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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
愛のある関係がいい

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9

 夜の始まり。ライトがちかちかとまばゆく照らす道路を走る。運転するのは美馬君だ。思いのほか運転が上手い。地方の大学に通うというがそちらでも乗っているようだ。


 彼は時折ナビの表示を確認し、躊躇なくハンドルを切っていく。外見は言うまでもなく頭もよさそうだし、運転も上手。料理もできて性格もいい。凝り過ぎずにおしゃれだし。びっくりするくらいの好青年だ。


 何か苦手な物でもあるのか。ほんの興味で聞いてみた。


「運動。バスケやサッカーは下手でもそれなりに誤魔化しが効くんですよ。でも、野球は駄目だな。あれって子供の頃からやってないと基礎がないから、無理なんです。キャッチボールもろくにできない」


「へえ」


 意外さに彼の顔を見た。子供の頃キャッチボールを習わなかったのかな、とふと思う。複雑な生い立ちだし、権力のありそうなお父上は具体的に何をしている人なのかわからない…。見えなくても色々あるのだろうこの彼にも。何もない人などいないのだから。


「意外だね。何でもできそうに思うのに。バイクとかあんなにかっこよく乗ってるし」


「あれはバイクがいいんです。僕は関係なくて」


「女の子、いっぱい後ろに乗せた?」


「人はあんまり乗せないからな…。友だちのお姉さんとかしかないな…」


 ふと思いつき、就職活動のことをたずねた。彼も大学の三年生でそろそろそういった時期だろう。こっちにたびたび帰省するのは、就活絡みなのかもしれない…。


「…うん…、まだあんまり考えていなくて。沖田さんが聞いたら、あきれるかもしれませんね、今の学生はって」


 その沖田さんは就職の内定決まってだらけ過ぎて、留年しそうになったって言ってたっけ…。今のイメージからはないが。


「そんなことないよ。今の子の方がしっかりしてる。そっか…、ゆっくり考えたらいいかも、美馬君に合うところを」


「雅姫さんにそう言ってもらえると、ほっとします」


「そお? 間違ってブラックっぽいとこに入社して大変な思いするんだったら、ほら、美馬君には抜群の適性を活かした、安定したホスト業界に…」


「またですか? 僕をホストにして何がしたいんです、雅姫さん」


 笑いながら彼が返す。「安定してるのかな、ホスト業界って」


「大丈夫だよ、美馬君なら苦労したって斜陽の業界でも立て直せるよ」


「さっき、ブラック企業で大変な思いするより、ホストの方が安定してるって言ってませんでした?」


「だって同じ苦労なら、夢と希望のある業界がいいじゃない」


「だから、僕にホスト業界にどんな夢と希望を持てと?」


 馬鹿なことを面白がって言い合ううちに千晶のマンションに着いた。彼女の様子が不安でいたから、彼と話していて気が紛れた。


 部屋には千晶が青い顔をして待っていた。美馬君を見て驚く。彼のことは前にも人となりは説明してある。


 念のため美馬君が千晶をおぶってくれた。不正出血のある今、歩くのはよくないのかも、と素人判断でちらりと思っていた。それを頼む前に彼がそうしてくれたのだ。彼女が背に身を預ける際、美馬君は「ごめんなさい」と言ってから膝裏に手をかけていた。


 さすがの千晶も、こんな状況では「いいよ」と可憐な声で応じていた。


 彼女の代わりにわたしは荷物を持ち部屋を出る。車に乗り千晶の案内で病院に向かった。


 思いがけず近かった。千晶は距離も考えて病院を選んだのだろう。産婦人科のクリニックは時間外でロビ-は閑散としていた。診察室へ案内される千晶を見送り、美馬君と二人ロビーで待った。


 どれほどもかからなかった。千晶は戻ってくると照れたように笑った。心配はないらしいが、安静を心がけるよう指示されたという。


「大したことないのに、騒いでごめんね。ありがとう、わざわざ」


「よかったよ、大したことなくて」


 やはり美馬君が運転してくれ、わたしと千晶が後部座席に並んで座る。


「沖田さんは?」


「出張してる」


「ふうん」


 余裕を取り戻した彼女はわたしへにんまりとした笑みを送ってくる。運転席の美馬君をちょっと指した。そういうんじゃないんだけどな、本当に。迷惑だよ彼が。


「先生、どうだって?」


 自覚のない疑いをからかわれ、気まずいだろう美馬君に悪い。話を逸らした。


「子宮が大きくなると一緒に胎盤が引き伸ばされてきて、そのときの刺激による出血なんだって。そう珍しいことでもないらしいよ。びっくりしたけど」


「ふうん」


 万が一の心配もしなかった訳ではない。だからこんなに慌ててやって来てもいるのだ。ほっとする

と同時に気も抜けた。


「内診嫌い」


「やだね、慣れないよ。あれは」


「あの器具さもうちょっと太さがあると、こっちの反応も変わると思わない? 細っこいのがにゅるにゅる中で動かれても妙な感じするだけだもん」


 危機を脱して相変わらずの千晶のあけすけな発言に、思わず前の彼を見た。美馬君は、謹厳に姿勢を崩さないでいるが、口元に手をやりややうつむいている。


 マンションに戻ると男性の革靴が玄関にあり、奥にはひと気がある。彼女が靴を脱ぐとすぐリビングの扉を開け、中から三枝さんが現れた。ワイシャツにネクタイのお勤め帰りといった様子だ。彼の姿に、彼女は三枝さんにも連絡を取ったのだろうと知った。


 三枝さんは、千晶にまず問う。


「大丈夫だったのか? 医者は何て?」


「大丈夫じゃなかったら、帰って来てないよ。大したことないって」


 ぶっきらぼうに返す彼女へ「きちんと言いなさい。君は…」と怒っている。


「うるさいな。さーさんこそ遅くなるって言ったじゃない」


「早く終えて来たんだ、電話があったから」


 そこでわたしたちへ初めて目を向けた。やや呆れた顔で、


「君の連れて来るのは、ぶっ飛んだのばっかりだな」


 わたしへの言葉だ。前は外人僧侶の義兄ダグ。今度はちょっといないような若いイケメンだ。


「さーさん、失礼なこと言わないでよ。雅姫とその美馬君が助けてくれたんだからね。お礼ぐらい言ってよ。恥ずかしいな、もう」


 千晶の言葉に三枝さんは遅れてもごもごと礼を口にした。「恥ずかしい」とぼやくその千晶は美馬君がいるのに「細っこいのが中でにゅるにゅる」とやばい発言をしていたのに。


 意外にも三枝さんは「寿司でも取るから、中へ」と声をかけてくれた。感謝してくれているようだ。そこで思い出す。カレーだ。


 お誘いを断り、千晶へ声をかけてからマンションを後にした。あの二人は彼女の妊娠を機に、いつの間にかよりを戻してしまったように見える。それは千晶が望んだことなのか、三枝さんの方なのか。


 あんな思いで別れを決めたのに。再び彼の存在を許す彼女の気持ちの推移はどうなのだろう。

きっと近いうちに、照れた千晶から聞き出すことになる、そう思った。


 帰りはわたしが運転を代わった。美馬君に礼を言う。


「ありがとうね、連れ回して。助かったよ。早く帰ろう。お腹も空いたでしょ」


 美馬君はそれに「いえ」とのみ返した。ちょっと疲れたのかと思い、悪いことをしたと思った。いい人って自分の不調を口にしたがらない。彼もそのように見える。


 ナビに従い帰路を取る。何となく沈黙が続く。それが不快でも落ち着かなくもない。ひょっとして美馬君は、こちらに気を使わせない、そういうオーラも出しているかもしれない。単にわたしが鈍感なだけかもしれないが。


 不意に彼がわたしを呼んだ。「雅姫さん」と。


「何?」


「今日見てた人、誰ですか?」


「え?」


 ショッピングモールのフードコートでのことだと彼は言った。それに記憶がふっと帰って来る。

元夫だ。


 わたしが彼を見つけ、そのまま目を逸らせずにいたことを。総司の「パパ」という細いつぶやきが消えていくのを。それらをわたしはどんな顔でやり過ごしたのか。


「うん…」


 言葉の代わりに、こんな意味のない相槌が出る。


「そう、見てたんだ…」


 やはり意味がない。


 美馬君に誰であるのか聞かれ、隠すことでもない。そのままを話した。元の夫であること、その彼が若い女性と子供の三人連れで、まるで家族のように見えたこと…。


「総司がね「パパ」って言ってたよ。小さい声で」


「そうですか…」


 美馬君の相槌は少し肩すかしだった。この彼に何を期待していたのか、とちょっとおかしくなる。若い彼に、こんな話題に口にする適当な言葉が浮かぶはずもない。


 家に帰り着くまでにわたしは自分の思いを探ってみた。驚いて元夫たちに目が吸いついた。それから総司の声だ。それを聞いて。わたしは気持ちが重くなったのを覚えている。


 以前父が沖田さんとの顔合わせで、総司は長く元夫のことを忘れないと言った。それが「親子の情」だと。普段の生活で紛れていたのにあの存在を突きつけられ、総司の心の閉じた蓋が開いたように思えた。父が消えた理不尽な事実に向き合うあの子が不憫だったのか…。


 それもある。


 それだけではない。彼への愛情はないはず。女連れだったのが原因でもない。そうじゃない。

嫌だったのはあの女性の横の女の子の姿だ。総司とさほど違わない幼児へ元夫は笑顔を向けていた。それにわたしは気が滅入った。


 腹が立ったのだ。


 大怪我を負ったあの事件を、沖田さんはわたしがけろりと復活したようにときにからかう。でも、激しい痛みもショックも堪らない恐怖だった。忘れる訳がないし過去に流してすっきりしているのでもない。思い出したくもないだけだ。


 それほどに気持ちの傷は大きい。どうにもできないこういう心の引きつりは、専門家が見ればトラウマだと言ってくれるのかもしれない。


 彼の姿にあの痛烈な感覚がよみがえりもした。尾を引きそうなそれを断ち切ったのは、総司の声だった。「パパ」と彼を呼んだあの声だ。


 そこで、わたしは別の思いをかき立てられた。どうして育てた総司を棄てておいて、別な女の子に笑顔を見せられるのか。新たな暮らしに次の生活に、あっさりシフトチェンジしてしまっているあの彼に腹が立った。


どうして、総司ではいけないのか。



 憎かった。


 そんなもやもやが、いろはちゃんや美馬君が一緒の和やかなあの場で似つかわしい訳がない。作り笑いをし、総司の目を無理に逸らさせたのだ。あんな汚いものを見るな、と心で罵っていたのだ。

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