庶民の体臭がする」だの、迎えに待たされたから「『競馬ブック』を買っていた」だの遠慮がなかった。この差は何なのか。


 拗ねてはいないが、ちょっと変な目つきをしたようだ。すかさず静かに答えが返ってきた。


「わたくし、二十代の女性には特に優しく振る舞う習性がございます。ご容赦を」


 ああ、そうですか。


 穏やかな視線をこちらへ流す。上品な挙措だが、言っていることは厚かましく随分おっさん臭い。


 またアンさんが影山さんを雑に追っ払えば、千鳥足で部屋を出ていった。


 しばしの沈黙。


 コーヒーのいい香りがふわりと漂う。その中、女性の息をのむ音が、本当にこくんとささやかに聞こえた。


「きょ、今日はこちらにお邪魔させていただきまして、本当にありがとうございます。せっかくお親しいサークルさん同士、水入らずに神々のお二人だけで萌え話をされていたところを、わたしみたいな『書い専』者が失礼して申し訳なく思います」


 まず彼女はアンさんへ深く頭を下げた。きちんとした子だなと思った。二、三引っかかる単語はあったが…。


「いいの。いつも気の置けない身内ばっかりの馴れ合いじゃ、刺激もないもの」


 アンさんは鷹揚に彼女へ返した。


 いつわたしとアンさんが気の置けない「身内」になったのだろう。オフで会うの二度目だってのに。


 訂正するのもややこしそうだ。「合同誌の打ち合わせも、今日はもうこれ以上は詰めないしね」と、わたしへ確認のように言うから、それに頷いておく。


 ま、いっか。


「ま、まあ合同誌ですか?! 神のお二人で」


 お客の彼女が上ずった悲鳴みたいな声をあげる。びっくりして手のコーヒーカップが滑りそうになった。


「うわ、すごい情報聞いちゃった…、きゃあ、どうしよう。黙っていられないかも…」


 彼女は夢見るようにつぶやいた。そこでふと我に返ったのか、ぺこりとわたしへ頭を下げた。


「覚えていらっしゃいますでしょうか? 以前のイベントで本を買わせていただいた際、サインをお願いした者です」


 あ、と記憶がよみがえる。お客の一人にスペース前でノートを差し出されたことを思い出した。真新しい紙面にペンを入れるのに、ちょっと気後れした感覚もゆっくり思い出す。


 ああ、あの彼女か…。


「買わせていただいた本、大好きで、宝物みたいにしています」


「あ、どうもありがとうございます」


「お上手なのは、もうわたしなんかが言うまでもなくって。鉛筆画の風合いも憎いくらいにこなれてて、お話も展開も無理がなく滑らかで。読み手をぐいぐい引っ張っておいて、それでもってぽんと突き放したみたいなエンディング! 最高です。わたし確信しました。「神を見つけた!」って」


 潤んでキラキラとする瞳と熱っぽい語りに圧倒されそうになる。「はあ、どうも」とやや身を引きながら応じた。


「…それと、大きく割られたコマに込められた意味合いなども、土曜の晩に焼酎のカルピス割りを飲みながら、じっくりじっくり何度も考えています」


 ほうっとため息のように長く吐息した。興奮したように頬を赤らめている。


「わたし、いろはと申します。僭越ながらブログとSNSで勝手な同人萌え語りをしています。個人的にプッシュする作品をご紹介させていただいたり、出かけたイベントのレポートもしています」


 いろは、という愛らしい響きの名は、確か総司のお友達の中にもいたな、とちょっと思う。姓もなく、ブログやSNSというのならペンネームだろうが。


「同人界じゃ結構有名どころのブログよ。わたしも『スペース・反社』を載せてもらったことがあるの』


 とはアンさんだ。


「ふうん」


 そういう交流から今日のオフにつながったのか。


「雅姫さん、イメージ通りの方です。シュッと姿が良くておきれいで。ちょっとボーイッシュな感じも、作風に通じて素敵です」


 小っ恥ずかしいコメントをいただき、こっちがゆでダコになりそうだ。


「とんでもない」


 関係ないが、彼女の「姿が良くて」の言葉に、社長を連想してしまう。あの人はそんなことを「イタリア帰りだから」という訳のわからない理由で使っていた。そう、社長といえばブランドのバックだ。


 その後本社へ行き、受付の女性に返してくれるように頼んできた。あれから何とも言ってこない。女に贈り物を突っ返されてつむじを曲げているのかもしれない。


 手元にあるよりずっとマシだ。


 いろはさんはわたしの作品もブログで紹介させてもらったと、事後報告を詫びた。


 わたしはオフのみのにわか同人者だ。本には連絡先もないのだから、報告のしようがない。謝ってもらう理由がない。


「いいえ」


 いろはさんはこちらへ身を乗り出した。


「反響、大きいですよ。もうすっかりコアなファンの人までいて、驚きました。中で交流のある方とメールのやり取りをして、初めて知りました…。全くお恥ずかしい。こんなレベルで同人ツウぶっていたなんて、本当に赤面モノです」


「はあ」


「あの伝説の神サークル『ガーベラ』の雅姫さん、でいらっしゃるんですね」


 そこで、アンさんが合いの手を入れる。


「そうよ。あの『ガーベラ』の最後の生き残りよ」


 いやいや。千晶は死んでないって。むしろ、昔より断然輝いていますから。


「最後の、…生き残り」といろはさんまで重々しく繰り返す。何で二人とも千晶を殺したがるのだろう。


「新刊を手に入れるためには数多の徹夜組も当たり前。熱狂的なファンも現れ、護衛のため私設のボディーガードを雇っていたのだそうですね。イベントごとの発行部数は同人界では天文学的な数字だったとか…」


 いろはさんの熱い語りに、いい香りのするコーヒーを吹き出しそうになった。


 ある程度はこっちの当時を知っているアンさんは、訂正もせず修飾過多な話に頷きつつ、鳩サブレーをぱりんと割ってなどいる。


 苦笑しながら首を振った。


「「ボディーガード」なんてとんでもない。あの頃、ちょうど千晶に出版社からスカウトの話があって、その担当の人が本の売れ行きなんかをチェックに来ていただけ。あんな場でスーツだから目立っただけですよ」


 イベントごとに頻繁に顔を出すから、気安く話すようにもなった。会場への本の搬入とか撤収も手伝ってもらうことも多かった。それが曲解されて変な噂になったのだろう。


「本の数だって「天文学的」だなんて…。所詮は同人誌ですよ。そりゃ、今に比べればたくさん刷ったけど、素人だもの知れてます」


 いろはさんはわたしの返しにぶるんと首を振り、「わたし、実は某印刷所に勤務しているんです。⚪︎⚪︎印刷企画です」と打ち明ける。知った社名だった。昔、よくそこで本の印刷をお願いしたものだった。


「同人誌御用達のような会社だから、今も昔も、大手やそうでない同人の方々が利用されています。その社内で語り継がれている黄金伝説が「『ガーベラ』さんほど刷ったサークルはない」です。

 同人歴の長い先輩曰く「『ガーベラ』の前に『ガーベラ』はなく、『ガーベラ』の後にも『ガーベラ』はない」だとか…。金言だと思います」


「そんな…」


 と受けたが、その後が継げない。ははは…とから笑いで後を濁した。

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