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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
愛のある関係がいい

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64/70

5

 錦糸卵のお寿司を総司に取り分け、自分はサーモンのを口に入れたときだった。


「そういえば、沖田さんが愚痴ってたよ。若くてすごいイケメンを家に引っ張り込んで、イチャイチャしてたって」


 はあ?!


 色んなものがこみ上げて、咀嚼できない。高いお寿司なのに。やっと飲み込んで聞いた。


「何、それ。イチャイチャとか、引っ張り込むとか」


「だって、その通り言ってたもん」


 つい先日、彼が来たという。用らしい用もなく、さんざんその件で文句を言い募って帰ったとか。

何なんだあの人は。美馬君を「うちに呼んだら~」とか、納得したようなこと言ってたくせに。親戚のように仲のいい千晶には態度が違うじゃないか。


 千晶が知りたがるので詳しいところを説明した。美馬君の背景のことはやはり省いておく。


「ふうん…。それは妬くわ。心配になるよ」


「何で? だって学生だよ。あんな若い…」


「若い男でしょ。しかもそれだけかっこよければ、間違いがあっても~、って考えちゃうよ。不安になるって」


「そういう子じゃないんだって。亡くなった母親を懐かしんでるだけだよ」


「源氏物語ってそんなエピソードなかったっけ。源氏の君とほら父親の後妻がさ、出来ちゃう。千年も前から大衆が好む定番な流れなんだよ」


 千年…。


 彼は源氏の君でもなくわたしは千晶の指す藤壺の宮でもない。大体、わたしがとち狂ってそんな気持ちを抱いたとしても、あっちが受け入れるはずがない。


 ないない。


「それこそ、可愛い女の子をより取り見取りだよ、あの子なら」


「たまには大人の女の味も、乙なんじゃない」


 意味深に笑ってそんなことを言う。千晶の言葉に知らず顔が熱くなる。完全に否定しつつも、根が妄想体質だからか、ちらりとそんな雰囲気になったところを想像しかけてしまう。


 いやいや。その衝動すら美馬君が気の毒だ、やっぱり。


 慌てて首を振る。


 テレビのアニメに気が逸れている総司にご飯を勧めた。「シューマイ好きでしょ」


「そんな謙遜することないけどな。だから心配なんだよ、沖田さん」


 恥ずかしさに、立ち上がった。飲み物をもらおうと冷蔵庫に向かう。まだ早いから、特にほしい訳ではないが、缶ビールを手に取った。


 千晶にかざして見せると、彼女は「要らない」と首を振る。


「ほしかったら、どんどん飲んで。構わないよ」


 それが珍しかった。仕事上りでもあるし、食事中は軽く飲むのが好きな人だ。この後でまだ描くものが残っているのか、そんなことをちらっと思った。


 どうしようか迷い、ポケットに返す。それほど飲みたい訳じゃない。代わりにアイスティーのボトルを選んだ。


「妊娠してるんだ、今」


 え。


 千晶の声が、アニメの声に重なる。


「あはは、何て顔してんの? だから、子供がいるんだって」


 いつもの軽い声がそう言った。わたしはどんな顔を彼女に向けていたのか。


 相手は?


 言葉にする前に彼女の方が答えをくれた。


「さーさん。別れてから、一度あったの…」


 視線を、窓へ向けてからわたしへ戻した。


 何と声をかけたらいいのか。相槌にすら迷う。


 意見をしたいのではない。賢い彼女の真意を探りたいのでもない。気持ちは行いについてくる。変わるもの。変えるものだ。


 千晶はきっと、産むつもりなのだろう。


 いろいろあるな、人って。


 凪いでいるようでも、ひたひたと変化の波は寄せる。


 芯からそう思う。


「…そうなんだ」


 ありふれた声が遅れて唇からこぼれた。




 千晶がテレビのチャンネルをいじり、総司へ子供向けの番組を探してくれた。それを目で追いながらぼんやりと思う。


 わたし自身がそう育ったからか、テレビを見ながらの食事に抵抗はない。元夫がいた頃も、がやがやテレビの音に紛れて喋りながら食べたものだ。こういうのを嫌う親の方が今は多いのかも…。


 これまで、かなりいい加減な育児をそのまま彼女にはさらしてきた。それは子供を持たない彼女にその良し悪しを判断する趣味がないと思い込んでいたからだ。


 千晶は意地悪な見方をする人ではないが、同じ子を持つ人と接するより「母親としてどう見られるか」「これは、アウト?」などと考えなくていい点で、とても気楽だった。


 その彼女が母親になる。


 何が変わるのだろうかを考え、必ず幾つか、何かは変わるのだと納得した。たとえば、この部屋の趣味も生まれてくる子の性別によっては、がらりと違ってしまうかもしれない…。


 もうじき三か月だという彼女の声に頷いた。


「母子手帳ももらったよ」


 どこか返事が弾んでいる。嬉しいのだろう、と思う。やっと、今回のサプライズに笑顔を返し喜んだ。


 驚きは大きかった。衝撃と言っていい。しかも相手が相手である。けれども、出産の覚悟を聞けばそれらは小さく去っていく。今後の彼女の予定や計画への興味に頭が切り替わった。女ってこんな風なところがあるのかもしれない。


 きっと、どうでもいいのだろう。理由とかきっかけとか。


「…前に、言ったかも。何のために描くのか、わからなくなってきたって。夢だのキャリアだののためだけに描くのに、もう飽きちゃったのかな…」


 そういえば、聞いたような気もする。そのときは単純に仕事の方向性への迷いとだけとっていた。言葉にはもっと深い仕事をする意味という側面もあったようだ。


「子供ができたら…、ちらちら浮かんできたの。そうしたら、もうひと踏ん張りも二踏ん張りもやれそうに思えた。ああ、こんなことと言うと、漫画を続けるために子供欲しがっているみたいに聞こえるね。純粋に自分の子供を欲しくて頑張ってた若菜には、打算的だろうね」


 ううん、と首を振る。総司が食べ残したお寿司を口に運んだ。喉にやってから口を開いた。


 「本能だよ、女の。産みたいって、きっと。それに、後から勝手に理由を付けてるんじゃないかな。時期だからとか将来の事とか、世間体だとかそれぞれ。まず、産みたい、が先だよ。理由は脳の適当な後付け」


「そうかな」


 真剣な顔で聞くから笑った。


「多分ね、へへへ」


「何だ、すごい説得力あったのに」


 自分を振り返ってそうだったと感じただけ。身体の問題があったからじゃなく、あの時期のわたしは子供を授かって産むことを欲していたのだ。


「理由なんか、意味ないよ」


 千晶は目を伏せ何度も頷いた。


 彼女の言葉にふと以前の沖田さんの声が重なった。彼はわたしに「自分ためだけに何をしても、もう楽しくない」そんなようなことを言った。少しそれに似て聞こえる。


 もしかして人にはそれぞれのある時期、今とは別のステージに移る欲求のようなものが芽生えてしまうのかもしれない…。


 それにつられてか、


「沖田さんには話した?」


 知った人の名に、総司がこっちへ顔を向けすぐに戻る。そんな仕草に、この子にとって既に彼は近しい人なのだと知った。ダグやお友だちほどではなくとも。


 千晶は苦笑しながらまた頷く。


「あの人にあんなに叱られたの、いつ振りだろ? 挙句に「お前の下半身は磁石か?! 磁場を感じたからって簡単にくっつけるな!」だって。こっちの下半身の事情はほっといてよ。言い返せなかったよ、わたしが。ほんと…」


「あははは」


 彼のえぐいセリフに社の恩人真壁千秋大先生が、まるで同人時代の頃のようにぐっとへこまされたという。見たかったと思った。なかなかないシーンだ。


 ぶつぶつ言い言いしつつ、彼がしまいには納得したことを教えてくれた。


「それがさ頭にくるんだって「ただ赤ん坊はおもちゃじゃないぞ。その覚悟があるんだったら、好きにしろ」だよ。あんたの許可なんかいらねーっての。法の下、わたしは好きに生きる自由を認められてんだってば。どんだけ納税してると思ってんだか。子供くらい勝手に産ませろ」


「あははは」


 彼の言葉にぶーたれていても、その彼に知らせたかったのだ、彼女は。何やかやと二人の仲は妙な意味濃い。強烈な打算や身勝手、さらに情事を見られても、彼女はふてぶてしく忘れた振りをし、彼はスルーした振りをする。


 互いに出来事を流し切ってなどいないのに、それでもきっと許している。そんな相手もうやむやにしてしまう自分をも。


 だから、とても楽なのだろう。


 いいな、と思った。妬く意味ではない。ううん、ちょっと妬いているのかも。千晶にとって、わたしより彼の方がより親友であるのだ、多分。


 つわりもないのか、彼女はぱくぱくよく食べる。以前より食欲はあるように見えた。自身の壮絶な初期のつわりを思い出し、今更ながらちょっとうへえとなる。千晶はついている。


「プレママ雑誌も買ってみたんだけど…。ねえねえ、貴重なアドバイスとかないの? 経産婦としての」


「ないよ」


「え~」


 返事に、咀嚼中のつぶれた声を出す。母子手帳があるのなら、医師の診断も受けているはず。大事なことはそっちに聞いた方が絶対確かだ。


「ほら、自分のときのこととか。教えてよ」


「う~ん、忘れた」


 はて…。妊娠から出産、新生児からの赤ちゃんとの向き合い…。あれこれあり過ぎて大変過ぎて。いっぱいいっぱい感と疲労感しか覚えていない。千晶に助言できるほどの情報がない。


 妊娠期など体調により人それぞれで、運動がいい人もいればそうでない人もある。体重制限も人によるだろう。つわりのありなし軽重も、かなり個人差が出る。


 何か何か! とせっつかれてやっとしぼり出す。


「ほどほどがいいんじゃないかな。はは」


「ふうん。じゃあ、出産のときは? どう?」


 これはあっさり断言できた。


「痛いよ。元旦那の浮気相手に刺された時より、しんどかったかも」


「やっぱり」と彼女は嫌な顔をした。それに「大丈夫、必ず乗り越えられるし。産めばすぐ楽になる。それどころじゃなくなるよ」と返す。

 

「びっくりするぐらい早く産んじゃう人もいるし。そう、陣痛室で一緒だった人、十二分だよ」


 頷きを繰り返す彼女へ問う。


「三枝さんはどう言ってるの? 今度のこと」


「話してないよ」


 え。

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